いつか神を滅ぼす日のために   作:観察者X

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『地獄』に神を見る

 スレイン法国とエイヴァーシャー大森林の境界。

 

 この地は本来、エルフの国に出兵する軍人くらいしか訪れないはずの場所だった。軍が基地を置くような場所に山賊や冒険者等が近づくわけもなく、少なくとも一般人は近寄ることのない。

 

 だが、ある日を境に軍人以外の人間も多く訪れるようになった。あの日――神の敵たる巨竜が襲来し、神の加護の前に尻尾を巻いて逃げた日に出来た破壊の痕跡。まるで世界を滅ぼす天変地異の如き災厄が暴れ、しかし偉大なる神の加護によって遮断された。あの奇跡の痕跡を見ようと、人々はこの地を訪れるようになった。

 

 情報伝達の遅い世界だ。最初は耳の早い近隣の都市に住む好事家や信仰心の熱い神官くらいだった。しかし、日を重ねるごとに人の数は多くなる。今となっては立派な観光地となり、遠方――他国からわざわざ来訪する者も数えられないほどになった。

 

 境界線の前にいる、整った顔の優男も神の奇跡を見るために訪れた一人だ。

 

「――神よ」

 

 彼の顔からは普段浮かべている柔和な笑みが消え、歓喜の涙をその両目から溢れさせた。片膝をつき、忠誠の礼を取る。誰への忠誠かなど語るまでもない。偉大なる神々に対する忠誠であり信仰だ。

 

「おお、神よ」

 

 この奇跡を見て、神の存在を疑う者などいない。この光景に触れて、神の威光を理解できない者などいない。この御業を知って、神の慈悲に感謝しない者などいない。

 

 奇跡の壁を見れば深い信仰心を持つ者でさえ己の敬虔さを恥じる、などという話がある。これを聞いた時、彼は普段から神への信仰が足りぬからそのようなことになるのだと呆れていた。最高執行機関の面々も同じことを言うのだから失望の念さえ覚えたものだ。しかし、それは間違いだった。嘲笑されて然るべきなのは自分だった。他者から度々狂信者と評価される彼でさえ例外ではなかったのだ。むしろ信仰心が厚いからこそ、この光景を見れば感極まってしまう。

 

「神よ――!!」

 

 彼の名はクアイエッセ・ハゼイア・クインティア。『一人師団』の異名を持つ、『漆黒聖典』第五席次の地位を与えられた男である。

 

「皆様の愛は、慈悲は、加護は今もなお人類を守ってくださっているのですね……!」

 

 彼の言動を大げさと笑う者はいない。少なくとも、この場にはいるはずがない。この光景――大森林に残る破壊の痕跡と、それが線を引いたように遮断されている地平を見て、神の御業だと思うのは自然なことだった。

 

 まして、この破壊が『神の敵』によって齎されたのならば一層、神への信仰を捧げるというものだ。

 

 大神を僭称する巨竜コスモス。六大神に滅ぼされたと言いながらも、その存在は誰もが知らなかった。でっち上げでなければ、記録に残す価値もないほど矮小な存在だったのかと推測するだろう。しかし、この光景を見た者ならば逆の可能性も考えるはずだ。――あまりにも強大すぎて、神話に残すべきではないと判断されたのだ、と。

 

 だが、コスモスの脅威度はそのまま六大神の偉大さの証明ともなる。故にこそ、この場を訪れた人々は祈るのだ。神の絶対さの前に跪くのだ。

 

「…………」

 

 クアイエッセの狂喜を尻目に、漆黒聖典の隊長たる第一席次は空を仰ぐ。

 

 隊長とクアイエッセがこの場にいるのは漆黒聖典としての任務だが、目立つわけにはいかないため一般人に扮しての行動だ。歓喜の涙を止められないクアイエッセを咎めるつもりはない。彼ほどではないにしても、周囲には彼と似たような反応をする信徒も大勢いる。それほど目立っていない。

 

 謎の吸血鬼の襲撃により、漆黒聖典は破滅の竜王の支配という重大任務に失敗した挙句、隊員二名を死なせてしまった。エルフ王を殺しているであろう番外席次から何を言われるかと気落ちしながら帰還した隊長に告げられたのは、番外席次の敗北・行方不明と巨竜の襲撃、そして『奇跡の壁』だった。

