明日こそは思いながら眠りについた翌朝、エリコーの身体は大人の女性になっていた。エリコーは、古くから伝わる風習によって他国の貴族と結婚することとなった。
結婚した後も、エリコーはナンカコウゴウシイアゲハを捕まえようと奮闘している。
よく晴れた昼下がり、少年エリコーは家の裏にある森で虫取りをしていた。
「えーっ またコイツかよ」
そう文句を言いながら、手作りの虫取り網の中で小さな足をバタつかせている白い蝶を手で優しく掴むと、空へと放った。
以前、街の図書館で読んだ昆虫図鑑。それに載っていた蝶『ナンカコウゴウシイアゲハ』に、エリコーの心は奪われた。
ここ数日、その蝶を目当てに森へと足を運んでいる。
ナンカコウゴウシイアゲハは滅多に姿を現さず、そのため生息地域が定かではない。ならば、この森にもいるかもしれないとエリコーは期待しているが、まだ結果は出ずにいる。
あちこち探しているうちに、日が傾き、門限が近づいた。
「今日もダメだったかー」
門限を守るのであればと、母に森へ入ることを許可されているため、大人しくエリコーは来た道を戻った。
帰宅したエリコーを、温かいスープが迎える。母特製の野菜スープは、エリコーの大好物であった。
「ぐぐぐ・・・絶対に捕まえてやるからなー!」
「はいはい、さっさと食べて、お風呂入っちゃいな」
「はーい!」
母に促されたエリコーは次々と口へと運んでいき、スープが入っていた器はあっという間に空になった。
風呂で身体の汚れを落とし、寝具に身を預ける。太陽は完全に姿を消し、明かりとなるのは部屋にある蝋燭だけだ。
「母ちゃん、明日は見つかるかな」
「見つかるといいねぇ」
「絶対見つける! 見つけたら母ちゃんにも見せてあげる!」
「あんたホントに虫好きだね・・・楽しみにしておこうかな」
日中に森を駆けまわった疲労か、エリコーはすぐに夢の世界の住人となった。
ーーー次の日
窓を覆うカーテンの隙間から太陽の光が射す。
「うんっ・・・んふ・・・」
エリコーは何度か身じろぎをしたが目を覚まさなかった。いつものことである。エリコーは母に起こされるのが常だった。
「ううん・・・アゲハ」
「エリコー、もう朝だよ! ご飯冷めちゃうよ、起きなさい!」
「んがっ」
母の声でエリコーは目を覚ました。片手で毛布を掴み、もう片方の手で目を擦る。
「んお?」
エリコーは自分の手がいつもより大きく、そして柔らかいと感じた。更に自分の声がいつもより少し低いことに気づいた。
「なんか、身体が重たいー・・・?」
声が可笑しい、身体が重い・・・風邪だろうかとエリコーはぼんやり考えた。
まあいいやと考えていたのも束の間、エリコーが驚いたのは立ち上がった瞬間である。
「・・・? わあああーーー!!!!!!」
エリコーは驚きのあまり叫んだ。興奮のあまり、駆け足で母のもとに向かう。
「母ちゃん母ちゃん母ちゃんーーーー!!!」
「どうしたの朝から・・・って」
どたどたと穏やかな朝に似つかわしくない足音とともに現れたエリコーに、母は最初怪訝な様子だったが、その姿を見て愕然とした。
「あんた・・・!」
「俺・・・!」
「女の子になってるじゃない!?!?」
「身長めっちゃ伸びた!!!! ・・・え、女の子???」
エリコーが住んでいるのは王国トラスンセスク、この国ではある日突然性別が変わるという現象、通称ティーエスが起きる。少々珍しいことではあるものの、ここ最近のことではない。ティーエスは一般的に知られている現象であった。
「まさかあんたが女の子になるなんてねぇ」
そう言い、母は朝食を食べるエリコーを見た。
胸の下まで伸びた髪、母と並ぶ程に伸びた身長、そして昨日の夜までは余裕のあった服を押し上げる大きな胸。
所作は少年そのものだが、身体は大人の女性のものになっていた。
「ごちそうさま! ・・・なあ母ちゃん」
「ん、どうした?」
空になった器に手を合わせた後、エリコーは母に尋ねた。
「俺、別の国に行く?」
「ああ、そうなるよねぇ」
「ええーっ、やっぱり!」
この国と、少し離れたところにある王国テッセフェで古くから伝わる物語がある。
簡潔にすると、ティーエスにより女性となった庶民が悲しみのあまり旅に出た先で貴族と運命の出会いをするという内容だ。
