虹夏は妙なことになったなぁと思いながら話を進める大人たちを見やる。
姉の星歌と話すのは二人の男女。
どちらも今日初めて会う人達だった。
あずき色の髪をした女性の方は廣井きくり。
新宿を中心に活躍するバンド、SICKHACKのベースボーカルであり、星歌の大学時代からの友人であるそうだ。
結構凄い人らしいけれど、べろべろに酔ったままライブハウスに来て星歌に絡む様子を見ると尊敬はできないかもしれない。
そしてもう一人の紫色の髪をした男性は後藤藍伽。
なんと彼はひとりのお兄ちゃんらしい。
会うのは初めてだったが、ここのところ結束バンドの中でよく名前が挙がる話題の人物でもあった。
初めて話が出たのはひとりを引っかけようとしているチャラ男として。
しかしその後誤解は解けてひとりの兄ということが判明したのだが、後輩二人から聞いた後藤藍伽の情報は多岐にわたった。
まずは整った容姿をしていることと、歌とギターがとてつもなく上手いこと。それから妹のふたりには頭が上がらないことに、好きな食べ物は最初に食べる派であること、何故か飼い犬からは微妙に嫌われていることとか、そういう虹夏が何であったこともない人のそんなことを知っているのだろうと思ってしまうようなものも含め色々と話は聞いていた。
そんな話だけを聞いていた人物と遂に顔を合わせることになったのだが。
今日の朝、スターリーの扉が開いて入ってきて藍伽を見た瞬間、虹夏は急に、昔、星歌から聞いた話を思い出した。
『音楽の世界にはな、一目見ただけで本物だ、って分かるやつがいるんだよ』
『えー、ほんとぉ? 私オカルトには興味ないんだけど』
『別に信じなくてもいいけどな、私はたまにあるよ。弾いてるとこ見なくてもこいつは自分より上手いギタリストだって分かるとか、見ただけで凄いやつだと思ったら本当に有名なバンドの人だったりとか。かと言って普段は地味な普通の奴にしか見えないのに実は凄腕のミュージシャンってこともあるから不思議なんだよなぁ』
『へー、そんなこともあるんだ』
『ま、虹夏もこの先バンドを続けていくならそのうち分かる時が来るよ』
いつの日か、そんな話を姉妹でしたのだが、どうやら姉が言っていたそのうち来る日というのは今日の事だったらしい。
ギターすら背負っていない藍伽の姿を見て、あぁ、この人は凄い演奏をするんだろうなぁと何故か虹夏は確信を持った。
しかし、初めて見たときはライブへの緊張とひとりのお兄ちゃんが自分の姉と知り合いであるという衝撃から余り様子を確認する暇はなかった。
そのため結束バンドのライブも終わった今、改めて藍伽の様子を見てみる。
そして思うことは、面食いの後輩が目を輝かせながら言うだけあって確かにイケメンだなぁ、ということだった。
それに確かにひとりとも顔立ちが似ている。
恰好は如何にもいけてるバンドマンという感じで、郁代が如何にもいけていない女子高生であるひとりと兄妹だと気づかなかったのも不思議はない。
星歌と知り合いというのも嘘ではなかったらしく、きくりと共に三人で仲良さげに話している。
きくりとも仲がいいのは、ひとりからも聞いていたチケットを売るためにやったという路上ライブで知り合っていたからだろう。はじめ話を聞いたときはまたひとりの妄想かと思っていたのだが、その路上ライブを三人で行ったのはどうやら本当の事らしかった。
そこで藍伽の腕前を確認したのだろうきくりも、昔から藍伽のことを知っているらしい星歌も藍伽のギターの腕前のことは認めているようだった。
郁代や、ひとりから聞いていたので嘘ではないと思っていたのだが、正直あんまりギターがうまくない(と思っていた)二人が褒めるだけの力があってもその実力は正直怪しいと思っていたのだが、実力のある二人から認められているということは藍伽のギターの腕前は間違いないのだろう。
そして、話の流れ的にもその腕前もこれからのライブで直接確認できるはず、と思っていたのだが大人三人の話は虹夏の思ってもいなかった方向に転がっていった。
