いつか神を滅ぼす日のために 作:観察者X
目の前の女性は、おそらくあのエルフ王と何らかの因縁があると見た。それに合わせてという意味ではないが、あの時と同じ手順で戦うことにする。無論、完全に同じというわけにはいかないが。
バレないように『糸』で肌を軽く裂き、血を媒介にして召喚能力を行使する。
〈
本来であればあの時と同じように白虎を出すのが美しいのかもしれないが、生憎、ネロは同種のモンスターを呼び出すのに召喚制限がある。白虎は永続召喚化してエルフの王都を守らせているため、召喚できない。
相手との相性も考えて、防御特化の聖獣を呼び出す。
「何……、亀?」
訝しそうな声を上げる少女。知らないらしい。あるいは、知らない振りだろうか。そういう情報戦はユグドラシルでは日常茶飯事だった。
「玄武って種族だ。四聖獣というカテゴリーのモンスターで、北方を守護すると言われている。個体名はそうだな、『ノース』としよう」
役者の紹介は義務だ。本当は知っているのだとしても、あえて言ってみるのもまた芝居の一環だ。
「そう。……尾が蛇の頭になっているけど、どういう生態なの? ヒュドラみたいに同じ首ってわけでもないし」
本気で不思議そうだ。確かに、ヒュドラやケルベロスのように同じタイプの首がいくつかあるモンスターとはまた別種の特異性がある。
「さあね。僕がこの姿を選んだわけじゃないから」
プレイヤーではないのはほぼ確実。もっと言えば、ユグドラシルの存在ではない。
顔は見えないが、声と体格から女性だと判別できる。加えて、等身が高いようには見えないため、少女だと推定することができる。無論、成熟した女性でも体質で背が低い可能性は十分に有り得るし、元々背が種族の出身であるかもしれない。
装備しているのはかつての仲間にして仇敵たる輝煌天使ねこにゃんのもので間違いない。材料調達の何割かを手伝った思い出がある。完成したのは、確かスルシャーナと一緒にギルドを抜ける直前だったはずだ。
魔法の武器は装備している者の体のサイズに合わせて、武器自体が大きさを変える。防具も同じだ。すでにエルフたちでそれは確認している。つまり、ねこにゃんの鎧をあの少女が装備できることは何の道理にも反していない。だが、ねこにゃんという男を知るネロからすれば結構な違和感を抱いて然るべきであろう。あの鎧は彼の装備の中でも最高位のものであるはずだ。この世界で新しい強い鎧を作れたのだとしても、あれを任せる程度には彼女のことを評価しているということになる。そして、大鎌を預けているスルシャーナにも同じことが言える。
それに灰神の使徒、即ち、レベル百プレイヤーと戦える中ボスを倒すために派遣されたと仮定した場合、彼女もレベル百ほどの実力を見るべきであろう。
そして、先程の問答。エルフ王、正しくは先王デケム・ホウガンについての質問だ。おそらくあのエルフ王と何らかの因縁があったと見るべきか。それは彼女自身、あるいは知人や肉親と何かがあったと考えた方が妥当だろうか。それとも、この周辺では逸脱したあの強さに由来するものだろうか。断定するには材料が乏しい。加えて、前者であった場合、あまりいい気分はしないため、ネロはこの話題に対する思考を止めることにした。
彼女は此方を殺すつもりだ。此方は彼女を殺すつもりはない。女性を殺すべきではない、なんてフェミニズムではない。人質にするつもりである。
誰に対してのと問われれば、スルシャーナたちだ。まさか神器級アイテムを与えておいて、あるいは貸しておいて、何の感情もない存在だと言い張るのは無理がある。大げさな言い方をすれば、きっと彼女は神の寵愛を受ける新星なのだ。
いつまで経ってもあの六人が戦場に出て来ない以上、もっと強い餌が必要になる。公式中ボスの灰滅の使徒ではどうやら餌としては機能しないらしい。彼を殺すことができるような兵士は法国にいないようなのに、だ。
