とある国の噂が囁かれていた。
無限の知識と、それを記した無数の書物。
それら全てが正確で、解読ができない物もある。
当時の技術ではどうやっても成し得ないような、
遠い未来の技術まで存在していたらしい。
しかし──その国には、
不可解な点が多く存在していた。
当時存在していた周辺国より、
文明の成長速度が著しく速かったこと。
不用意に他の大陸へと侵略せず、
侵略もされなかったということ。
そして何より──突如として、
その国は内側から崩壊したということ。
内乱か、天災か、神の怒りを買ったか。
今でも、その議論は繰り返されているらしい。
その国の名は──
知恵を不当に搾取し続けた結果、
内側から自壊した愚かな国の名でもある。
日々の終わり
むかし、むかし……そのまた昔の話──
無秩序と絶望が
そこに住まう人々は──もがき、嘆き、苦しみ……すがる希望も神も無く、ただ死ぬ事だけが唯一の救いでした。
そこに、白く輝く神秘的な鳥がやってきました。
その鳥は、とても賢い鳥でした。
凡人が3日かけて解いた術式を3秒で解き、天才が6ヶ月かけて創ったパズルを6分で解き、賢人が9年かけて解読した書物を9時間で解いてしまうほどに。
あらゆる思考や価値観、言語から数式まで、ありとあらゆる知識を備えていましたし──どんな人種ともそつなく話すことができました。
溢れ出るかのように閃き続ける知識と、それを存分に活かせる力が、その鳥にはありました。加えて、万人を魅了する美しい羽も持っていました。
その鳥によって、一時の安息を──
人々は、得ることができました。
いつしか…その鳥は、
"聖鳥"と呼ばれるようになりました。
誰もが聖鳥を褒め称え、尊敬し、祝福しました。
──それから数百年後の、ある日。
聖鳥は、卵を産みました。
ですが、数多の偉業を成し遂げた聖鳥は、
長い眠りにつく必要がありました。
熟考の末──聖鳥は、愛しい雛鳥が宿る卵を、
一番信頼できる人達に任せることにしました。
その人達は聖鳥の加護と恩恵の元──
民を導き、妖魔を
平和な国を作りましたとさ。
──夢を見た。見てしまった。
目を覚まし、素早く身を起こして、筆を執る。
差し込む朝日をよそに、
ボクは古びた羊皮紙にカリカリと文を刻む。
夢は、すぐに忘れてしまう。
忘れてしまう前に……記録するんだ。
──ボクが生まれて、初めての夢なんだから。
そしてその記録は……すぐに塵と化す。
「……つまらない物語だな」
彼は鉄格子越しに私の書いた物語を取り上げ、
顔色一つ変えずに読み進めたかと思えば、
ため息をついた挙げ句鼻で嗤い、
「珍しく何か書いてるかと思えば……
ただのふざけた御伽話だったとはな──
この程度のモノが、知識だとでも言うのか?」
残念だな──と後に付け加え、
目すらも合わせずに去って行こうとする。
それを……少し荒っぽいかもしれないけれど、
この言葉じゃないと止まってくれないと考えた。
「何か閃けば書いて欲しい……
そう言ったのは、貴方じゃ──」
「俺達が期待しているのは
くだらない御伽話ではない!!!」
彼の怒号が、鼓膜と横隔膜を震わせる。
あぁ……また、期待に応えられなかったんだ。
「チッ…最近はいつもこうだ……
俺の生活もメチャクチャになるのは
時間の問題だって言うのか……?!」
行き場のない愚痴をこぼしながら──
彼は、ボクの視界から遠ざかっていった。
「ボクは──君達の生活も………
この鳥籠の中以外の、全てを知らないのに」
心にポッカリと穴が空いたように、
全てが噛み合わず、頭が回らない。
なにもかもが後手後手で──
気付いた頃には、もう遅い。
例え頭でわかっていても、何もできない。
悔しい。
苦しい。
何かがおかしいと感じていたはずなのに。
でも、今のボクには──
何がおかしいのかすら、わからない。
風に揺られ、
ボクは、そんな鳥籠の中の世界しか知らない。
彼らが求めているであろう、
そんなものは存在しない。
この鳥籠の中で、これ以上何をすれば良いの?
