いつか神を滅ぼす日のために   作:観察者X

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夢と現と幻と

 夢だ。夢を見ている。夢だと自覚する夢。明晰夢というやつだ。夢に違いない。

 

 だって、母が――()()()()で私を見るなど有り得ない。()()()()で私を見てくれたことなど一度もない。あの人はいつだって、感情が全てなくなったような顔で、ガラス玉のような瞳をしていたはずだ。もっと気持ち悪かったはずだ。もっと敵意に満ちていたはずだ。

 

 母は私を嫌っていた。母は私にあらゆる祝福を与えなかった。不愉快でたまらなかったはずだ。本当は殺したかったはずだ。でも、私は生きている。幼い頃の私なら簡単に殺せたはずなのに。だから私は嫌われていなかった。これは私の哀れな願望だろうか。

 

 だったら、こんな表情の母も私の願望だろうか。現実だったらいいのにと思うのはワガママだろうか。

 

「■■■■■■■」

 

 誰かが私の名前を呼んだ。

 

 やはりこれは夢だ。現実の母ではない。母は私の名前を一度も呼んでくれなかったのだから。だったら、私に名前を与えてくれたのは誰なのか。そもそも、私を名前で呼んでくれる者はどれだけいたか。

 

 そういえば、人間の記憶は最初に『声』から失われていくそうだ。母の声ではないと判断できたということはあの人の声を覚えているということ。あの人の全てを忘れていないということ。我ながら滑稽など意地らしい。……それとも、本当は母の声など忘れてしまったのだろうか。

 

 私が忘れているだけで、名前を呼んでくれたことがあったのだろうか?

 

「おはようございます……」

 

 

 光景が壊れる。世界が揺れる。時間が巡る。瞼を開ける。視界が変わる。光が満ちる。そして、何かが終わった。

 

 

「……知らない天井ね」

 

 漆黒聖典番外席次『絶死絶命』アンティリーネ・ヘラン・フーシェは意識を覚醒させる。

 

 記憶にない場所にいた。自室ではない。基地の天幕でもない。というか、知らないベッドで寝ていた。存在そのものが法国の切り札であり最高機密である絶死の趣味は金にあかせて新しいものを確かめてみることだ。その絶死でも感心するほど良いベッドだ。可能ならばこのまま二度寝したいが、流石にそれはまずいだろう。

 

 自身の状態を確認する。即時に戦闘可能かと言われたら微妙だが、ダメージはそれほど残っていない。少なくとも動けないほどの負傷ではない。鎖などで拘束はされていない。鎧と靴は脱がされている。それ以外の衣服はそのままだ。……すぐそこの机に鎧と大鎌がまとめて置かれているのは目の錯覚か、それとも罠か。

 

 ふとベッドの隣を見れば奇妙な生物がいた。見覚えがある。ぼんやりする頭を振るって記憶を巡らせる。意識がなくなる最後の記憶で、絶死を眠らせたあの魔獣だった。

 

「ぷすぷす」

 

 やはり気の抜けた鳴き声だ。絶死にとっては屈辱的な敗北を想起するものだというのに、嫌悪感を抱けない。

 

「……よく見ると、可愛らしい顔をしているのね」

「ぷす、ぷすぷす」

 

 人間の言葉を理解する知性はあるようだ。明らかに絶死の言葉に「いやぁ、それほどでも」とでも言いたげな反応をした。

 

「ぷすぷす」

 

 魔獣は「ちょっと待っていて」とでも言いたげに鳴くと、器用に扉を開けて、部屋から出ていく。非常に無防備な背中だったが、攻撃する気にはなれない。攻撃しても意味がないというのが正しい。自分がどこにいるのかも把握していないのだ。そんな状態であんな魔獣一匹倒しても仕方がない。

 

 ハーフエルフという種族のおかげか、高い能力のおかげか、絶死の知覚は鋭い。その知覚が告げている。非常に強い存在が周囲にいると。転移魔法や高位の隠形が使えない絶死ではこの包囲網を抜けるのは不可能。ならば好機が訪れるまで力を蓄えておくべきだ。そんな未来を想像するだけで吐き気がする。

 

 部屋を見渡す。調度品は簡素なように見えてかなり良い物が揃っている。しかし、壁に貼り付けられた謎の黒い四角い板だけはどういうものなのか理解できない。絵画を飾る額縁にしては無骨すぎるが。窓からは霧に覆われた森が見える。高さは二階ほどだろうか。

 

「捕虜になったようね。母のような目に遭わないといいのだけど」

 

