レガシー主人公にトラウマを植え付けられた密猟者の末路 作:束田せんたっき
その少女と出会ったのは、とある雨の日の朝だった。
陰気な赤毛の男、ジュリアス・ウィーズリーはロンドンの安アパートで新聞を読んでいた。見出しには『無言者オーガスタス・ルックウッド逮捕。イゴール・カルカロフの証言により死喰い人と判明』という文字が躍っている。
(ルックウッド…… 懐かしい名前だ)
彼とオーガスタス・ルックウッドには、まったく接点がなかった。ホグワーツの在学期間はずれており、互いの地位も魔法省勤めの官僚と退学処分を受けた根無し草で天と地の差だ。しかしながら、なぜジュリアスが彼の名を懐かしんでいるのかというと、それはひとえに彼の前世の雇い主がビクトール・ルックウッドという密猟者集団の頭目であったからに他ならなかった。
擁護しようがない悪人ではあったが、妙に頼りがいのあったかつての上司に思いを馳せていると、彼の部屋のベルが鳴った。突然の来客とは、すなわち災いである。ここ数年間の放浪生活でそのことを学んでいたジュリアスは、二重底になっている引き出しから透明薬を取り出し、プロテゴの呪文がかけてある帽子を被り、ポケットに小型のゴーレムを忍ばせてから扉を開けた。
「まずは突然の訪問にお詫びを。久方ぶりだな、ミスター・ジュリアス・ウィーズリー」
そこに立っていたのは、上品な黒いコートを着た長髪の男だった。ルシウス・マルフォイ。スリザリンの先輩で、ジュリアスが逮捕されてからは一度も会っていなかった。そんなマルフォイ家の当主が、わざわざ目の前に現れた。その事実が、なにか不吉な予兆であるかのようにジュリアスは感じた。しかし扉を閉めてなかったことにしてしまうこともできないので、彼は仕方なく歓迎の意を伝えて部屋に招き入れた。
マルフォイが敷居を跨いでから初めて、彼がダークブラウンの髪の少女を連れていることにジュリアスは気づいた。
「その子は?」
彼の子供だろうか。しかし、ドローレスの話によるとマルフォイ家の子は男児だったはずである。
マルフォイは優雅にテーブルに着くと、ジュリアスが三人分の紅茶とマーマレードを用意するのを待ってから口を開いた。
「彼女はエリザベス・ルックウッド。オーガスタス・ルックウッドの姪、今年で8歳になる」
客人の対面に座ったジュリアスは、改めてドアの側に佇んでいる少女を見た。長い前髪の下から覗く冷ややかな目はたしかに新聞のルックウッドの面影を感じさせる。細い眉を目一杯に吊り上げ、ジュリアスを指さした。
「私知ってます! ジュリアス・ウィーズリー! 血の裏切り者から勘当された出来損ない! あなたのようなスクイブがいるから穢れた血がつけ上がるんです!」
「……僕のことを誰から聞いたのかな」
「オーガスタス伯父さん!」
ジュリアスはため息をついた。少女はアンブリッジにも比肩しうる苛烈な純血主義に染まっている。流石はデスイーターの姪というべきか。彼は紅茶にマーマレードを浸した。
「それで? 隠遁している僕とこの子を引き合わせた目的はなんです?」
「彼女を育てる気はないかね?」
ジュリアスは激しく咳き込んだ。紅茶風味のマーマレードが変なところに入ってしまったのだ。彼のえずきが収まるのを待たずして、長い髪を振り乱してエリザベスが金切り声を上げた。
「絶対に嫌! マルフォイさん、私、あなたが私の伯父さんみたいに潔くアズカバンに行かなかったことはすっごく気に入らないのですけれど、それでもこんなスクイブに引き取られるくらいならあなたのお屋敷の方が100万倍マシです!」
マルフォイは何事もなかったかのように紅茶を口に含んだ。
「オーガスタス・ルックウッドたっての希望だ。彼は
「わけがわかりません。僕はルックウッド氏と面識すらないのですが」