「今回はどうだったよ?」
「……ただの御伽話だった。
教科書にすら載せる価値のない内容だった」
「何の価値があるんだ?それに」
「そんな些細な事は知らん。
俺も困っているんだ」
ボクとの"面会"が終わった後、
遠くで聞こえるやり取りが聞こえる。
ボクが羊皮紙に書いた情報が、
彼らの役に立つかどうかを精査をしている。
「上司への報告書はお前が書けよ。
俺が怒られるのイヤだしー」
「殴るぞ???」
「あっはっはっは、そうカッカすんなって」
遠くに見える監視所で悪戯に笑い合いながら、
仲が良さそうに喋る男性二人の声を聞くに──
どうやら、ボクから良い知識を引き出せないと
彼らにとっては、あまり都合が良くないらしい。
「──そういえば…知識が出てこないなんて、
生まれて初めてかもしれないな……」
以前のボクなら、鉄格子に触れただけで
原子核の陽子と中性子の数とかがわかったのに。
「今となってはそれすら当たり前だし……
それはつまり彼らにとっても当たり前で──」
「あのー…スチエンティア様?」
「ふぁ?」
ふと、背後から声をかけられて振り返る。
そこには…2日に1回ほどの周期でやってくる
鳥籠周辺の掃除をしてくれる人間だった。
ボクの、唯一の話し相手だ。
話し相手……とは言ったけど、
ボクが一方的に声をかけて話してるだけ──
"だった"。
……声をかけられたのは、初めてかも。
「いつもなら入ってきた所で、
遠くから声を掛けてくださるので……」
「あ…あぁ、ちょっと考え事をしてたんだよ。
──もう掃除は終わらせちゃったの?」
「いえ、これから始めるところですよ」
丁寧な物腰で、やけにボクを気遣ってくれる。
その理由はなんとなくわかっているけれど、
ちょっとむず痒いかもしれない。
「そういえば、君が敷地内に入ってきた音が
聞こえなかった気がするけど……」
「いえ、私はいつも通り入ってきましたよ?」
「じゃあ──やっぱりボクが悪いっぽいな。
注意散漫過ぎたのがいけなかったのかも?」
「確か、考え事をしていたと言ってましたね。
……無礼かと思いますがスチエンティア様。
一体、何を考えていたんですか?」
気遣いながらも、程よい距離感で……
差し迫るような空気感も無い。
話しやすい人だな…と、思った。
「うん……最近、知識が溢れなくなって」
「それ──大事なんじゃないですか?!
貴方の
全く過言ではないのに…!」
「かれこれ1週間前から出てこなくてさー。
鳥籠の中だけの知識じゃ限界みたいなんだ」
驚きに満ちた彼をなだめるように、
優しく…かつゆっくりと、穏やかに喋る。
あまり声を上げすぎると監視員にバレるから──という意図を、ボクの表情から読み取ってくれたのか……彼はハッとして声を抑えつつ掃除に戻った。
「あっ…すみません──えっと……
鳥籠から出してもらおうと相談するとか、
ここの外にある図書館にある本等は──」
「どっちも試したけど…どれもダメかも──
出たいと言ったら罵倒ないし拷問されるし……
図書館の本は、ボクの知識の延長だもの」
「拷──問……?」
信じられない、とでも言いたげな表情で……
彼は掃除を続けつつも、
ボクとの話を聞いてくれた──
──待って……なんで、話をできてるんだ?
普段なら、相槌程度で終わるはずなんだ。
ボクが一方的に喋るだけで……彼は相槌だけ。
彼と言葉を交わすなんて、したことがない。
すごく──奇妙な感じがする。
いつもと話している長さが違う──
というより、そもそも会話なんてしたこと無い。
何か言うなら…今のうちな気がする……!
