藍伽は雨に追われるように足を進める。
それもそのはず現在、下北沢には台風が直撃しているのだ。そのため外にいるのが不安になるくらいものすごい勢いの雨と風が藍伽に叩きつけられていた。
小走りになりながら数分進むと、ようやく目的地に来られてほっと一息つく。屋根の下にいられることに感謝しながら体の雫をはたき落とす。
ある程度綺麗になったところで、藍伽はゆっくりと目の前の階段を降り始めた。
そこは、藍伽にとって初めてくるが既視感のある場所だった。
階段を降りて扉の前に立つ。そしてひと息ついてからゆっくりと扉を押し開いた。
その場所の名前はスターリー。
バンドマンたちの聖地、ライブハウスだ。
藍伽が薄暗い店内に入ると、まず正面に酔っぱらったきくりに絡まれている星歌が見えた。その隣には長い髪の女性――PAさん――が、藍伽から見て右手にはひとりたち結束バンドが並んでいる。
藍伽が中を見渡すと同時に、入ってきた藍伽にも視線が集まった。
ひとりは藍伽を見て口元を緩め、郁代は目を輝かせ、虹夏はお客さんが来て口元を綻ばせ、リョウは感情の読み取れない表情で、きくりはしまりなく笑い、PAさんはあいまいな笑みを、そして星歌は驚愕の表情を浮かべていた。
初めて直接会う顔もあるが、その反応だけで彼女たちの性格が透けて見えるようだった。
「えっ、なんで……」
藍伽がゆっくりと中に入っていくと、正面にいた星歌が藍伽の顔を見て呆然としながらぽつりと声を上げた。
そんな星歌の様子に目を細めながら藍伽は軽く頭を下げた。
「お久しぶりです、星歌さん」
「……お前、何しにきたんだ?」
「何しにってここライブハウスなんだからライブ見にきたに決まってるじゃないですか」
状況を飲み込めず訝し気に問う星歌に、肩をすくめながらに藍伽が応えると星歌は眉をひそめた。
「ライブってどこの?」
「結束バンド」
「結束バンド?! なんでまた…」
「妹がでるので」
「妹ぉ?!」
その言葉に星歌は思わず驚きの声を上げた。
久しぶりに顔を見る目の前の男に妹がいるのも、結束バンドに彼の妹がいることも星歌にとって初めて知る衝撃の事実だった。フリーズしそうになる頭を何とか働かせ、星歌はゆっくりと結束バンドの面々を見渡した。
そして、悪天候の中でもバッチリと決めた容姿をした少女に目を止め、藍伽と見比べた。
「もしかして喜多ちゃんか?」
「えっ、そう見えます?!」
星歌の言葉に何故か嬉しそうに身体をくねらせる郁代を見やる。確かに結束バンドの中だと藍伽と彼女の間には人目を引く雰囲気やバンド内での役割など意外と共通点は多いかも知れない。
初めて見る人なら兄妹だと勘違いしてもおかしくないが、もちろん藍伽にはこんな陽キャな妹はいない。いるのはこれ以上ないほど陰キャな妹だった。
「違いますよ。というか、貴女俺の名字知ってるでしょ」
「確か後藤……ってことはぼっちちゃんか?!?!」
驚愕のまなざしで星歌に見つめられ、ひとりが恥ずかしそうに顔を伏せた。
「なんでお前の妹がぼっちちゃんみたいないい子なんだ……?」
「おい、それどういう意味すか」
「あーっ!!!!」
藍伽が星歌と話しているとよこからきくりが大声を上げた。
耳元で突然大声を出されて星歌がうるさそうに眉をしかめる。
「んだよ、うっせーな」
「そうだ、どこかで見たと思ったら藍伽くんって先輩の燕君じゃん……!」
「ばっ、何言ってんだよ! だからそんなんじゃないって! というかあたしじゃ」
顔を赤くしてきくりに言い返そうとした星歌だったが、星歌ときくりの間に虹夏が体を割り込ませた。
「ちょ、ちょっと待ってよ! 全然話についていけてないんだけど、もしかしてお姉ちゃんってぼっちちゃんのお兄さんと知り合いなの?!」
「わ、私もお兄ちゃんが店長さんのこと知ってるなんて知らなかったんだけど……」
虹夏に続いてひとりも口を開く。事態が飲み込めていないらしく2人とも視線が藍伽と星歌の間を行ったり来たりしている。
そう言われ星歌と藍伽は顔を見合わせると、ゆっくりと頷いた。
「ん、まぁな」
「あぁ、星歌さんには高校生のときにちょっとお世話になってな」
「え、それっ…「こんにちはー!」」
二人の言葉を聞いてさらに問いただそうと口を開いた虹夏だが、言葉を言い切る前にライブハウスの扉が開いた。
そこから入ってきたのは二人の女性。女性たちはひとりを見つけるとパッと顔を輝かせた。
