母親が居た気がする。
縁のない概念だと思っていたけど……
ボクには──母親が、居た………気がする。
確証は無い。
誰かがそう言っていたのを聞いたのでもない。
ただ漠然と、そう思っただけなんだ。
もし、本当に母親が居るのなら。
もし、ボクに親が居るのなら。
ボクは、ここに居るよ──
「なんて──聞こえるわけがないじゃん」
雨が降っている。
昨晩から止むことなく降っている。
淀んだ空と降り注ぐ雫を、網膜が捉えている。
あーあ、晴れてたら良かったんだけどなー……
そしたら──昨日、ここで死んでしまったリカード・ワラクは……ここじゃない遠くへと行きやすかったと思うのに。
朝ご飯は、無かった。
空腹で目が覚めて……以前のように、
受け取り口へと手を伸ばしても──
何も無かった。
昨日の夜──降り始めほど激しくはないけど、
霧雨のように緩やかな雨でもない。
心を落ち着かせるには、丁度いい雨だ。
「──来た」
雨の中、監視所から……傘をさし、
ゆっくり近付いてくる人影が一つ。
きっと、昨日来た人の相方だ。
日
徐々に人影が大きくなっていき、その姿と顔が……雨の中でも鮮明な程に見える距離までやって来た。
──予想は、当たった。
「よっ、絶賛拷問中のフィーちゃん。
知識を書いた羊皮紙があるなら受け取るぜ」
昨日の彼よりは、比較的物腰が柔らかい人だ。
チャラチャラしているけど、悪い人ではない。
けれど、答えは昨日の寝る前から決まっている。
「──無いよ、君達が求める新しい知識は。
ボクだって出せたら出してるよ……」
「だよなぁ……はぁ、オレも怒られるなぁ」
「前々から気になってたけど……
なんで君達が怒られなきゃいけないの?
本当に怒られるべきは、ボクなのに」
ふと思いついて聞いてみたけれど……
彼は……どこか、複雑な表情をしていた。
「俺とアイツでフィーちゃんを監視してるだろ?
で、知識を受け取る役割もしてるじゃん?
フィーちゃんが知識を供給するのをやめたのも
俺らのせいだって、お偉方が
けれど、身振り手振りを交えて話をしてくれた。
それだけで……幾分か気が楽になった。
「それは違うよ──知識が出てこないのは、
全部ボクのせいなんだって言わなきゃ」
「そうやって背負い込んでるからじゃねーの?
知識っていうのが出てこないのはさ」
「事実でしょ……君の言う、お偉方っていうのは
一時の感情で物事を決めたりしないはず」
「そんなもんなの?俺にはよくわかんねぇけど」
お偉方……ドエフスキー少佐よりも上の…?
その実態はよくわかっていない──彼の階級が、ドエフスキー少佐未満という前提であれば……そうかもしれないけれど。
目の前の彼が、中佐とかだったら話は違う。
王だとか、大臣だとか…その手の類が絡んでる。
「難しそうな顔してるけどさ……
もっとシンプルに考えれば良いんじゃねぇの?
複雑に考えるより、パッと思いついたことが
意外と良い答えだったりするかもよ?」
──顔に出てたみたいだ。
その上、気遣ってくれたようだ。
やはり……彼は、悪い人ではないみたいだ。
「うん……ありがとう、もう大丈夫だよ。
考えておくから、明日また来てくれないかな」
「そうするよ、相棒と一緒にな。
──おっと…そうだった」
何かを思い出したかのような仕草と共に……彼は、肩から下げているカバンから──何冊かの本を取り出し、鉄格子の隙間から投げ入れてきた。
「インスピレーションとかが必要だろ?
幾つか
改訂版の白亜神話──何回目の改訂だっけ?
占術教本──せんじゅつ、と呼ぶのかな。
暴食な青虫の童話──なにこれ?