「私が知る由もないだろう? 私はただ取り次ぎ役を頼まれただけだ。無言者の真意がわかるのは無言者だけだと相場が決まっている」
さきほどから大きな足音を立てて部屋の壁から壁を行ったり来たりしていたエリザベスが、苛立ちを隠そうともせずにブツブツと呟いた。
「もう少しまともな人はいないんですか? 魔法で操られていたなどと抜かす忠誠心の欠片もない卑劣漢と、杖を折られた陰気な無能なんて最悪の二択です」
(もうこいつ孤児院にぶち込んどけばいいんじゃないか……)
ジュリアスはエリザベスの毒舌にすでに辟易していた。できることなら今すぐこの厄介な紳士と無礼なガキをアパートから追い出して、平和な朝の一時を取り戻したかった。ただ、現在の彼にはそれを実行する気力も権力も欠けていた。マルフォイの権勢は多少陰りはしたものの健在だったし、自らの希望を角が立たない方法で目の前の男に伝えるためには細心の注意を払わなければならなかったからだ。
彼の反応があまり芳しくないことを見て取ると、マルフォイは重大な秘密を打ち明けるかのように上半身を寄せ、声を低めた。
「私にはさっぱり理解することができなかったが、ルックウッドがこう言っていた。『今こそ、100年前の恩を返す時だ』と」
この言葉を聞いたジュリアスの衝撃は計り知れない。学生時代にリリーから受けた失神呪文に勝るとも劣らないほどだ。彼は努めて感情を表に出さないように気をつけながら、ルックウッドの発言の真意を探った。
「はて、僕もさっぱりですね。無言者の深淵な考えを知るのには大変な困難が伴いますから」
「まったくだ」
マルフォイは自身の杖の頭を撫ぜながら言った。その目にはジュリアスの動きを一分たりとも逃がさないという強い意志が表れており、ジュリアスはここが自宅でなかったら逃げ出したい気分だった。そのため、エリザベスが彼らのテーブルに近づいてきた時には、これ幸いと彼女に声をかけた。
「甘いものは好きかなエリザベス。僕の旧友は甘味に目がなくてね。こうして用意しておかないとすぐに機嫌を損ねてしまったものだよ。今はもう会っていないけど、昔の癖はなかなか直らないものだね。いつも余ってしまって処分に困ってしまうったらありはしない。おひとついかがかな?」
「私は誇り高きルックウッドです。スクイブから恵まれるほど落ちぶれたつもりはありません」
そういってそっぽを向くエリザベス。ジュリアスの思惑に反して、彼女は頑強な性格をしていた。
「ねえマルフォイさん、この人見たところ若すぎないですか? このアパートも古いですし。やっぱりここはしっかりとした教育環境の揃ったマルフォイ家が私を引き取ることが最良の選択だと思いますけど」
ジュリアスの老化は、出来損ないの賢者の石から生み出した命の水の力で遅れていた。それゆえ、彼がホグワーツを放校されてから10年の月日が経っていたが、未だに当時の若さを保っていた。
「安心しなさい。ミスター・ウィーズリーは優秀な魔法使いだ。特に彼の錬金術の腕は素晴らしい。このように隠棲していなければ先の大戦でさぞ活躍していただろう」
「どういう意味です?」
「我々聖28一族にはその血統に見合った義務がある。杖は責務のために振るわれるべきであり、決して外国へ逃げ隠れるために使われるべきではない」
「……僕の杖は10年前に折られましたが」
「言葉の綾というものだ。そもそも杖を失った程度、錬金術師にとってはどうとでもなることは君が1番よくわかっているのではないかな? ミスター・ウィーズリー」
しばし視線で火花を散らす両者。ジュリアスは冷徹にこの世間知らずの幼女を引き取ることによって生じるメリットとデメリットを天秤にかけていた。
だからだろうか、マルフォイの動きに反応が一瞬遅れてしまったのは。
