「こうなったのは全部ランロクのせいだからね!」
密猟者くんがサイコパスの恐怖から逃れようと頑張る話。

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第1話

 その日も満月だった。

 

 ホグワーツ城の遥か南西、フェルドクロフト村の近郊にある野営地。アッシュワインダーというならず者の塒の一つであるこの場所は、今宵も騒がしい宴が開かれていた。

 

 酔っ払いの下卑た哄笑が辺りに響き、影法師が宙を揺らめく。焚き火に照らされた数多の檻の中には、魔法生物が怯えるようにうずくまっている。ニフラーが三頭に、パフスケインが四頭、さらには一頭だけだがセストラルもいる。久方ぶりの豊作だ。もっとも、密猟者である彼らにとっては、という注釈が付くが。

 

 そして宴会の外れ、炎光と暗闇の境界に座っている男が一人。彼もここにいる者の例に漏れず、アッシュワインダーであるが、皆と趣を異にしていた。静かに、少女が手を振っている写真を眺めている。

 

 写真の少女は男の妹であった。彼はもともと、ルックウッドの一派とつるむような性質ではなかったが、のっぴきならない事情で一味に加わるようになった。妹が大病を患ったのである。妹の他に、頼れるような親族はいない。兄は罪なき生き物に手をかけることを心苦しく思いながら、故郷の人には黙って、肉親のために悪銭を稼いできたのだ。そして本日の収穫をもって、癒者に払う金の目処が立ったのである。

 

(やっと、やっとこれでドローレスを楽にしてやれる。もう少しの辛抱だ)

 

 男――といってもまだ二十代だが――は、ぬるいバタービールを一気に呷った。ささやかな祝杯だ。その時、野営地の微かな異変に気づいた。遠くの景色が不可思議な見え方になったのだ。それは、風景と同化したカメレオンが動いたかのような――

 

「クルーシオ!」

 

 突如として、密猟者の一人がうめき声をあげて悶えだした。下手人の姿が浮かび上がる。男は目を丸くした。

 

(嘘だろ! 奴はここにも来るのか!?)

 

 磔の呪文を躊躇なくかけ、何人もの野盗を相手に大立ち回りを演じている人物は、まだ子供だった。壊滅的としか言えないファッションセンス、変幻自在の戦闘スタイル。十中八九、ルックウッドやランロクの手下を潰して回っていると噂の、頭のおかしい新入生だ。その事実に男は歯噛みする。

 

(畜生、あともう少しって時に!)

 

 男は透明薬の小瓶を取り出し、口にする。新入生に感づかれぬように、姿勢を低くし、物音を立てないよう細心の注意を払って、物陰に隠れた。

 

 元来、男は戦闘が不得手であった。闇の魔術に対する防衛術や、呪文学は落第すれすれ。その代わり、魔法薬学や占い学は得意だった。殊に錬金術に関しては、ホグワーツにおいて彼の右に出る者はいなかった。ただし、ドマイナーの錬金術を選択した生徒は彼一人だったが。

 

(な、なんだありゃあ……)

 

 男は頬を引きつらせた。彼を恐怖させたのは、情け容赦ない闇の魔術の連打ではない。呪文を唱えずに行使される、理不尽で訳のわからない謎の落雷でもない。真に彼が恐れたのは――

 

(笑ってやがる…… 人を殺しながら、楽しそうに笑ってやがる……!)

 

 ――常に湛えられたその微笑みであった。

 

 その生徒は、近所に散歩でも行くかのように、密猟者を斃していた。ある者は氷像と化した後に粉々に切り刻まれ、またある者は爆薬に変えられ、仲間を巻き込んで汚い花火となった。そんな兇行を犯しておきながら、その新入生は心を動じていないことが判然とわかった。

 

(悪魔だ……)

 

 男は戦慄いた。この世のものとは思えない悍ましさによって。そして、嵐が自分には及ばないことを切に願った。

 

「アバダ・ケダブラ!」

 

 ある密猟者に当たった緑の閃光が、放射状に広がり、多数の悪人の命を一撃で刈り取った。それは神の裁きというよりは、蜘蛛の食事のように男には見えた。

 

 もはや、生き残っていたのは男ただ一人だった。

 

 新入生は一仕事を終えたように満足げな表情を浮かべた。男は密かに安堵する。

 

(金や装備は好きなだけ持っていけ、正義面した強盗が。命あっての物種だからな)

 

「レベリオ」

 

 サッと男の血の気が引く。隠れ潜んでいるものを暴き出す呪文。男は、最悪のシナリオを辿ろうとしていた。

 

 ゆっくりと新入生がこちらに振り向く。炎光を照り返したその顔は、目元が落ちくぼんでよく見えない。男はそこに死を幻視した。

 

「や、やめてくれ……」

 

 男の身体が浮かんだ次の瞬間! 男は大地に接吻する羽目になった。地面に叩きつけられたことを、哀れな彼が気づいた頃には、第二の落下が始まっていた。彼の五体は弄ばれた。何度も、何度も。男の朦朧としていく意識は、狂った死神の独り言を聞いた。

 

「これで密猟生活も終わりだね!」

 

 暗く、冷たい闇の中へと沈んでいく。死とはこれほどまでに恐ろしく、無慈悲なものであったのか。完全なる自己の否定に晒される中で、彼の良心の大半は失われていった。あるのは死にたくないという、醜い本能の残滓だけ。

 

 彼に口が残っていたのならば、こう叫んだことだろう。ふざけるな、と。

 

 

 

「ふざけるな!」

 

 赤毛の少年、ビリウス・ウィーズリーは自身の寝言で目を覚ました。ホグワーツ特急の汽笛が鳴る。コンパートメントの外では、生徒の賑やかな笑い声が聞こえた。入学式を前にして、心地よい揺れに身を任せて寝入ってしまったらしい。

 

 男は何の因果か、ウィーズリー家の三男として転生を果たしていた。そしてそのことに気づいた時から、死とあの悪魔への恐怖の鎖に縛られるようになった。

 

「うるさいわねえ」

 

 予期していなかった第三者の声を耳にし、ビリウスはギョッとして正面を見た。悪夢を見る前にはいなかった少女が、頬杖をついて彼を睨んでいる。

 

 亜麻色のボブカットの髪。カチューシャのごとくつけた、ピンクのリボンが印象的な少女だった。背丈は同年代の中でも低い部類で、可愛らしいという言葉がよく似合う。しかし、性格の悪そうな目つきが印象を尽く台無しにしていた。