「あっひとりちゃん!」
「あ、前の路上ライブのときの……。来てくれたんですか」
「勿論だよ!」
「台風吹き飛ばすくらいかっこいいライブ、期待してますね! ……というか私たちタイミング悪かったですか? 何か話されてたんじゃ」
不安そうに自分たちを見つめる彼女たちに、客を前にして気持ちを切り替えたらしい星歌が代表して応えた。
藍伽にしてみれば、初めて実際に見るライブハウスの店長としての星歌の顔だ。
「いえ、全然大丈夫ですよ。今日はどのバンドを?」
「結束バンドです!」
「私たちひとりちゃんのファンなので! というかお兄さんとお姉さんももう来てたんですね! お二人も今日ライブするんですか?」
「残念だけど私たちの出番はないよ。今日はひとりちゃんたちだけだね! ね、藍伽くん」
そう答えるきくりに藍伽も頷いて肯定する。
彼女たちは金沢八景で一緒にライブをやっていた藍伽ときくりの事も覚えていてくれていたらしい。
その返事に彼女たちは少し残念そうにしたがすぐに笑顔に戻った。
「お二人ともとっても上手だったのでまた聞いてみたかったんですけど。でも今日はその分もひとりちゃんの事応援しますね!」
「あ、ありがとうございます! 頑張ります……!」
「あっ、そろそろ時間だ。私たちはもう行かないと! お姉ちゃん、ぼっちちゃんのお兄さんの話また後で話きかせてね!」
ひとりとファンとの会話をニコニコしながら聞いていた虹夏だったが時計を見ると慌ててリョウを引っ張りながら裏に走っていった。ひとりはその場でもじもじしながら藍伽を見つめていたが、藍伽が頑張って来いとばかりに軽く頷くと気合の入った表情を浮かべるとたちに頭を下げて虹夏たちを追って行った。
郁代だけは、何故か逆に藍伽のほうに近づいてきてキラキラした目で藍伽の服の袖を引っ張った。
「お兄さん、私もお兄さんの路上ライブ見てからいっぱい練習したので見ていてくださいね!」
「あぁ、喜多ちゃんのギターは初めて聞くからな。楽しみにしてるよ」
「はい! じゃあ私も行きますね!」
「おう」
そういってひとり達の方にかけていく郁代の背中を見ていると、藍伽は横からじとりとした視線を感じた。
「……なんすか?」
「いや、相変わらず手が早いなと思って」
「やめて下さいよ人聞きの悪い。そもそも俺年下には興味ないんで」
「ああ、そういやそんなこと言ってたな。……というかぼっちちゃんには声かけなくて良かったのか? 妹なんだろ」
「ひとりは自分一人でも上手くやるので。俺からの言葉なんか必要ないんですよ」
「……ふーん、そっか」
「えー、やっぱり二人ともめっちゃ仲良さげじゃん。ほんとはなにかあったんじゃないの? ねぇねぇ」
その後もだる絡みしてくるきくりを星歌と二人で適当にやり過ごしていると結束バンドのライブの時間が迫ってきていた。
今日は結束バンド4人全員で行う初めてのライブだ。そのため気合を入れていたひとりたちだったが、不幸にも台風の影響によりライブ直前の今になってもライブハウスにお客さんは全然入っていなかった。
事実、ひとりからチケットを買った藍伽達の両親も来られていなかったし、結束バンドが売ったノルマ分のチケットだけでも20人は来ているはずだったが今ライブハウスにいる人数はそれにも満たなかった。
結束バンドの面々がここでバイトをしているからこそ分かってしまう、いつものスターリーではまずありえないほどの客入りの悪さ。
台風のせいでただでさえ暗い空気はどんよりと重く、明るい雰囲気には程遠い。
はっきり言って初ライブのコンディションとしては最悪と言っていい状況だった。
そんな中、他のバンドを目的にきたらしい客の話が、ライブハウスの後ろに陣取った藍伽、きくり、星歌の元に聞こえてきた。
「一番目の結束バンドって知ってるー?」
「しらなーい。見とくのだるいね」
気持ちは分かるが辛辣な言葉だった。
「あれ、虹夏たちに聞こえてないといいけど……」
気丈に振る舞っているものの不安さを隠しきれない表情で星歌が呟くが、しかし、そんな星歌の願いは届かなかった。
その後すぐにステージに出てきた結束バンドの面々は、先ほどの言葉が聞こえてしまっていたらしく完全にアウェイな雰囲気に飲まれてしまっていた。
なんとかしようと虹夏と郁代が必死にMCを行うがそのやる気は空回りしてしてしまい、完璧に滑ってしまっていた。