 

 当初は信じられなかった。コスモスという巨竜の存在も、その侵攻を防いだという奇跡の壁の噂も。そして何より、あの自分より強い番外席次が敗れ、彼女を倒した竜人ですら前座に過ぎないなど。

 

 だが、この光景を見てしまえば納得せざるを得ない。所詮、自分たちは神の血を引いているだけで、神そのものではないのだと自覚した。あくまでも自分たちの力など、神の力の一端でしかないのだと。神が戦っていた存在とは、まさに天災の如き魔王だったのだ。

 

 分かっていたはずだ。自分より強い存在がいる。番外席次に初めて出会い、惨敗した時に嫌と思うほど思い知った。彼女より強い存在の可能性を全く考えたことがなかったと言えば嘘になる。

 

「それでも、これはあんまりではないですか……」

 

 視界の大部分に『地獄』が広がっていた。

 

 底が見えないほどの深く大きな地割れ。嵐でなぎ倒されたような巨木の数々。間欠泉のように溢れるマグマ。不気味な煙を上げる水流。燃えるものがない場所で燃え続けている業火。溶ける気配のない山のような氷塊。巨人すら矮小に感じるほどの巨大な足跡。それらすべてが見えない壁で遮断されたように、ある直線状から途切れている。

 

 これがすでに一か月以上の時間が経過していた巨竜の攻撃の痕跡など信じられない。法国が百年近い時間をかけて作った『道』があったなど想像もできない。

 

 勝敗だの戦闘だの、そんなスケールで考えていいような相手ではないだろう。自分たちと相手には虫けらと巨人ほどの差がある。神の偉大さは実感できるが、その神ですら完全に滅ぼすことができない相手が件の巨竜なのだ。その恐怖を想えば、クアイエッセのように狂信に耽ることもできない。

 

 神人たる隊長は他の人間よりも神に近い。だからこそ、自分と神の隔絶された距離を認識することに、他の人間よりも衝撃を覚える。コスモスに囚われの身となっている番外席次も同じだろう。

 

 隊長の個人的な感想だが、最高執行機関は浮かれている。神の奇跡を目の当たりにして、神の不始末を自分たちが片づけられるという名誉に恵まれて、舞い上がっている。本人たちに自覚があるか分からないが。やはり彼らも法国の人間だ。宗教国家の中枢にいるに相応しい信仰を持つ以上、ぷれいやーという脅威に対して、神の威光で目が眩んでいる。

 

 自分の何倍も人生経験にある彼らに対して余計な心配かもしれないが、どこかで致命的な失敗をするのではないかと気が気ではない。

 

 巨竜以外にも、土の神殿を襲った謎の爆発、陽光聖典を殲滅させた魔法詠唱者アインズ・ウール・ゴウン、漆黒聖典が遭遇した吸血鬼と解決していない問題は山積みだ。最高執行機関の中にはこれらが繋がっているのではないかとの考えもあるそうだが、流石にすべてが繋がっているということはないだろう。

 

「今は、任務をこなすだけですか」

 

 今回の任務は法国としても人類としても非常に重要な内容だ。本日この場をバハルス帝国筆頭宮廷魔術師フールーダ・パラダインが訪れる予定になっている。隊長たちの任務の内容は彼を含めた帝国一行の影ながらの護衛だ。

 

 本来であれば帝国最強の戦力が外国に出るなど滅多にあることではない。しかし、法国が各国にコスモスの脅威を呼び掛けた結果として、帝国はフールーダをこの一件の責任者に抜擢した。脅威を察知できたというよりは、法国が明け透けなほど助力を求めた結果だろう。

 

 フールーダは逸脱者だ。神人を除けば漆黒聖典のメンバーよりも単純な能力値は高いだろう。彼を傷つけられる者など世界を探してもそうはいない。だが、ぷれいやーは別だ。神の力を持つ存在は何事においても例外だ。

 

