まっさらな快晴の空に、授業終了のチャイムが溶けていく。ここ数日雨の続いていたトレセン学園において、その響きは多くのウマ娘の喜びとなった。
久々に良天候のもとターフを駆けれるということで、カフェテリアや購買に向かうアスリート達の足取りは軽く、雑踏のあちこちで笑顔の花が咲いている。波のように広がっていく喧騒の中に、小さな影があった。小柄で華奢。一流アスリートの集うトレセン学園にあって、そのか細い肢体はよく目についた。猫を思わせるくりりとした青色の瞳に、あっさりとした色合いの鹿毛(茶髪)をショートカットにしたウマ娘───ナリタタイシンである。
担当トレーナーよりお休みの指示を受けた彼女は、トレーニングに向かうウマ娘達の雑踏に紛れながら、どこへ足を向けようかと思案していた。自室に戻り最近話題の音ゲーに興じるという選択肢が真っ先に頭に浮かんだ。ゲーム用の名前を持つタイシンはトレセン学園きってのゲーマーであり、その腕前はどこぞの浜の帝王としのぎを削る程である。かつてのタイシンであれば、迷うことなく自室に向かっただろう。そのようにせず、わざわざ嫌いと公言する人混みの中でぷらぷらと当てもなく歩いているのには、当然理由があった。
はあ、と深いため息が零れた。きゃいきゃいと騒いでいた生徒の一人が、すれ違い様にその顔を見てひゅっと息を呑んだ。きゅう、と耳を絞ることで苛立ちを発露させながら、少女は行き先を決めた。
扉を開けると、ふわりと甘い香りがした。
「なにやってんの、アンタ」
「ん? おお、タイシン!! どうしたんだ、今日は休みだぞ!!」
「うるさ。……休みの日にはトレーナー室に来ちゃいけない、なんて言われてないけど」
余人が聞けば棘のある態度だと思うのだろうが、彼女の───ナリタタイシンのトレーナーにとっては『いつもの』タイシンである。「もちろん!! いつでも来てくれて構わないぞ!!」と大らかに笑って、トレーナーは彼女の来訪を歓迎した。
タイシンの訝しむような視線の先にいるトレーナーは、普段の恰好の上にエプロンを身に着けていた。手にはフライパンが握られており、何かしらを火にかけているらしかった。
「ちょうど完成するところだったんだ。タイシン、もうお昼は食べてるか?」
「……まだだし、言いたいこともわかるけど。何作ったのさ」
「ふふーん」
にっ、という擬音が見えそうな笑顔だった。
タイシンが言われるままにテーブルについてしばらく、はたしてトレーナーはフライパンの中身を掬ってみせた。
「あー、ドライカレーか」
「ああ!! 最近よく作ってるんだ!!」
「ふーん……」
「という訳で、どうぞ。よければ、食べてみてくれ!!」
なるほどね、とタイシンは納得していた。普段自炊をしないトレーナーが調理場にいるとは何事かと思ったが、つまりはただの気まぐれらしい。
見た限り普通のドライカレーのようで、ウマ娘としてはかなり小食なタイシンでも問題なく食べられる量が皿の上に盛られている。
「じゃあ、いただきます」
「ああ!! ………………」
「……そんな見つめられたら、味わかんなくなるんだけど」
「ごめん!! 味見はしたけど、不安で!!」
本気で申し訳なさそうにしながら、そわそわとタイシンの様子を窺うトレーナーは、さながら小動物のようだった。飼い主の一挙手一投足にふるふると反応する見習い料理人に、タイシンは口許を薄く緩めて、求められているであろう言葉を口にした。
「うん、おいしい」
「ほんとかっ!? いや、ほんとにか!?」
「嘘ついてどうするのさ。……味はちょっと甘すぎる気はするけど、それ以外は普通にドライカレーしてる」
嘘でも誇張でもなく、本心からの言葉だった。
甘味がややくどい気もするが、コクもしっかり出ている。レシピ通りに作られた、おいしいドライカレーだ。
だからこそ、やや甘めの味付けが気になったのだが───
「いや、前にタイシンが作ってくれたドライカレーが忘れられなくてな。自分でそれっぽいのを作ってみてたんだけど、どうしてもなんかこう、足りないんだ」
「……え」
「うーん、これも違うよなあ。なにか足りないんだよ。あの甘みとコクを出すには、なにかが足りない……」
自分の分のドライカレーを口にして、うむむと首を傾げるトレーナーを前に。
タイシンは、静かに匙を置いた。
卓上のコップを手に取り、ただの水をゆっくり喉に流し込む。
ことり、というガラスとテーブルが接触した音が、彼女の大きな耳に入り込んだ。
「そうだっ、タイシンに直接聞けばいいんじゃないか!! こんな簡単なことに気づけなかったなんて!! タイシン、よければあのドライカレーのレシピを教えて───」
「……やだ」
「えっ」
「ぜったいに、やだ」
慈悲も譲歩もあり得ない。それが乙女の禁則事項。
目を丸くするトレーナーが、何事かを口にしようとした瞬間、タイシンが動いた。
凄まじいスピードでスプーンを動かし、一気に食を進めたのだ。
「───ごちそうさまっ! おいしかった!」
「あ、ああ。お粗末様でした。……お腹空いてるなら、まだあるけど……」
「や、大丈夫だから……! それじゃ、また!」
「ああ、ゆっくり休んでくれ!! また練習の時にな!!」
「っ……!」
嵐のようにトレーナー室を去っていく刹那、タイシンは確かに見た。
エプロンをつけたトレーナーが、にかっという擬音が聞こえてきそうな笑顔を浮かべていたのを。
その快笑が、まるで麗らかな陽光のようだったので、タイシンは己の顔を見まいと努めた。
トレーナー室を飛び出して、足早に寮の自室を目指していれば、麗らかな陽光の下、青々と風に揺れるターフの上を無数の蹄鉄が駆けていく。
平時であれば、タイシンもそのうちのひとりなのだ。きっと隣にはやかましい友人と頭の大きな友人がいて、そして何より、己をこの陽光の下に連れてきてくれたあのヒトの笑顔が───
「~~~~~~~っ!!!」
後日。
激しく赤面しながら寮へと走るタイシンの目撃情報を耳にした某ダービーウマ娘からの詰問を受け、思いっきり顔をしかめる乙女の姿があったとか、なかったとか。