ならば、より強い理由を与えてやればいいだけの話。外敵を殺すためではなく、寵愛対象を取り戻すとなれば重い腰を上げるかもしれない。もしもダメなら次の手を考えるだけである。
「はあ!」
「ノース。防御」
大鎌での攻撃を玄武の能力で防御する。単純な物理攻撃ならば玄武の防御力およびダメージカット能力の前では無力だ。
それを踏まえた上で、一つ気になることがある。
(思ったより、弱いな)
弱い。
数分の攻防しか交わしていないが、断言できる。
この世界で出会った生物の中では強い方だ。この世界において、エルフ王より少し上程度の力はあるだろう。このユグドラシルと似て非なる世界では、あのエルフの半分の強さを持つ生物にすら出会ったことがない。その前提を踏まえれば、この少女の強さは例外的とすら言えるだろう。
しかし、弱い。ユグドラシルプレイヤーにとっては、レベル百のプレイヤーにとっては、はっきりと弱いと断言できる。少なくとも、神器級のアイテムを持たせるに相応しい実力があるかと言われたら肯定は難しいだろう。遺産級か聖遺物級が妥当と言える程度の実力しか感じない。
ネロ・ネミートスの十八番『六色演目』。自分と五体の召喚モンスターを並べてタコ殴りにするという単純な戦法だ。この戦法の特徴の一つとして、相手の力量に合わせてモンスターの召喚数を調整できる点が上げられる。連戦が考えられる状況では戦力の温存という見方もできるが、戦力の測定や訓練という側面が強い。練習相手にはもってこいということで、ギルドの加入テストでは度々出番があった。
そして、この鎧少女相手には一体だけ、つまり現在召喚している玄武だけで十分だというのがネロの現在の所感だ。決め手には欠けるしこのままでは時間もかかるが、あえて急ぐ必要もない。二体目の四聖獣を召喚して早急に片をつける方が良いかもしれないが、縛りプレイも悪くない。
気のせいかもしれないが、戦闘に慣れていないようにも感じる。玄武の動きに微妙についていけていない。玄武は防御に特化しているため、動きが遅い。これは四聖獣の中に限った話ではなく同レベル帯の召喚モンスターで見ても同じ評価となる。その動きにさえ慣れていない――否、これは動きにではなく、硬さに慣れていないのかもしれない。
この少女は自分の攻撃が全く通じていないという事態に覚えがない。
それ自体は然程不自然な話でもないのだ。この世界のレベルを考えれば、おそらく突然変異級の強さを持つであろう彼女が同格存在と戦ったことがないというのは全く考えられない話ではない。そして、ゲームのようにコンソールが出ない世界でちゃんとしたビルド構築ができるかと言われれば否であるし、これまで戦った法国のレベルを顧みれば彼女以上の戦士がいないというのも納得できる。
だが、彼女がスルシャーナたちの部下であるのならば話は別だ。法国という国がプレイヤーの庇護下にあるのならば話は違ってくる。
彼ら六人は全員がレベル百だった。六百年という年月でレベルキャップから解放された可能性は大いにある。一回や二回死んだのだとしても、下がったレベルをそのままにしておくというのは考えにくい。根本的にこの世界の生命が弱すぎてレベルが上げにくいというのならば理解はできるが、そうなるとエルフ王を放置していたのはおかしい。プレイヤーからすれば弱いが、あれほどの強さだ。貴重な経験値となっただろう。
何故、六大神と呼ばれる彼らはそれを見逃した? 自分以外の誰かの経験値にする予定だったのだろうか。それこそ、目の前の彼女とか。
「スパルティアト!」
少女を守るように五体のアンデッドが召喚される。
ネロは特に驚かない。あのアンデッドを知っているからだ。名前も、能力も、カロンの導きに備わっている能力で召喚されることも。
名称、スパルティアト。戦闘能力は第五位階で召喚されるものと同程度。特殊能力はないが武装はやや立派。同時発言は五体までで、二十四時間で計三十体まで召喚可能。
他にもカロンの導きには〈
(何だ、僕は何を見落としている?)