この物語が二国に伝わっているのは、その庶民の出身が王国トラスンセスクであり、貴族がいた国というのが王国テッセフェだからである。
その為、昔から「ティーエスにより性別が変わったトラスンセスクの国民は、テッセフェの貴族と婚姻を結ぶ」という風習があった。
実際、これまでティーエスにより性別が変わった者は全員、テッセフェの貴族へと嫁入り又は婿入りを果たしている。どれも、夫婦仲は良好のようだ。
法で定められていることではない。ただ「まあ結婚するよね」といった認識である。
「嫌なの?」
「・・・うん」
母に聞かれ、エリコーは肯定した。
「どうして? あんたなら何処でもやっていけそうだけど」
「だって、俺まだ捕まえてねぇもん・・・!」
「捕まえてないって、あんたそれって」
「ナンカコウゴウシイアゲハ! ナンカコウゴウシイアゲハ!」
「ああ、そうよね・・・」
「まだ見つけてすらないのにーーー!!!」
そう、エリコーは森でナンカコウゴウシイアゲハを捕まえるまで、他の国に行きたくなかったのだ。
「・・・・・・」
姿は豊満な女性になったが、母にとって、エリコーは自分の大事な子供に違いなかった。
「エリコー」
「んん・・・」
優しくその名を呼び、頬を両手で包んだ。エリコーの目に浮かんでいた涙が瞬きにより頬を走る。
「ナンカコウゴウシイアゲハ、テッセフェにいるかもしれないでしょ?」
「ええー? いないよ」
「前に調べたんだけど、テッセフェでナンカコウゴウシイアゲハが見つかったことがあるんだってさ」
「ホントに!?!?」
「うん。だから、テッセフェの森を探せば、ナンカコウゴウシイアゲハいるんじゃない?」
「テッセフェ行くーーーー!!!」
単純で良かった。母はそう思った。
「じゃあ嫁入りの準備しないとねぇ!」
「よっしゃまかせろっ!」
ーーー妻としての作法を叩きこまれたエリコーは、少年の心をそのまま残しつつも、立派な妻として振舞えるまでに至った。
ーーーそして国によるお見合いの末に、テッセフェの貴族、ダーウェンと結婚した。
エリコーとダーウェンの住む屋敷での話である。
夫婦の寝室にて、エリコーはベッドにうつ伏せに寝て足をバタつかせながら、淵に腰を掛ける男に今日捕まえた蝶の話をしていた。
「ダーくん! 今日はチョイキレイナチョウを捕まえた!」
「そうか」
「見たことある!? 俺、毎日森にいたけど、ここに来て初めて見た!!!」
「そうか」
「母ちゃんにも見せてあげたいな、チョイキレイナチョウ!」
「そうか」
ダーくんこと、ダーウェンは大層無口な男であった。
社交の場と私的な場とで、振る舞いを大きく変えるエリコーと違い、ダーウェンは何処で、誰の前であろうと変わらない。
婚姻を結び、同じ屋根の下で暮らし始めて数週間、エリコーが一方的に話し、ダーウェンがただ聞くという状態が続いていた。
「ほんと、ダーくんの森にはいろんな虫がいるな! 毎日楽しい!」
「そうか」
ダーウェンは手を伸ばすと、エリコーの頭を数度撫でた。
暇なとき、エリコーはトラスンセスクにいたころと変わらず、虫取り網を片手に森を駆けまわっている。違いは、森が家の裏からダーウェンの所有するものへと変わったことだけだ。
此方でも、門限が決められていた。
テッセフェはトラスンセスクと違い、日が沈むのが遅いようで、日の傾きで時間を推測していたエリコーは見事に門限を破った。
さあ時間だと帰った頃には屋敷は騒然としており、土で汚れたエリコーの姿を見つけた使用人たちは奇声を上げながら風呂へと入れた。
あれよあれよと身を清められ、連れていかれたのは夫婦用に用意されたベッドの上。ベッドに尻を着け、立てた膝を両腕で抱えるエリコーは一連の流れに疑問ばかりである。
しかし、使用人は疑問に答えることなく、主人たちの寝室をあとにした。エリコーは、その顔が青ざめているように見えた。
「・・・・・」
「あれ、ダーくんんんんん!?!?!?」
しばらく頭の中を占めていた疑問符は、ダーウェンの登場により吹き飛んだ。
鬼がいた。扉が開いた音がして、その方を見たエリコーは心臓が止まる思いをした。
それ以降、エリコーは懐中時計を持ち歩くことになった。門限が破られたのはその一回のみである。
閑話休題。
エリコーはベッドの上で横向きになり枕を抱きしめる。
「んんー! でもナンカコウゴウシイアゲハはいないーーー!!!」
「そうか」
