スチームパンクダークヒーロー悪役令嬢   作:ATライカ

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悪魔召喚

 帝国を構成するいくつかの行政地区のうちの一つロンディニウムから西にあるソールズベリー。そして、そこにあるマームズベリー侯爵の邸宅はとても静かだった。

 そんな屋敷の中を、マームズベリー侯爵ジョージ・ロングフェローは、一人腕の中に子供を抱いて一人で奥へ奥へと進んでいく。歩く廊下の両脇や壁にはいささか古いものの、素晴らしい調度品が並べられていて、マームズベリー侯爵という家の力を示していた。

 ジョージはやがて屋敷の一番奥、あまり使われていない部屋へと入る。そして、扉の鍵を閉めた後、石畳の床に手を付き、手で何かを探し始めた。やがて、彼はなにか文字が彫られている所を見つけると、赤ん坊を置いてから、腰からナイフを取り出し指を薄く裂く。

 

「っ!」

 

 思わず声を上げそうになるのをジョージはこらえ、血がにじむ親指をその文字へと摺りつけ始める。すると、ただの文字は薄く赤色へと光り始め、石畳が僅かな音をたてながらゆっくりと立ち上がっていった。その下には地下へと続く長い階段があり、ジョージは赤ん坊と共に暗い底へと降りていく。

 階段を降りていくたびに、ゆっくりと鉄さびのような血の匂いが強くなっていく。ジョージはその一般的には不快な匂いに眉一つ動かさずに、階段を降りきってしまう。そして、そこにあった粗末な木のドアを開いた。

 果たしてそこには、彫像があった。

 羽の生えた、筋肉美のある肉体の身を見れば、ダビデ像のようだったであろう。

 しかし、致命的にその顔は凶悪であった。耳まで裂けた口、とがった歯、禍々しく歪曲した角を見るに、その彫像は悪魔を模しているようだった。

 ジョージはその彫像の前にあった台座に赤ん坊を乗せる。台座は何かで濡れているようで、その何かは部屋に充満する匂いの元であろうことは簡単に察することが出来た。

 彼は跪いて、祈り始める。ブツブツと、悪しき聖句を唱えていき、やがて吠えるような声で叫んだ。

 

「来たれ……悪魔よ!」

 

 その言葉は狭い地下室で何度も反響し、やがて、音はすべて悪魔像へと吸い込まれた。

 一瞬の静寂、次の瞬間、彫像はガタガタと震え始め、口から光を一切通さぬ黒い靄が吐き出され始めた。ジョージは彫像を見上げ、恍惚とした表情を見せる。

 しばらくすると、靄は吐き出されきり、真っ黒な雲が部屋の上部に溜まり、嵐の日の雨雲のように形を延々と変え続けていた。

 

――強き魂だ。

 

 地獄の底から響いてくるような、低く歪曲した声だった。ジョージは立ち上がり台座の上の赤ん坊を取り上げると、その靄に向けて勢いよく差し出す。

 

「さあ!この子に祝福を!さあ!」

 

 ジョージはこう乱暴に扱っても一切泣かない赤ん坊には一切疑問を持たず、黒い靄だけを見つめていた。そして、黒い靄もまた、その泣かない赤ん坊だけに意識を向けていた。

 

――契約の時間だ。

 

 悪魔はそう言うと、ジョージは赤ん坊を掲げた格好のまますぐさま手を放して、懐から羊皮紙を取り出そうとする。奇妙なことに、赤ん坊は空中に留め置かれたままであった。ジョージは羊皮紙を取り出し、その中に書かれた契約を悪魔に見せようとする。

 

――ふむ。確かに受け取った。では貴様は出て行け。

 

 しかし、彼が用意した契約はその一言によってのみ言及された。ジョージは一瞬表情を無くしたが、すぐさま何かを察したように笑顔になると、いそいそと羊皮紙をしまいなおして地下室から出て行った。

 

「かしこまりました」

 

