昭和二十一年十月、CIE教育局の一室には、紙の匂いと煙草の煙が低く沈んでいた。文部省から提出された教育基本法草案の写しが、政策官の机に積まれている。彼はすでに三日にわたってこの草案を読み込み、一条ごとに注を加えてきた。今夜が、最後の逐条である。
第一条「教育の目的」を読み終えたとき、彼は鉛筆を置いて窓の外を見た。
人格完成という言葉のあとに続く「道義的判断力」と「公共精神と世界的視野」──占領期の再建精神を、これほど明瞭に言葉に結晶させた条文を、彼は他に知らなかった。彼はその所見を、戦後日本を国際的道徳国家へ位置づけ直す宣言だと書き留めた。
ただ、英訳の段になれば「公共の精神」も「平和で民主的な国家」も、訳語の選び方ひとつで意味が変わってしまう。彼は「common good」と「pacific democratic order」という訳語を提案として欄外に記した。
第二条に移ると、彼の筆は少し慎重になった。「義務」という語が、かつての忠誠や服従の残滓と読まれてしまう危険を、彼は誰よりも警戒していた。
だが条文が描くのは「自由なる社会において義務を果たす倫理性」であり、それは権利教育を補う、まったく新しい市民像だった。
彼は「高貴なる人間の義務」という訳出案に一度頷いたあとで、首を振った。貴族的な響きを払うため、「dignified responsibility」のほうがふさわしいと書き直した。
第三条、科学教育の条文に至って、彼はようやく頬を緩めた。
かつて軍需と原子力に奉仕した科学への反省を基底に置き、「未利用資源の開発」を「development of latent human and natural potential」と読み替える発想は、彼が見てきたどの国の教育法にもなかった発想だった。
彼はそこに「Peace-Science Curriculum」という言葉を書き添え、いずれ国際標準になりうる記述だと評した。
第四条、女子教育の条文では、彼の手が一度止まった。
「婦徳の再構成」という文言は、文化的アイデンティティと女性の自律性とを同時に守ろうとする、危うい綱渡りに見えた。婦人解放を方針とするGHQの立場からすれば歓迎すべきだが、「従来の婦徳の一部を内包しつつ」という一節が、伝統への過度な回帰と読まれる危険もある。
彼は懸念を記しつつも、解決され次第これを連合諸国へ共有すべきモデルだと結論した。
第五条、家庭教育の条文を読むころには、夜はすでに更けていた。
「教育は母性から始まる」という哲学に、彼は学校中心主義のGHQ方針とは異なる響きを感じた。だが戦災孤児や疎開帰還児童にとって、家庭の再建こそが急務であることを、彼は東京の焼け跡を歩いて知っていた。母性を、美徳としてではなく「人格形成の第一次的責任」として法文に定式化したこの条文を、彼は先進的だと評しながらも、宗教的文脈における家庭観との衝突に注意を払うべきだと書き添えた。
学校教育、教員、政治と宗教、機会均等、生涯学習──章を追うごとに、彼の鉛筆の速度は落ちていった。十年の義務教育、私学の尊重、教員の身分保障、政教分離、そして北海道・千島・台湾の原住民への配慮と方言への支援。
最後の章に至って、彼はペンを止め、しばらく動かなかった。これほど少数民族の権利を先取りした条文を持つ教育法を、彼は他に知らなかった。
夜半過ぎ、彼は最終総評を書き始めた。
これは単なるアメリカ型民主主義の移植ではない。道義と自由、母性と責任、平和と科学──緊張関係にある価値群を、日本人自身の文脈で調和させようとする立法的試みだ。CIEとして、この法案を原則として支持する。
彼はそう書いて、ペンを置いた。
窓の外はすでに白み始めていた。