昭和二十一年九月二十七日、第一生命ビル内のGHQ本部第一会議室。CIE教育再設計分科会主任顧問のジェームズ・N・スコット海軍少佐と文化担当官のロベルト・ハノーヴァーが、文部次官の西園寺公明、初等教育局長の山村洋一と向き合っていた。
スコットはまず、草案の核心にある「道義」という語の性質を問うた。戦前の国家主義的道徳教育とは質的に異なるものか、と。
西園寺は答えた。本法案における道義は、儒教的・仏教的倫理を基礎としつつも、それを個の自律と公共との調和として再解釈したものだ。もはや天皇への忠誠や国家の名において善悪を測るものではない。人類に対して責任を負う自由人を育てる理念である、と。
スコットはそれをリベラル・デモクラシーの倫理と合致すると認めつつ、排他的な日本精神論へ転化しないよう記述と運用に気を配るべきだと付け加えた。
話題は高等教育の分岐構造に移った。師範学校、専修学校、専門学校を並立させ多様な進路が設けられる構想だが、CIEが提案した米国の単線型大学制度との整合性をどう考えるのか。と、ハノーヴァーが問うと、山村が、農山漁村部からの進学や、戦災で中退した青少年の再教育という現実を語った。
単線型では進路が一本道であり、途中で社会に出た者が一段低く見られかねない。昼間働き夜間に学ぶ者、実践的な専門知識を学ぶ者、教員を志して寮生活を送る者――複数の進路を用いた分岐型こそが、戦後復興の現実に即した柔軟性を確保できるのだ、と。
スコットはそれを、学歴の階段というより教育の回廊として設計しているのだなと評し、その柔軟性を認めた。
母性と家庭教育の強調についても議論が及んだ。ハノーヴァーは、母の義務、母性の教育 責任という語の繰り返しが、女性の社会的自由を拘束するものではないかと懸念を示した。西園寺はむしろ逆だと答えた。母性とは社会への貢献の出発点であり、子を産まぬ女性にも育て導く意志と情熱が備わるものだと考えている。徳としての母性を、戦前の供犠としての母性から解放したいのだ、と。
スコットは第四条を見る限りその意図は明確であり、家庭から始まる教育理念には、アメリカのPTAにも近い面があると応じた。
結語として、スコットは草案全体を、自律・責任・共生という民主教育理念を和の伝統的価値と接合させた意欲的な内容と評し、いくつかの用語の翻訳と施行規則の明文化を前提に、法案骨格の支持を本国に推奨する意向を示した。
西園寺は深く感謝を述べ、戦後日本の教育は自由のための倫理から再建されねばならぬと信じている、と答えた。
この会談から一年余りを経て、教育基本法は前文と六章、附則を備えた一つの法律として成立した。
われらは、さきに、日本国憲法を確定し――その書き出しは、第一会議室での折衝、文教委員会での問答、CIE政策官の逐条の鉛筆、ロンドンの報告書、弘前の教室の黒板、神戸の婦人の声、そのすべてを束ねて一つの文章になったものだった。
法律は、教えるためにではなく、育て合うための約束として、ここに制定された。