「とにかく、君ならミス・ルックウッドを完璧に育て上げられると確信している」
そういってマルフォイは、リズの背中を強引に押してジュリアスに押しつけると、ジュリアスが止める間もなく姿を消してしまった。後に残されたのは、途方に暮れたまだ青年にも見える男と、慇懃無礼なダークブラウンの髪の少女だけである。
「なんなんですかあの男! こんなスクイブが? ルックウッド家のこの私を? 育てる? ふざけるんじゃねえです!」
ジュリアスは内心、深いため息をついた。どうやら当分、彼に平穏な生活は戻ってこないようだ。彼は己の生まれ合わせた星を恨みながら、朝食の準備を始めるのだった。
ところで、ホグワーツを放逐されてからのジュリアス・ウィーズリーの生活はまさに根無し草という趣であった。まず彼はリリーへの謝罪――ここでもポッターやスネイプと一悶着あったのだが――を済ませると、償いをするために実家へと戻るのだが、父からは再び敷居を跨ぐこと禁じられてしまった。本来は勘当もののやらかしではあったが、例の審判を大目に見ての判断であった。したがって、早速ジュリアスは出鼻をくじかれてしまったわけだ。
しばらくはノクターン横町で日雇いの仕事をしたり、魔法省に入省したアンブリッジの手足として働いて凌いでいたが、ヴォルデモートの勢力が拡大するにつれて、彼は再び死の恐怖に取り憑かれることとなった。いつなんどき、彼の元へとあの薄気味悪い微笑みを称えた異常者が現れるかわからない。彼の心が安まることはなかった。それに、彼はドローレスの異常な権力欲に辟易としていた。そこでジュリアスは、ドローレスに手紙と白い賢者の石を一欠片送って秘密裏にロンドンから脱出したのだった。
彼はパリ、アインジーデルン、ライプツィヒ、プラハ、フィレンツェ、ローマ、アレクサンドリア、バグダッドなどを訪れ、過去の巨人たちが遺した錬金術の深淵を丹念に紐解いていった。そして、イギリスで闇の帝王が赤子に滅ぼされたという一報を耳に入れてから、念を入れて5年をヴィッテンベルクで過ごして様子を見て、生まれ故郷に帰ってきたのであった。
つまり、帰郷してすぐのマルフォイの訪問だったのだ。彼としては、これから真紅の賢者の石に本格的に取り組もうとした矢先のことであった。
リズ・ルックウッドという少女は一言でいえば、高慢そのものであった。彼女は己の血と優秀さを何1つ疑わず、彼女こそが英雄ハリー・ポッターを打倒し再び闇の帝王を復活させる者だと骨の髄まで信じ込んでいた。その考えは現在の魔法界では紛れもなく教育的に修正されるべき代物であり、またどこかアンブリッジとは似て非なる歪みを感じさせた。
彼女は基本的に大人であるにもかかわらず杖を持たないジュリアスを見下していたが、彼はどうにもリズのことを嫌いにはなれなかった。それは、彼女の驕りがかつての親分の面影を思わせたからであり、死を避けることに思考の大半を割いていた彼の脳がリズの無礼千万な態度を気にする余裕がなかったからであった。
ゆえに、同居の初日からジュリアスに突っかかるリズとそれを適当にあしらうジュリアスという構図が自然と出来上がった。リズは持ちうる語彙を総動員してジュリアスを挑発する。もちろん彼はまともに相手にすることもなく、あまりにも少女の煽りが激しい時は自室に鍵をかけて引きこもった。リズはそんな状況に憤慨しているものの、他に頼る当てもないからか出て行くことはなかった。
リズという少女にとって、ジュリアス・ウィーズリーという男は今までにあったことのないタイプの人間だった。彼女の両親は物心がつく前に事故で死に、伯父が父親代わりだった。彼女の伯父は最後の最後まで闇の帝王の信奉者と気づかれない程、本心を隠すのに長けていた。その一方でリズは、伯父とは全く正反対の性格だった。それゆえ、伯父は彼女に自身の職務を知らせることは一切なかったが、リズは伯父の書斎に隠されていた純血主義の本を盗み読んで自我を形成していった。それは伯父への少々屈折した敬愛から起因するものだった。