「ねぇ、君……名前は?」
「ん…?私ですか?私の名前は無いですよ。
まぁ、掃除奴隷8号という名前がありますが」
「違う……"君"の名前だよ」
君自身の名前が知りたいんだ──
ボクの目から気持ちを汲み取ってくれたのか、
彼は……ようやく名前を教えてくれた。
「流石だ──俺は、リカード・ワラク。
聖鳥様がお選びになった、本来の家の者です」
声のトーンが落ちた…これが、彼の本性だ。
リカード……リカードっていうんだね?
「──ありがとう………リカード・ワラク。
未熟で
本当に……ありがとう」
ボクの一連の言葉と態度に違和感を感じたのか、
彼は血相を変えて、ボクの眼前にまで迫る。
至近距離で、お互いの瞳孔が合った──
彼から、
その気迫は──この鳥籠に生まれてから…知識として頭に染みついているモノでも、鉄格子の内側から観察して糧としたモノでもなかった。
「スチエンティア様──
賢い貴女ならお気付きでしょうが、
貴方は聖鳥の子だ──神と同等の力を司る、
人ならざる力を持つ御方なんだ……!!」
瞳孔の奥にある感情の真意が、わからない。
「貴女が如何に聖鳥の尊厳を踏み
聖鳥であることを忘れてしまっていても、
絶対に揺るがない事実なんです!!」
何を言っているか──わからない。
「高貴な貴女が、貴女を虐げる者なんかに
下ってはいけない──そんなの間違ってる!!
俺から託せる言葉は……1つだけです」
「待っ──何を言って………っ?!!」
彼は…壊れたの?
ボクは…何を言っているか……わからな──
「信仰が、力となる」
その言葉が頭に響いた瞬間──銃声が鳴った。
同時に彼は……彼じゃない何かへとなっていく。
血を吐き、うめき声を上げ、倒れ伏し……
撃たれた箇所から血溜まりが作られていく。
──生臭い、鉄のような臭いがする。
「おやおやおやおや、いけませんねェ。
聖鳥だのなんだのとほざく奴隷は、耳障りで」
聞き覚えがある声だ。
妙に甲高く、鼻につくような声だ。
コツ──コツ──と、革靴の音がする。
強い耳鳴りがする。
知っている──
鉄条網の擦れる音が、より一層痛く響く。
「お久しぶりですねェ、
フィー・スチエンティア殿ォ。
いンや──今となっては最早ァ?
殺処分前の雄鶏も同義のようですがねェ??」
あぁ…うっざい……鼓膜に粘着してくる声だ。
聞く機会は少ないけど、聞く度に頭が痛くなる。
コイツが居なければ…掃除奴隷が7人も
死なずに済んだのに──ッ!!
「──用があるならとっとと言ってくれよ、
少佐の君は、こんな些細で粗末で無駄な事に
時間を割きたくないんじゃなかったっけ?」
「ンッン〜♪……実に良い記憶力ですねェ。
明言している所属と階級まで覚えているゥ?
一文字も間違っていませェン、
人間としては異様に長い四肢を持ち、病的に白い肌と髪に、左目には機械的な眼帯を付け、特徴的な軍服を着込んだ異様な男──
奇怪で珍妙で、気色悪い動きで拍手をしつつ、
痛みに悶えているリカードを何度も踏みつける。
より激しくなった痛みに耐えきれず絶叫するリカードに対し──珍しい虫でも見つけたかのような、甲高い笑い声を浴びせてくる。
ドエフスキー・タルスコフとは、そういう男だ。
「それに……愛らしいィ容姿をしている貴女をォ
ズッタズタァのメッタメタァにするのにはァ〜
目ィ一杯、
不意に顔と視線だけをボクに向けたかと思うと、彼が手に持っている銃から大きな銃声が響き、エネルギー弾が放たれ──リカードの脳天を寸分違わず撃ち抜いた。
何らかのリアクションをボクに求めているのか、
彼は──ニタァと、気色悪い顔で嗤いかけてくる。
……ここまで、彼のすることは全て予想通りだ。
ボクの予感は、良くも悪くも当たるんだ……ッ!!