分かり切ったことだ。考えるまでもないことだ。だが、直視しない。無視する。答えに辿り着きそうになっても無理やり曲解する。思考停止する。絶対に、それだけは認めるわけにはいかない。
玄武が蛇の頭部を持つ尾を振り回し、スパルティアトを一層する。玄武を始めとする四聖獣は位階魔法で召喚されるモンスターよりも強く、ネロの強化が加わっているおかげで更に強い。第五位階相応の能力しかないアンデッドなど一瞬の壁にしかならない。
「……埒が明かないわね」
少女が攻撃を止めて、一度距離を取る。
「ああ、気が合うね。僕もそう思っていたんだ」
特に反応を求めた独り言だったのだろうが、あえて言葉を送ることにした。挑発のつもりだ。追撃はしない。玄武にも遠距離攻撃の手段はある。ネロ自身、数少ない攻撃魔法の中にこの程度の距離なら確実に届いて命中させられる魔法はある。だが、そこまで本気で追撃をするのも面倒だ。戦闘開始直後ならともかく、現在はそこまでの価値を少女に感じない。最初から捕らえるつもりではいたが、ここで明確に本気で殺すに値しないと判断した。
ネロのそんな評価を察する様子もない少女は、兜を脱いだ。その顔を見て、ネロの目が驚愕と共に大きく見開かれる。
左右で色の違う髪と瞳。左右非対称な黒と白。さながらリバーシ。あるいは鯱を彷彿とさせる風貌だ。少女らしい幼さ顔立ちだが残るが、どちらかと言えばカワイイよりも美しいの方が似合う。そんな顔でニタニタと嗤っていた。
この戦闘ですでに軽視できないダメージが入っているはずだが、気にしていないのか、笑って誤魔化しているのか。おそらく後者だ。戦闘狂の仮面を被っているだけだ。本当の戦闘狂ならば、その痛みをこそ笑ってみせるはずだから。
痛ましい。痛々しい。どういう教育を受けてきたら、これほど哀れな少女が出来上がるのか。神に育てられたはずの少女がどうしてここまで歪なのか。幼い頃の自分を見ているようで吐き気さえ覚える。
脳が現状と彼女の正体を察し、小さく舌打ちした。
「……ちっ。そういうことかよ。嫌な話だ」
先王は女エルフとの間に多くの子どもを作っていた。その相手には臣下の娘や妻さえ入っていたという。強き王の子を孕めることは名誉だと言わんばかりに、無理やり抱いたことは何度もあったらしい。そんな男ならば他の人間種――例えば人間との間に子どもを作ってもおかしくはない。
よく見れば目の前の少女はエルフとも人間とも違った顔立ちに見える。このような感想を抱くのはエルフばかり見ていたからだろうか。それとも、ネロが人間をやめたからだろうか。
この少女の正体を察してから妙に疼く心の傷は、ネロがまだ人間を捨て切っていない証拠だろうか。自分はまだ人間でいたいのだろうか。あんな弱くて愚かなで短くて優しさもない種族に、何の執着があるというのか。もしもネロが――佐倉晴明が人間でいたい理由があるとすれば、それは母親だ。人間でいたくないと思う動機も母親だが。
「ねえ、貴方昔はスルシャーナ様やねこにゃん様と同じ組織にいるって言ったわよね? だったら、今からでももう一度あの方々と一緒になる気はない?」
「は?」
心の疼きが一瞬で黙る。別の傷が疼きだす。魂の美しくない部分が死体に湧く蛆のように蠢く。鬱陶しい感覚だ。
(落ち着け。だけど、忘れるな。許すな。捨てるな。置き去りにするな。この感覚がなくなった時、僕はネロ・ネミートスじゃなくなる。『雪月花劇団』の一員でも、コスモスウェイの守護者でもなくなる。僕だけは死ぬまでそうじゃないといけないんだから)
ネロが胸を押さえて葛藤している間に少女は兜を被り直していた。どうやら隙だと判断したようだ。実際、ネロ自身、現在の自分は隙だらけだと思う。だが、誘ったとも言える。少女がネロとの力量差をどの程度だと判断したかは不明だが、上下関係は把握できたはずだ。そんな相手にどうやって戦うつもりなのか。それともここから逃げに徹するつもりなのか。どちらにせよ、ここからの一手で少女の底は見えてくる。
そして、ネロは少女の素顔以上の驚きを味わうことになる。
「――The goal of all life is death」
その時計を見て、ネロは時が止まったように感じた。