他にリズが会ったことがある人といえば、マルフォイやカルカロフといった死喰い人の連中か、伯父の同僚の無言者ぐらいであった。彼女の人間観が歪むことは必至のラインナップではあったが、それを考慮しても、新しい養父のジュリアスは変わっていた。もう30にさしかかるかという年齢であるはずの見た目は妙に若々しく、彼のくたびれた雰囲気も相まって見る者を不気味に感じさせた。さらに、これはリズが注意深く彼を観察していた中で気づいたことだが、彼は常に周囲を警戒していた。夕食を作るときも、掃除をするときも、本を読むときも、リズと散歩をするときも、彼はマグルのように手足を使っていたが、それと同時に忙しなく辺りに視線を這わせていた。まるで、見えない何かがすぐそこに潜んでいるかのように。
彼女がジュリアスの意外な一面を目の当たりにしたのは、9歳の誕生日だった。その日、ジュリアスは珍しく長時間アパートを不在にしていた。一人留守番をしていたリズは、普段は入ることのできない彼の自室で本を物色していた。彼女にも彼と同様に飽くなき知的好奇心があったのだ。もっとも、片方は不死への道具として、もう片方は自身の正統性を高める手段として、ではあったが。
一通り蔵書を眺めた彼女はため息をついた。淀んだ瞳に水銀臭い赤髪、くたびれたワイシャツの上にすり切れたベストを着たジュリアスは、さながら貧乏な錬金術師といった風采であり、そういった輩は何か遠大な計画を腹に隠しているのが相場であった。しかし、彼の蔵書には禁じられた秘術や邪法を感じさせるものは1つもなく、物質変容の原理や材料の目録といった地味なタイトルが並んでいた。
軽い失望を覚えた少女は、休憩するために部屋を出て冷蔵庫へと向かった。ジュリアスのアパートはマグルも住んでいる至って平凡なもので、魔法的な防御を何もかけていなかったので、普通に家電が動いていた。
そこで初めてリズは、ここに自分でもジュリアスでもない第三者がいることに気づいた。その人物は水色のローブを着た中年の魔女で、リズを見るなり杖を引き抜いた。その目は憎悪に染まっていた。
「デスイーターのルックウッド! 夫の仇! アバダ・ケダブラ!」
緑の閃光が棒立ちのリズめがけて飛来する。彼女は突然のことに呆然として動くことができなかった。死神の矢が彼女の胸に届くかという時に、両者の間に突如として銀の盾が現れた。
閃光は盾を砕いて弾けて消えた。魔女は隙を見せずに杖を構えると、第二の矢を放つべく口を開いた。そして、魔女は肩から銀色に覆われていき、口まで銀になって発声不可能になると崩れ落ちた。
あまりにも呆気ない刺客の最期に、リズはただ立ち尽くすことしかできなかった。しばらくして、額に汗をかいたジュリアスが魔女の隣に姿を現した。その手には白い石と透明薬の空き瓶が握られていた。
「あなたがやったんですか?」
「僕は殺しはしない」
ジュリアスは、箒とちりとりで飛び散った盾の残骸を集め始めた。足下でキラキラと光る塊を拾い上げ、リズは呟いた。
「何ですかこれ?」
「ただのトレーだ。リズも見たことがあるだろう」
「でもあれは木製でした」
「死の呪文は生半可な物質を貫通する」
「あなたがこれを木から銀に変えたんですか?」
ジュリアスは答えなかった。ただ、その沈黙が何よりも彼女の問いを肯定していた。普段は弱そうな彼が、このときはなぜか別人のように見えた。事実、彼は怒っていた。
彼は一通り部屋を片付け、フクロウの形をしたゴーレムをポケットから取り出すと、一筆書いた手紙を持たせて窓から外に放った。そして、何事もなかったかのように袋からカップケーキを取り出して彼女に渡した。