「意外とフィーちゃんが知らなそうなモノを
選んだつもりだけど、アタリっぽいな」
「あ……うん、そうかも。ありがとね」
「いやいや。これも俺の首が飛ばないように、
っつー願掛けみてぇなモンなんだわ。
フィーちゃんは気にすんなって!」
彼は陽気な声色で無理矢理別れを告げた。
足早に背を向け、再び傘をさしつつ……
ケラケラ笑いながら、監視所へと戻っていった。
普段なら聞こえる監視所に居る二人の話し声も、
この雨の中では聞くことすらできない。
お腹……空いたな
──じゃない、ボクの命はもう長くないんだ。
この現状をどうにかしないと、今度こそ死ぬぞ。
ドエフスキーの拷問は痛めつけられるだけで、
食事は基本的に用意されていた……
知識の供給があったからだ。
今はそれすら無い……知識の供給が無いからだ。
だけど、もう出てくる知識なんて無い。
詰んでいるんだよ、そもそも。
──それでも、諦めるな。
早速、本を読んでみよう。
そういえば──これは紙の本だけど………
高価な紙の本は図書館でしか読めないんじゃ──
「──まぁいっか、ボクには関係のない話だ」
口でそう言って、ボク自身に言い聞かせる。
今はそれどころじゃないんだ。
何度目の改訂かわからない、白亜神話……
まずはこれから読了しよう。
その紀元は──混沌と死の時代まで
当時……未曾有の危機としか言えない"何か"が
地表を焼き尽くし、破壊の限りを尽くした。
その"何か"の一角…それが──
"邪神フィルマメント"と呼ばれる、悪魔。
ある周辺一帯を任されていたフィルマメントは、容赦無く全てを焼き払い、腐食させ、無数の命を奪っていった──が、邪神にも終わりの時がやってくる。
突如として──白亜色に輝く鎧と剣と盾を手に、邪神フィルマメントを一刀のもとに
英雄は邪神フィルマメントを信仰する逆賊、アルフォンソ・ワラクをも同時に討伐し──その美しい白亜色の武具に
その英雄の名は、"ヴィンセント・タルスコフ"。
この国で、最も高貴な者の名である。
我が国が今尚栄えているのは、英雄の家系たるタルスコフ家の尽力があってこそであり、彼らへの畏敬の念を忘れてはならない。
この国の白亜色に誓って……
以上の暗記は義務である。
また、邪神フィルマメントを信仰するものは、
白亜憲法第6条66項に則り極刑とする。
白亜国中央大広場にて隔離しているフィー・スチエンティアに許可なく干渉するモノも極刑の対象とする。
彼女はタルスコフ家に長く仕えてきた眷属の一人であり、偉大なる知識の恩恵を常に捧げてきた功労者であるため、タルスコフ家以外の者が不用意に干渉する事を禁ずる。
雨の音が響く。
湿った空気が、素肌に触れている。
「──はぁ………」
思わず溜息が出てしまった。
何度目の改訂だったか忘れたけれど……
最初に読んだ白亜神話は、こんなじゃなかった。
間違いだらけだってわかるのに、
今ではこれが歴史書として出回っている。
改訂される度にタルスコフ家が持ち上げられ、
今やこの国を創った英雄であり尊き者……か。
「それが真実なら、ボクの現状はなんなんだ」
というか、後半ほぼ法による警告と暴力じゃん。
こんなのが歴史書を名乗ってるなんて……
「その衝撃で頭が痛くなる……」
ドエフスキー少佐が最近我が物顔でボクを好き勝手するのは、こういうのが出回ってしまっているからなんだな……でも何故こんな馬鹿げたことを──
ボクが餓死したらどう言い訳するつもりなんだ?
いや……言い訳なんて要らないんだ。
「死体は喋らないもんねー……くそッ」
インスピレーションなんて無かった。
そんなものはドブに捨て置け。
「──考えろ、考えろ」
今必要なのは──現状をどうにかすること。
床に寝そべり、白亜色の天井を見上げて……
思い出せ、現状を打破する答えの破片を。
知らないこと、わからないことなんて──
この世界には山ほどあるけれど……
「考えなければ、何もわからない」
何時だってボクは、そうして生きてきた。
狭く、何も無い、この鳥籠の中で。
考え続けてきた。
与え続けてきた。
それによって、ボクに何が得られたんだ?
ボクは──この数十年で、何を学んだ?
「考えなければ……死ぬ」
ボクは、自由を知らない。
産まれた頃からずっと──
黒い鉄格子の内側に居たからだ。
鳥籠と呼ばれるソレは、
ボクにとって唯一無二の自由だった。
いつ寝ても良いし、何をしてもいい。
その代わり……
鳥籠から出ず、知識のみを我々に提供しろ
──と。
「拒否権も無かったっけ──
物心ついた時には既に、鳥籠の中だったし」
──鳥籠から出たい。
何十年か前から、彼らに言ってきたことだ。
この黒い鉄格子の向こうには、
どんな世界が待っているのか──
そういう想像を、毎日していた。
どれだけ広くて、どれだけの人が居るのか。
知らないし……知ることもできない。
ボクは──それら全てを、知りに行きたい。
「この檻を抜け出して──世界を知りたい」
起き上がり、鉄格子に触れ……外を眺める。
けれど、ここから見えるものは……
数え切れないほど見てきたもの。
雨も降れば、雪も降った。
嵐が吹き荒れれば、晴れる事もあった。
虹も架かったし、オーロラさえも観測できた。
もう見飽きている。
ボクが見たいのは…あの地平線の向こうなんだ。
この街のずっっと先にある、門の向こう……
かすかに見える、あの地平線の向こうなんだ。
「──そういえば昨日、リカード・ワラクが
命懸けでボクに伝えてくれた言葉………」
信仰が…力となる──だっけ。
それよりも前に言っていたことは……
酷い頭痛のせいで聞き取れなかったんだ。
たくさんの情報を……
ボクは、頭痛ごときで見落としてしまった。
それはそれ……反省は未来のボクに任せよう。
とりあえず信仰が無いといけない……んだよね。
信仰をどう集めれば良いのか……
まず、ボクに祈りを捧げたり──
敬ってくれて……更に畏れてくれるような人?