 

「すまない」

 

 ビリウスは即座に謝った。前世の経験上、余計な揉め事は避けるようにしていた。道を踏み外さなければ、あのような化け物と出会わずに済んだはずだという反省、或いは希望的観測を持っていた。

 

 少女は自尊心が満たされたことに気を良くしたのか、不敵な笑顔を見せた。

 

「あなた、見たところ新入生よね? 名前は? まあ、その身なりを見るに、名の通った出自ではなさそうだけれど」

 

 少女はビリウスの持ち物を見咎めて言った。彼の学用品はほとんどが、卒業した長兄のアーサーや次兄の物だった。しかし、ビリウスの関心は別の部分へと向けられていた。

 

(新入生…………)

 

 思わずビリウスは顔をしかめた。彼の中でその言葉は、禁句であり、トラウマだった。

 

「ビリウス・ウィーズリーだ」

「ウィーズリー? ってことは純血の聖28一族の?」

 

 コクリとビリウスは頷いた。途端に少女の顔に媚の色が浮かぶ。彼はもう一度顔をしかめた。

 

「へー、そうなのね。ふん、ふん」 

「そういう君の名前は何なんだ」

「私? 私はドローレス・アンブリッジよ。よろしくね」

 

 そう言って、アンブリッジは手を差し出した。握手を求めているようだ。けれども、ビリウスはすぐに応じることができなかった。もちろん、アンブリッジに対する嫌悪感のせいではない。

 

(ドローレス…… 元気に過ごせたのだろうか……)

 

 偶然にも、彼の前世の妹の名と一致していたのだ。この事実によって、先程までビリウスが感じていた悪感情は、綺麗さっぱり消し飛んでしまった。

 

「何よ、無名のアンブリッジ家の子どもとはつるまないって言いたいの?」

 

 若干放置されたアンブリッジは、片手を突き出したまま固まっていた。アメジストの瞳が心許なく揺れている。その姿が、在りし日の妹と重なった。

 

「そういう訳じゃないよ。よろしく、ドローレス」

 

 ひんやりとしたドローレスの手を、ビリウスは握った。ドローレスの顔が綻ぶ。しかし、ビリウスの手は、死人のように冷たかった。

 

 

 

「ウィーズリー・ビリウス!」

 

 副校長のはっきりとした声に促されるまま、ビリウスは組分け帽子の元へ向かった。夥しい視線が鬱陶しい。彼にとっての至上命題は平穏に生きることだ。永遠に。

 

 視界が覆われる。古ぼけた帽子から、懐かしい匂いがした。

 

「またウィーズリー家の子かね? ふーむ」

「グリフィンドールにしてください。一番波風が立たなそうなので」

 

 ビリウスは投げやりに言った。彼の兄は二人ともグリフィンドールだったし、前世の彼もそうだった。

 

「君は大胆ではあるが、それは騎士道精神に基づいたものではない。叡智への渇望も感じる。しかし、野望のための道具としか思っていない。勤勉さもあるが、裏道があれば迷わず使う狡猾さも兼ね備えている。ならば――スリザリン!」

 

 スリザリンのテーブルから歓声が上がった。ビリウスは自分の傾向が前世から変わっていることに、驚きを覚えつつも、歓待を受けた。彼はドローレスの隣に座った。

 

「あなたが同じ寮で良かったわ。スリザリンでさえ、しょうもない出自の子も結構混じっているようだもの」

「ドローレス、あまり敵を作るような発言はやめた方が良い」

「……わかったわ」

 

 ドローレスはお世辞にも人に好かれるような性格ではない。そのことに気づき、ビリウスは辟易とした。好意も嫌悪も百害あって一利なし。それが前世から学んだことだった。

 

「ビリウス、君はスリザリンに足る男だと僕は信じていたよ」

 

 金髪の青年が、笑みを浮かべて近づいた。胸に光る監督生のバッチが眩しい。ビリウスは至って無表情に、世辞に応じる。

 

「僕も会えて嬉しいです。ルシウス先輩」

 

 ビリウスは何度かルシウス・マルフォイと会う機会があった。マルフォイはウィーズリー家の者を蛇蝎のごとく嫌っていたが、なぜかビリウスのことは気に入っていた。もしかすると、彼の中のスリザリン性を嗅ぎ取ったのかもしれない。

 

「ホグワーツで何かあったら、僕に言ってくれたまえ。力になろう」

「ありがとうございます。その時はよろしくお願いします」

 

 暫し談笑した後、マルフォイはナルシッサ・ブラックの方へ歩いていった。ビリウスはホッと息を吐く。マルフォイとの会話はいつも疲れる。

 

 ビリウスは横から、キラキラとした眼差しを感じていた。敢えてそちらを見ないようにしていたが、そろそろ我慢の限界だった。

 

「何? ドローレス」

「凄いじゃないビリウス! あの監督生ってマルフォイ家の方でしょ! 入学前から知り合っているなんて流石ね!」

「運が良かっただけだ」

 

 ビリウスはドローレスの苛烈な純血主義に薄々勘づいていたが、だからといってどうするつもりもなかった。邪魔になったら離れるか、始末してしまえばいい。彼は忘れ薬の調合方法を、脳内のカタログから人知れず検索していた。

 

 しかしビリウスの憂いは杞憂に終わった。ドローレスは人格には難があったが、非常に優秀な魔女だった。特に呪文学に関しては目を見張るものがあった。

 

(彼女は僕に足りない部分を補ってくれるかもしれない)

 

 ビリウスは彼女を自分の計画に組み込むべきか、慎重に見極めることにした。だから彼女にお茶を誘われた時も、極力乗るようにした。

 

 ビリウスには夢があった。死の克服、不老不死だ。そして、それを叶える手段として、錬金術を見出した。即ち、賢者の石の錬成である。ウィーズリー邸では、両親に頼み込んで地下室に研究所を作ることに成功した。彼は人生二週目特有の神童ぶりを発揮していたし、アーサーという変なモノに傾倒する前例があったからだ。

 

 同様に、ホグワーツでもそのような場所を見つける必要があった。学校にいる間、研究を止める訳にはいかなかった。彼は授業と睡眠以外の時間を、ほとんど探索に費やした。要するに、透明薬を用いた深夜徘徊だ。

 

 

 