重苦しい雰囲気を変えられないまま、いよいよ始まった一番目の曲「ギターと孤独と蒼い星」だったが、案の定とでもいうべきかうまくはいかなかった。
個々人のミスが目立ち、連携も全く取れていない。そしてそれを自覚してしまうがゆえに焦りが生まれ、さらにミスが生まれてしまうという悪循環。
「――ッ!」
思わず星歌は両手を握り締める。
バンドをやっていたら、多少の不幸なんて当たり前。
そう自分に言い聞かせるが、この日のために一生懸命に練習してきた妹たちをライブハウスの店長として、姉として見守ってきた身としてはそう簡単に割り切れるはずもなかった。
――もっと良いライブにさせてあげたかった。
自分がどうにかできるわけでもないのにそんな思いが心の中でぐるぐると渦巻く。
もうすぐ一曲目が終わるがここから立て直すのは難しいだろう。
ライブハウスの店長としてライブでの一度の失敗から解散してしまうバンドを何度も見てきたために虹夏たちの心がこれで折れてしまわないことだけを祈っていた。
そうこうしているうちに、結束バンドは一曲目を演り終えた。
が、やはりライブハウスは熱狂とは程遠い。
最前列に陣取ったひとりのファンを公言していた二人こそ必死に拍手をしていたが、二人だけの拍手が鳴り響く空間は却って寒々しい。
そしてそんな様子が一番よく見えるのがステージの上からだ。
星歌が妹の様子を見るが、彼女の顔色は暗く、顔をうつむきがちだ。それでも何とかしなければと郁代に笑顔で話しかけるが姉の星歌からすれば空元気なのは丸わかりだった。
そんな様子を見てられず、思わずステージから顔をそむけてしまう。
そむけた顔の先にいたのは藍伽だった。
――そういやこいつぼっちちゃんの兄貴って話だったな。妹の初ライブがこれなら流石のこいつも落ち込んでいるはず……。
そう思い、藍伽の表情を確認すると……。
「……なんでそんな平気な顔してられるんだよ」
思わずぼそりと呟いた言葉が聞こえたのだろう藍伽が星歌の方を向く。
やはりその顔からは焦りは微塵も見受けられなかった。しかし、その妙に凪いだ目はしっとりとした熱を帯びていた。
藍伽は星歌の不安げな顔を見て、どこか熱に浮かされたような表情のまま言った。
「大丈夫ですよ、星歌さん」
「は、いや、でも」
いつにない雰囲気の藍伽に困惑する星歌の言葉なんて聞こえていないかのように藍伽は言葉をつづけた。
「――だってあそこにはヒーローがいるから」
「お前、何言って」
星歌が藍伽に向かって口を開くが、突然、星歌の耳にギターの音色が聞こえてきてその言葉は書き消えた。
ただのギターならここまで星歌の気を持っていくことなんてなかった。でもこのギターは格別だった。
繊細ながらも力強い、卓越した技量を持ったギタリストにしか弾けないその旋律。
これまでの人生で何人ものギタリストを見てきた星歌でも驚かざるを得ないほどの冴えた演奏。
一瞬藍伽の演奏が思い浮かんだが、隣にいるんだから勿論違う。
ぽかんと口が開いている事にも気づかず、星歌は何かに誘導されるように音を辿る。
そしてその先にいたのは、かじりつくようにギターを演奏するひとりの姿だった。全く似ていないと思っていたはずなのに、いつかの少年の姿がひとりの姿と重なった。
「――あぁ、それでこそ俺のヒーローだ」
ひとりのギターソロの勢いに引っ張られて、さっきの演奏が嘘のように息の合った二曲目を演奏し始めた結束バンドを呆然と見つめる星歌の耳にそんな呟きだけが聞こえてきた。
その後、結束バンドのライブは盛況のままに終わった。
観客こそ少なかったが、ライブ前に結束バンドに全く興味のなかった客も含め全員が彼女たちに惜しみなく拍手をしていたので大成功のライブだったと言っていいだろう。
しばらくして、ひとり達がフロアに戻ってきた。
彼女たちは疲労をにじませながらも達成感のある表情をしており、合流してきたひとりのファンだという二人――彼女たちは自分たちのことをファン一号と二号だと自称していた――はそんな結束バンドをキラキラした目で見ていた。
一号さんと二号さんの称賛の声にたじたじになりながらひとりが藍伽の前まで歩いてくる。
俯いていた顔が上がり、兄妹の碧い瞳がぶつかった。
「お兄ちゃん、私たちのライブ、どうだった……?」