 自分で言って笑えてくる。絶死が母のようにならない可能性は極めて低い。彼女が好きな祖国ですら女エルフの捕虜に対してあの吐き気を覚える男と同じことをする。自分が女である以上、慰み者にされる未来は覚悟しておいた方がいい。

 

 ベッドから出て、机に置かれた兜を手に取る。別段異常は見られない。しかし何らかの魔法が仕組まれた可能性はあるため、安易に装備するのは危険だろう。机の上に置き直し、大鎌も同じように見る。

 

「いっそのこと、これで自害した方が楽なのかもしれないわね」

 

 そう口にするが、言うだけだ。実行はできない。国家の最高戦力である自分は簡単に死ぬべきではない。全力であがいて帰還の方法を模索する義務がある。かつての母のように助けが来るかもしれない。個人的にも死にたくない。

 

 大鎌を机に戻してベッドに腰掛ける。やはり良い寝具だ。法国に帰られることになればこれは絶対に持って帰りたいと願うほどに。

 

 部屋に気配が近づいてくるのを感じる。気配が部屋の扉の前まで来るとノックの音がする。そして、あの竜の声がした。

 

「入っていいかい?」

「ダメって言ったらどうするの?」

「君の晩飯がなくなる」

 

 本当に断れば入って来ないかは不明だ。ここで拒絶しても事態は好転しない。元々、相手の気まぐれでどうにでもなってしまう身分だ。極力従ったほうがいいだろう。それに、脱出の機会を得ても空腹で動けないのは間抜けすぎる。

 

「……入っていいわよ」

「ありがとう」

 

 白々しく言って部屋に入ってきたのは、予想した通り、あの人モドキの竜だった。記憶にあるものより楽な服装をしている。絶死の武装は手が届く範囲に置いているくせに、自分は戦闘状態ではない。これは舐められているのか。それとも単に交戦の意思がないという意思表示なのか。

 

 竜の後ろから、アンデッドとエルフが追従してくる。アンデッドは絶死が戦ったあの牛頭と紫炎と黒衣のスケルトンだ。エルフの方は初めて見るが、その左右で色の違う瞳で正体は明白だ。エルフの新王、レクス・セントラル。聞いた通り、燃え尽くたような灰色の髪をしている。その後ろから更に例の魔獣がぷすぷすと鳴きながら現れる。

 

 竜は椅子に座り、絶死と向かい合う。アンデッドとエルフはその背後に従者のように直立する。アンデッドはともかくエルフもそのような立場であることに、絶死は少々驚いた。てっきり同格か、エルフ王が上だと思っていたからだ。しかし、実際の力関係は一目瞭然だ。この情報だけでも命を懸けて最高執行機関に伝える価値があるだろう。

 

 絶死は顔に笑みを張り付ける。いつものように感情を隠す。

 

「じゃあ改めて自己紹介だ。僕の名前はネロ・ネミートス。六百年前、君たちが神と呼ぶ六人のプレイヤーに殺された弱き竜だ」

「そう。私は六大神の信徒のひとりよ。アン、とでも呼んでちょうだい」

 

 当然、本名を教えるつもりはない。立場や所属も隠す。正直に話しても『漆黒聖典』という組織の情報を彼が持っているか不明なため、伝わるかも分からない。

 

「アン、ね。了解」

 

 絶死の騙った名前を口の中で転がし、絶死に視線を合わせる。

 

 意識がなくなる前、この竜が少しだけ母に似ていると思った。具体的にどこが似ているのかと聞かれたら絶死も回答には困る。本当に、なんとなくなのだ。

 

 髪と同じ黄金の瞳は、不思議な目だ。冷たいわけではない。不気味とも違う。攻撃性もない。悪意も敵意も殺意も感じない。この男が自分に抱いている感情に心当たりがない。

 

「では、アン。分かっていると思うけど、君はあいつらへの人質になってもらう」

「……そう」

 

 彼が言う『あいつら』とは六大神のことだろう。そして、この発言からやはりこの男は六大神が法国に健在だと認識している。それは同時に、現在の法国が無事であることの証左だ。絶死の意識がない内に法国に攻め込んだのなら、六大神の不在に気づかないということはないはずだ。内心で安堵するが、それを悟らせないように笑みは崩さない。

 

「事情があって、僕はこの大樹海から出られなくてね。僕の国を滅ぼされた以上、あいつらの国を滅ぼしてやろうかと思ったんだけどさ、いやはや世の中上手くいかないものだ」

 

 やはり、現在位置は大樹海の中らしい。大樹海から出られない事情とやらが気になるが、聞けば教えてくれるような口ぶりではない。口を滑らせるのを待つべきだろう。

 