 入学式から数ヶ月が経った。その日も、彼はドローレスに誘われて、一緒に茶をしばいていた。ドローレスが紅茶に大量の砂糖を入れながら、口を開く。

 

「あーもう、どうして誰も私の魅力に気づかないのよ」

 

 ドローレスはここ数ヶ月間、人脈作りに腐心していた。彼女の様子を見るに、失敗に終わったのは火を見るよりも明らかだが。

 

「砂糖と愚痴の量を減らせばもっと魅力的になると思う」

「余計なお世話よ。良いわよねビリウスは。ルシウス・マルフォイのお気に入りで、スラグ・クラブにも入ってるものね」

 

 スラグ・クラブとは、スリザリンの寮監で魔法薬学教授のスラグホーンが、私的に開いている集まりだ。将来有望だと認められた生徒が招かれる。

 

 ビリウスは入るつもりはなかったのだが、授業で最速で薬を調合して帰るのを繰り返していたら、自然と所属する流れになっていた。メンバーのルシウスが知り合いだったのも大きかったのかもしれない。もっとも、有益な情報も多く得られるから、畢竟、良い選択であった。

 

「ドローレスがスラグ・クラブに入らないのが不思議でならない。君は恐らく、一年生の中で誰よりもスリザリンの得点に貢献してる」

「へ? ……ま、まあね、願わくばみんながそのことに気づいて欲しいところだわ」

 

 ドローレスは耳を赤くして、紅茶を啜る。ビリウスは音が立っていることを指摘しようとして、やめた。

 

 既に入学してから一年が経とうとした頃、遂にビリウスは必要の部屋を発見した。前世と合わせると、八年もかかった計算になる。彼は自分の愚鈍さを自嘲するのもほどほどに、錬金術の研鑽に精を出した。

 

 そしてドローレスはというと、寮内で完全に孤立していた。後で知ったことだが、彼女はビリウスが想像していた以上の邪悪さだったのだ。それこそ、人格が破綻した彼と同じほどに。

 

 二年生になった。特筆すべきことは、後輩が入ってきたことであろうか。特に、セブルス・スネイプはビリウスの興味を引いた。

 

 スネイプが組み分けられた時の様子は、一言で言えば絶望だった。彼は現実に打ちのめされていた。そしてそこが、前世のビリウスと重なった。気づけば彼は声をかけていた。

 

「ようこそスリザリンへ。僕はビリウス・ウィーズリーだ」

「……今は放っておいてくれ」

 

 それからビリウスは、事あるごとにスネイプに話を振った。生活に不満はないか、教えて欲しい教科はあるか。お陰で仲の良い先輩後輩程度にはなった。しかし、スネイプは決して組分けのことを話さなかった。

 

 当然のことだが、ドローレスに構う時間は少なくなった。ビリウスは、性悪な彼女なら孤立していても平気だろうと思っていたのだ。そして、それが間違いだった。

 

 魔法薬学から帰る途中、ビリウスは薄暗い空き教室に引っ張り込まれた。誰かと思えばドローレスだ。

 

「どうしたんだ? こんなところに連れ込んだりして」

「なんで私のことを邪険にするのよ!」

「質問を質問で返すなよ」

「黙りなさい!」

 

 ドローレスは思い切り壁を蹴った。泣いていた。大粒の涙をこぼして、ビリウスの胸に縋りついた。浮かんできた文句を彼は言うことができなかった。

 

「どこに行くのって訊いてもはぐらかすし! たまに無視するし! あんたにまで嫌われたら私、どうすれば良いのよ!」

 

 確かに、必要の部屋に行くことは彼女に隠していたし、錬金術を考えている時は話しかけられたのに気づかなかったかもしれない。

 

「ごめんドローレス、別に嫌いになったんじゃないんだ。ただ忙しかっただけで」

「本当に?」

 

 真っ赤に泣き腫らした目を、不安げに向けてくる彼女の姿は、その背丈の低さも相まって、ビリウスに兄心を思い出させた。

 

(ドローレスになら錬金術のこと言っちゃっても大丈夫かな)

 

 そう思わしめるほどであった。それに、実験に助手が欲しくなることも増えてきたし、ここまで気を許してくれた彼女なら、ビリウスを裏切る可能性が低いように感じられた。

 

「本当だ。その証に、何をやっているのか見せてあげよう」

 

 必要の部屋は錬金術の装置で一杯だった。フラスコや減圧蒸留器が所狭しと置かれ、棚には様々な金属がひしめき合っている。奥の方では錬成炉が玉座のように鎮座していた。

 

「ホグワーツにこんなところがあったなんて……」

「ドローレス、君には僕の錬金術の助手をやってもらいたい」

「助手? ……別に良いわよ、ただし――将来私が魔法大臣になるのに協力しなさい」

 

 ドローレスはつま先立ちをして、ビリウスの耳元に囁いた。彼が頷いたのは、その数秒後のことだ。

 

 ビリウスは暇な時間を見つけては、談話室でドローレスに講義を実施した。稀にスネイプが加わることもあったが、基本的には二人だった。

 

「錬金術の目的はなんだと思う?」

「目的? 賢者の石で、不老不死になったり、黄金を作ったりすることじゃないの?」

「それも目的の中に含まれる。答えはもっとシンプルだ。すなわち、低次の物質をより高次の物質に変化させることだ」

 

 火風水土の四大元素、硫酸・塩・水銀の三原質、七金属と星の対応関係など、錬金術の基礎から教えていった。そして生徒は、知識をスポンジのように吸収していった。

 

 しかし最もありがたかったことは、ドローレスがネズミなどの生物実験を「うわ、キモッ」だけでこなしてくれることだった。

 

 ドローレスの持っている、ビリウスとは別ベクトルの知識は、賢者の石の錬成に大きく貢献した。その証拠に、二人が三年生になる頃には、黒い賢者の石の錬成を果たしていた。

 

 一般的に賢者の石は黒(腐敗)→白(再生)→赤(完成)の順に変化していくという。つまり、不老不死の階段の最初の一段を、ビリウスは登ったのだ。

 

 また、このことから赤は錬金術師にとって、特別な意味を持っていた。

 

 ある秋の日のこと、ビリウスは禁じられた森から出て、木枯らしに身をすくめた。錬金術は金と材料を食う学問で、コンスタントに補充していかなければ回せなくなる。

 

 資金の問題は解決できそうであった。片手間に調合した魔法薬などを、ホグズミードや近隣の村に卸すルートが軌道に乗ったのだ。ここでもドローレスの容姿とゴマすり能力が役に立った。