「リカード…掃除奴隷8号は、ミスをしたんだ。
奴隷としてのルールを破り、殺されるとしても
早急に……ボクに伝えたい事があったんだ」
──でも、だからこそ…冷静に、彼を挑発しろ。
彼が、一番されて嫌なことをしろ。
あえて不敵に笑え──敢然と振る舞え。
「君は阻止したつもりだろうけど、遅かったよ。
奴隷制度をボクの知恵から編み出した本人が、
自ら奴隷を射殺するなど…簡単に予想できる」
少佐の奇怪な動きが電池切れかのように
ピタリと止まり、表情がゆっくりと曇ってゆく。
「少ォし違うんじゃ無いですかねェ…?
奴隷制度は
それェにィこの奴隷は聖鳥について喋ったァ!
この世に存在しないモノを
不・良・品ッ!!──ですからねェ!!」
彼は平然と、普段の表情でそう言い放つ。
人の事を奴隷だの不良品だの──
ああいう価値観を唱えるような奴の為に、
ボクは法という概念を教えたワケじゃない。
「知ってるかな?掃除奴隷8号……もとい、
リカード・ワラクが遺した言葉の意味を。
ボク、未熟で拙いからわかんないんだ。
──賢い君なら、知っていて欲しいな〜って」
「そォんな些ッ細ィな事はどぅでもいィんでスッ!
本質的な問題はそこじゃなァいんですヨッ!!」
話を反らしてきた?
人を殺しておいて、それは無いだろッ──!!!
「しらばっくれるってことは、わからないんだ?
見識深くて思慮深い視野を持つ賢くて聡明な
ドエフスキー少佐なら──彼の遺した言葉、
その意味がわかると思ったんだけ───」
銃声。
ドエフスキー少佐は…ボクに発砲した。
いや…正確には……
エネルギー弾を、鉄格子に当てた。
それも──ボクの眉間近くの箇所に。
反射した弾は、ボクの脚を掠めていった。
「黙れよ、家畜の出来損ないが。
知識もろくに生産できないゴミ同然の生物が、
私と対等に口論をしようなど
お前は黙って知識を一生吐き出し続けてろ」
口調が変わり──彼のオーラも変わった。
つい数秒前の彼とは、ほぼ別人のソレだ。
彼本来の、本性のようなものを垣間見た。
その変化のギャップと、
向けられた銃口の気配に
ボクは、つい座り込んでしまっていた。
──けれど、これは違う。
嫌な違和感を感じる。
そう……まるで、小馬鹿にしているような──
「キャッッハハハハハッハッハァー!!!!
おやおやぁ、強張った
ンゥ〜
「──っ…は……??!」
「おやおやおやおやァ〜??本気にしちゃったァ?
銃で貴女の眉間を狙ったのもォ、
怒り心頭っぽい口調をしたのもォ、
ずぅぇ〜〜〜んぶ演技でぇーすッ!!!」
ボクが圧された事があまりにも嬉しかったのか、
少佐は奇怪な動きでボクを挑発仕返してきた。
やり返してくる…ということは、
多少効いていたのだろうけど──
これじゃあ………逆効果だよッ……!!!
「さて、茶番はここまでにしますかネぇ……
──信仰が力となるのは存じておりますヨ」
は──待って、どういうッ…!?
「じゃあッ…なんで話を反らしたのっ!?」
「いやぁ…つい、貴女を小馬鹿にしたくてねェ〜
それに貴女の口から"知らない"だなんて、
この国では大事件ですからねェ??」
知ってた上で、更に馬鹿にするためだけに……
やっぱり嫌いだ…この男──!!