「……いいライブだったよ。本当に来てよかったと思ってる。よく頑張ったな、ひとり」
「――っ! うん! ありがとうお兄ちゃん!!」
藍伽は微笑みながらひとりの頭をぐしゃぐしゃに撫でる。
はずかしがりながらも藍伽の手から逃げようとはしないひとりを笑顔で見ていた郁代が、キラキラした目を今度は藍伽に向けた。
「お兄さん! 私はどうでしたか?!」
「喜多ちゃんもよく頑張ってたな。まだギターを始めて数週間なんだろ? それであれだけ弾けるのは素直に凄いと思う。いい演奏だったよ。――まぁMCはあれだったけど」
「そ、それは言わないでください!」
MCのことをいじりつつも、藍伽の郁代に向けた称賛に嘘はなかった。
一曲目はミスが目立っていたとはいえ、二曲目からは調子を上げてミスをほとんどせずに演奏できていた。ギターを始めて数週間の彼女は曲を弾けているだけでも褒められるべきなのに、郁代はひとり達に食らいつき、まだまだ粗が多いとはいえ、ときたまひとりの演奏をフォローするような演奏さえして見せた。
それは原作を知っているはずの藍伽も驚くほどの成長具合で、藍伽の路上ライブを見てからよく練習をしていたことが窺えた。
「ほんとほんと!」
「めっちゃかっこよかったよ! 結束バンド!」
藍伽の言葉に加えて二人のファンの本心からの賛辞に、ひとりと郁代だけではなく近くにいた虹夏やリョウも頬を緩ませた。
そうこうしているうちにもステージでは他のバンドたちがライブを進めていた。気付けば、台風が収まってきたのかお客さんの数も増えてきており、スターリーはライブハウスらしさを取り戻してきていた。
集まったみんなでライブを見ていると、虹夏がぽつりとつぶやいた。
「なんか……いつもより他のバンドの演奏上手い気がする」
「そう? いつもと同じじゃん」
「いや、そうかもなんだけどさ。今回のライブで色々失敗しちゃったからその分他の人達がすごく見えちゃうっていうか……」
リョウとそんな会話をしている虹夏の頭に星歌がポンと手をのせる。
「ま、それだけ自分たちの課題が分かったって事だろ」
「お姉ちゃん」
「課題が分かれば改善も出来るしな。それだけでも今日のライブやったかいがあったと思うよ。……ってごめん、電話だ」
そういうと星歌は突然なり始めた携帯を片手に離れていった。
「こんなときにお姉ちゃんに電話なんて珍しいな~。普段ライブ中はあんまりかかってこないんだけど」
「ですね。何事もなければいいんですけど……」
不安げに顔を見合わせる結束バンドの面々。
ひとりもどうにかできないかと藍伽に顔を向けてくるが、何かできるはずもなく藍伽は肩をすくめた。
そうこうしていると星歌がこちらに戻ってきた。
その表情はどことなく暗い。
「くそ、面倒なことになった……」
「どうしたのお姉ちゃん」
「さっき今日のトリを務めるはずのバンドから連絡があったんだが、どうも台風の影響で遅れるらしい。ギリギリ間に合うかと思っていたけどこのままだと厳しいな……」
「え?! じゃあどうするの?」
「どうするって言われてもなぁ。折角来てもらったお客さん待たせるわけにはいかないけどどうしようもないかも」
そんな星歌の言葉を聞いて、虹夏は勿論、ひとり達も顔を暗くする。
いつもお世話になっているライブハウスの危機である。力になりたいのはやまやまだがステージに出て時間稼ぎをしようにも結束バンドの持ち曲はさっき披露した三曲で看板だし、他にも曲があったとしても結束バンドがステージに出てしまえば店長の身内びいきのそしりは免れないだろう。だからと言って他のバンドが出るとなってもやはり、多かれ少なかれ不満の声は出るはずだ。
ステージに立っていたバンドの曲も終わり、辺りに沈黙が落ちたその時、重い雰囲気にもかかわらず、場違いなほどニコニコと笑顔を浮かべていたきくりが声を上げた。
「じゃあさー、そのバンドが来るまで私たちがライブしたらいいんじゃない?」
「はぁ? 私たちって誰だよ」
「そんなの決まってるじゃん。私と、先輩と、藍伽くんの三人だよ」
「……なるほど。廣井きくりがライブするっていうなら比較的不満の声は出にくい、か。私は有難いくらいけど……」
星歌が呟くようにそう言うと、その言葉を聞いた皆が一斉に藍伽の方に振り向いた。
藍伽も星歌にはお世話になってきたのだ。
「もちろん、俺で良ければ力になりますよ」
躊躇うことなく藍伽もそう言い切った。