いつか神を滅ぼす日のために 作:観察者X
西暦2138年某日、DMMO-RPG『ユグドラシル<Yggdrasil>』がサービス終了を迎えることになった。
ユグドラシルと言えば、日本国内においてDMMO-RPGといえばユグドラシルを指すとまで言われる評価を受けていたものだった。
何よりも『未知を楽しむ』ことが基本骨子とされたこのタイトルは、広大なフィールドだけではなく、とんでもない自由度を誇る。プレイヤーが操るアバターは職業や魔法、外見に至るまで様々な取捨選択ができるようになっており、わざと狙わない限りは同じキャラクターはできないとまで言われるものだ。
しかし、十二年の歳月の果てに、爆発的だった人気は陰りを見せ、過疎化は進み、ついにはサービス終了を避けられない事態となった。
最後の日をどのような終わり方で迎えるかは人それぞれだろう。トーナメントやオークションなどの終了記念イベントに参加する。因縁の相手と一騎打ちを申し込む。宿敵関係にあったギルドに殴り込みをかける。思い出のダンジョンを散策する。溜め込んでいた金貨を散財する。モンスターに騎乗して世界を駆け巡る。ギルドメンバーと最後のバカ騒ぎをする。自分以外には誰もいないギルドで、最後の瞬間を待つ。
“ネロ・ネミートス”もそんなプレイヤーのひとりだった。
自分以外はろくにログインすらしなくなってから久しい。他のメンバーは最終日さえログインしてこない。残り時間が僅かとなり、ギルド拠点たる『劇場都市コスモスウェイ』でひとり寂しく最後の時間を過ごす。そのはずだった。
だが、コスモスウェイはゲーム終了を前にして崩壊した。ギルド武器を破壊され、泡沫の夢と消えた。これが現実の都市であれば瓦礫と死体の山でも残るところだが、ゲーム上の都市はデータであり、塵すら残っていない。
つい先程までギルド拠点の中心地だった場所で、ネロは佇む。
どれだけ発展した仮想現実であってもプレイヤーの感情に応じて表情を変えることはない。もしもそれが可能であればネロの顔には怒りが如実に表れていたことだろう。誰がどう見ても憤怒に染まった顔がそこにあったはずだ。しかし、形だけは人間の姿をしたアバターの顔は眉一つとして動かない。皺ひとつできはしない。
空から視線を下ろし、地面を見る。ほんの一時間前まで自分たちのギルド拠点があった場所を見る。
ギルド『雪月花劇団』。
ギルド長『アルティメット太郎』を始めとし、特撮やアニメが好きな者が多かったギルドだ。特に初期メンバーは系統こそばらけていたが、ヒーローや怪獣の類が大好きだった。ネロ自身、怪獣を愛し、「ネロ・ネミートス」の能力などのコンセプトも大好きな怪獣から参考にした部分は多々ある。完全異形形態に関しては知る者が見ればモデルは一発で察するだろう。
趣味が合うメンバーもいれば、そうでないメンバーも多かった。そもそも、会話自体あまりしたことがないメンバーもそれなりにいた。一時期は百人いた大所帯だったのだ。
それが、いつからか、しばらく顔を見ないメンバーが多くなった。
かつては二桁の上位に存在するギルドであり、プレイヤー全体から見てもガチ勢に分類される者が多いとはいえ、いつまでも同じゲームに固執する者はそういない。飽きることもあれば、他のゲームに心移りすることもあるし、現実の方で大事があることだってある。しかし、いつか戻ってくるかもしれないし、減ったならば余所から招けばいい。ランキングは下がるかもしれないが、そうなった時はそうなった時だ。廃課金のガチからエンジョイ勢に戻ろう。ギルド長も含めて、そんな風に語り合った。
だが、更に時間を経ると、そう語り合ったはずのメンバーたちもいなくなった。クランだった頃からの最古参も、ギルドとして再出発した時の古株も、ギルド拠点を手に入れてからの中堅も、ランキングが安定してからの新参も、徐々に、しかし確実にユグドラシルにログインしなくなった。
一日のプレイ時間が減って、数日おきにログインするようになって、そのまましばらく顔を見なくなって、二度と現れなくなる。良くて引退の宣言をするためだけに、数か月振りにやってくるだけだ。そんなことが何度もあった。
そして、気づけばネロとギルド長の二人になっていて、そのギルド長もある時を境に事実上の引退をした。必ず戻るからと言っておきながら、結局、今日この日にすら来なかった。
案の定、ネロ・ネミートスは最後の時をひとりで過ごすことになった。
その結果が、ギルド拠点の喪失である。まさか最後の最後に守れなかったとは。滑稽にも程がある。無様にも限度がある。笑ってしまう。笑うしかない。笑う以外に何もない。何ともつまらない終わりではないか。