──ボクに、そう思わせるのが狙いなのだろう。
であればボクが彼を嫌ってる時点で負けだ。
現状は──口論でも実力でも彼に勝てない。
「それに、本質的な問題はそんな事じゃァなイ。
貴女は……今の自分の立場、おわかりですゥ?」
「……君らが望む知識が欲しいなら──
一瞬でいい…ボクを、
「そォれは貴女が知識を無ゥ限に抽出すればの話。
殺処分前の
──彼が言っている意味はわかる。
畜産においての
オスとメスとで仕分けられる事は知っている。
メスは卵を産み肉にもなるため価値が高く、
オスは卵を産まないため肉にしかならない。
こと採卵においては──
オスの価値はゼロと言っていい。
残っている肉の価値についても……
メスよりも品質が劣ってる始末。
ぞのため、殺処分されることが多い。
……そんな雄鶏と、私。
ドエフスキー少佐にとっては、どちらも同じ。
つまり──
「ボクを、今すぐ殺す──とでも?」
「ン
今すぐ、という言葉が無ければ正解でしたァ」
「どのみち殺すなら、どっちも同じだよ。
何時、何処で、誰が、どんなふうに
ボクを殺すつもりなの?」
その瞬間…ドエフスキー少佐は、大爆笑した。
どう殺されるのかを、ボクが聞いたのがツボに入ったのか……それとも自分が優位であることに酔っているのか──どちらにせよ、聞いていて良い気分になるような笑い方をしていない。
そう思って彼を見ていると──
不意に、笑うのをピタリと止めた。
そして…その長い脚をカクッと折り曲げ、
座り込んでいるボクに視線を合わせてきた。
──上から見下ろす姿勢は一切変えずに。
「
殺そうと思えば何時でも殺せる
という、簡単な事ですヨ…流石の貴女も、
自分の死が関わると冷静じゃないですねェ?」
「……ボクに散々拷問してきた君のことだ。
ただ脅しに来たってだけじゃないんでしょ?」
彼は、ボクに数々の拷問をしてきた男だ。
ボクの目の前に現れる度に、ボクを痛め付けないと気が済まないと口にして、散々な目に遭わされてきた。
そんな奴が、たかが脅し一つで済むはずがない。
「根に持っていることがヨォくわかりますネぇ。
ええ、ええ……確かに脅しだけではありまセン。
たった今から、それを実行しますヨ…とだけ」
──今から?
「え……でも、君は…今──銃しか持って……
それに殺すならさっき殺せたはず」
「その表情、とォッてもイイですねェ………
その様な顔をもっと拝みたいですねェ。
惜しむらくは──これが
最後の会話になる事でしょうカ」
「なにをするつもりなのッ………?!
やるなら早く──やってよッ……!!」
怖い。
コイツは、いつもそうだ。
その目の奥が真っ黒で、
何を考えてるかわからないんだ。
リカードの様な悔恨の念も無ければ、
監視員のよう人間臭くもない。
掴めない……ドエフスキー・タルスコフを。
だから、怖い。
「死にたくなけれバ──その足りない鳥ィ頭デ、
"彼ら"に
でなケれば、貴女は死ぬでしょウねェ?」
鉄格子越しに、彼の充血した漆黒の瞳が、
ボクを射止めたまま動こうとしない。
彼自身が…まるで、怪物の一種のように思えた。
金縛りに遭っているのか──
離れようとしても、身体が言う事を聞かない。
怖い…怖いよ……ッ…!
「その怯えた
最高の癒しでしたよ」
そうとだけ言い残して──ドエフスキー少佐は、
死体を残したまま、鳥籠を後にしてしまった。
「──は…………ぇ……?」
何も、わからなかった。
恐怖で頭が一杯だった。
………まとめよう、情報を整理しよう──
まず──これから拷問が始まるらしい。
それが何なのかはわからない……けれど。
今から実行すると、あのドエフスキーが言った。
いつ、どんな痛みが来てもおかしくない。
それを回避するには……
今までの上を行くような知識が──
「もう知識は底をついたっていうのに……ッ!!!」
今度はどんな知識を提供すればいいの?
