いつか神を滅ぼす日のために 作:観察者X
人類最高の膂力は通じない。武技は見切られた。切り札は使い切った上で無意味だった。
人類の守り手、法国の切り札であるはずの自分は追い詰められた。
「はあ、はあ、はあ……」
戦闘で息が切れるなどいつ以来だろうか。
「大丈夫? 水飲むならその間は手出ししないよ?」
「余計な、お世話よ」
対して、相手は此方を気遣う余裕さえあるようだ。当然と言えば当然だ。相手は神と対峙して、生きているような怪物だ。勝機は最初からなかったのだ。
(違う! 私は勝てないといけない。ここでは負けらない! それにしても、強い攻撃で一気に決着をつけようとしないのは何故? 私に絶対に降伏させたい? いえ、致命傷ギリギリの攻撃で意識を奪おうとするくらいならやろうとすればできるんじゃないの? まさかできない?)
召喚に特化しすぎているせいで攻撃手段が不足しているのか。だとしたら、そこが唯一の突破口となるのだろうか。絶死は自分の使える攻撃系の武技を思い出す。反撃の決定打になるかは分からないが、相手が本気にならない内に試してみるしかない。
態勢を直すと同時に、大きな喪失感を覚えた。まさかと思い、そちらを見れば悪い予感が的中していた。
「こっち、終わったぞ」
アンデッドが分身体を倒したのだ。いや、そこにいるのはアンデッドだけではない。先程消えたはずの亀もいた。召喚者が死んで消滅したのだと思っていたが、よく考えれば実際は死んでいなかったのだから、召喚されたままのはず。
「幻術か何かで消してたのかしら?」
「大正解」
ぱちぱちと拍手を送られるが、全く嬉しくない。苛立ちが強くなるだけだ。
「これぞ『六色演目』。洒落た名前を使っているが、身も蓋もない言い方をすれば召喚モンスターを並べてタコ殴りにするだけだ」
簡単に言うが、絶死以上の難度を持つ召喚モンスターが何体もいるなど冗談ではない。しかも召喚可能な数は口ぶりからすれば一体か二体ではない。普通ならばブラフを疑うが、絶死の負けが濃厚な状況でそのようなことを言う意味はない。絶死に降伏を促しているのだとしてもだ。
「観客もいないのに遊んでんじゃねえよ」
「そう思うなら手伝ってくれ。おまえは――おまえたちは最初からそういう存在だろうが」
「……きひひひ、そういうことね。仕方ねえな」
どうやらアンデッドも絶死との闘いに参加するようだ。分身体が倒された状態で上位存在を二体、否、亀も含めれば三体も相手にできるような手札はない。絶対死も使えない。
逃げるしかない。それが不可能ならば相手が望むように降伏するしかない。いや、逃げるわけにはいかない。降伏など論外だ。自分は戦わなくてはいけない。まだ倒れてはいけない。勝たなくてはいけない。母がそれを望んだのだから。
「じゃあ、やるかね」
確かに警戒していたはずだ。確かに集中していたはずだ。だが、正面にいたはずのアンデッドは突如として消えて、絶死を背後から地面に押し倒した。背中に圧し掛かられて、首元を後ろから掴まれ、地面に押し潰される。
「がぁ!」
苦悶の声が零れた。拘束から逃れようともがくがびくともしない。外見は魔法職のようだし魔法も使えるようだが、本職は格闘のようだ。絶死は純粋な戦士というわけではなく、難度も相手の方が上の模様。地力で勝てないのは必然だった。
「大人しくしておけ。この時点で、おまえの未来は決まった」
アンデッドに触れられた途端、奇妙な違和感を覚えた。体に痛みが走ったわけではないため、呪いや毒の類ではない。体が思うように動かないが、それは元々のダメージや疲労、体を封じ込んでいるアンデッドの強さ故だ。
形になる害があるわけではないが、何かをされている。このアンデッドに触れられると何かが起きる。しかし、この正体不明の違和感を探る余裕はない。すぐに押しのけて戦闘ができる状態になる必要がある。このような生殺与奪を握られた状態が好ましいわけがない。