「言っておくけど、私を盾にすれば六大神様が貴方を殺さないなんて考えは甘いわよ?」

「そりゃそうだ。あいつらには僕を殺しに来てもらわないといけないんだから。あいつらに来てもらう一つの布石として、ここにいてくれるだけでいいさ。それに――いや、これはいいか」

「?」

 

 何を言いかけたのかは気になるが、蒸し返していいことかは分からない。余計な会話は慎み、必要な情報だけを聞き出す必要がある。

 

 現状、この竜には絶死を拷問して情報を抜き取るつもりはないらしい。捕虜の扱いとしては有り得ないほど温情に満ちている。感謝するつもりはないが。

 

(母と同じ立場になったと思っていたけど、結構違うわね)

 

 神と直接対峙した魔王がいることも合わせて、自分が御伽噺の登場人物にでもなった気分だ。自分を竜から助け出してくれる騎士はどこにいるのだろうか。この竜を倒せる英雄など存在するのだろうか。

 

 神に滅ぼされながら蘇った竜を殺す手段など、人類にあるのだろうか。

 

 少なくとも、人類を超えた力を持つ絶死が真正面から負けた以上、単身で勝てるものなど現在の人類にはいない。そして、圧倒的個の前では軍勢など無意味である。つまり、正攻法の戦闘でこの竜を倒す手段はない。

 

 法国にある神の遺産でどうにかできると考えるのは楽観的だと言わざるを得ない。何せ、この竜は絶死の鎧と大鎌――風の神の防具と死の神の武器を知っていたのだ。つまり、他の六大神の遺産についても知っている可能性が非常に高く、神の遺産については事実上手の内を知られていると言っていい。最秘宝ならばとも考えられるが、やはりその存在自体を知られているという危険がある。不意打ちのタイミングすら難しい。そして、法国に神の遺産以上のマジックアイテムがあるかと言われたら、答えは否だ。正しくは、この竜に――絶死を殺さずに無効化するだけの力を持つ竜に通じるだけの効果を期待できるアイテムがない。

 

 あるいは、真なる竜王ならばどうだろうか。六大神に一度は倒された事実を考えるに、現存する竜王が力を合わせれば対処できるかもしれない。しかし、この案には一つ大きな問題がある。目の前の竜の目的が法国であるということだ。潜在的な敵である評議国が、法国のためにどれだけ身を切ってくれるか。法国への敵意が判明する前にかの竜王あたりと一戦交えて、評議国にとっても明確な外敵になってもらうのが理想的だ。

 

 法国はこの竜の存在を知らない、はずだ。絶死が知らないだけで、非常にマイナーな伝承が残っているかもしれないし、スルシャーナ第一の使徒であり守り神であるえぬぴーしーならば何か知っているかもしれない。

 

「うーん。それで、どうすっかなぁ」

「ふわふわしてんな、我が本体。ひょっとして何も考えずにここに来たのか?」

「まあね」

 

 アンデッドからの問いに、一切悪びれることなく頷く竜。

 

「実際、何か考える必要があるのかよ。こういうの初めてだから勝手が分からないんだよ。まさか僕にこの娘を性的な意味でいただけとか言うわけじゃねえよな?」

 

 竜の言葉に体が少しだけ強張る。それを悟らせないために、引き続きニタニタと嗤う。その程度のことには動じないと表情で取り繕う。上手く笑えているはずだ。もしエルフ王が母にしたことと同じことをされても、ちゃんと笑ってみせる。

 

「え、俺はてっきり……」

「『てっきり』なんだこの野郎」

「てっきり抱き枕にでもするつもりかと」

 

 竜がズッコケて椅子から落ちた。派手にひっくり返っている。

 

「大丈夫か?」

「ああ。おまえの頭以外はね」

「俺の思考はおまえの思考でもあるんだから、そこを責められる謂れはねえな」

 

 奇妙な発言だが、その意味を即座に理解する。このアンデッドは竜の体から直接生み出された。おそらくは人格や思考に竜の影響を多大に受けているのだろう。親子、というよりは鏡に映った鏡像が実体化したといったところかもしれない。

 

「俺が冗談でもそういうことを言う以上、おまえにも同じ思考が多少はあったはずだ。『あー、この子、抱き枕にしたらちょうどサイズ感だな』とな」

「白骨遺体殿。本人を前に言わない方がいいとは思わないのですか? はっきり言って気色悪いですよ」

「きひひ。その感想の期待込みで言ってんだろうがよ、燃えカスエルフが」

 

