もしもこんな日本だったら   作:fire-cat

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教育基本法―道義の譜― 第三話 活字になった朝

 昭和二十二年十二月五日木曜日、某全国紙の朝刊一面に「教育基本法案・全文判明」の大見出しが組まれた。

 未来を託す前文公開、自主・道義・和を高らかに、教育勅語に代わる国の魂、政府草案に盛り込まる――そう続く文字の下に、前文の抜粋が引かれていた。記事は、敗戦の痛苦と戦中教育への反省を滲ませながら道義と人格の再建を宣言する文面だと評し、政府関係者の談話として、道義という語にただの倫理ではなく民族の自律性を託したという一言を載せていた。

 識者の声も添えられた。

 教育学者の井上太郎は、教育法にこれほど格調高き前文が設けられた例は諸外国にも稀であると述べ、公明正大なる大道という語に目頭が熱くなったと語った。広島県立呉中学校の鶴見剛もまた、俯仰天地に愧じないという一節が、生徒の前で何を語るべきか迷ってきた自分への答えだったと述べている。

 その一週間後、青森県弘前市の尋常科教員、渡辺澄夫のもとにもこの記事は届いた。新聞が配られた朝、彼は思わず教室の黒板にその冒頭をチョークで書いた。われらは、国家再建に向かって出発するにあたって――黙読を始めた生徒たちのなかに、涙ぐむ者があった。渡辺は生徒に向かって、これは法律であって祈りだ、と言った。かつて彼らは勅語を畏れて黙読した。しかし今、道義を信じて声に出すことができる。十七年の教員生活の中で、彼は初めて教育を愛せた気がしたと、後に投書に書き残している。

 同じ頃、神戸の女子法律会に集う大澤春子は、雑誌『自由之婦人』の巻頭特集にこの前文への思いを寄せた。前文の中にある「家庭、社会、国家を形成する」という語を読んで、かつて自分は家庭に縛られていると感じていたが、今は違うと彼女は書いた。母性が教育の出発点として尊重されることが、言葉ではなく信任のように思えたのだと。彼女は夫にこう言ったという。この法律の中の和は、あなたの命令ではなく、わたしの選択でもあるのよ、と。私たちは育てる。ただ産むのではなく、育てる。そして語る。その尊さが、文字になった朝だった、と彼女は綴った。

 文教出版社の教科書編集部でも、この前文は静かな波紋を呼んでいた。編集第二課課長補佐の伊藤次郎が回覧した所見には、文語調でありながら旧来の修身語彙とは全く異なる精神があると記されていた。とりわけ「利己心を越えて公明正大なる大道を歩み」以降のくだりは、義務教育用副読本の導入部分に極めて相応であると評価された。現代仮名遣いとの整合をとるため、俯仰天地、愧じないといった語には読解支援の脚注が必要だと判断され、社会科導入編や国語表現読本の冒頭に、この前文から学ぶ道義という特集ページ案が、編集会議で継続審議されることになった。

 新聞の活字、教室の黒板、雑誌の巻頭言、教科書編集部の回覧文書――前文はそれぞれの場所で、それぞれの形に姿を変えながら、人々の手から手へと渡っていった。

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