 コスモスは大森林から出られないようだが、彼の従属神はそうではないらしい。精強な黒衣と紫炎を纏った牛頭のスケルトン、リバス。そのアンデッドは大森林の外にある基地を襲撃した。姿を見せたのは一度だけだが、その一度が問題だった。

 

 思惑があって一度だけの襲撃だったのか。何か『奇跡の壁』のような制限があったからこその一度だったのか。

 

 最高執行機関からは『奇跡の壁』の正体につながる何かが見つかれば即座に報告するようにという命令も受けている。しかし、マジックアイテムにも信仰系魔法にも疎い隊長では何も見えてこない。

 

「クアイエッセ。そろそろ時間だ」

「っ……。ええ、分かっていますよ、隊長」

 

 心底不服だろうが、すぐに普段の柔和な笑みを浮かべるクアイエッセ。神への狂信は漆黒聖典の中でも特出すべきものだが、だからこそ彼は常に冷静だ。

 

「万が一、件のアンデッドやエルフ王が出た場合は我々の判断で戦闘になっても構わないと言われている。無論、マジックアイテムで正体は隠すことになるが」

「理解しています」

 

 フールーダが来るまでの間、神の力、否、ぷれいやーの力について考える。六大神と巨竜コスモスの戦いを夢想する。

 

 果たして、神はどのようにして魔王を滅ぼしたのだろうか。

 

 自分たちも同じように魔王を倒せるのだろうか。――神はどこにもいないのに。

 

 

 

 

 度肝を抜かれたとは、まさにこのことだった。

 

「これは何とも……」

 

 バハルス帝国宮廷魔術師筆頭フールーダ・パラダインの長い人生において、これほどの衝撃を受けたことはなかっただろう。

 

 魔王が齎した破壊と、それを防いだ神の奇跡。どんな自然災害にそんな御大層なハッタリをつけて喧伝しているのかと内心で嘲笑していた。しかし、この場に来たことでそんな余裕は消え去った。

 

 人間の想像力の限界を教えるような『地獄』が広がっていた。

 

 自分が全力で魔法を行使してもこの百分の一も再現できないであろう。

 

「ふ、フールーダ殿」

 

 共に来ていた四騎士のひとり、『激風』ニンブル・アーク・ディル・アノックが震える声で自分のことを呼んだことに気づいて、顔だけを其方に向ける。

 

 帝国でも指折りの騎士である彼の顔は恐怖で引きつっていた。彼だけではない。今回の法国訪問で同行していた帝国の人間のほぼ全員が同じような顔をしていた。一部、周囲の法国民のように祈りを捧げている。

 

 今回、フールーダは法国という国家に要請されて訪問している以上、皇帝ジルクニフの名代として来ているに等しい。つまり、同行した者たちも一人の例外もなく帝国の威光に恥じない者ばかりだ。フールーダの自慢の高弟もいる。そんな者たちをしても、この光景に恐怖や驚愕以外の何を感じればいいのか分からない。

 

 これは人間が関わるべき案件ではない。人間に何かができるはずがない。一刻も早くこの場から逃げて、この事態を軽く考えているであろう皇帝に真実を伝えるべきだ。誰もがそんな風に考えていた。決定権を持つこの男以外は。

 

「神が滅ぼした竜が復活した、か。あながち嘘でも出鱈目でもないのやもしれぬな」

 

 この光景を作り出した存在の底知れなさを理解してなお、フールーダは恐怖よりも興味が勝った。自分の知らない世界、自分では手が届かない領域にいる何かの手がかり。それはフールーダが求めてやまなかったものだ。

 

 もしかしたら、自分はようやく見つけたのかもしれない。生涯探し求めた魔法の深淵を覗くヒントを。であるにも関わらず、何も得ずに帰るなど冗談ではない。

 

「さて、法国からは当時現場にいた参謀や兵士から話を聞けることになっているがどのような証言が聞けるのか」

 

 数刻前まではどんな作り話を聞かされるのかと辟易していた。だが、実際に聞かされるのは真実なのであろう。多少の誇張も入るのかもしれないが、真実と嘘も見抜けぬほどに出鱈目な話を聞かされることは間違いがない。

 

「かの竜の力、是非とも我が眼で見定めたいものよ」

 