それが何人必要か、というのもわからないな……
そもそも本当に信仰は必要なのかどうか……
「……シンプルに脱獄できないかな?」
こう、力のゴリ押しで──ふんッ…って……
──ダメだ、お腹が空いていて力が出ない。
それに……脱獄は根気と気力と持久力が必要だ。
半年以上もかかりそうな脱獄は、
今のような状況では裏目に出る可能性がある。
更に付け加えるなら、鳥籠は独房だ。
しかも東西南北の4方向を鉄格子で囲まれている。
脱獄は無理っぽいかもなぁ……
「信仰が力となることはわかってるけど、
どういう形で使えるようになるのか……
なんの情報も無いから、未だに──」
突然──頭に…電流のようなものが走った。
ハンマーで殴られたかのような頭痛が響く。
「いッッつぅっ……??!!!!」
頭が回せない……ッ!!?
痛い──痛い…ッ!!!
『この子を──お願い』
『お任せください、聖鳥フィルマメント様。
貴女の子は……必ず、我々が御守りします』
『信じてるよ、アルフォンソ・ワラク。
ボクは──月と太陽を通じて見ているから』
頭の中に……微かに聞こえる。
ノイズが酷いけれど、確かに聞こえる。
これは──何時の記憶…?
純白で……淡い
けれど──アルフォンソと呼ばれた
彼の言葉を聞き、聖鳥と呼ばれているソレは……
どこか遠くへと飛び立ち……消えていった。
その瞬間──見慣れた白亜色の天井が、
仰向けに倒れているボクの視界を埋め尽くした。
「聖鳥…フィルマメント──」
かつて……この国を脅かした邪神──
そう呼ばれている存在と同じ名前をしている。
そして、ワラクという性は──記憶の中で聞いたもう一つの声…聖鳥と話していた人である──アルフォンソという男性も……同じ性をしていた。
これらの情報が………
都合が良すぎる──何でこうも唐突に……
キッカケとなったのは…やはり──
「リカード・ワラク──君なのか?」
雨に溶けかけている……彼の血痕を見つめる。
──もっと思い出せ!!フィー・スチエンティア!!
ボクがどうしてこんな名前なのか、わかるだろ!!
ボクが何故"彼ら"に、
君ならわかるはずだろッッ!!!
考えろ、そして思い出せ!!
リカード・ワラクが遺した言葉の全てを!!!
──雨音。
それが聞こえなくなるくらい……
頭の中で、過去を遡った。
その時──情報の濁流に、ボクは襲われた。
この世じゃない何処かから、
ボクの魂に直接、ダイレクトに──
情報が……流れてきた。
そして、リカード・ワラクが遺した言葉が──
全て……流れ込んできた。
"スチエンティア様──賢い貴女ならお気付きでしょうが、貴方は聖鳥の子だ──神と同等の力を司る、人ならざる力を持つ御方なんだ""貴女が如何に聖鳥の尊厳を踏み躙られようと、聖鳥であることを忘れてしまっていても、絶対に揺るがない事実なんです""高貴な貴女が、貴女を虐げる者なんかに下ってはいけない──そんなの間違ってる。俺から託せる言葉は1つだけです""信仰が、力となる""そして、俺の知っている事全てを──
数え切れないほどの事象と、曖昧だけど明晰な想念と、それらに関連した複雑な感情が──ボクの魂に、直接入ってくる。
それらの殆どが、ボクを肯定するモノだった。
無数の情報の濁流の中で、ボクは識った。
聖鳥フィルマメントは、ボクの母親だったこと。
そして、ボクはそんな聖鳥の雛鳥であり──
千年という長い間、信仰を受けていたこと。
そして──リカード・ワラクの願いと想いを。
この国は──ワラク家から
卵を孵化させ、知識を搾取し、科学力を得て、
それにより辺りの国を無差別に滅ぼし、
奴隷を増やし、急激に繁栄している。
この鳥籠の役割は、ボクを逃さないこと。
最初からボクは──必要じゃなかったんだ。
白亜国にとって必要なのは"知識"であって、
ボクという一個体では無かったんだ。
「ッッッぷはっ──はぁ……はぁ……!!」
息を……いつの間にか止めていたっていうの?
