スチームパンクダークヒーロー悪役令嬢   作:ATライカ

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第一章
エルフの騎士が丘の向こうからやって来る


 見事な尖塔が立つ大聖堂のすぐそばの、芝生が生える小さな丘で亜麻色の髪を持つ小さな少女が一人で歌っていた。

 

「エルフの騎士が丘の向こうからやって来る♪

 ぴゅぅぴゅぅ、ぴゅうぴゅうと

 彼は角笛を吹き鳴らす

 風が吹いて窓が吹き飛ばされた」

 

 彼女が歌うのに合わせ風が吹き、美しい緑の芝生はきらびやかに光の波をたたせる。

 

「彼は東に吹いて、彼は西にも吹いて

 彼は望む方向に角笛を吹く♪」

 

 青空を流れる白い雲はまるで白馬のようで、それはゆっくりと形を変えて流れていく。

 

「ああ、その角笛が私の手にもあればよかったのに

 あの騎士様が私の胸にあればよかったのに♪」

 

 そして、そこからは少女は鼻歌を歌い、手に持った木の枝を振りながら丘の頂上へと登っていく。

 すると、そこには先客がいて、その女の子は寝転んで空を見上げていた。

 

「あっ」

「……」

 

 少女が声を上げると、その先客の少女が体を起こして、バツが悪そうな顔で頬をかいた。

 

「邪魔したかな」

 

 その先客は金色の髪を持ち、宝石のように美しい紫色の瞳を持っていた。

 

「ううん。いいの。シスター?」

「いいや、違うよ」

 

 少女が首を傾げて問いかけると、先客は少女と目を合わせながら首を振って否定する。

 すると、少女は木の棒で地面をぐりぐりとしながら、続いて問いかける。

 

「じゃあ、暇?」

「暇……暇と言えば暇、かな?」

「暇なら、遊んで」

 

 少女が首を傾げながら後ろ手にお辞儀をして可愛らしく問いかけると、先客は困ったように笑いながら立ち上がる。彼女は少女よりも背が高く、そして髪も少女よりも長く美しかった。そして、そんな先客は頭に付いた芝を取り除きながら、何かを探すように辺りを見渡す。

 

「う~ん……参ったな……」

「迷惑だった?」

 

 少女が少し悲しそうに言えば、先客は慌てた顔でしゃがんで少女と目を合わせる。

 

「あ、いや!大丈夫。迷惑じゃないよ。ただ……、まあいいや。遊ぼうか」

「うん!ありがとう!」

「どういたしまして。じゃあ、何して遊ぶ?お歌でも歌うかい?」

「ん~……追いかけっこ!」

 

 少女は木の棒を振り上げてそう言うなり走り出す。先客は少し呆れたように腰に手を当ててため息をつき、やがて十分少女が離れた頃合いを見計らって自身も走り出した。

 

「待て待て~」

「待たないよぉ!」

 

 少女はきゃあきゃあと歓声を上げながら丘を下って逃げていく。風も彼女のことを押すように、はたまた導くかのように吹いていた。

 先客は髪を風にはためかせながら少女を追いかけ、やはり体の大きさが違ったのですぐに捕まえてしまう。

 

「捕まえた」

「きゃ~捕まっちゃったぁ!」

 

 先客は少女の肩から彼女のことを包み込むように優しく抱きしめてあげる。それに少女は嬉しそうに彼女の腕を掴みながら体を揺らして、スキンシップに応える。

 

「攫って、食べちゃうぞぉ!」

「あはははは!」

 

 楽し気な声で少し怖いことを言いながら先客が後ろにゆっくり倒れれば、少女も楽しそうに笑い声をあげながら背中に柔らかさを感じつつそれに甘えるように同じく倒れた。

 二人は笑い声をあげながら芝生の上を転がったり、かと思えば少女が立ち上がってまた逃げようとしたり。そうやって二人は追いかけっこを思う存分楽しむ。

 そして、ひとしきり追いかけっこを楽しんだら、先客はまたきょろきょろと辺りを見渡し始めた。二人が遊び始めてそれなりに時間が経っていたからだ。 

 