……仲間が、託してくれたものを守れなかった。ギルド長であれば、ギルド拠点が破壊された時に特殊な職業を強制的に与えられるのだが、ギルド長ではないネロにはそれがない。ただの敗北者がそこにいるのみだ。
「楽しかったんだけどなぁ」
そう思っていたのは自分だけではなかったはずだ。しかし、今もそう思っているのは自分だけのようだ。城塞都市型のギルド拠点が塵も残さず消え去った、何もない平野がそれを物語っている。特撮の怪獣が暴れた跡ですら瓦礫の山が残っているというのに。ここには血の残り香さえしない。
この場所に残っているのは惨めな一体の怪獣もどきだ。
だが、この無念さえ制限時間がある。この世界の残り時間はあと僅かだ。この世界が、このゲームが消えてしまえば、この無念は、憤怒は、苦痛は、憎悪は、後悔は、怨嗟は、悲哀は、罪悪感は、喪失感は、消えて然るべきなのだ。自罰も自嘲も自責も等しく無意味である。所詮は仮想現実の出来事だ。現実に、あるいは他の仮想現実にまで持っていくようなことではない。
分かっている。
最後まで残った自分がおかしいのだと。もう残る意味がないのだから、ログアウトしてしまうべきなのだと。明日もどうせ早いのに、何故世界の終わりに立ち会う気なのか。
「辛いけど、辛いだけだしな」
捨てはしない。忘れはしない。ただ、飲み込むのだ。どうせ長生きできるような時代でも社会でも肉体でもない。徳はそれなりに積んでいるが、死後の世界で使うものだ。その時まで、この痛みも一生口に出さず、地獄に一緒に持っていく。
案外、一晩眠って明日の朝になれば楽になってしまうのかもしれないが。
自分だけがこんなに苦しんでいるなんて滑稽だ。
「せめてつけられる格好くらいはつけておくか?」
つい先程、最後の侵入者である一団との戦闘で、ネロは死亡した。ユグドラシルにおいて、死亡ペナルティは二つ。レベルと装備一つの喪失だ。前者に関しては蘇生魔法などで軽減できるが、今回のネロはそれが行えなかったため、最大ペナルティのマイナス五を受け、レベル九十五になっている。せめてつけたい恰好とは、最後の瞬間をレベル百で終えることだ。
ユグドラシルはレベル九十までは比較的簡単にレベルを上げられるようになっている。逆を言えば、九十を超えてくるとレベルアップが難しくなる。特にレアな職業を得る条件を満たすためには、仲間との連携が全体の難易度の高いクエストに行く必要がある。現在ネロに仲間はおらず、残り時間も少ない。真っ当な手段でのレベルアップは難しい。
つまり、真っ当ではない方法でレベルアップすればいいのだ。条件が条件だ。妥協はするべきである。
「まさかこいつを使う時が来るとはなあ。ま、最後の運試しにはちょうどいいか」
そう言ってネロがインベントリから取り出したのは、一つのリンゴ。レベルアップアイテム「試練の果実」である。
簡単に言えば、食べればレベルアップするアイテムだ。しかし、何とも言えないギャンブルアイテムでもある。レベルアップすると言うが、厳密には職業レベルを得るアイテムだ。更に詳しく言うと、どのような職業を得るかは選べず、戦士、修行僧、聖騎士、野伏、暗殺者、魔術師、森司祭、神官、吟遊詩人の九種の中からランダムに選ばれる。しかもレベルアップするかも食べてみなければ分からない。最低で五、最大で十五だが、それさえ完全にランダムだ。一応、レベル十五になれる可能性は一パーセントほどらしいが。
サービス開始から存在するアイテムだが、数多の職業を組み合わせて複雑なビルドを作ることが前提のユグドラシルには不向きなアイテムだろう。何か隠し条件でレア職業を得られるのはではないかと検証班が努力したらしいが、話題になっていないところを考えるに結果は推して知るべしだろう。おまけに、このアイテムの効果を得られるのは一度だけだ。つまり試練の果実だけでレベル百になることはできない。取得した職業をレベルダウンで消せば再度チャレンジできるらしいが、そういう面倒くさい仕様も検証班を挫折させた一因かもしれない。
とにかく、ネロはこの果実を食べたことがない。およそ使う理由が見当たらないからだ。というか、ネタビルドや検証好き以外でこの果実を食べたというプレイヤーを見たことがない。正直、経験値を得るアイテムならば他にもある。しかし、レベル九十五から百になるアイテムとなると他にない。持っているアイテム全てを使えば不可能ではないのかもしれないが、面倒だ。ギルド拠点を失ったばかりで、そんなことに気力を使う余裕さえない。一つのアイテムで済むならそれでいいだろう。形だけでもレベル百になって、最後の瞬間を迎えるとしよう。
「いただきます」
この世界はゲームだ。食事はただのアイテム消費であり、咀嚼の音もなく、味もなく、喉越しもなく、腹に貯まることはない。何より一瞬で済む。現実世界の栄養ゼリーですらもうちょっと手間がかかると思いながら、ネロは自分が得た職業が何になるか僅かに期待しながらその一瞬を過ごした。