 どうやらエルフとアンデッドは仲が良くないらしい。絶死にそう思い込ませる演技かもしれないが、本音ならば利用価値がある。どちらかを味方につけて脱出の糸口を掴めないだろうか。

 

「アン」

 

 竜に名前を呼ばれた。知識としてしか知らないが、迷子の子どもに語り掛けるような声音だった。

 

「君の方から何か、要望とか提案とかあるかい? 事によっては応じてあげられるけど。例えば、六大神の情報と引き換えにこっちも何か教えるとか。これから始まる監禁生活の食事や映画のリクエストとか」

「食事は任せるけど、えいがって何?」

「いや、人質の監禁生活って寝る以外にやることないからさ。退屈させても悪いし、そこのテレビで映画でも見てもらおうかと思ったんだけど」

 

 竜が指さす方向には、絶死には部屋の調度品で唯一使い方が想像できなかった黒い板がある。あれが『てれび』のようだが、あれを使って『えいが』を見るというのは具体的にどういうことなのだろう。

 

「だから、『えいが』って何? そこの壁に張り付いている黒い板が『てれび』なの?」

「そこからかよ。スルシャーナに見せてもらったことないのかい?」

 

 絶死の普段の仕事は神殿の最奥部の守護だ。そこには六大神の遺産も含まれるが、その中にそれらしいものがあった記憶はない。

 

「ないわね」

「そっか。あいつら娯楽も教えずに何やってんだ。もしかして持ってないのか、映像再生系アイテム。それか六百年の間に壊れた? だとしたら僕も大切に扱う必要があるか。それか文明を発展させれば作れるようになるか? せめて白黒の活動写真を百年くらいで作ってみたいけどなぁ。具体的にどういう技術と資材が必要なんだ……?」

「おい、馬鹿本体。妄想にトリップするのはいいけど、後にしろ。この娘に映像作品の面白さを教えるのが先じゃねえか?」

「それもそうか。よし、沼にはまってもらうことにしよう。やはりオタクとして素人への布教は大好物だ」

 

 竜が虚空に手を伸ばしたかと思えば、手首から先が消えた。しばらくすると何もないところから、竜の手首と薄くて小さな円状の物体が出現する。

 

「じゃあ細かい説明は後回しにして、一緒にこいつを見ようぜ。我が雪月花劇団の記念すべき初作品『セラフィムマン』」

「せらふぃむまん?」

 

 聞きなれない単語が続いて反芻するしかない絶死に対して、竜は楽しそうに笑った。『てれび』なる黒い板に近づくと、円盤を横側から押し込む。元々そういう作りになっているのか、特に何かが壊れる音もなく、円盤は板に飲み込まれた。

 

「ちなみに、僕もスルシャーナもいい役で出てるぜ。他のメンバーはまだ入ってなかったりモブだったりするからあんまり分からないと思うけど。いやぁ、あの頃は全員大根だったなぁ。ギルマスだけ気合入りすぎて逆に浮いちゃってんだよね」

 

 そう言う竜の顔は輝いていた。美しい何かに浸るように。尊い何かを眺めるように。それはスルシャーナの名前を口にした時も同じだ。間違っても自分を殺した相手の名前を言うような顔はしていなかった。

 

 この男がスルシャーナを憎んでいるのは間違いない。自分を殺されたのだ。自分の国を滅ぼされたのだ。その上で自分を殺した相手は神になっていたのだ。憎んでいないはずがない。だが、同時にそれだけではないのだろうと気づく。

 

(愛憎半ばってやつ? この情報を本国が知ればやり方次第では交渉が可能? 脱出は無理でも、連絡だけでもどうにかしたいわね。せめて生存くらいは伝えたい)

 

 やがて『てれび』の色が変わる。文字らしきものが浮かび上がってくるが、絶死には読めない。六大神の使用したとされる古い文字に似ている気がする。つまり、これはユグドラシルの文字だろうか。

 

「それではお嬢様、お暇を拝借。これよりお見せするのは未熟だった我らのつたない芝居。古く偉大な神話に憧れ、その形をなぞっただけの英雄譚。どうぞ寛大なお心でご笑覧ください。最後に、拍手の一つでも頂ければ幸いです」

 

 あくまで結果論に基づいて言えば、アンティリーネ・ヘラン・フーシェはこの竜に捕まって正解だった。彼女がネロ・ネミートスの元にいたというだけで、救われた命は間違いなくあったのだから。




六大神の遺産の中にテレビやDVDプレイヤーがあるのか、そもそもユグドラシルにそういうアイテムがあるのかはわかりませんが、拙作では『ユグドラシルにはあったけど、六大神は持っていなかったOR時代と共に失われた』という設定でいきます
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