 

 全てが順調。珍しくビリウスは鼻歌交じりに城へと歩いていった。と、そこで、喧騒が耳に入る。野原でスネイプとジェームズ・ポッターが、睨み合っていた。

 

「その言葉を撤回しろ! ポッター! 今すぐにだ!」

「僕は事実を言っただけだスニベルス!(注:スニベルスは泣き虫という意)」

「杖を抜け! 決闘だ!」

「良いとも! 負けて泣くなよ!」

 

 ジェームズの周りにいるのは、シリウス・ブラックやリーマス・ルーピン、ピーター・ペティグリューといった元気のいい輩だろうか。一方でセブルスの背後には、エイブリーやロジエールといった、陰険な連中が控えている。ビリウスはため息を吐いて、彼らに近づことしたが、足を止めた。

 

「やめなさいよ二人とも! 生徒同士の私闘は校則で禁止されてるって知ってるでしょ?」

 

 エメラルドの瞳が美しい少女が、間に入って止めたからだ。ビリウスはスラグ・クラブで、彼女のことを見たことがあった。名前は確か、リリー・エバンズ。

 

「リリーのお陰で命拾いしたな、スニベルス!」

 

 ジェームズは捨て台詞を言って、去っていった。対してセブルスは、リリーには目もくれずに、黙って立ち去った。

 

 ビリウスは、興味深そうに、眺めていた。

 

 四年生になりたての頃、大広間で朝食を頬張りながら、ビリウスは日刊予言者新聞を読んでいた。トーストにこれでもかと砂糖をまぶしていたドローレスが、ちらりと紙面を覗き込む。

 

「最近きな臭いわよねー。闇の帝王だか何だか知らないけど、調子乗ってんじゃないの? まあ、マグル生まれの排斥とかは賛成だけど」

「君は半純血じゃなかったか?」

 

 ビリウスはドローレスの家族構成を知っていた。毎年キングス・クロス駅で顔を合わせるから、当然の帰結ではある。彼の記憶によると、父は魔法省――といっても窓際だが――勤務、母はマグルで、スクイブの弟がいたはずだ。

 

「もう違うわ。パパはママだった人と離婚したの。出来損ないの弟も一緒に追い出した。だから――私は純血よ」

 

 ビリウスはフォークを取り落とした。乾いた金属音。彼は向かい側の少女をまじまじと見る。

 

「いや、その理屈はおかしいだろ。もっと家族大事にしろよ」

「うっさいバーカ。あんたは石頭過ぎるのよ」

「そうか…… ドローレスがそう決めたんなら良いんじゃないか?」

 

 ビリウスは会話を打ち切ることにした。若くして凝り固まった純血思想を変えることは不可能だと思ったし、小刻みに彼女の肩が震えていることに気がついたからだ。この問題はデリケートだった。余りにも。

 

(……ヴォルデモート卿の正体は、あの悪魔なんじゃないか?)

 

 ふと、ビリウスの脳裏を疑念がよぎった。闇の魔術に通暁し、傍若無人に振る舞う邪悪な魔法使い。それは、かつて彼を殺した新入生そのものではないか!

 

 それから、彼はヴォルデモートの経歴を調べた。そして恐ろしい事実を目の当たりにする。

 

(前半生は不明。ここ十数年の間にポッと出てきただと? 僕が死んだのが今から八十年前だから……奴は生きてる! 絶対生きてる!)

 

 調べれば調べるほど、ヴォルデモート=頭のおかしい新入生という図式は、彼の中で確信に変わっていった。転生してから最大の危機感が彼を襲っていた。 

 

 彼は狂ったように研究に没頭した。完成を急がなければ、いつあの悪魔が微笑を見せに来るかわからない。もう一度転生できる保証はないのだ。

 

 プロテゴの呪文を付与した衣服を発明するという成果はあった。ビリウスはこれを自身の身につける物全てに施した。奇しくも未来で彼の甥たちが、同様の発明をすることとなる。

 

 流石のドローレスも、ビリウスの鬼気迫る様相に引いたのか、ある時実験中に、質問した事がある。

 

「どうしてそんなに賢者の石にこだわるのよ」

 

 その時のビリウスの表情は、幽鬼そのものだった。不幸は人を変えるというが、死は優しい兄を破壊してしまった。

 

「僕は命の水がないと、死んだままだからだよ」 

 

 彼の心は、今も野営地の屍にあった。

 

 

 

 しかし、研究は遅々として進まなかった。頭打ち、そんな言葉がビリウスに纏わりつく。

 

(何か別の策も用意する必要がある。何か……)

 

 彼は前世を含めて記憶をさらった。そして、ある邪法を思い出す。

 

 ――分霊箱。

 

 ルックウッドの手先となっていた時代に、少し小耳に挟んだ程度だった。彼ら密猟者は、闇の魔術の書物の密輸にも関わっていたからだ。

 

(調べる必要があるな)

 

 ビリウスの日課に、禁書棚に忍び込むことが加わった。  

 

 五年生になった。ビリウスは『深い闇の秘術』という禁書から、分霊箱の記述を見つけることに成功した。しかし、その内容は彼を満足させるものではなかった。

 

 さらに、今まではただの一生徒と教師という関係性だったダンブルドアが、彼によく話しかけるようになった。OWL試験は大丈夫か、だの、変身術で疑問点はあるか、だの。こうされると非常に動きづらい。彼はダンブルドアへの警戒を高めた。

 

 またある日の昼下がり、ビリウスはスネイプに対するポッターたちの『悪戯』を目撃した。

 

「やーい、スニベルス! 悔しかったら降りてこいよ!」   

 

 スネイプは一人だった。空中で無様に藻掻いている。杖は遥か下の地面だ。

 

(またか……)

 

 ビリウスはこれまで幾度となく、こうした現場を見かけていた。ジェームズが辛酸を舐めたこともあったし、今回はセブルスの番が回ってきただけだろう。彼は黙って通り過ぎようとし、道の先にいる人物を見つけて瞠目した。

 

 リリーだ。いつもなら気にもしなかっただろうが、今回はタイミングが最悪だった。セブルスはリリーに醜態を晒すことを酷く嫌っていた。

 

 ビリウスは、リリーを引き止めることを決めた。なけなしの良心だった。

 

「こんにちは、リリー。いい天気だね」

 