「遅くなってすまない。誕生日おめでとう、リズ」
その後、魔女は闇祓いの手によって引き取られていった。リズは自分がなぜ襲われたのか、なんとなくではあるが理解していた。それは彼女が死喰い人の一族だからである。そのことに彼女は何の感興も覚えなかった。ただ、純血主義への確信が深まっただけだ。
問題はジュリアスだった。以前の彼女にとっての彼は、ただの冴えない養父だった。しかし、もはや彼はそれだけの存在ではなくなった。彼は彼女の想像以上の何か圧倒的な力を持っており、おそらくその源は錬金術だった。それだけで彼女が錬金術に興味を持つには十分だった。
純血主義にせよ何にせよ、世界に主張するには力が必要である。それはリズ・ルックウッドが齢9つにして到達した真理だった。彼女は力を欲していた。英雄を圧倒し、自身の出自を肯定する強大な力を。
これに困ったのはジュリアスだ。彼は養女の豹変に困惑していた。昨日までは侮蔑を極めていた彼女が、今では自らを師と仰ぎ教えを請うている。悪い気はしなかったが、何か企んでいることは明白だった。
あまりにもしつこいので、彼は無理難題を出して試してみることにした。本を一冊読ませて、絵画のホムンクルスを1ヶ月以内に作ることを命じた。ホグワーツにあるような動く絵画の作成なぞ、できるはずがないと見込んでのことだった。
果たして、その結果は驚愕に値するものだった。
1ヶ月後、彼は彼女の部屋でその絵画を見た。自分の知識を移植し、見かけ上は彼女のように話す絵画を作れば成功であるが、リズの作った絵は彼女とは似ても似つかなかった。19世紀然としたシルクハットを被った野蛮な口ひげをした男が、下卑た笑みを浮かべた。
「おい、そこのお前。さっさと状況を説明してくれないか。我が子孫は泣いてばかりで、てんで役に立たないんでなあ」
そこにいたのは、紛れもなく彼の元上司のビクトール・ルックウッドその人であった。ジュリアスが愕然として答えられずにいるうちに、目に涙をいっぱい溜めたリズが無言でビリビリに破いて捨ててしまった。
「リズ、これは……」
「どうせ不合格ですよね。こんなおっさんを作るつもりなんてなかったのに、私、私……」
「いや待て待て待て」
少しでもまともな受け答えができるものを作成した時点で、現時点においては及第点であったが、彼女のホムンクルスはそこからさらに逸脱していた。他人、しかも会ったことのない自分の先祖を再現するなぞ、聞いたことがない。彼はリズの肩をつかんで、どのように作ったのか問い質したが、方法は一般的なものとさほど変わらなかった。
彼はこの男がリズの先祖であること、百年前にアッシュワインダーという密猟組織を率いており、何やら怪しげな魔術を追い求めていたことを語った。リズは高貴なる自身の血統に密猟者がいたことにひどくショックを受けたが、その一方で彼女の先祖が悪であれ一時代を築いたという点から仄暗い自尊心を満たしていた。
「でも、なんでジュリアスはそのことを知っているんですか?」
「昔、本で読んだんだよ」
そう答えるジュリアスの目はどこか遠くを見つめていた。リズは彼がまた嘘をついたのだと知った。
翌日、ジュリアスはダイアゴン横町にリズを伴って訪れていた。彼は通りの色とりどりのショーウィンドウに目を光らせるリズの手を引いて、真っ直ぐオリバンダーの店へと向かった。彼の探究心が、さっそく彼女の可能性を知りたがっていた。
オリバンダーはひとしきりジュリアスの杖が折れてしまったことを悔やんだ末、リズの杖選びに取りかかった。難航するかと思われた彼女の杖はすぐに決まった。トネリコにユニコーンの毛、11センチ。トネリコは信念の強いものを好み、純血主義者に使用者が多い。そして、かつて法廷でその性質が彼を救ったユニコーンの毛。そこにジュリアスは因果を感じずにはいられなかった。