「ん~、私が言い出したことだけど、ギター2にベース1っていうのは流石にバランスが悪いよね。せめてもう一人リズム隊がいてくれると嬉しいんだけどな」
「あぁ、それなら俺がドラムやりますよ」
「君ドラムも出来るの?!」
「本職には叶いませんけど一通りは」
「こいつがドラムやれるのはあたしも知ってる」
「藍伽くんが言うんだから疑ってなかったけど、先輩のお墨付きがあるなら間違いないね!」
「へー、ドラムやるんだ……」
会話を聞きながら、虹夏は自分が俄然三人のライブに俄然興味が湧き始めたことを自覚する。
バンドマンの性とでも言うべきか、やっぱり自分がやっている楽器は他と比べても気になるものだ。
それを、姉やきくりからも実力を認められているギタリストがドラムをやるというのだからなおさらだ。
勿論、ギター以上にドラムの腕前は未知数だが、期待外れにはならないだろうというドラマーとしての直感があった。
「ドラムは藍伽でいいとして、曲はどうするか……」
「昔の先輩のバンドの曲とかでいいんじゃない? それなら私覚えてるし。あ、でも藍伽くんはどうかな?」
「俺も問題ないですよ」
「じゃあそうしよっか。元バンドメンバーたちも勝手に曲やったからって怒るようなやつらじゃないし」
「ボーカルはどうする? 私がやってもいいけど」
「んー、今回はインストでいいと思うよ。お前もさすがに歌詞はうろ覚えだろ」
「あはは、それはSICKHACKのときも一緒だけどね~」
「おい、それはどうなんだよ」
そう言いながら星歌は、会話を聞いている虹夏の方をちらりと見た。
目が合ったのは一瞬だったが、虹夏にはその視線に何か意図があるのはすぐに分かった。
これから大人組がやるライブは、ドラム、ベース、ギターのインストルメンタル。
かつて喜多ちゃんが逃げているときに迎えた三人での結束バンドの初ライブと全く同じ構成だった。
それはたぶん、偶然じゃない。
「……まったく、過保護なんだから」
「急に何言ってるの、虹夏」
「な、なんでもない!」
姉からの気遣いに、顔を赤くしながらリョウに応える。
「――にしてもお前、未だにフロントマンとしてステージに立つつもりはないのか?」
「……今回、どっちにしろドラムは必要だったでしょ」
「ふん、まぁそう言うことにしといてやる」
リョウとの会話に夢中になっていた虹夏は、そんな会話が交わされていることには気づかなかった。
そうこうしているうちに、ライブスケジュールは消費されて行った。
そして本来であればトリであるバンドがライブを始める時間になったころ、星歌たちがステージに立った。
客たちが困惑の声を上げるなか、星歌はマイクを握った。
「先ほどもアナウンスしましたが、最後にライブをするはずだったバンドが台風の影響により遅れています。もうすぐ到着するはずですが、それまでの間、私たちがライブをさせていただきたいと思います」
「色々言いたいことがある人もいると思いますが、今日来ていただいたお客さんもライブをやってもらったバンドに所属している人達も、これからのライブを聞いたことを
その自信に満ちた宣言に、フロアがざわつく。
しかしそれを気にする様子もなく星歌は簡単にきくりと藍伽の紹介をした。
きくりの名前を聞いた客からどよめきが上がる。やはりSICKHACKを知っている人は多いようだった。こういうところできくりが本当に有名なバンドマンなのだと実感する。
一方藍伽の名前を聞いても誰も反応しなかったのは少し意外だった。星歌たちが認めるほどのギタリストならば名前も売れていると思ったのだが。
そんなことを考えていると隣のひとりの様子が虹夏の目に入ってきた。
いつもうつむきがちなひとりが真っ直ぐ顔を上げてステージの方を見つめていた。しかもよくよく見ると口元には笑顔まで浮かんでいた。
「ぼっちちゃん、なんだか嬉しそうだね」
「えっ、あ、そうですか?」