 リリーは訝しげに眉根を寄せた。ビリウスが気さくに話しかけるなぞ、ジェームズとセブルスが親友になるほどありえないことだった。

 

「ええ、そうですね…… ビリウス、気を悪くしたら申し訳ないんですけれど、何か変なモノ食べました?」

「どういう意味?」

 

 背後から少年たちの大きな笑い声がした。リリーがそちらに顔を向けたので、ビリウスは回り込んでセブルスを背にかばった。

 

「あの、ビリウス?」

「ハニー・デュークスで新商品が発売されたんだ。今度行かないか?」

「残念だけどお断りします。先輩に殺されちゃうので」

 

 そうこうしているうちに、悪童の哄笑はますます音量を増していった。そして、一瞬の間隙をついて、リリーは見てしまった。

 

「やめて! ジェームズやめて!」

 

 リリーが仲裁に走っていった。ビリウスは、暫し呆然と立ち尽くすと、反対方向へ歩みだした。

 

「穢れた血め!」

 

 スネイプが羞恥から発した悲痛の声が、彼の背に染みた。ブナノキにユニコーンの鬣でできた杖が、強く握りしめられた。   

 

 

 

 ビリウスの頭痛の種は増える一方だった。スネイプはますます闇の魔術にのめり込むようになった。不老不死と闇の魔術は切っても切り離せない間柄だから、ビリウスは知識面では当時のスリザリン内で上位だった。彼の杖さばきはお世辞にも良いとは言えなかったが、スネイプが彼に闇の魔術の助言を仰ぐことも多かった。

 

 これは危険な兆候だった。ビリウスはできるだけ、自分が闇の魔術に精通していることを隠しておきたかった。彼は羊の皮を被った狼が得だと知っていた。何せ、そのお手本に嬲り殺されたのだから。

 

 ビリウスは、スネイプに教えていることを口外しないよう誓わせた。しかし結果的に、この秘密がジェームズらマローダーズにビリウスへの不信感を持たせるきっかけとなってしまった。

 

 彼とドローレスはホグズミードに訪れたことがあった。もちろん、錬金術の材料の買い出しだ。それだけならありふれた日常の一つなのだが、ドローレスは道端の猫に駆け寄っていった。

 

「かわいいー」

 

 そして、案の定? 彼女は引っかかれた。ビリウスはこの時のことを忘れることはないだろう。なんとドローレスは、猫に呪いをかけようとしたのだ。

 

「猫にムキになるなよ」

「だって、このケダモノが……」

 

 なおも言い募ろうとするドローレスの手を取り、ビリウスはウィゲンウェルド薬をかけた。急に黙りこくった彼女を治療しながら、ビリウスはこの残虐性の利用法を、冷徹に考えていた。

 

 六年生になると、選択授業で錬金術が開講される。必然、ビリウスは受講を希望したのだが、その内容は正直、期待外れも良いところだった。

 

 ホグワーツが用意した教師は、彼と同等か、それ以下の知識しか持っていなかったのだ。もはやこの世界に彼の師足り得るのは、三倍偉大のヘルメスか、ニコラス・フラメルか、パラケルススか、さもなくば悪魔に魂を売ったファウスト博士ぐらいだった。或いは、ダンブルドアか。

 

 ビリウスは決心した。もはや錬金術だけで不死を目指すのは現実的ではない。彼は分霊箱に手を染めるための前段階として、詳しい作成法を聞き出すための計画を練り始めた。

 

 

 

「今日はどうしたのかね? ミスター・ウィーズリー。残って片付けを手伝ってくれるなんて。いや、有り難いのだがね」

 

 スラグ・クラブの後の、薄暗い教室。テーブルにはティーセットが広げられていた。ビリウスは、曖昧に微笑むと、舌を濡らした。

 

「実は、お訊きしたいことがありまして」

「ほほう、珍しいね。優秀な君のためだ、答えてあげるのもやぶさかでない」

「ありがとうございます。では、――「「インカーセラス! 縛れ!」」

 

 ドアを開けて飛び込んできたドローレスと、ビリウスの縄がスラグホーンを急襲する。スラグホーンは、ビリウスの弱い縄を撃ち落としさえしたが、ドローレスの方まで手が、いやさ杖が回らなかった。それもそのはず、既にビリウスが一服盛っていたのだ。

 

「何をする!」

「すみません、手荒な真似をしてしまって。でもこうするしかなかったんです」

 

 抜け出そうと画策するスラグホーン。しかし無駄であった。邪悪な錬金術師によって、縄は生半可な抵抗をせせら笑うほど強固になっていた。

 

 ビリウスは魔法薬の教授に、真実薬を無理やり飲ませた。スラグホーンの目はすぐに茫洋としてきた。

 

 彼が口を開きかけると、ドローレスが間に割り込んできた。ため息を飲み込む。彼女は今回のMVPだ。

 

「どうして私をスラグ・クラブに誘わないのよ?」

 

 返答は即座にあった。しかも、虚ろな雰囲気に反した、確固たる調子で。

 

「バカだからだ」

「……は?」

「私はバカが嫌いだ。そしてミス・アンブリッジ、君は成績は良いかもしれないが、振る舞いはバカそのものだ」

「ふっざけんじゃないわよ! ビリウス、この先生に新しい羽ペンを試してみても良いわよね! ね!」

「駄目だ。外傷を残してどうする」

 

 ビリウスは怒れるホグワーツ高等尋問官を抑え、スラグホーンに尋ねた。

 

「先生、分霊箱の作り方を教えてください」

 

 スラグホーンは殺人によって魂を引き裂き、それを物や生物に保管する方法を言ってしまった。ビリウスは用の済んだ教授に、忘れ薬を飲ませ、部屋を後にした。

 

 

  

 未だにビリウスの夜のお散歩は続いていた。どうやら、彼の他にも頻繁にベッドを抜け出す問題児がいるようなのだ。そして彼はジェームズの一味だと当たりをつけていた。

 

 クリスマスの宵に、ビリウスは決定的な場面を掴んだ。ジェームズ、シリウス、ピーターの三人が、動物に変身していたのだ。彼らはアニメ―ガスだったのである。

 

 しかも、透明薬を信じて尾行すると、彼らは暴れ柳の根本に潜っていくではないか。その先は、ルーピンが人狼だったという衝撃の展開に繋がっていた。ビリウスは自分がフェリックス・フェリシスを服用したのではないかと疑った。それほどの幸運だった。