店を出た後、彼はばったりと全身真っピンクの女と出くわした。見た目の年頃はジュリアスと同じくらい、ふんわりとカールした茶髪が彼女の邪悪さを見事に隠していた。ドローレス・アンブリッジ、かつての彼の共犯者であり、ジュリアスが今1番会いたくない相手だった。
「ジュリアス? あなた、もしかしてジュリアスなの!?」
「ド、ドローレス……」
「どこに隠れていたのよ!? 私との約束をほっぽり出してあんたってやつは…… ちょっと待って、その子供は何?」
アンブリッジの目がめざとくジュリアスと手をつないでいるリズを捉えた。その視線はジュリアスの面影を疑っているという風であった。
「彼女はその、例のルックウッドの姪で…… 今は頼まれて僕が預かっているんだ」
「あんたまさか……隠し子じゃないでしょうね!?」
「そんなわけないじゃないか。僕にはそんな愛だとか恋だとかに現を抜かしている資格も暇もないことは君がよく知っていたことだろう」
「確かにそうね。もう良いわ。あんたなんかの力を借りなくたって、あたしは大臣になってやるわよ。死にたくなーいっていつまでも物心ついたお子ちゃまみたいなことをいってるジュリアス博士?」
そう捨て台詞を吐いて、アンブリッジは雑踏の中へ姿を消してしまった。リズが憔悴した彼の横顔を見上げながらいった。
「あの人は誰なんです? 元カノ?」
「いや、僕の過ちそのものだよ」
その日から、彼のリズへの「教育」が始まったのだった。
ジュリアスは次第に、リズの才能には光るものがあると考えるようになっていった。彼女に呪文学、変身術、魔法薬学、薬草学、闇の魔術に対する防衛術など、基本的な魔法の分野を一通り手ほどきしたが、その全てで彼女は平均的な成果を出した。良く言えば多才、悪く言えば器用貧乏。しかし、彼女が何よりも特異性を示したのは、ビクトール・ルックウッドとの奇妙な血で結ばれた絆だった。リズは時折、彼女らしからぬ仕草をすることがあった。そしてそれは、何十年もの積み重ねを感じさせる洗練された杖捌きだった。
魂や分霊箱に精通していた彼は、彼女の魂がある種の先祖返りをしているのではないかという仮説を立てていた。そしてその仮説が正しければ、理論上は一時的に彼女の魂を完全にビクトール・ルックウッドの状態に合わせることでその知識や力を再現することが可能だ。それは、不死のまた新たな変奏であるといえる。彼は従来の賢者の石やホムンクルスの研究に加えて、リズを密かな研究対象とすることに決めた。
それから1年ほど経った頃、リズはジュリアスの秘密の実験室を見つけた。内なるビクトール・ルックウッドの声が、彼女に彼の後をつけさせたのだ。彼の研究室はアパートからほど近い地下室で、路地の影に隠された入り口はただ1つだけだった。
ジュリアスはその部屋の鍵を常に肌身離さず持ち歩いていたので、リズがその知識を使う機会はなかなかなかった。しかし、あるとき書斎の机の上に放置していたことがあった。それを見つけたリズはしばし逡巡したが、好奇心を抑えることができず、その鈍い銀色の鍵をポケットに滑り込ませてしまった。
心臓の鼓動を感じながら彼女は日課の読書をしていたジュリアスの後頭部に視線を送ったが、彼はその内容に没頭しているのか身じろぎ1つしなかった。静かに陰鬱なアパートから陽光の降り注ぐ外に出る。何度も頭でシミュレートしたように地下室の扉の前へと歩を進める。汗ばんだ小さな手をズボンで拭って、リズは錆びた鉄の扉に鍵を差し込んだ。