「暴れるなって。どうせすぐ終わるから」
「ふざけ――」
ふざけないでちょうだい、という言葉を絶死は口から出せなかった。今日何度目になるか分からない驚愕によって絶句する。
「ぷすぷす」
最初にいた、あの奇妙な魔獣だった。絶死の知らない魔獣だが、睡眠に関わる能力を持っていることは確定している。殺したと思っていたが、生きていたようだ。
「あ、ああああ……」
「残念だったな。こいつ、獏って名前のモンスターでな。結構頑丈なのよ。少なくとも、あんな放り投げたくらいじゃ死なないし、本体から与えられた能力のおかげですぐに回復する」
「ぷすぷすぷす」
獏という魔獣は軽やかな動きで絶死に近づいてくる。それは神人の絶死には笑ってしまうくらい遅い動きだが、アンデッドに拘束されている状態ではそんな動きでさえ恐怖を覚える。いつものように笑みを張り付けることさえ出来ない。必死にもがくが、アンデッドはびくともしない。そして、獏のユニークな鼻が絶死に触れる。鎧越しであるため感触はないが、途端に眠気に襲われる。
「睡眠学習みたいなもんだと思って聞いておけ。こいつの能力は察していると思うけど、相手を眠らせることだ。二つある。一つは判定は緩いけど広範囲で眠らせる能力。もう一つは触れて単体を眠らせる能力。範囲が狭くなる分、効果は前者のそれより強い。効果のほどは、おまえが今実感しているかな?」
アンデッドの言葉を聞くことさえ苦痛だ。意識を保とうとするだけで死ぬほど集中力を必要とする。瞼を一度でも閉じればそのまま眠ってしまうことは必然だった。
「本当ならおまえの強さ……レベル八十くらいが相手だと通じないんだが、俺が触れていることも関係している。俺――紫幽王には相手に触れるほど弱体耐性を下げるパッシブがある。スリップダメージやスタータスダウンならともかく弱体耐性そのものの低下って実感しづらいよな。こうして体を押さえ込んでいるんだ。そりゃ滅茶苦茶影響受けてるよな?」
「あ、る、あ……」
眠い。だるい。もうアンデッドの拘束から逃げようともがくことさえできない。視界がぼやける。意識が薄れる。全身の筋肉から力が抜けていく。これまでの人生で味わったことのない眠気。しかも過度の疲労感から来る強制的な眠気ではなく、優しく包まれているような癒しを感じる。指先の感覚さえその温かさに飲まれたような気がした。せめて何か毒舌でも振るってやろうかと思うのに、呂律が回らない。
こんな状況だというのに一切の恐怖がない。自分が恐怖していないことに恐怖していた。まさか感情さえ支配されてしまったのかと焦りを抱くが、その焦りさえ眠気に押し潰される。きっと、これは死とは真逆なんだろうと消えかけの理性が宣う。
竜が、人ならざる異形が、人間のような手で頭を撫でてくる。まるで母親のような慈愛を讃えた顔で、絶死が母親にしてもらいたかったのにしてもらえなかったことをしてくる。
「眠れよ。おまえができることはもうない。この舞台からはご退場だ」
「ひ、が……。わ、ち……、ま、ふえ……」
言い返したいのに思ったように声が出ない。悔しいのに涙さえ出てこない。今はひたすら眠い。
なんだ、これ。
絶死はそれだけを思う。自分は命懸けで戦うのではなかったのか、と。祖国のために、神の敵だと宣うこの邪悪な竜を殺すのではなかったのか、と。
これが敗北だ。絶死が知らなかった『敗北』という状況。一切の希望が有り得ない。敗北を知りたいと宣ったこともある絶死だが、こんなものなら知りたくはなかったと後悔した。
「ああ、勘違いしないでくれ。無駄だったって意味じゃないぜ。むしろ逆だ。……今日までよく頑張ったね。君はちゃんと出来たよ」
意識を保つ限界が訪れていた絶死には、それが心の支えを崩すトドメになった。
そうだ、自分は頑張った。よく戦った、最後まで戦った。神が六人で相手取った竜相手に、一歩も引かなかった。だから、もう諦めていいんじゃないだろうか? もう楽になっていいんじゃないだろうか?