子どもの癇癪を起していたエリコーの眉尻に不安が現れる。
「母ちゃん、嘘言ってたのかな・・・。見せたかったな」
くすんと鼻をならした。慣れ親しんだ親元を離れたせいで、自覚のないうちに寂しさを覚えていたのだろうか。
「・・・ナンカコウゴウシイアゲハか」
「んえ?」
「ナンカコウゴウシイアゲハ・・・待っていろ」
「もしかして、捕まえてくれるの?」
「それは分からん」
「見るだけでも! ・・・見られる?」
「そうだな」
「!!!!」
エリコーは喜びのあまり、枕を投げすててダーウェンを抱きしめた。
「やったーーー!!! ダーくんありがとう!!! 嬉しい!!!!」
「・・・」
ダーウェンは再びエリコーの頭を撫でた。
ーーー後日
その日は快晴だった。
エリコーはダーウェンに呼ばれ、屋敷にある庭の一角に来ていた。
そこには数日前までは無かった温室が作られおり、周りを作業着に身を包んだ者たちが囲んでいる。
ダーウェンはその中でも指導者らしき老人と話している。
「これは、一体・・・?」
「あ、エリコー様!」
淑女として振舞うエリコーを、使用人が嬉しそうに呼んだ。
「私、お二方の愛に胸がいっぱいです!」
「そ、それは嬉しいことを言ってくれるのね・・・?」
何やら感動している使用人に、エリコーは戸惑う。なんだろう?
「おや、奥様ですか」
「来たか」
そこにやって来たのは、先ほどまで何やら話をしていた、老人とダーウェンであった。
「ごきげんよう。これは一体なんですの?」
「ナンカコウゴウシイアゲハを保護、繁殖させるための温室でございます」
「!!!」
温室の中には様々な植物が植えられている。その中に、今まで探し求めていたナンカコウゴウシイアゲハがいるのかもしれない。
エリコーの胸は嬉しさで張り裂けそうであった。
老人が続ける。
「我々は昆虫の研究をしています。この度は、ナンカコウゴウシイアゲハの繁殖、保護をする場所を探していた我々に、ダーウェン様が声をかけて下さったのです」
「え、それはもしかして・・・」
無意識に呟いたエリコーに、老人が頷く。
「はい。奥様のためにと、ナンカコウゴウシイアゲハの温室を建てる許可を下さりました」
「!!!!!」
エリコーは両手で口を覆った。そうでもしないと、大声で喜びを表してしまうと思ったからである。
「っ・・・!」
感情の昂揚に合わせて、視界が涙で歪んでいく。
ふらりと、その場に倒れそうになったエリコーを、ダーウェンが支えた。
「あとは任せる」
「お任せください」
「うう、エリコー様っ!」
ダーウェンはエリコーを抱え上げ、微笑まし気に見る老人と感動している使用人を残し、屋敷へと向かった。
「・・・・・・」
「?」
エリコーを抱えたまま屋敷へと入ったダーウェンは、エリコーが無言で小さく震えていることに気づいた。
「どうした・・・っ!」
そう尋ねると、エリコーは勢いよくダーウェンに抱き着いた。
「あ・・・」
「あ・・・・・」
「あ・・・・・・・・」
「ありがとおおおおおおお!!!!!!!」
目からほろりほろりと涙が流れる。エリコーは満面の笑みを浮かべていた。
「お、おれっ、もう見られないのかなって、ナンカコウゴウシイアゲハっ」
「そうか」
「う、うれじい゛!!!!!!」
「よかったな」
「ありがとうダーくん、大好き!!!!」
「・・・そうか」
ダーウェンの目は、とても優しかった。
ーーー後日
王国トラスンセスクに住むエリコーの母親のもとに、一通の手紙が届いた。
「発送元はテッセフェ・・・あら、エリコーからじゃない」
エリコーはテッセフェでもやっていけるだろうと思ってはいるけれど、心配してしまうのが親というものである。
母は手紙を嬉々として開けた。
封筒の中にはエリコー直筆の手紙が入れられていた。元気にやっているという、近況報告である。
「写真? ・・・あらあら綺麗ね。こりゃ、エリコーが必死に探すわけだわ」
一枚、ナンカコウゴウシイアゲハの写真が添えられていた。
ここまで読んでくださり、ありがとうございます。初めて書いたTSものです。
pixivに投稿している作品ですが、TSといえばハーメルンだろうと考え、こちらでも投稿させていただきました。
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