 フールーダの目は特別な能力を有している。見た相手の魔力を使用可能な最大位階を含めて見抜く事が出来るというものだ。簡単に言えば、相手が魔法詠唱者としてどの次元にいるのかを一目で理解できるのだ。

 

 当然、自分より上の位階魔法を使用できるものを見たことはない。もしかしたら、巨竜コスモスが使用する魔法は位階魔法よりも古き竜王たちが使う『始原の魔法』に近く、自分の目で見ても判定は不可能かもしれない。それでも、と期待はせずにいられない。

 

 今回、皇帝の同行がなくて本当に良かったと思う。あらゆる決定権が自分に与えられていることに感謝しかない。虚偽や隠匿などできるわけがないため、次に訪れる時があれば間違いなくジルクニフも来るだろう。多忙を極める皇帝だが、これは本当に人類の未来を決める案件だ。無理を通すしかないと判断するはずだ。

 

 つまり、フールーダがコスモスに自分の望む形で接触する機会は今回で最初で最後かもしれない。これを逃してなるものか。

 

「こうなると、王国の選択が本当に愚かだったと言わざるを得ぬな」

 

 バハルス帝国と戦争状態にある隣国、リ・エスティーゼ王国。

 

 内通者の話では、かの国にも帝国と同じように法国から書簡が届いたそうだ。しかし、王国はこれを対岸の火事として協力しない姿勢を取っているという。それだけならば非難するつもりはない。帝国も法国に貸しを作るために動いているようなもので、今日この瞬間まで本気ではなかった。

 

 だが、エルフに逆転された法国だけではなく参戦を検討している帝国を見下しているらしい。内心では、毎年恒例の戦争がないかもしれないと胸を撫で下ろしているだろうが。

 

 そんな状態の王国が使者など派遣するはずもない。そもそも、王国の者がこの光景を見たところで、その脅威を国に正しく伝えられるとは思えないが。どれだけ真剣に説いたとしても御伽噺を聞いたように笑うのだろう。あの国の貴族はそういう者たちだ。

 

 決して間違いではないのだ。それが普通だ。常識的な反応だ。しかし、普通ではこの大災害を相手に生き残るなど不可能だ。

 

 法国は軍隊の壊滅で思い知った。帝国はこの段階で気づけた。王国が知るのはまだ先になる。そして、これは致命的な差になると、政治に疎いフールーダでも理解できる。

 

「そういえば、アンデッドも出たそうだな。竜もいいが、私としては其方にも興味が――」

「――――ほう? そいつは嬉しいな、爺さん。本体だけじゃなくて俺のことも気にしてくれるとは」

 

 突然の声。

 

 見れば誰もいなかったはずの正面に、形を持つ絶望が立っていた。

 

「騒がしいからもしかしたら六大神かも、と来てみれば違ったか。どこまでも腰の重い連中だ。まあ、それなりに偉そうなやつだから良しとするか。まずまずの演目には仕上がりそうだ」

 

 頭部は牛の骸骨。首から下の形状は人型。多くの者はミノタウロスのスケルトンだと判断するだろう。だが、身体も衣服も紫の炎で包まれているのならば、ただのスケルトンとは思わないはずだ。

 

 紫幽王リバス。

 

「はじめまして。我こそは魔王の心臓!」

 

 骨だけの顔だというのに、その怪物が笑っているのは嫌でも伝わった。その場にいた誰もが理解した。これこそは生命の敵であり、神の敵であり、人類の脅威であると。

 

 そして、その邪悪な存在を見て、フールーダは涙を流しながら五体投地をした。

 

「わ、私を――」

 

 涙は恐怖だと認識した。地に伏せたのは心が折れたからだと判断した。

 

 あまりにも早い降参の体勢に、リバスは一瞬で失望した。力量の差を理解できる賢さはいい。だが、あまりにも心が折れるのが早すぎではないかと。

 

「命乞いかよ。聡明なのは美徳だけど、こんな展開は観客が白けちまうだろうが」

 

 落胆するリバスに、フールーダは予想の斜め上の台詞を口走った。

 

「私を貴方の弟子にしてください!」

「おい、爺さん。正気か? 俺はアンデッドだぞ?」

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