ハッピーバースデー、シロコ
と言っておけばシロコ誕生日記念なります。内容もきっとそう。
ミレニアムでのゲーム開発部の廃部騒動を解決した先生は、ある理由でトリニティの大聖堂を訪れて祈りを捧げていた。
「先生はあまりこういうことする人だとは思わなかったので意外です」
「たまには神様に祈りたいこともあるのさ」
たまたまその場に居合わせたサクラコに意外そうな表情を向けられるが、先生は普段やりそうにもない神頼みをする程に追い詰められていた。
「……ちなみに何を祈っているか聞いても?」
「…………本当に聞く?」
サクラコは珍しく神妙な先生の心中が気になる。
しかし、成人男性が難しそうな表情で沈黙しているのはそれだけでもプレッシャーを生み出して、聞いちゃいけないことなのかと錯覚させる。
「補習授業部の成績が……とても良くない」
「あ、あー……なるほど。それは何というか……はい」
普通に教職としての悩みだった。
普段の素行でただのちゃらんぽらんである印象が強いが、仕事の納期を破ったことはないし、休日を返上して生徒の元に駆けつけていることも多い。
仕事に対して手を抜くことはないというのは生徒の中でも共通認識である。
「いや、ね……やる気だけはあるんだけどさ」
「ハナコさんも、ですか?」
「……あの小娘は分かっててやってる分質が悪い。退学しようとしてるみたいだ」
色々と話を整理すると、浦和ハナコという生徒は他の補習授業部の生徒に比べると根が深い問題を抱えていると先生は思う。
ヒフミとコハルに関しては巻き込まれただけということは把握している。問題のアズサもどうすれば解決するかも理解している。
「やることが多すぎる」
「お疲れなのは分かりますが……」
「しないしない。今日はそんなことしてる暇ない」
今日という日はそれ以上にやらなければならないこともある。大聖堂を後にして宿直室に戻る。
(とは言え、どうすんだよマジで……)
授業の資料を作成するのが辛くなってきた。
先生はトリニティの補習授業部のために色々と手は尽くしてきたが、今回に関しては難題が過ぎる。
(やる気だけはあるけど純粋に頭が足りてないのが一人。授業中に催してるのかと疑いたくなるのが一人。頭は良いのにやる気が逆の意味である変態が一人……何もかも普通なのが一人。
最後の一人以外をどうするか……)
単純に成績を改善させるだけならば問題はない。ミレニアムのゲーム開発部の時と同じく、各所に根回しをしながらやる気を出させつつ道を整えてやるだけなのだが、今回はそうもいかない。
今回の依頼は補習授業部を助けるためのものではなく、トリニティに潜む不穏分子を炙り出せというのが最終目標である。
(身内全員が敵に見えて、それでも毎日平静を保ちながら式典に備えろって……まぁ、頭おかしくなりそうってのは理解出来るし。ちょっと大人が痛い目見るだけで支えになるなら……)
「いや、でも、泣き落としからのハニトラは許せねぇよ」
『引っ掛かる先生が悪いだけでは?』
「……アロナ、大人のギャン泣きが見たいか?」
『先生が情けないのはいつものことです。早く明日の準備終わらせましょう。
明日は補習はお休みとはいえやることは山積みなんですから』
「そうだね……と、言いたいけど。先生は外出時間なので後はアロナに任せる。資料自体は完成してるから整理だけよろしく」
先生は月に一度、夜中に外泊をする。
その時は決まって飲食を伴うサービスを受けているらしく、後になってユウカに支払いがバレてカミナリを落とされるのが通例になっている。
『またユウカさんに怒られますよ?』
「そんときはそんとき。明日の昼までには帰るから心配しなくて良い」
『もう、知りませんからねー!』
先生はそう言ってアロナを置いて、夜のブラックマーケット付近にある廃屋にやってきていた。