   

 しかし、そう良いことばかり起こるはずもない。父のセプティマス・ウィーズリーは、これまで息子の趣味に不干渉を貫いていたが、ここに来てなぜ研究するのかと訊いてきたのだ。アーサーに倣って、好きだからとお茶を濁したが、いつまで通用するかわからなかった。ビリウスは、ダンブルドアの仕業だと察した。

 

 七年生。ビリウスは最終学年になっていた。世間ではヴォルデモート卿、もとい頭のおかしい新入生が勢力を強め、校内ではダンブルドアの監視の目が厳しくなっていた。

 

 そんな逆境で、賢者の石が黒から白に変色したのは、ビリウスにとって僥倖以外の何物でもなかった。嬉しさのあまり、隣のドローレスに抱きついたほどだ。

 

 白い賢者の石は、卑金属を銀に変え、命の水のような液体を生み出した。この水は、病気や怪我を忽ち癒やし、老化を遅らせたが、それだけだった。ビリウスの求める不老不死とは程遠い。

 

 ビリウスは決断を迫られていた。賢者の石の完成までの見込みは立っていない。となると、あの化け物が跳梁跋扈する魔法界に、保険なしで挑む羽目になる。それは肯い難かった。

 

(分割した魂ならば、今の賢者の石でもその位階を引き上げられるのではないか?)

 

 彼の脳裏を悪魔の発想がよぎる。分霊箱と未完成の賢者の石の合せ技。おおよそ常人なら考えつかない邪道中の邪道。そして彼にはそれを完遂するだけの能力と、倫理観の外れた仲間がいた。

 

 

 

 ビリウスは、初めて自分からドローレスをお茶に誘った。足掛け使い倒してきた必要の部屋で、二人の悪役は席につく。ビリウスは互いの紅茶を注ぐと、ピンクにラッピングされた薄い箱を取り出した。

 

「ドローレス、今まで研究を手伝ってくれてありがとう。これは僕からの感謝の気持ちだ。受け取って欲しい」

「え? 何よ、急に。ビリウス、あんた死ぬの?」

 

 ビリウスにとって洒落にならない冗談だった。彼女は突然の贈り物に面食らっていたが、流れるように受け取った。喜色が隠しきれていない。

 

「とりあえず、開けても良い?」

「もちろん」

「わぁ、かわいい……」

 

 プレゼントは魔法で動く猫がプリントされた皿だった。ビリウスは、守護霊が猫になるほど彼女が猫という概念を愛していることを知っていた。もっとも、生きた猫が好きかどうかは知らないが。

 

 ドローレスは皿を堪能した後、腕を組んでビリウスを見据えた。尋問するつもりのようだ。

 

「それで? 今度は何をしでかすつもりなの? 教えなさいよ」

「ドローレス、今度ばかりは君を巻き込む訳にはいかないんだ。下手したら退学じゃ済まないかもしれない」

 

 ドローレスは深い深いため息を吐いた。砂糖でドロドロの紅茶をかき混ぜ、キッと睨みつける。アメジストの瞳には、八十年前に死ぬべきだった亡霊が映っていた。

 

「どうしようもないアホンダラのビリウスに教えてあげる。あんたは、このホグワーツで唯一、私の価値を認めてくれた人なの。あんたのためなら、人殺しでも何でもやってやろうじゃない」

 

 次の瞬間、自分が何を喋ったのか理解したドローレスの顔が朱に染まった。

 

「そこまで言ってくれて嬉しいよ。ただし、お願いがある――」

 

 

 

 その日も、満月だった。

 

 リリー・エバンズは、暴れ柳の下にいた。教えてもらった通りに柳のコブを押し、根本に潜り込む。彼女は怒りに燃えていた。無論、相手はジェームズ以下マローダーズだ。今日という今日は、彼らにお灸をすえなければならない。

 

 リリーをここに来るよう唆したのが、ビリウスであるのは自明だろう。彼は、嗅いだ者が大胆になる薬品の香水をつけて、彼女に接触した。曰く、あの四人組が暴れ柳の下で何かを企んでいる、と。

 

 態々望月の夜と指定したのには、訳があった。リリー殺しの罪を、人狼のルーピンに擦り付けるためだ。可哀想なリリーは、人狼の屋敷に迷い込み、無惨にも食い殺されてしまいました。なるほど、よくできた脚本だ。

 

 トンネルがドーム状にひらけた場所に、リリーは出た。そこにポツリと立っているのは、赤毛の錬金術師。エメラルドは、奸計の坩堝に落ちようとしていた。

 

「やあリリー、こんばんは。今宵の月は綺麗だね」

「見えませんけど…… ビリウスも捕まえに来たんですか?」

「ああ…… 君をね」

「ステューピファイ!」

 

 影に隠れていたドローレスが、死角から失神呪文を浴びせた。リリーは為す術もなく地に伏せる。獲物に意識がないことを確認すると、ビリウスは複雑な魔法陣の上に寝かせた。そして岩の上に、乳白色の石を置く。

 

 ビリウスはリリーの心臓を狙って、杖を構えた。これで外しようはなくなった。後はたった十二音を唱えるだけ。それだけで、彼は死の恐怖から逃れられる。

 

 手足が冷たい。動悸が激しくなり、脂汗が吹き出す。リリーの安らかな顔が、目に飛び込んできた。

 

「何をグズグズしてるの! 殺っちゃいなさい! 夢なんでしょ?」

 

 ドローレスが発破をかけてくる。そうだ、急がなければ、邪魔が入ってしまうかもしれない。殺れ! 殺るんだ! 悪魔に勝つんだろ!

 

(僕は自分が生きるためなら、他人の死すら踏み台にできると思っていた。しかしどうだ? これでは、あの悪魔と同じではないか! 僕の望んでいた不死とは、これほどまでに胸くそ悪いものだったのか?)

