国民の休日及び祝日に関する法律(昭和二十四年法律第百七十八号)
読んでくださいね。これを基にして書いていますので。
年末年始のドタバタを描くつもりが……なぜだ!
1987年12月15日――東京・東京湾国際空港――
アレックス・カーターとジェームズ・カーターの兄弟は、滞在予定の宿の確認書を握りしめながら、空港のロビーに立っていた。
彼らはアメリカ西海岸からの長旅を終え、日本で年末年始を過ごすために初めて来日した。彼らの興味は日本の歴史と文化――とりあえずは東京近郊を巡り、郷土料理を楽しむこと。そして年越しは賑やかな東京で過ごすつもりだった。
「へえ、東京湾に浮かぶ国際空港か。1955年に作られたとは思えないな」
ジェームズはロビーの高い天井を見上げながら呟いた。ガラス越しに広がる海の景色が、近代的な空港の雰囲気を際立たせている。
「最近は滑走路を延長したり、改修工事も少しずつ進んでいるらしい。設備のアップグレードも計画されてるとか」
アレックスが案内板を確認しながら言う。
「で、俺たちはこれからどこに行くんだ? 向こうの大型飛行艇に乗るのか?」
ジェームズは窓の外に見える水上の発着場に目を向ける。
「いや、まずは都内の宿に向かう。開港当初からの水上バスや電気で走るらしい高速バスも気になるが、ここは噂の海上モノレール一択だな。まぁ向こうの飛行艇も面白そうだが、まずは荷物を置かないとな。あの飛行艇はオキナワやハチジョー、ボニン、激戦地だったイオートー、日本最東端のマーカス(南鳥島)も行くらしいから機会を見つけて乗ろうぜ。マーカスは空港から出られないらしいけどな」
アレックスは予約した宿の確認書を軽く指で弾いた。
「東京の宿はホテルではなく、家族で営むこぢんまりした宿を選んだんだ。ワットから聞いてたけど、こういう宿は地元の楽しみ方も教えてくれるらしい。朝夕の食事も家庭的だというし、滞在をより深く楽しめると思うがな」
ジェームズは興味深そうに頷いた。
「いいね、日本ならではの暮らしが体験できるってわけか。それで、着いたらまずは何をする?」
「ガイドに書いてあった浅草寺に行こうと思ってる。せっかく日本に来たんだし、歴史ある場所を見ておきたいだろ?」
「了解。んじゃ早速駅に向かうか!」
ターミナルの自動ドアを抜けると、潮風が頬を撫でる。少し肌寒い空気が、冬の訪れを実感させる。
人工島に設けられた駅は波に揺れることはないが、ガラス窓越しに広がる白波がその存在を強く意識させていた。
「おい、見ろよ、あの波!」
ジェームズは窓に顔を寄せる。
「やっぱりここは海の上に浮かんでるんだな!」
「湾内にはあるが、浮かんでいるわけじゃないだろう……いや、ある意味浮かんでいるのか?」
アレックスは少し考え込むように言った。人工島という概念は理解していたが、こうして目の前に広がる海を見ると、不思議な感覚に襲われる。
はしゃいでいる二人の前に対岸の江東区にあるターミナル駅行きの車両がプラットフォームへ静かに滑り込んできた。
その車体はまるで旅客機のような流線型をしており、側面の横長の窓が陽光を受けて輝いていた。
「このモノレール、本当に動くのか? 未来の乗り物みたいだな……」
呟くアレックス。
扉が開くと、二人はまばゆい太陽の光が差し込む車両に足を踏み入れた。
車両のデザインは航空機に似ており、横長の窓からは、海面と遥か彼方の陸地が見渡せる。運転席も車体上部に設けられ、前方の視界を遮らない構造になっていた。
「旅客機みたいな内装だ……。でもこれ、モノレールなんだよな? マジでこのままスターブレイザーの世界を走りそうだ」
車内を見渡したジェームズ。
車両がゆっくりと動き出すと、窓の外には陽光を反射しながらきらめく東京湾が広がり始めた。
モノレールは、海面より15メートルの高さにある軌道を静かに滑るように進んでいく。
「これは……まるで豪華客船に乗っているみたいだな」
アレックスは思わず声を漏らした。