一応は倶楽部沙喜遊場栖という屋号で飲食を伴うサービスが受けられる場所でもある。
そこには簡易的なテーブルと唯一の従業員である嬢のための最低限の生活空間しか用意されていない。
だからか、黒いドレスと蠱惑的な肢体がより際立つ。
「先生、久しぶり。元気……そうではないね」
「仕事でゲーム作り手伝ったり、メイドとバトルしたり、またやらかした生徒を連れ帰ったり……色々やったからな……確か塩で良かったっけ?」
「……うん、塩が好き。いただきます」
飲食店の体を保つための食事は先生の持ち込み以外にはない。そして、嬢のリクエストは紫関ラーメン一択のみ。
他の物は持ってきても冷蔵庫に入れるか結局先生が食べるかになっている。
「先生は……相変わらずお酒?」
「飲まないとやってられないから仕方ない」
嬢がラーメンを啜る横で先生は餃子を肴にビールを流し込む。
彼女と一緒に居ると自分の中の濁りを全て吐き出してしまいそうになる先生はアルコールで蓋をする。それがルーチンワークになっている。
「……おいしい」
「なら良かった」
ラーメンを完食した嬢が先生の持っているビールの缶を物欲しそうに見つめる。彼女はもう学生ではないが、未成年であるし、教え子でもある。道を踏み外してもいるがそれはそれ。
「未成年飲酒は禁止されてるからな?」
「未成年がこういうお店を経営してるのは良いの?」
「……多少は仕方の無いことだから」
嬢が先生の膝の上に乗って、力任せに強奪した缶の中身のビールを口に含んで先生を押し倒した。
酔いが回ってきたこともあり特に抵抗はしないが、抗議の声を上げようとした先生は、そのまま嬢にビールを口移しされてしまい口を塞がれる。
「先生、何かしてほしいことある? 私はすこしだけさむいかな……」
「……昔から寒がりだったもんな」
寒いという割には彼女の身体はアルコールのせいか、暖かい気がした。
あの時、自分が傍に居ることさえできれば、彼女の寒がりは解消されたのだろうか?
先生の自問自答に答えが出ることはない。
◇ ◇ ◇
明朝、先生が目を開けると昨晩の何があったか大体分かる光景が広がっていた。
嬢は先生の横で、一時的に何かから解放されたような寝顔を晒して熟睡している。
こうでもしないと彼女は眠れなかったであろうことは先生は誰よりも知っている。そうなった原因も自分にあると誰よりも感じているからこそ、彼女のことを拒めない。
「……あの時に比べればまだマシな顔してるよ」
この場所に来る前の彼女にさせてしまった表情を回想しながら先生は彼女の頬を撫でる。
昔も動きは良くはなかったけれど、感情は読み取れた表情筋は今ではもう動くことはあまり無い。
そうさせたのも、そうなってしまったのも。嬢が悪い訳ではないのに。
(……だから、止まれない。エデン条約さえ乗り切ったら後はもう──)
問題は山積みで、それを一つ一つ切り崩して、様々な問題を解決してきたけれど、まだ何も始まっていないのが今のシャーレである。
「せんせぇ……ん」
嬢が穏やかな寝言を聞いて少しだけ元気が出た先生は身支度を整える。
昨日アロナに伝えた通りに昼前にはトリニティの合宿所に戻れるだろう。
先生はブラックマーケットから抜け出すと、仕事用の端末に連絡が入る。
『先生、昨日どこ行ってたの?』
「砂狼からか……昨日は行けないって言ったけど……まぁそんな気はしてた」
シロコから昨日は誕生日だったのを、対策委員会に祝われて気付いて、落ち着いた頃には今朝だったという連絡が来る。
事前に先生からその日は行けないと連絡を受けた時は何の事か分かっていなかったという。自分のそういうところに無頓着なところは何時になっても変わらないなと先生は脱力する。
「……『一日遅れだけど、誕生日おめでとう』っと」
簡潔にメッセージを送って先生は最寄りの駅のリニアに乗る。
始発にはまだ早く、終点にはもうとっくに過ぎていた。