 

 ビリウスは頭がくらくらしてきた。リリーに馬乗りになったまま、瞳孔を開いて硬直している。これでは迷子の子どもだ。

 

 その時、ドタドタと幾人もの足音と話し声が聞こえてきた。思わず、ビリウスは勢いよく立ち上がる。息を切らしたジェームズとセブルスが、口を開いたのは同時だった。

 

「「リリー!」」

 

 後ろから、シリウスとピーターも追いついてきた。ありえない。彼らの足止めをスネイプに頼んでおいたはずだった。曰く、僕が悪行の証拠を抑えるから、三人を引き止めておいてくれ、と。

 

「なぜ君たちが……?」

 

 シリウスが怒気を滲ませて吠える。杖先はしっかりとビリウスを指していた。

 

「お前はスニベルス、間違えた、スネイプを騙して俺たちを封じ込める腹だったんだろうが、マローダーズを舐めてもらっちゃ困るぜ」

 

 すかさずピーターが補足する。

 

「おかしいと思った僕は、ネズミに化けてこっそり様子を見に来たんだ。そしたらびっくり、リリーが倒れていた。急いで伝えに戻ったね」

「リリーから離れろ!」

 

 ビリウスは企みの頓挫を悟った。しかし、こんなところで諦めるビリウスではない。死への畏怖は、野心の障害を打ち破れと、彼を鼓舞していた。

 

「どうするビリウス? 戦う?」

 

 ドローレスの闘志に満ちた瞳の中に、自身への確かな信頼を感じた。ビリウスの感情のキャパシティは限界を迎えていた。どいつもこいつも洒落臭い。立ち塞がるのならば、土に還すまでだ。

 

 ビリウスが身構えたのを見て、マローダーズたちも杖を構えた。そして錬金術師がポケットに手を突っ込んだがいなや、ジェームズとセブルスが動く。

 

「エクスペリアームス!」

「セクタムセンプラ!」

 

 それは、何度も息子の命を救うであろう武装解除の呪文。かたや、半純血のプリンスの代名詞である不可視の斬撃。紅の閃光と切り裂く呪いは真っ直ぐに、ビリウスの元へと迫った。しかし、青白い壁に阻まれる。彼はプロテゴの衣服を全身に身につけていたのだ。

 

 ビリウスが取り出したるは、ミニチュアサイズの土人形。されど侮るなかれ。そのサイズは見る見る膨らみ、三メートルは超すかと思われる巨躯へと成長するのだ。

 

 これぞ、邪悪な錬金術師の切り札。魔法で動くゴーレムである。

 

「……マジかよ」

 

 これは誰が言ったセリフだったか。ビリウスはそれを研究成果への賛辞と解釈し、微笑むと、鋭く右手を突き出した。

 

「殲滅しろ」

 

 無機物の巨人は主に命じられるまま、その鉄槌を振り上げた――

 

 

 

 ジェームズは訳がわからなかった。リリーが連れ去られたと聞いた時は、狂おしいほどの憤怒に駆られたが、一方で簡単に制圧できると楽観視していた。上級生といえども、相手は決闘の授業で毎回ビリの、あのビリウス・ウィーズリーだ。優秀ではあるが、嫌われ者のドローレス・アンブリッジがいるからといって、数で押せば勝てると思っていた。

 

 だが、その見通しは甘いと言わざるを得なかった。ビリウスのゴーレムによって、二対四は、二と大きめの一対四になっている。そしてその割り振りは、ドローレス対シリウスとピーター、ゴーレム対ジェームズとセブルスだった。そう、ジェームズとセブルスである。

 

「足を引っ張るなよ、ポッター」

「それはこっちのセリフだスニべ……スネイプ」

 

 この調子だ。これでは連携なぞ取れるはずがない。ジェームズは剛腕を避けながら、これなら一人の方がマシだとさえ思った。

 

「コンフリンゴ爆破せよ!」

「ボンバーダ爆破!」

 

 ゴーレムに効きそうな爆発系統の呪文を打ち込むが、木偶坊に堪えた様子はない。暖簾に腕押し、糠に釘だ。

 

「スネイプ! ウィーズリーを直接狙おう!」

「貴様はバカか? あの黒雲を見ろ。奴は雷調合薬を飲んでいる。迂闊に近づけば感電するぞ!」

 

 確かにそうだった。ビリウスの周囲は電流が渦巻き、主人に接近せし者を威嚇していた。首尾よくゴーレムを掻いくぐったとしても、待っているのは雷撃の嵐だ。

 

 さらに、ビリウスは時折、爆発性の薬品やら、強酸を投げてくる。まだ六年生であるジェームズらにとって、これらの攻撃は中々に厄介だった。

 

 徐々に疲労は蓄積していき、それは足元を掬う猛毒となる。ジェームズは錬金術師の火炎瓶を躱そうとして躓き、ゴーレムの前に矮小な肉体を曝け出した。

 

 死ぬ――

 

 迫りくる岩の拳を呆然と見つめ、ジェームズは死を覚悟した。

 

「アレストモメンタム!」

 

 しかし、予想していた未来は来なかった。必殺の鎚はそのスピードを緩め、ジェームズの鼻先で何らかの力と拮抗している。そしてジェームズの視線は、こちらを凝視するスネイプの視線とかち合った。

 

「何をしている! 僕が止めているうちに早く出ろ!」

 

 ジェームズは言われるがまま外に這い出た。ズドンと後ろで重い音がする。見ると、スネイプもなぜ自分が咄嗟に助けたのか、わからないようだった。

 

「……サンキュー、ス……セブルス!」

「貴様に死なれたら不利になるから救ったまでだ。礼はいらん!」

 

 セブルスは錬金術師の熱濃硫酸を弾き飛ばし、高らかに狙いをつけた。

 

「同時に頭を破壊するぞ!」

「言われなくてもそのつもり!」

「「エクスパルソ!」」

 

 青白い二条の光が、絡み合いながら突き進む。着弾したのは数瞬後。途轍もない爆音が轟き、錬金術の粋の結晶を吹き飛ばした。ゴーレムは瓦解し、鉄屑へとその巨体を変じる。

 

 それと同時に向こうで舞うのは、アンブリッジの短い杖。勝利を確信したシリウスが構えを解き、ピーターが額の汗を拭った。

 

 ビリウスが切り札と副官を同時に失ったのは、誰の目からも明らかだった。

 

「まだだ、まだ僕は諦めない……」

 

 ビリウスはうわ言のように呟きながら、徐ろに後退していく。四人の包囲網がジリジリと狭まる。

 

(そうだ、リリーを人質に……!)