外見に反して軽い解錠音を響かせて、地下への入り口は姿を露わにした。階段が延々と暗闇の中に続いていて、終点は見えなかった。明かりの類いは見当たらない。奥に向かって流れる風が、彼女のダークブラウンの髪を撫でた。導かれるように、少女は闇の中へと足を踏み入れた。
地上から差す光だけを頼りに下る。リズは程なくして、ここの構造が日光の入りにくいものにされていることに思い至った。やがて、日の光が届くかどうかというところで、黒い扉に突き当たった。
ドアには鍵穴も取っ手もなく、押してみてもびくともしなかった。彼女はそこで10分ほど格闘したが、どうやっても開かないことを悟ると、元来た道を引き返そうとした。そこで、階段の中程でこちらを見下ろしているジュリアスの青い双眸と目が合った。
驚きのあまり固まってしまうリズに向かって、ジュリアスは一歩一歩踏みしめるように近づいていった。逆光が彼の表情に影を落とした。彼の瞳からは何の人間的情動を感じ取ることができない。まるで脱走した実験動物を袋小路に追い詰めた研究者のようだとリズは思った。
「ここで何をしている?」
リズの頬を冷や汗が伝う。銀に変えられた魔女が脳裏を過る。初めて彼女はジュリアスに恐怖を感じた。
「わたっ、私は……!」
舌がもつれてうまく言葉が出てこない。いつも物静かなジュリアスの内側に渦巻く狂気が、彼女の心を侵食していくような錯覚に襲われた。彼女は悟った。彼の心の奥底に、この暗い扉の先のような触れてはならない「地下室」があることを。
「リズ」
平坦な張りのある声。ジュリアスの若々しさと老獪さの共存する奇怪な声が、まだ幼いリズの耳朶を打つ。彼女は放心状態で小さく返事をした。
「君は純血主義を信じているようだが、それは表層にすぎない」
一見この状況と無関係な話題を切り出され、リズは混乱した。彼女の予想と反して、ジュリアスは怒るのでもなく、ましてや諭すのでもなく、とうとうと思考を吐露していく。
「君が信じているのは力だ。原始的な暴力、血の純粋な魔力、他者を従わせる権力。それが君の信奉しているものの正体だ。だから君は比較的力を持っている人間の側につきたがる。聖28一族がまさにそれだ」
「ち、違います。私はただ、魔法族の純粋性を保つ必要があると思って……」
「ではなぜ突然僕への罵倒をやめた? なぜ僕の後をつける? なぜこの部屋へ入ろうとする? 答えはすでにはっきり出ているじゃないか。僕がむざむざ9つの小娘に鍵を盗まれるようなへまを犯すと思うか? 僕はね、リズ、君がこのまま『間違った認識』を持ったままホグワーツに行って欲しくないんだ。純血主義は馬鹿げている。これを信じるのは知性のない者か、狂っていないとどうしようもないくらい知性があってしまった不幸な人間だけだ。でも、君は君自身が考えているよりずっと賢い。だから、君は正しく自分の欲望が向く方向を把握するべきだ。君は力を渇望している。力に焦がれているんだ」
ジュリアスの言は、説教というよりは精神の解剖といった類いのものだった。丁寧にリズの心を覆っている自負や誤謬を取り払っていき、最も中心をなしている核の部分だけを取り出す。彼がこのような芸当をリズに対して行えたのは、ひとえに彼女が彼とアンブリッジの過去を体現していたからであった。ジュリアスは2度と同じ過ちを犯すわけにはいかなかった。
「帰ろうか。君にはここはまだ暗い。しかも湿りすぎている」
右手を差し出すジュリアス。リズは小さくその身を震わせた。初めての感覚だった。目の前の青年といっても差し支えない容姿の男が、今はたまらなく恐ろしかった。何もかも見透かされていた。その事実が彼女の伸びきった鼻っ柱を徹底的にへし折った。
小刻みに震える手で、エリザベス・ルックウッドは養父の手を取った。その手はぞっとするほど冷たかった。
そしてついに、彼女の11歳の誕生日にホグワーツからの手紙がやってきた。