──雨の音が…聞こえる。
今の今まで──聞こえていなかった。
いつの間にかベッドに横たわっていて、
シーツが大量の汗を吸っていた。
もちろん、服も汗で悲惨な事になっていた。
「………一旦休憩──っと」
それとも感情と想念を読み取りすぎたせいか、
身体が思うように動かないほどに、重い。
それでも無理矢理身体を動かして立ち上がり、
身に着けている衣類の全てを脱いでは干し、
生まれたままの身体を浴槽に沈める。
もちろん、普段ならこの醜態も監視されている。
けれど、今日は都合の良いことに大雨だ。
視界も悪く、シルエットしか見えない距離だ。
「──そういえば、この浴槽って
いっつも水が綺麗なんだよなぁ………」
すっごい冷たいけど。
でも、ボクの数少ないリフレッシュ方法だ。
「聖鳥の雛鳥、かぁ……」
まぁ……そうだろうな、とは思っていたけど。
物心ついたときから、此処しか知らないんだ。
普通の女の子なら──家族が居て、
好きな服を自由に選んでもらって、
誕生日には年齢に比例した本数の
ロウソクが刺さったケーキだって食べられる。
ボクは──家族は側に居ないし、
好きでもない服を着せられているし、
誕生日だって知らないんだ。
"普通"の目線から見たら、
異常なんだって事くらいバカでもわかる。
うーん、なんでもっと早く気付かなかったんだ?
「あーもう、まーた考えてる……」
身体を引き伸ばし、思考による緊張を程よくほぐしつつ、それによる一定の快感を感じながら、冷たい浴槽で全身を洗いたくる。
頭を空っぽにして……
リセットするのが目的なのに。
「──明日からは……もう
お風呂にすら入れないかもしれないし、
今のうちに目一杯落としとこ、色々」
信仰は手に入った……
あとは、力を行使するだけだ。
使い方は学んだし、呪文も頭に入ってる。
初めての……神術だ──上手くいくかな………
もし相手を誤ったら……ボクは死ぬんだよ?
「何かを得るには、代価が要るんだ。
ボクが差し出せる代価は──
……ボク自身の命だけだ」
浴槽から立ち上がり……
滴る水を風の魔法で弾けさせ、
同時に干してある衣類全てを乾かす。
醜態を外気に長く晒さない為にも、
素早く肌着を着て、上着とスカートも着る。
あとは…シーツを干して、乾かして……
「──よし、こんなものかな」
汗によって悲惨な事になった概念、
その全てをクリーンにした……勝った!
「さて……明日に備えて英気を養う為に、
今日はもう早めに寝ちゃおっかなー」
……と言っても、もう夕方なんだよね。
もうしばらく起きていれば、晩御飯が来る。
期待していないけど、多少あればそれでいい。
鉄格子に手を伸ばし、触れ、
向こう側の自由な世界を見つめる。
この黒い鉄格子の外は…きっと──
綺麗で、希望に満ちた世界があるはずなんだ。
もう鳥籠の中に囚われるのは…嫌なんだ──
狭い世界の中で…家畜みたいに搾取される。
搾取されるのは、知識だけじゃない。
ボクという存在の尊厳すら奪われる。
そんなのは…もう、嫌なんだ。
「だからボクは……この鳥籠を、壊す」
意を決した、覚悟を決めた。
後は……明日を待つばかりだ。
その後来た晩御飯は……
お椀一杯のもやしだけだった。
それ以外だと、雨水をろ過した水が入った
500mlペットボトルを渡されたくらいか──
決戦前夜の食事だとは思えないなぁ
と思いつつも、口に出さないようにはした。
ボクは夢を見ている。
そんな感覚に陥るほど、ワクワクしている。
この感覚は初めてかもしれない。
「明日ボクは──この鳥籠から抜け出して、
フィー・スチエンティアを辞めてやるんだ」
雨音が止まない。
明日も雨かな。
ちょっと嬉しい。
雨音が、子守唄代わりになっている。
昨日と同じ雨なのに、違う気がする。
──むにゃ………