「うん」
「……実は、お兄ちゃんがライブをやるのを見るのが久しぶりなんです。この前路上ライブでは一緒にやりましたけど、ちゃんとしたバンドを組んでやるのを見るのは久々で。今回はドラムですけど」
「へー、お兄さんのライブ見れるのがそんなに楽しみなんだ」
「昔見たお兄ちゃんのライブがギターをやるきっかけでもあるのでまたお兄ちゃんのライブ見れるのが嬉しくて」
「なら私と一緒だ! 私もバンドやるきっかけになったのはお姉ちゃんのライブだったし、お姉ちゃんのライブ見るのもとっても久々だからすごく楽しみなんだ~。ちゃんとお姉ちゃんたちのライブ見逃さないようにしなきゃね!」
「はい!」
そう返事をしながらひとりはふと疑問に思い声をかける。
「あれ、というかそれなら虹夏ちゃんはなんでギターじゃなくてドラム…」
「あっ、ぼっちちゃん始まるみたいだよ!」
「あ、はい」
が、それを言い切る前に星歌たちの準備が終わりひとりも慌てて口を閉じる。
そしていよいよ始まる年長者たちによる特別ライブ。
藍伽が手に持つドラムスティックを打ち合わせてカウントを取ることで曲が始まるが、虹夏の視線は星歌に集中していた。
ひとりにも言ったが、虹夏にとって星歌がライブをやるのを見るのは本当に久々だったからだ。
長年のブランクを心配していたが、星歌の演奏を聞いてその心配はすぐに霧散した。
やっぱりお姉ちゃんはすごい。
ブランクがあり多少腕は落ちているはずなのに、それを感じさせないほど力強い演奏をしている。
そんな星歌を目に焼き付けるべく、虹夏はじっと星歌のギター演奏に集中していると、しばらくして違和感を覚えた。
――あれ、お姉ちゃんってあんなに強引に演奏するタイプだったっけ。
虹夏は今の星歌のギターから、なんとなく強引な印象を覚えた。
まるで自分の腕を過信したギタリストのように、バンドメンバーと合わせた演奏をすると言うより自分がより良い演奏することに注力しているような印象。そのまま突っ走ればスタンドプレーになってしまい、すぐにライブは崩れてしまう。
もしかしたら、ライブをやるのが久々過ぎて、周りと合わせる余裕がないのかもしれない。
そんな不安が虹夏の頭に過る。
確かに自分の演奏に集中しているせいか星歌のギターは見事なものだったがこれはソロではなくバンドだ。
このままでは周りが星歌の演奏についていけず、この演奏は崩壊してしまう……。
そう思って思わず虹夏は目を瞑る。
そして目を閉じた分耳から入ってくる音楽に意識が集中し、気付く。
虹夏の予想に反して演奏が全く
むしろ完璧に息を合わせたメロディーを刻んでいた。
驚きながら目を開く。
そして、ようやく虹夏は星歌から意識を外し改めてステージをよくよく見る。
するとすぐに目に飛び込んできたのは星歌の隣でフロントマンとしてベースを弾く廣井きくりの姿だ。
彼女は星歌の隣で実に生き生きと演奏をしていた。
先ほどの酔ってふらふらになっていた彼女とでは似ても似つかない堂々とした立ち姿。
そしてその演奏は、原曲にアレンジを施しており、どこか不安定さを感じさせる独特な旋律を奏でているのにもかかわらず外してはいけない音は決して外さないしっかりとした芯を持っている。これを聞くだけで彼女のベーシストとしてのレベルがとても高いということが分かる。
その不安定ながらも独特の魅力を放つ演奏は聴くものを酔わせ彼女のベースにのめり込ませてゆく。
今の姿を見て彼女が実力と人気を兼ね備えたベーシストであることを否定する人は一人もいないだろう。
ベースを聞く人間にそう確信を抱かせてしまうほどの説得力とカリスマ性。
廣井きくりはステージの上から、先ほどの飲んだくれていた姿からは想像できないほどの強い輝きを放っていた。
しかし、このステージで虹夏の視線を最も惹いたのは、稀代のベーシストでも実の姉でもなく、彼女たちの後ろでドラムを叩く藍伽の姿だった。
