いつか神を滅ぼす日のために 作:観察者X
深夜の大森林で、その男――ネロ・ネミートスはボリボリと「九曜の宝珠」を咀嚼する。世界一つと同じ価値がある財宝を、本来食べ物でもないそれを、現状の問題全てを無視して嚥下する。
「うーん。ワールドアイテムっておいしいなー。もぐもぐ」
ユグドラシルプレイヤーが聞けば漏れなく卒倒するようなことを宣いながら、口の中に一欠片も残さず、すべてを腹に収めたところで、ネロは現実逃避をやめた。
「落ち着け、僕。何事もクールに対処しよう。自分が馬鹿であることを忘れず、問題を明確化し、できることから解決していくんだ」
必死に自分に言い聞かせるネロ。
「まず、おまえは誰だ?」
十代半ばがするような自問自答。かつてギルドメンバーと似たような遊びをしたことはあるが、状況が違い過ぎる。
「佐倉晴明……ではないんだろうな。そもそも、人間じゃないっぽいよな」
自意識は一般日本人男性の佐倉晴明だ。しかし、現実は「おまえはネロ・ネミートスだ」と告げてくる。
まず、容姿が違う。染めているわけでもないのに金髪で、カラーコンタクトをはめているわけでもないのに黄金の瞳だ。どちらも月や星の光を反射しているわけでもないのに、それ自体が発光しているような輝きを持っている。
体格のシルエットは変わらないはずだが、地面との距離が若干遠くなっている気がするため、身長はこちらの方が上だろう。加えて、服の下の筋肉がかなり硬い。いや、筋肉だけではなく爪や髪の毛まで金属のような強度を持っているように思える。
筋力や脚力もそうだ。軽く体を動かしてみたが、明らかに性能が高い。佐倉晴明としてではなく、人間としての性能に収まっていない気がする。無論、ネロは人間の限界としての性能を数字としてしか知らないが、機器で数値化するまでもなく国家代表選手よりも高い身体能力であると断言できる。
何より、人間の肩に口などないだろう。しかも左右に一つずつ。よく見れば、体の所々に鱗模様の痣がある。
それから、舌が異様に長い。引っ張れば胸元まである。どうやって口の中に収容しているのかわからないが正直気持ち悪い。
「ネロ・ネミートス。竜人。陰陽師。『六色演目』。クラン『お花見一座』副長にしてギルド『雪月花劇団』の一員にして最後のひとり。劇場都市コスモスウェイを守れなかった敗北者。そして、最初で最後の世界喰い、か」
己のプロフィールを思い出すネロ。
「そうなんだよなぁ。これがユグドラシル、ゲームが現実化したってだけなら話は早いんだけどなぁ。理屈は不明でも納得はできる。でも明らかにユグドラシルじゃないっぽいんだよなぁ」
コンソールは開かない。GMコールを始めとしたあらゆる機能が使えない。魔法やマジックアイテムは使えるようだが、連絡する魔法で知り合いに語り掛けても応答はない。
「でもここがユグドラシルじゃないなら、どうして僕は『ネロ・ネミートス』の姿なんだ? 聞いたこともないけどユグドラシル2なんて可能性は……まあないかな」
現状の全てはここが仮想現実ではないことを証明している。風が頬を撫でる感触が、空を覆う星々の輝きが、草木の青々しい匂いが、未だ舌に残る宝珠の後味が、獣の遠吠えや虫の囁きが、ネロが五感で認識している全てが仮想現実では有り得ないものだ。
技術的に可能かは置いて、運営が新型の違法実験をしている可能性は些か低い。利点が何も思いうかがない。大企業を相手に裁判で勝てるような権力も財力もないが、実行すれば世間からの非難は必至である以上、最初から考慮すべきではないレベルだ。謎の契約書にサインをした覚えはない。
「僕だけがこうなっているのはまあ、ねえよな。こういうのは同じゲームのプレイヤーが同じように飛ばされているのが定番だ。……定番だよね?」
こういう状況に陥った時、どうすればいいのか。ギルドメンバーが薦めてきた異世界転移ものの小説を読んでおけば良かったか。微妙に食わず嫌いをしていた過去の自分を叱責したい気分だ。
安直だが、同じ状況下にあるプレイヤーの条件は、ユグドラシルサービス終了直前までログインしていたことだろうか。時計を見ればすでに日を跨いでいる。おそらくビルド調整に熱中している間に日付が変わってしまったのだろう。
「おーい、スルシャーナ。近くにいたら出てこいよー。今なら一回殺すだけで許すぜー」
旧友、否、仇敵の名前を口にする。無論、応答はない。
「いねえならいねえって言えや! あの腐れ骸骨が! 二十回は殺さないと気が収まらないね!」