 粗末な木のドアの外からは、石畳の階段を上る音、そして石畳が再び閉じられる音が聞こえてきた。

 黒い靄の悪魔はそれを確認した後、赤ん坊を台座の上に安置する。そして、黒い靄はやがて形を取り始め、角のある男の顔が現れる。そして、仕立ての良い燕尾服に身を包んだ体が現れた。加えて、どこから現れたのか、蛇を両腕に抱いて、彼の細く青白い指がその頭を撫で始めた。

 

――契約だ。

 

 少々のひげを蓄えた口を開けば、やはりおどろおどろしい声が響く。一方の赤ん坊は、小さな手を掲げ、口を不器用に動かし始める。

 

「あう……」

――ふむ……これは少し不都合だな……。

 

 悪魔がそう言いながら手の平を赤ん坊に向けて呪文を唱える。すると、黒い靄が赤ん坊のことを包み、次の瞬間その靄から小さな子供が飛び出してきた。

 

「おおっと!」

 

 金髪の女の子のことを悪魔は抱き留め、彼女のことをそっと床に下ろす。女の子の年のころは10歳に満たないくらいに見え、彼女は床につくくらいの金色の髪を手で巻き上げながらその先に付いた赤黒い液体に顔をしかめる。

 

――素晴らしい。

「ああっと……ありがとおございます?」

 

 女の子のたどたどしい言葉に悪魔は目を細める。ただ成長させただけの赤ん坊の知能ではない。天才と呼べるものだった。時に英知を授けることがある悪魔としてはとても好ましい契約者であった。彼は蛇を撫でながら、赤ん坊のアメジスト色の目を覗き込む。

 

――では、契約だ。呼び出すための対価はすでに払われ、契約者は代理人たるあ奴ではなく、お前自身だ。で、あるならば、お前は何を望む?

「ええ……と……確認したいことがある」

 

 赤ん坊はまず前提を確認したがった。悪魔はますます、この赤ん坊に期待を寄せ始める。

 

「私が要求を提示する、君がそれを遂行できるのであれば、その分の労働対価をもとめる。この一連が契約、という認識でいいのか?」

――然り。そして、契約は常に公正だ。

 

 赤ん坊はしばらく考え、問いかける。

 

「一方で君を呼び出したのは私の父だ。しかし、君は私と契約を結ぼうとしている。これはどういうことだ?」

 

 悪魔はその問いかけに微笑むと、先ほどジョージから受け取った羊皮紙を取り出し、その内容を抜粋する。

 

――君の父は、私と君とが契約することを望んでいた。しかし、君がその席に座ることを期待してはいなかった。父である彼が、考える事の出来ない君と私の契約を代行する気だったのだ。そして、君の魂と肉体を捧げ、多大な恩恵を得ようとしていた。

 

 悪魔は羊皮紙を青い炎で燃やしていく。

 

――だが、そうはならなかった。君は神童だった。言葉を理解し、思考することが出来た。故に私は代理人とではなく、君と契約をする。

「なるほどねえ」

 

 女の子は腕を組みながらうんうんと頷く。

 

――さあ、望みを言え。

 

 しかし、その次の言葉に女の子は顔をしかめる。

 

「望み、と言ってもなぁ……。とりあえず私の父がどう言うことを望んでいたのかを知りたいし、今置かれている状況がどうなっているかも全くわからない。それくらいを知るのは対価なしでもいい?」

――いいとも。

 

 そうして悪魔は別の文字の書かれた物、羊皮紙ではなく紙でできたそれをどこからともなく取り出して読み上げる。

 

――どうやら、アヘンと奴隷の密売の片棒を担がせようとしたようだな。

「ええと?」

――アヘンは人に依存性、繰り返し使わせる性質がある薬物。奴隷は強制的に人が人を物品としてとして扱うことだな。現在、奴隷売買は禁止され、アヘンも禁止の法案が通ろうとしている所だ。