心の片隅で何かがそう囁くと同時に堪えてきた眠気が決壊したダムの水のように襲い掛かる。もう瞼を開けようと努める気力さえない。
それでも夢の世界に落ちる直前、一つだけ理解した。
この男は、少しだけ母に似ているのだ。
それに気づいた途端、神への背信、祖国への裏切りだと理解しながら、もっと頭を撫でて欲しいと思ってしまった。
■
眠りについた少女を抱き上げ、一度だけ強く抱擁する。完全に意識がないことを確認し、リバスに預けた。
「全く。あいつら、神になっておきながら何て体たらくだ。もう見せ場がどうこうなんて考えてやらねー。さっさと終わらせてやるよ」
「やるのか?」
まるで鏡の中の自分に問われたような気分だ。
「ああ」
「きひひ。きっと後悔するぞ」
それも自分の中に現在進行形である感情だ。だからこそ、きっちり言葉にして否定する。
「いいさ。どうせ後悔ばかりの人生だよ。ここで一つ増えたところで、コスモスウェイを失った時には及ばないよ」
「はっ。嘘つけよ、クソ本体。それに関してほとんどどうでもいいと思ってんだろうが。おまえが本当に後悔しているのは、
「……次、サクラのことを口にしたら殺すぞ、発火死体」
「おいおい。ガチギレじゃん」
「分かったのか? 分からなかったのか?」
言葉での返答はなく、リバスは肩を竦めるだけだった。
その鬱憤さえ込めて、ネロは一つの能力を発動する。
「さあ、終演の時だ。真打の登場だ……!」
〈
ネロが完全異形形態へ変身するための特殊技術だ。カルマ値が最低であること、HP残量が三分の一以下であることが発動条件となっており、その分だけ完全異形形態になった時のボーナスは大きい。勿論、そのボーナスは小さな世界喰いを得た現在においても適応される。
種族レベル『小さな世界喰い』の完全異形形態、即ちワールドエネミー化だ。
レベル百プレイヤーが三十六人編成で挑んでようやく勝てる、ユグドラシル単体としては最強の存在。プレイヤーがワールドエネミーになれる手段は、ある意味において最初から用意されていた。しかし、ユグドラシルでその能力が発動される日は来なかった。この異世界において、ようやくその暴力が日の目を受けることを許される。
ネロの決して大きくはない、一般的な人間の大きさの体が膨張する。風船のように。小さな旋風が巨大な台風へと変貌するように。小さな亀裂が大地を崩壊させる地割れへと拡大するように。段々と、などというゆっくりとした速度ではない。さながら土石流の如き速度で、ネロの肉体は膨張と変質を繰り返した。その変身の余波だけで森が破壊され、地形が変わり、大気が揺れた。
やがて一つの生物――否、災害が形成される。
それはまさしく怪獣と呼ぶに相応しかった。
腕は太く、翼は広く、尾や首は長い。胴体とほぼ同じ長さはありそうな三つ首にある合計六つの目はそれぞれ色が異なる。
「嗚呼、全く――考えてみれば雑魚を暴れさせて敵をおびき寄せるなんて、僕らしくないやり方だった、七面倒、回りくどい、まどろっこしい! せっかく世界の敵たる力を手に入れたんだ。六人の居場所が分かったんだから、派手にぶち殺しに行けば良かったんだ。いいじゃないか、魔王らしくて。――さあ、打ち切り漫画みたいな終わり方になるかもしれないが、幕引きと洒落こもう」
燦燦と輝く黄金の鱗。比喩抜きに山の如き巨躯。その二つが合わさり、竜は大地の太陽と化していた。否、もはやそれは『竜』という枠組みにすら収まりきらない。大陸最強の生命たる竜王すら、彼の前では一介の生物に成り下がるだろう。生物の体裁を取った環境。意思を持つ天変地異。具現化された滅びそのもの。
「ギャオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオォォォ!!」
大樹海のあらゆる生物がその威容に目を潰されそうになる中、ただ一人、そのエルフは滂沱の涙とともにその光景を眺めていた。
燃え尽きたような灰色の髪と左右で色の違う瞳。レクス・セントラルの名前を与えられた大罪人。
「嗚呼、見ておられますか。偉大なる『ウンエイ』よ! 崇高なる『セイサク』よ! 御方々に託された我が使命、我が大願はここに実を結びました!」
ファイナル・グレイ。最後の灰色。
彼で終わるのではなく、彼が終わらせるという意味でつけられた名前。
ユグドラシルは自分が終わらせることができなかった。ユグドラシルは災厄によって燃え尽きるのではなく、何かよく分からない概念の上に消え去った。
顔も名前も声も知らぬ創造者たちより与えられた使命をようやく果たせた灰妖精は、高らかに謳う。
「矮小なる生命よ。ただ仰げ、絶対なる黄金を!」
目覚めるは三十三番目の災厄。即ち、最新の世界喰いにして黄昏の魔王竜。世界が消える直前、六柱の神が滅ぼした都市の守護者。
その名を『六色演目』ネロ・ネミートス――改め、大神コスモス。
ワールドエネミー、『六眼星龍』コスモス!
いざ心して対峙せよ。これこそが人類の歴史の結末。絶滅の時を六百年も伸ばしたことへの清算。神に救われたという大罪に世界が与えた天罰。
「これが世界を滅ぼす力だ! ――――まあ、もっとも、世界を滅ぼす力程度では世界を滅ぼすことはできないのですがね?」
あーあ、私知ーらね、と世界でひとりのアッシュエルフは嘯いた。