ツッコミがワンテンポ遅れてやってくるのではないかと身構えるが、応答する者はいない。ここには誰もいない。ネロだけだ。
ネロ・ネミートスは一人だ。これからもずっと独りだ。
「……夜が明けるのを待つか。夜目は効くみたいだけど、あえて動き回るのもマヌケだ」
真の孤独は町の中にあると言うが、ネロの現状はその言葉に反していた。森の中でも真の孤独とやらは味わえるのだ。
大地の上に寝転がり、瞼を閉じる。ふと「あ、これ寝ている間に野生動物に食べられない? コテージでも出せばよかった」と思ったが、眠気が勝った。
死んだときは、そのときだ。
そういえば仕事に行くこともできないから逆説的に幾らでも眠れるなあ、と寝ぼけたことを考えながら泥のように眠った。
しかし、朝日が大地を照らすより前に、ネロは目を覚ました。
特に身に危険が及んだわけではない。否、危機と言えば危機だ。外敵の襲来以上の危機。生物として最も根源的な危険の一つ。
「――お腹が、すいたな」
空腹。飢餓。闘争や病気に並んで、生物の死因の多くを占めるもの一つ。
ネロの種族は竜人だが、種族レベルを構成しているものの一つに
そのデメリットの一つが、食事量の増加だ。そして、これはアイテムなどで無効化・軽減ができない。まさに死活問題だ。
「インベントリから何か出してもいいけど、ちょっと探してみるか?」
なんとなく新鮮な肉が食べたい気分だ。現実世界で口にしたことなど一度もないが。
■
人によっては樹海とも言えるほど広大なエイヴァーシャー大森林。ここには、
一見すると熊に近いが、実際は大きく違う。まず、前足二対四本と後ろ足二本、つまり足が六本ある。尻尾の先端部分がハンマーのように膨れ上がっていることや体の大部分を鱗が発達した装甲で守っていることも大きな特徴だろう。
広い樹海の中では決して最強種というわけではないが、例外はいる。
通常の
夜が明けると同時に、それは侵入者の存在に気付いた。
自分の縄張りに何かが入ってきた。それは自らが絶対的な強者であることを自覚している。だからこそ、そこに入り込み我が物顔で歩いていることを許すわけにはいかない。それに、ちょうど腹も減っている。無視する理由など一つもなかった。
嗅いだことのない匂いだ。少なくともこの近隣にいる生物の匂いではない。どこかの縄張りから追われてきたのか、縄張りを持たない流れの生き物なのか。どちらでも良い。殺して食べてしまえば同じことだ。
それは
匂いが強くなる。大きな動きがないということは此方に気づいていないということだ。注意深く匂いの近くまで近づいていく。ギリギリまで相手に気づかれないように。
限界まで近づいて、それは一気に駆け出した。
匂いの元がいた。何やらキラキラと光る奇妙な生物だった。形は、前に木の上にいた生物に近い。色は違うが似たような種族だろう。それほど食べ応えがある大きさには見えないが、腹ごなしにはちょうどいい。この距離ならば逃がしはしない。
しかし、それは違和感に気づく。餌であるはずの相手は自分から逃げようとしない。近づいた時と違って今は全力で走っているため足音も大きい。気づかないはずがなく、同族でもないのに自分に恐怖しないはずがない。まさか恐怖で動けなくなっているのか。
それの考えは間違いだった。それは捕食者ではなく餌であり、目の前の生物こそが絶対的な強者であり捕食者なのだから。
「――■■■」
それは間違いに気づくことなく死んだ。だが、それは間違いなく幸運だった。
「ごはんが向こうからやってきた……気前のいい森……美味しそう、いただきマス」
自分が殺されたことにさえ気づかず死んだのだから。生きたまま貪られることなく、その生を終えることができたのだから。
■
「……あれ?」
気づけば、ネロは血まみれになっていた。
ただし、彼の身体や服を染めている鮮血は彼自身のものではない。目の前に広がる熊のような魔獣のものだ。
そう、先程仕留めた熊のような魔獣は広がっている。
非常にお行儀悪く食い散らかしたネロのせいで。毛も装甲も爪も骨も内蔵も肉も食い荒らされてバラバラになっている。明らかに可食部位ではない装甲や尻尾のハンマーに噛み砕いた痕跡がある。自分の仕業とは思いたくないが、状況証拠は言い逃れできないレベルで揃っている。
「飢えた獣か僕は。いや、そもそも熊を生で食うなよ。鮮度は抜群だけど熊って生で食える生物じゃないはずだろう。しかも食べている間の記憶がないって……。人間どころか知的生命体をやめるんじゃないよ」