空が偽りであること?
天気が人為的であること?
白亜材が弾丸に使えること?
どれもこれも仮説に過ぎないだろッ…!!
彼らが求めている知識っていうのは、
仮説じゃ足りないんだッ……!!!
いや……違う…もう、無理なんだよ──
彼らがボクに求めているモノを授けるのは……
「……寝よう」
柔らかくも固くもない……
ごく普通のベッドに、身体を投げる。
そして……うずくまり──目を閉じる。
眠くはない。
疲れてもいない。
寝不足でもない。
ただ、できることがないだけだ。
「おい、晩飯の時間だ──起きろ」
荒々しく鉄格子を蹴る音で、目を覚ます。
ベッドから身を起こし、冷たい空気を全身で感じながら、ご飯の受け取り口へ手を伸ばす。
「──あれっ………」
そこにあったのは……
冷めきった具の無いスープと、
幾つかの乾パンの欠片と、
おおよそ──500ml…?の水だけだった。
「これじゃあ一日の栄養として足りないよっ、
もっと栄養と物量が欲しいんだけど無いの?!」
「それが全部だ、それ以上はない」
「なんでさ?!他にもあるはずだよ!
つい一週間前まではこんなに少なくなかった!
どうしてここまで減らしたりするの?!」
「それが全部だと言った!!!
もう話しかけてくるな!!!」
──は?
待て待て待て待て待て待て………ッ!!!
落ち着け………落ち着け……ッ…!
──突然の事だった…感情をぶつけられた。
朝方……私の
……今は夜だ。
昼にリカードが殺されて──
今、その死体は片付けられている……けれど。
ご飯が少ない…一日の栄養として足りない。
思えば、朝食も昼食も摂っていない。
今日一日の栄養素が…たった、これだけ?
それって──つまり………
この食事が続くなら──
ボクの命は、もって1ヶ月だ。
そして、これが……
「──ドエフスキー・タルスコフ…これが、
君の考えた新しい拷問だって言うのか……ッ」
餓死を狙っている……恐らく。
このまま食事の量を減らされ続ければ……
近いうちにボクは、餓死することになる。
以前のような食事…いや、命が欲しければ──
新しい知識を提供しろ──と。
でも、ボクから提供できる知識は──もう無い。
こんな狭い鳥籠から出してもらえないなら、
今以上の知識なんて絞り出せるわけがない。
「とりあえず食べよう……食べなきゃ、
今度こそ頭が回らなくなっちゃう」
頭が回らなくなったら、それこそ終わりだ。
「──味がしない………?」
違う──味が、付いていないのかな…?
口に入れても、食感しかわからない。
舌を滑り、喉の奥へと流れる冷たい液体と──パサパサしていて…口に入れると、すぐ溶けて消えてしまうほどに細かい、乾パンの破片。
……ううん、旨味すら感じない。
やっぱり、味覚が働かなくなっている。
「なんで……なんで…なんだよっ…………
なんで味がしないんだよ…ッッッ──!!!!」
唯一の娯楽だった、食事を奪われた。
目の奥が熱くなっていく。
ダメだ、泣くな…涙を出しちゃいけないのに。
泣いても……物事は進んでくれないのに。
息を殺し、すすり泣く声を必死に抑える。
夜は音がよく響くのに。
泣いたら…また──
──ポツ。
静かに、けれど一瞬にして、雨が降り注ぐ。
それは次第に激しくなり、大雨になった。
激しい雨音は、夜の静けさを破壊していく。
その時……初めて、ボクは泣くことができた。
大声で、容赦無く降り注ぐ雨に甘えるように、
行き場のない涙を流し、抑圧した感情を吐いた。
何もわからない。
何もできない。
もう──何をすればいいのかわからない。