「親御……お父さんか、お母さんは?」

「ん~とね。お父さまは用事。お母さまは旅に出たって、お父さまが言ってた」

「そうなんだ」

 

 少女はなんてことがないように人差し指を顎に当てて考えるそぶりを見せる。先客はその少女の回答ににっこりと微笑んだまま小さく頷いて、彼女の手を包み込むように繋いであげた。

 二人は丘に腰かけ、その内の少女は運動をして少し火照った顔を風に晒しながら頬を膨らませる。

 

「お父さまね、酷いの。勉強をするために寮に入りなさいって」

「酷いんだ?」

「うん!だって、もしそうなったらずぅっと勉強しないといけないし、友達とも会えなくなるんだよ!友達と会えなくなるのは嫌!」

 

 少女が拳を振り上げながら不満げな声をあげる。先客はそんな彼女の横顔を見つめながら「そうだね」と一度は同意する。その一方で、彼女は少女に言い聞かせる言葉を考えていた。

 

「でも、新しく友達が出来るかもしれないし、寮だって閉じ込められるわけじゃないからこれまでの友達にも会いに行けるよね?」

「うっ……そうだね……」

「あははっ、本当の気持ちを言ってごらん?」

 

 先客は怒らないからといった風に優しい笑みを浮かべながら問いかける。そして、少女はバツが悪そうな顔で、俯き加減に小さく呟く。

 

「勉強、嫌い」

「まあ、遊びたい年頃だもの。勉強は嫌いだよね。でも、君の将来のためにも必要なことだよ。それは分かっているね?」

「うん。お父さまにもそう言われた。将来の夢にだって役に立つって」

「良いお父さんじゃないか。自慢のお父さんだ」

 

 先客は本心から少女の父親のことを褒める。すると、自分の父親のことを褒められた少女は、まるで自分のことかのように喜色満面となり、繋いだ手をぶんぶん振り回し始める。

 

「うん!自慢のお父さん!」

「大好き?」

「うん!大好き!」

「大切にしなさい」

 

 先客は少女の頭を優しくなでてあげると、少女はうんと頷く。

 そしてしばらく少女はなでなでを堪能し、それから興味と疑問が混ざった表情で先客に問いかけた。

 

「ねえ。お姉ちゃんは何か夢ある?私、まだないんだよね」

「お姉ちゃん?ええっと夢?夢、夢かぁ……」

 

 お姉ちゃんと呼ばれたことに戸惑いながら、彼女は空を見上げて少し考える。その視線の先の雲の合間に薄明るい月が見えた。普通の月。少し欠けているけれど、ただの月。

 お姉ちゃんはその月を見て微笑むと、少女と再び視線を合わせる。

 

「そうだね。月に行ってみたいかな」

「ふふっおかしいんだ。無理だよそんなの!」

 

 お姉ちゃんの夢物語に少女は口元を手で隠しながら笑い声をあげる。しかし、笑われた彼女は一つも嫌な顔をせずに、少女に楽し気に語って聞かせ始める。

 

「いーや。無理じゃないよ。そうだね……。気球っていう物、絵本か何かで見たことない?」

「うん。ある。温かい空気を入れるって、お父さんが言ってた」

「じゃあ、もっともっと凄い気球を作ったら月に行けそうじゃない?」

 

 少女はお姉ちゃんのその言葉に考えてみると、確かに空高く飛び続ければ月に行けるような気がしてきた。しかし、宇宙と言う物を知らなくても、少女は月がとても遠い場所にあるということは分かっていた。

 

「ずっとずぅぅっと遠いんじゃないの?」

「まあね。24万マイルって所かな」

「よくわかんない!遠いってことは分かる!やっぱり無理なんじゃない?」

 

 少女が首を傾げれば、お姉ちゃんはにっこりと微笑み、改めて体を向かい合わせにして目を合わせ直した。

 

「一見不可能なことはこの世の中にいっぱいある。無理だってなる時もいっぱいある。

 でも、そういう時にこそ勇気をもって一歩踏み出すんだ。

 そうすれば、今までできなかったこともきっとできるようになるはずさ。

 勇気をもって一歩踏み出すことが大事。わかるかな?」

 