 

 そう考えたのも束の間、背中に忍び寄る一つの影。眠りから覚めたリリーが、至近距離から失神呪文を放った。

 

「お返しです」 

 

 己の野望が砕ける音を聞きながら、ビリウスは寂寞の眠りへと沈んでいった。

 

 

 

 ウィンゼンガモット大法廷には、大勢の魔法使いや魔女が、とある裁判を傍聴するために詰めかけていた。数多の囁き声が部屋にあふれている。

 

 被告人の証言台に立っているのは赤毛の少年、ビリウスだ。手錠をかけられ、両脇を闇祓いに固められていた。

 

「罪状、被告人は服従の呪文を生徒に使用し、闇の魔術の実験に――」

 

 彼は傍聴席にドローレスを見つけた。沈痛な面持ちで座っている。これこそがビリウスが提示した条件、失敗した際、罪は全て自分が被ることだった。

 

 ビリウスは安堵していた。白い賢者の石はドローレスがどさくさに紛れて回収してくれたはずだ。彼はアズカバン行きだが、いつか研究を続けるチャンスが巡ってくるかもしれない。

 

 彼の父はすっかり憔悴した様子だった。ともすれば、父親の方が被告と言われても信じてしまいそうなくらいだ。母はむせび泣き、兄のアーサーは以前ビリウスを殴った右手を、頻りにさすっていた。まだ痛むのだろう。

 

(ドローレスに家族云々なんて言える立場じゃないじゃないか、僕は)

 

 ルシウス・マルフォイの軽蔑したような視線も、今のビリウスには心地よかった。悪党にはお似合いの幕引きではないか。

 

「――よって被告人、ビリウス・ウィーズリーをアズカバンにおいて――「異議あり!」

 

 法廷の扉が開け放たれ、硬質な音が木霊する。衆目を集めながら登場したのは、ダンブルドア先生だった。騒然とする法廷を見かねて、裁判長が木槌を叩く。

 

「静粛に! 神聖なる裁判を妨害するとは、例えアルバス・ダンブルドアといえども許されぬぞ!」

「はて? わしはこの者の証人として出頭したまでじゃ。遅れたのも、何者かに妨害されたとフクロウを送ったのじゃが。余程有罪にしたいようじゃのう?」

 

 ダンブルドアは意味ありげな視線を、ヴォルデモートの支持者たちに送った。裁判長は、ダンブルドアの発言が確かなことだと伝えられると、忌々しそうに陳述を許可した。

 

「結論から話そう。被告人は服従の呪文を使ってはおらぬ。よって今回の事件の処遇は、退学処分が妥当じゃろう」

 

 再三、法廷がどよめきに包まれた。根拠を求める野次が飛ぶ。ビリウスは混乱していた。

 

(ダンブルドアは何を言っている? 何が狙いだ?)

 

 悠然とダンブルドアが取りだしたのは、かつてビリウスの杖だったものだ。木の断面から銀色の毛が顔をのぞかせている。直前呪文で嘘が露呈しないように、予め折っておいたのだ。

 

「ビリウス、この杖の材質を、大きな声で言うのじゃ」

「ブナの木にユニコーンの毛、二十三センチです」

「聞こえましたか皆さん! この杖はユニコーンの毛を芯にしておる!」

「だからどうしたというのだ」

 

 嘲笑混じりの口出しが、観衆から飛び出る。ビリウスも同感だった。しかし、ダンブルドアは小揺るぎもしなかった。

 

「同じ芯材の方はご存知かもしれぬが、性質上、ユニコーンの毛は闇の魔術に与しがたい。一度でも使ってしまえば、銀の輝きは鈍ってしまうのじゃ。しかしこの者の芯材はその光を失っておらぬ。これを証拠と言わずして、何と言う?」

「ではなぜ被告人は斯様な虚偽を述べたのだ」

「この者は平生から自罰傾向があった。そのせいじゃろうて」

「であるならば、被告人に協力した魔女は当然、責任能力有りとして裁かれねばあるまいな?」

 

 ビリウスの顔色が蒼白になった。それは駄目だ。彼女のキャリアに傷をつけることは、絶対に避けねばならない。

 

「現場から精神を高揚させる薬品が押収された。そしてこの者は錬金術に長じておる。薬学的手法を用いたのは明らかじゃ」

 

 これで問答は決した。裁判長は陪審員から多数決を取ると、厳格に木槌を打ち下ろした。 

 

「――被告人を退学処分とする」

 

 

 

 ぞろぞろと退廷していく人混みを掻き分けて、ビリウスはダンブルドアに追いついた。彼が近づいたのがわかっていたように、教師はすぐに振り返った。

 

「ダンブルドア先生、お訊きしたいことがあります」

「何じゃ?」

「なぜ僕を庇ったのですか。僕はあと一歩で、許されない罪を犯そうとしました」

「しかし、踏み止まったじゃろう?」

 

 ダンブルドアは髭を撫で、どこか遠くを見つめる仕草をした。アイスブルーの目は、どこまでも澄んでいる。

 

「わしが思うに…… 君は自分自身で思うほど邪悪ではあらなんだ。生まれながらの悪はおらぬと、わしは信じておる。その点から考えると、導けなかったわしら大人の落ち度じゃの」

「先生、僕は変われるのでしょうか?」

 

 ダンブルドアは突然、手を叩いた。

 

「そうじゃ、変わるなら新しいことを始めるのが一番じゃ。教職に興味はないかね? 実はとある生徒のお陰で自信を喪失し、錬金術の先生が修行に出てしまってのう」

 

 いたずらっぽくウインクする変身術教授。ビリウスは胃に痛いものを感じながら、その提案を退けた。

 

「お誘いはありがたいのですが、今の僕にその資格があるとは思えません」

「そうか、残念じゃ…… 達者でな、ビリウス」

「先生も、お元気で」

 

 ダンブルドアが姿をくらませたのを見届けたビリウスの背中に、飛びつく少女が一人。ビリウスの有罪回避を最も喜んでいるのは、よもや彼女ではあるまいか。

 

「ダンブルドアと何話してたの?」

「ドローレス…… これからのことさ」

「ふーん…………あ! あんた忘れてないでしょうね? 約束のこと」

「ああ、ふふっ、魔法大臣にするってやつ?」

「何笑ってんのよ!」

 

 ギャーギャー騒ぐ彼女を宥めながら、ビリウスは魔法省から外に出る。秋晴れの青が、空いっぱいに広がっていた。

 

(まずはリリーに謝りに行こう。それから今世の家族に孝行するんだ。何年かかってもいい、償い終えたら……前世の妹の墓を探そうかな)

 

 止まっていた彼の時が、ようやく動き出した。    




最後までお読みいただきありがとうございました。
気が向いたら続くかも。


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