*過去捏造
自分は所謂『変な奴』だ。小学五年生の春、久川凪はそう自覚させられた。
「凪ちゃんさ、もうちょっと普通に話したら?」
丁度その日、妹である颯が風邪で学校を休んでいた。凪はお姉ちゃんだから一日くらい離れ離れになっても大したことはないけれど、寂しくないと言えば嘘になる。それを見計ったわけではないだろうが、担任の先生は昼休みに凪を呼び出した。
職員室のドアは他の教室と変わらないはずなのにやけに重かった。ここに生徒が呼び出されるのは大抵怒られる時だ。
「失礼します......。」
喉も縮こまってうまく声が出なかった。職員室は思いの他静かで、自分の足音が響くたび場違いな気がして辛かった。
落ち着かない空間の中心で、より一層険悪な空気を纏っているのが凪の担任だった。本人はセンシティブに思っている極度の肥満体型だって、子供からすれば大きいと言うだけで十分すぎる威圧感だ。彼がため息混じりにキーボードを叩くたび、凪の話しかけようとする勇気が擦り減っていく。それでも振り絞って話しかけた矢先に出てきたのが冒頭の発言である。
「普通とは何ですか。凪の話し方はへんですか?」
「いや、変とは言わないんだけどさ。はぁ......ちょっと気持ち悪い......って思う人もいるだろ。子供なんだからもうちょっとあどけなく話せないの?そんなんじゃいつかいじめられても知らないよ。」
『子供なんだから』。『気持ち悪い』。担任の言葉に含まれているのは自分の感情ばかりで、そんな言葉を快く受け取れられるはずがない。
「......し、しかしですね。凪は凪なりに......」
「だから、そういうのやめようって言いたいの。あと目を見て、ちゃんと僕と向き合って話してよ。僕は真剣なのに、失礼じゃない?」
担任の先生はいつも眉間に皺がよっていて、機嫌が悪い日はすぐに怒鳴った。そんな人物に幼い子供が真正面から向き合いたいと思えるだろうか?
何も言い返せないまま、凪は足元から視線を動かせずにいた。職員室には会話がない。二人が沈黙する中、聞こえてくるのは他の先生がキーボードを叩く音ばかり。頭上からの苛立たしげに唸られて、凪は肩を震わせた。
「......いいけどね別に。先生はお父さんじゃないから。そんなに先生が嫌いなら帰りなさい。ほら出て行きなよ。」
「......っ。」
失礼します、と言おうとしたが、凪の喉はつっかえて言葉を出してくれなかった。無言のまま、逃げるように職員室を後にした。
ドアを閉めても職員室から声が聞こえてくる。
「ついに言ってやったのね。正直前から気持ち悪かったのよあの子。」
「ねー、悪い意味で大人びてるっていうか。無理だわ〜あの話し方。ああいう子が猫とか殺したりする頭おかしい子になるんでしょうね。」
「あの髪の色も染めさせたいな。モンペが乗り込んできて地毛だってことにさせられたんだよ?」
凪はへたり込みそうになる足に必死に力を入れなければならなかった。
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五時間目は前から楽しみだった家庭の授業だというのに全く身が入らなかった。HRが終わっても昼休みに受けた罵倒がずっと頭にこびりついて離れない。
『子供なんだから』『気持ち悪い』『もうちょっと普通に話せない?』
凪は物心ついた時からずっとこういう話し方だ。これこそ『久川凪』という一人の少女の個性が表出する部分であり、多感な少女にとってそれを否定されるのは人格を根本から否定されるのに等しいだろう。こうして幼い頃に自我を否定された少年少女は自尊心を失い、常に他人からの評価を気にする大人になりやすい。凪も今きっとその分水嶺に立っていた。
上の空のままにランドセルに荷物を詰めていると、友達が話しかけてきた。
「ねーねー凪ちゃん!一緒にかーえーろ!」
「ええ、帰りましょ......。」
そこで不安が過った。いつも通りに話していいものかって。凪に『ふつう』の話し方が分からないという訳でもない。
「うん、帰ろ!」
「?うん?凪ちゃん、話し方変わった?」
「そう......だね。だって、気持ち悪かったでしょ?」
「えー?たしかに、変だったかも!......どうしたの?」
「ううん、何でもない。行こ。」
それで凪は思ってしまった。ああ、自分は気持ち悪かったんだって。変なのはダメだ。何がダメなのかはわからないけど、きっとダメだ。だから先生はそう言ったんだ。だから、これからは普通に話そう。白髪染めもユーコちゃんに買ってもらおうかな。
そんなことを考えながらの下校時は周囲の目線が気になって、いつもより落ち着かなかった。
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家に帰ると、妹である颯は居間でテレビを見ながらアイスを舐めていた。元から大したことない風邪だと知ってはいたがあの分なら心配はなさそうだ......と胸を撫で下ろす。さっそく話かけよう。気持ち悪がられないように、『ふつう』の話し方で。
「はーちゃん、ただいま!もう風邪治ったんだ!安心したよー!」
「へっ、おかえり、なー......。ど、どうしたの?なんか話し方いつもと違わない?」
「あっ、うん。もうあの話し方はやめたんだ。気持ち悪かったでしょ。ごめんね、今まで気づかなかった。」
すると颯は数秒黙り込んだ。そして、その分溜めて噴火した。
「えー!ダメダメ!どうしてー!?なーの話し方大好きだったのに!」
「え、気持ち悪く、ないの...... ?」
「そんなわけないじゃん!どうしてそう思ったの?」
「......先生にそう言われたので。それも、一人じゃなくて......」
その続きを言う前に、凪は颯にがば、と抱き寄せられた。凪よりほんの少しだけ背が高くて、暖かい颯の抱擁。それで思い出した、凪を一番知っているのがどこの誰なのか。
「いーい?なーの話し方は確かにヘンかも。みんなとは違う.....でも、それだけ!はーは、なーの話し方も何でも、ヘンなところも含めて全部大好きだし、気持ち悪いなんて言う人は絶対に許さない!はーが保証すれば安心でしょ?なーは世界で一番のお姉ちゃんなんだから!」
しばらく、凪は抱きしめられるままにされていたと思う。そして噛み締めていた。誰の言葉を大切にするべきなのか。結局無関係の他人か、ずっと自分を見てくれている双子か。
「ありがとう、ございます。そうですね。少し取り乱しました。」
「大丈夫?二人で先生に文句言いにいく?」
「いえ、大丈夫です。凪にはわかりました。誰の言葉を聞くべきなのか。それと......『変なやつ』でも、別にいいんですね。気持ち悪がられても、それでいい。」
他人から面白いなんて思われたい訳じゃない。気持ち悪がられようが関係ない。久川凪という少女は、自分を肯定してくれる妹がいたから、ずっとありのままで居られるのだろう。
「へへー。それじゃあ何して遊ぶ?今日ゲームの新作発表だよ!」
「それは楽しみですが、また明日、はーちゃんは今日は寝ていましょう。」
「えー!?心配しすぎ!」
もう凪は周囲と比べて自分が変だとか、そんなことは気にしない。それよりもずっと重要なことがあるから......たとえば、明日はどんな服を着て行こう、とか。