 その言葉に少女は分かったような分からないような表情でこくこくと頷く。お姉ちゃんはそんな素直な少女に破顔すると、彼女の頭をまた撫でてやる。

 うりうりと撫でられ、その少し乱暴だけど思いやりのある手つきに少女が目を細めていると、彼女の視界の端に見知った背格好の男が映った。

 

「あっお父さまだ!お~い!」

 

 少女が手を振り払うかのようにぱっと立ち上がり、両手でその男に向かって手を振る。少女曰くお父さまも彼女に向かって手を振り返すのが遠目にも見えた。

 そんな光景にお姉ちゃんが目を細め、おもむろに立ち上がる。

 

「……私ももう行かないと。じゃあね、元気でいるんだよ」

 

 そして、少女のお尻に付いた芝を払ってやりながら、さよならを言い始めた。

 

「えっ!もうちょっと遊びたい!」

 

 突然のさよならに少女が振り返る。少女が見上げたお姉ちゃんの表情は微笑んでこそいたが、何も言わなかった。

 

「駄目なの?」

 

 察しの良かった少女は悲し気に手を所在なさげに動かし、ついには俯いてしまう。そして、少女がゆっくりと顔を上げると、お姉ちゃんは少し屈んで少女と目を合わせてあげていた。

 そんな優しい彼女に、少女は言葉を投げかけた。

 

「いつか、また会える?」

「うん。きっと会えるよ」

「いつくらい?!」

 

 少女の張った声の問いかけにお姉ちゃんは困ったように微笑み、少し間をおいてから少女の頭を優しく撫でてあげながら答える。

 

「……そうだね。君が良い子でいたなら、ゴーワンの花が咲くころに、きっと」

 

 お姉ちゃんはそこまで言うと、少女の頭を撫でていた手を離し、その手でバイバイと手を振って、丘の向こうへと歩いていってしまう。

 彼女の金色の髪が、日に照らされて光るその髪が丘の陰に隠れてしまった頃に、少女の父親が入れ違いでやってきた。

 

「さっきの子は友達かい?」

「うん。たぶん」

 

 少女は丘の稜線を見ながら頷く。父親もそれに倣って稜線を見るが、そこにはもう誰もいなかった。

 

「何て名前?」

「聞いてなかった……」

「あちゃあ……」

 

 少女のうかつさに父親は手を額にあてて頭を抱える。名前さえ分かっていたならまた会わせてあげられたかもしれないのに、と思ったのもつかの間、少女は彼の裾を引っ張る。

 

「エルフの騎士様かな?」

「ははっ。じゃあ、無理難題を言われるぞ」

 

 父親はこちらを見上げて問いかけてくる少女に少し笑い、彼女の頭を撫でながらエルフの騎士の歌のことを思い出す。こういう物は悪しきものにしろ、善きものにしろ、リドルや困難なことを押し付けるものなのだ。

 すると、やはり件のエルフの騎士は無理難題を言っていて、それを聞いた彼はつい大きい笑い声を上げてしまう。

 

「月に行きたいって」

「そりゃ、無理だ!」

「そうかな?」

「いやあ、無理だろ!」

 

 そうやって笑っていた父親は、少し拗ねた顔の少女の次の言葉でその笑い声を引っ込めざるを得なくなってしまう。

 

「お姉ちゃんは『勇気をもって一歩踏み出すのが大事』って」

 

 父親は顔を真剣なものにするとしゃがみ、少女と目を合わせて、彼女の手を取る。

 

「そうだな……。そうだな、無理じゃないな。言い過ぎたよ、ごめん」

「うん」

 

 少女はなぜか先ほどのお姉ちゃんも笑われた気がして、少し嫌な気持ちになっていたが、父親が謝ったことで溜飲がわずかに下がる。

 一方の父親は不機嫌な少女のことを撫でてあげ、片方の手はそのまま繋いだまま立ち上がる。

 

「さ。何かいいものでも食べに行こうか。シャーロット」

「うん!」

 

 子供とは現金なもので、シャーロットと呼ばれた少女はすぐに機嫌がよくなる。そして、二人は仲良く手を繋いで風が吹く丘を去っていくのだった。

 そうやって、大聖堂のすぐそばの、今は何の花も生えていない小さな丘にはついに誰もいなくなった。


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