 

 女の子は腕を組み、目を彷徨わせながらやや考え、口を開く。

 

「私の父親は、アヘンで財を成していたけど、それが禁止になりそうで慌てて君を呼び出した、と」

――然り。

「じゃあ、次はこの世の中の状況が知りたい」

――言葉で説明するのは時間がかかりすぎるな。

 

 女の子のその言葉に悪魔は渋い顔をし、少しの間沈黙する。

 

――よし。

 

 そして悪魔はどこからか出してきた白い布を女の子に被せ、彼女のことを抱き上げて地下室から出て行く。

 階段を上がり、待ち構えていたジョージのことを視線だけで制すると、悪魔は屋敷の中のとある部屋、書斎へと足を運んだ。

 

――期限は1ヶ月。学んでみせよ。

 

 悪魔がそう言えば、女の子はきょろきょろと辺りを見渡して、やがて分厚い百科事典を引き抜いたのだった。

 

「ブリタニア百科事典……」

 

 女の子がぽつりとつぶやいた。

 

(ブリタニカ百科事典ではないのか……)

――それを読めば大体のことはわかるだろう。しばらく時間をやる。

「わかった」

 

 女の子は引き抜いたブリタニア百科事典を開くと、それをゆっくりと読み始める。

 

(ブリタニア……ロンドンではなくロンディニウム……)

 

 女の子が百科事典を読むペースがどんどんと早くなっていく。飛ばし飛ばしの斜め読みではなく項目一つずつに目を通していたし、その内容もしっかり理解していた。悪魔がそれを横で眺めているなか、女の子は一つの確信を深めていく。

 

(この世界は霧の都のマギ……それも主人公が生まれる前。父の名前はロングフェローということは、私は悪役令嬢か……)

 

 女の子が百科事典を長い時間をかけて読み終われば、次は新聞や論文を読み始め、時々目を閉じてしばらく考え込む。これからどうするのか、そして、後ろに立つ悪魔との契約をどうするかを。

 

(はっきり言って、すぐに逃げだしたい。しかし、今すぐには無理か?父が許さないだろうし、悪魔を無条件で送還するのにも対価は必要だろうからそれを払うことも難しい)

――質問をしても良いのだが?

(だが、百科事典やら新聞を読むに違和感があるな……)

 

 悪魔が声をかけても女の子は聞こえていないようで、彼女は一人思索の海へと潜っていく。

 

(現在は19世紀初めの水準。しかし霧の都のマギでは19世紀後半に近い文化水準だったはず。後30年に満たない期間でそうなることを考えると、もうすでにSLや飛行船なども普及し始めていてもよさそうだが、新聞を読む限りそうなってはいない……なぜだ……?)

 

 女の子は覚えている限りのゲームの設定を思い出していく。しかし、それを書き起こしたり口に出したりすることはない。なぜなら、この情報を後ろに立つ悪魔に知られたくないからだった。

 そして、暫く後、女の子は「なるほど」と小さく呟く。

 

――どうした?

(アイザック博士か!確かあいつがそれらの基礎を作ったって設定があった!だから今はそう言った科学技術が無いんだ!確か、主人公よりも10歳年上だったから、私の6歳上……となると……)

 

 女の子は猛烈な勢いで計画を立てていく。自分が知りうる知識と、霧の都のマギと言うゲームの知識、それらを総動員し、これからどう動くべきかを考える。

 

(もうすでに契約内容を詰める段階だから悪魔から逃げるのは難しい。ならば……)

「おい、悪魔」

――なんだ?

 

 女の子は顔を上げて不敵に笑う。

 

「君の名前は?」

――アスタロト。ソロモンのグリモワールにおいて29番目の悪魔だ。

 

 悪魔の名前を聞いた女の子は小さな両手を精一杯大きく広げ、

 

「アスタロト。悪魔よ、私と世界を征服しないか?」

 

 そう言ってのけたのだった。


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