藍伽のドラム演奏は、はっきり言って決してレベルの高いものではなかった。
虹夏でも弾こうと思えば同じように演奏できるだろうし、もっと上手い演奏をするドラマーは今日のイベントに参加していた人の中でも何人もいるだろう。
藍伽の純粋なドラムの技術は決して卓越したものではなかった。
――しかし、虹夏は藍伽の演奏を見た瞬間に勝てない、と思った。
技術的には贔屓目に見ても精々中の上。
正直に言えば、虹夏の方が上手くドラムを打つこともできるだろう。
それなのに、どうしようもなく魅せられる。
訳もなく彼が響かせる重低音に耳を傾けずにはいられない。
縦横無尽に藍伽の長い手足が動き、ドラムスティックを振り、キックペダルを踏む。
そしてスティックがドラムを、シンバルを打つたびにライブハウス中の空気が揺れる、身体が揺れる、心が揺れる。
髪先から流れ落ちる汗の一滴すら劇的に見える。
それほど、後藤藍伽という男は、魅力的にドラムを演奏してみせた。
技術は並でも音の強弱のつけ方やリズムの取り方から、音楽への深い理解を感じさせる。
だがそんな表面的な技術ではない、藍伽自身から放たれる不可視の引力が観客の興味と熱狂を焚きつけていた。
藍伽のドラムを聞きながら虹夏は思い出していた。
それは、虹夏が星歌のライブを見に行ったのに姉の操るギターではなくドラムを始めるきっかけになった原初の記憶。
――やっぱりドラムって音がでかくて、かっこいいんだよな……!
それは星歌のライブを初めて見に行った時の記憶。
あの時も、フロントマンとして演奏する星歌よりもその後ろで仕事をするドラマーに興味を惹きつけられたのだ。
仲間を後ろから見守り、バンド全体を下から支える。そんな地味な働きのように見えて誰よりも大きな音を放つドラムという楽器に、その時から、そして今も虹夏は魅了され続けている。
そう再確認させてくれたのは、藍伽のドラムがあの時のドラマーのお姉さんと何故か被って見えるくらい魅力的に演奏していたからだった。
そんな藍伽のドラムから目を離せないまま、ようやく虹夏は星歌がなぜ強引なまでの演奏をしているのかが分かった。
そうしなければ『呑まれてしまう』からだ。
星歌程の実力者であっても激しく自己主張するようなギターを弾かなければ怪物じみたこの二人の演奏にかき消されてしまう。
そう気付いてしまって、誰よりも星歌の実力を知っている虹夏だからこそ背筋が凍るような感覚に襲われる。
――ドラムですらこれなのに、ギターだったらどうなっちゃうんだろう……。喜多ちゃんが言っていた曲を聞いているだけで泣いてしまったといたという話も嘘じゃないのかもしれない。
虹夏を思いをよそに星歌たちは即席なはずなのにそれを忘れさせるほど息の合った演奏を続けていた。
三人ともそれぞれのことを信用している事が伝わってくる。
技術的に拙いところがある藍伽を星歌が支え、
蛇行し続けるきくりのベースを藍伽のリズムキープが軌道修正し、
星歌のブランクをきくりの技量によってカバーする。
そんな、実力ある三人のバンドマンたちの演奏は、聞いている虹夏たちに呼吸をする事を忘れさせるほどの衝撃を与えた。
奇しくも、結束バンドの初ライブと全く同じ構成のインスト。
しかし、ガワは一緒でも中身は全くの別物だった。
星歌の見せたかったものが分かった。
同じようにできるとは思わないしする必要もないが、バンドマンの一つの到達点が、このライブなんだ。
――ドラマーとして、結束バンドとしてこのライブを見れてよかった。
その思いは虹夏だけのものではなかった。
最後の一音を弾き終えた星歌たちに虹夏が拍手を始めると、思い出したかのようにぱらぱらと拍手が鳴り始め、最後にはライブハウス中に鳴り響く万雷の拍手によって突如始まった特別ライブは幕を閉じた。
「え、なにこれ……。私たちこれの後にライブするの……?」
誰にも気付かれず到着したバンドが上がりに上がったハードルに思わず溢した言葉は誰にも届かず宙に溶けて消えていった。