文字通り、我を忘れて食事に没頭していたわけだ。
しかも熊なのか何なのかよくわからない生物を吟味することなく、殺した直後、調理の一つもせずぐちゃぐちゃに食べ散らかした。カラスや野良猫ですらもうちょっとマシな食べ方をするであろうと言いたくなるような惨状だ。
「というか、こいつって本当に食べて良かったの? 誰かが飼っているとか、保護指定生物とか、ないよね? 全く知らない生物すぎる……」
まず、ユグドラシルのモンスターではない。ネロ・ネミートスはサービス開始から終了までの間、三日ログインを空けることはなかったガチ勢だ。このようなモンスターに見覚えはない。無論、出現エリアが限定されている超レアモンスターの可能性もあるが、それにしてはレベルが微妙な気がする。
また、現実世界の生物ではない。食べ尽くしたため記憶に頼るしかないが、この生物は足が六本あった。熊に酷似していながら四肢ならぬ六肢なのだ。そして、この生物には骨がある。つまり、脊椎動物なのだ。脊椎動物が四肢ではないなど、進化論を始めとした生物学に喧嘩を売る生態である。
「いや、僕ほど生物学に喧嘩を売っている存在もそうはいないだろうけど」
ネロは自分が動物博士などと宣うつもりはないが、その手の分野に詳しい仲間と議論を交わしたこともある。その中には『ユグドラシルのモンスターはどの程度現実的か』という無粋な内容もあった。その中でも特に一致した意見が『頭部が複数ある生物など有り得ない』だった。
タコなど脳みそが複数ある生物は存在するし、全身が舌のように味覚を感じる生物もいるが、耳や目、口などを含めた「頭」のような機能が複雑なものをいくつも持っているなど生物としてコスパが悪すぎるという意見が大多数を占めた。
そして、ネロの完全異形形態は頭部が三つある。人間形態であっても両肩に口があるのだ。唇があるだけではなく、舌や歯まで揃っている。完全異形形態になった場合、両肩から首ごと生えてくる頭部には脳みそが詰まっているのだろうか。議論をしていた頭部もそこを突っ込まれたものだった。
そこまで思い出してまさかと思い、右肩を見る。服がはだけて血まみれになっていた。反対の左側も同じだ。当然、自分の血ではなく熊型魔獣を食事中についてしまったものだろう。
「ああ、思った通り、こっちの口でも食べてるのね……いや、ザッハークの逸話を考えるとむしろ肩の口で食べているのは正しいのか? でもユグドラシルの魔獣の生態って原典に沿っていたりそうでなかったりするからな」
思わず肩の口から舌を出し、血を舐めとる。別段、この口が自分の意志と無関係に動くということはない。通常の口と同じように、ネロの意志によって動く。食事はできるが発声はできない。あくまでも食べる専用の口ということになる。
つまり、喋りながら食事をするという本来ならお行儀の悪い行為が問題なく行える。非常に強烈なビジュアルになる上、結局お行儀が悪いという結論に至りそうだが。
「閑話休題。ユグドラシルのモンスターでも現実世界の魔獣でもない生物がいる以上、ここはやっぱり未知の世界と考えるべきなのか? それとも、ユグドラシルとは別のゲームの中とか」
もしもそうならば、何故、自分はここにいる?
まさか、罰とでも言うのか?
昨夜のことを思い出す。記憶や時間が飛んでいない限り、あの六人との戦いは昨夜のはずだ。まだ十二時間も経過していないのに遠く昔のことのように感じてしまう。現状が償いの巡礼だと言うのならば喜んで受け入れよう。だが、誰かの悪意だと言うのならば一言言わなければならない。
こんなろくでなしの物語を続けさせてどういうつもりだ、と。
「知的生命体だ。やはり知的生命体に出会う必要がある。進化した猿でもタコ型エイリアンでも恐竜人類でも人類を淘汰したロボットでもいい。SAN値チェックが必要な外宇宙の神でもない限りは大歓迎だ。ここが密猟者は問答無用に殺すレベルの特別保護自然公園でないことを祈る」
そこまで考えて立ち上がったネロ。せめて熊の亡骸を地面にでも埋めてやろうかと思った。だが、中止した。すでに蟲や小さな肉食動物も集まってきている。大きめの動物の姿は見えないが、熊を殺したネロを警戒してのことだろうか。それとも、この熊がこの近辺を縄張りにしていたからだろうか。
「……まあ、自然に還った方がいいか。じゃあ小動物諸君、僕の食べ残しを綺麗にしておいてくれたまえ」
ちなみに、近くの村に住むダークエルフがこのアンキロウルススの死骸を見つけて大騒ぎになるのがそれは別の話。