しかしどうあっても自分には噛み合わない基本職のいずれかだ。ネロは陰陽師・五行使いをベースにした精神系魔法詠唱者の竜人。試練の果実で得られる職業で面白い組み合わせが発生することなどまず有り得ない。
だから、心底驚いたのだ。
「は――? 何です、これ?」
試練の果実で得られるのは職業レベルのはずだが、取得したのは種族レベル。しかも全く知らない名称だった。バグを疑ったが、名称があまりにも異質なものだった。異質すぎて運営の仕様であることを察知するのも容易かった。ネロが混乱している間に運営からメールが入った。
『おめでとうございます! 貴方は全プレイヤーの中で初めて種族「
その内容を見て、ネロの口から笑いが零れた。
「今後ともって、今日終わるんですけど! ははははは!」
可笑しさを堪えきれないネロ。ギルド拠点を失った怒りさえ薄れてしまうほどだ。自分が最初で最後となるであろう
「ああ、神よ! 愚かなる私に復讐の剣を与えてくださったことを感謝いたします!」
残り時間ではどうせ何もできないはずだった。嫌がらせ程度はできるが、あれだけ無様を晒した敗北者が有終の美を汚すけどプライドが許さなかった。だが、勝てる見込みがあるのならば話は別だ。
世界はどうやらまだ戦いをご所望のようだ。与えられた力が「世界を喰らう者」「世界の敵」のそれであることは少々皮肉だが。
「クソ運営め、最悪のタイミングで最高のプレゼントだっての。うーん、条件の一つは試練の果実でレベルアップしてレベル百になることなんだろうな。……この時点で結構絞れるな。後はなんだ? ギルド拠点壊されたこととかか? ま、この画面とメールをスクショして明日にでも掲示板に投げとこ」
口を動かしながら手も同時に動かす。
「こいつ壊れすぎだろ……。うええ……。僕との相性もいいな。いや、これだったらどんなビルドでも戦闘系でも合う……、いや、生産系でも壊れるな……あ、完全異形形態のサイズめっちゃデカくできるのか。最大にしとこ」
普段であればもう少し冷静になれるのだろうが、ギルド拠点を失った怒りと、ユグドラシルが終わる悲しみと、自分だけがこの種族の存在を知っているという喜びが混ざり合い、ネタ全振りのビルドを組んでいく。当然、自分の元々の能力に合うようにだが。
残り時間を確認する暇さえ惜しいと、時計も見ずに熱中した。そして、完成した。ユグドラシル最初で最後の、プレイヤーの世界喰いが。
「よっしゃ、勝利の美酒を味わっているであろうあいつらにお礼参りと行きますか」
現実世界で獰猛な笑みを浮かべながら、ネロは先程のメールと一緒に送られてきたアイテムを取り出す。
ユグドラシルに二百しかない一点物のアイテム、ワールドアイテム。その一つ一つが世界一つと等価であると設定されたバランスブレイカーである。この九色に淡く輝くボーリングのような球がそのワールドアイテムに他ならない。
そして、
おそらく最終日でなければ、ここまで思い切りのいいことはできなかっただろう。だが、残る物はない以上、残す意味もない。ネロは全てを使い尽くし、ユグドラシルが終わってしまう前に復讐を果たすつもりでいた。試練の果実を食べるまではそんな発想させなかったのだ。何せ相手は六人でギルド拠点も健在だろうから。
しかし、今の自分なら勝てる。今の自分ならあの六人を倒せる。今の自分なら、あの裏切り者に制裁を与えてやれる。
「待ってろよ、スルシャーナぁああああああああああああ! ついでに残りの五人も! 今からワールドエネミーになってぶっ殺しに行くからなあ! はははは、急がないと世界が終わっちゃうぜ!」
しかし、最終日であること前提の行動と言うのならば、彼はやはり時計を確認するべきだったのだ。時刻はすでに日にちが変わる寸前になっていたというのに。
「いっただき――」
こうして世界は終わるが――、
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2138年×月×日をもちまして、『ユグドラシル<Yggdrasil>』はサービス提供を終了しました。長きに渡りご愛顧いただいたお客様へ心から御礼申し上げます。
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――彼の物語は続く。
「――まーす!」
ばきん。
それは世界の悲鳴であり、怪物の産声だった。
「って、うっま! ……うん?」
どうして仮想現実で味があるんだ? この口の中にある存在感は何だ? どうして飴でも嚙み砕いているような咀嚼音が聞こえる?
「というか、ここどこ?」