江東区のターミナル駅を目指して進む車輌の前方には、滑走路から離陸した飛行機が空へ舞い上がり、遠くの海上には水面をなめるように低空飛行する飛行艇の姿があった。
二人もカメラを取り出し、この信じがたい光景を収めようとする。
車内アナウンスが英語と日本語で流れる。
「本列車は、江東区まで約15分で到着いたします。この先の防波堤区間を走行中は、波の景色をお楽しみください」
車内には穏やかなピアノの調べが流れ、旅客機のような落ち着いた雰囲気が漂っていた。
モノレールは駅から50m程離れるとなだらかな斜路に差し掛かる。ゆっくりと高度を下げながら進むと目の前には穏やかな東京湾の海面が広がっていた。この中央防波堤区間はモノレールの軌道が海面からわずか5メートルの高さにあるため、窓から見える海面は驚くほど近く、まるで波と一緒に走っている様に思えると、利用客からも人気が高い場所だった。
海の上を滑るように進む感覚を覚え、車両の窓から外に目をやると、其処にはきらめく水面の美しさが広がっていた。
二人は窓際に身を寄せ、波の動きが手に取るように見えることに驚いた。
「おいおい、ウソだろ、こんな光景見たことない……。モノレールが完全に海の上を走っている! 行先は23世紀に違いない!」
興奮気味なジェームズ。
「こんなに海に近い乗り物は初めてだ……」
アレックスが呟く。
「そう言えばここって、サミットで各国首脳が『世界大会の選手団が開会式で歩いたように、我々も海上の壮大な景色を歩いて楽しみたい』なんて言い出して、警備上の問題で却下された場所だったよな?」
「そう言えばそんなこともあったな。あれは却下までに相当揉めたらしいぞ」
地元の乗客は慣れた様子だが、観光客は興奮して写真を撮っている。
「俺たちだけじゃなくて、他の観光客も興奮してるな」
「そりゃそうだろ。海面がこんなに近いんだぜ。海面を照らす太陽光、そこを突き進むモノレール! こんな良い景色見られるなんて、幸先いいね。噂の電気自動車も気になるしな」
「いいな、これからが楽しみだ」
だが、抱いていた期待感はすぐに違和感へと変わることを二人はまだ知らなかった――この時期、この都市には、想像もしなかった別の顔があることを二人はまだ何も知らなかったのだ。
通常の鉄道よりもスムーズな加速と減速に驚きを隠せない二人。
「揺れないのが不思議だな……。海の上なのに、まるで地面の上を走ってるみたいだ」
ジェームズの言葉に
「飛行機の滑走みたいなスピードだが、驚くほど静かだな」
そう応えるアレックス。
中央防波堤区間を2.5km程過ぎると速度が落ち、モノレールは陸地へと近づく。
陸地に近づくにつれ、モノレールはゆっくりと再び高度を上げていく。再び海面より15メートルの高さへと上昇する車両の窓からは、東京湾の港湾施設が広がり始めた。
二人がカメラを取り出し、この空と海と都市の狭間にある奇跡の交通機関を記録しようとする。
都市と海の狭間を抜けるこの旅は、ただの移動ではなく、一つの特別な体験そのものだった。
やがて車両は減速し、江東区のターミナル駅へと到着する。
二人は日本初の旅の第一歩を踏み出しながら、振り返ってモノレールの車体をじっと見つめた。
「未来に来たような気分だ……」
「ああ。これはただの交通機関じゃないな……まるで、空港から都市へ降り立つ前の最後のフライトのようなものだ」
アレックスもそう呟きながら、二人は人々の流れに乗って駅から街へと歩き出した。
「ん? なあ、こんなに日本の平日は閑散としているのか?」
駅から下りた目の前のバスターミナルには平日にもかかわらず、会社員らしき姿がほとんど見当たらない。直前までの賑わいと比べ、まるで別の世界に来たかのようだ。
「そう言えばそうだな。荷物を持った親子連れとまだ若い奴らだけだ」
ジェームズの言葉にそう言えば。と周囲を見回すアレックス。
「若い奴らは会社員には見えないな。どう見ても学生だ。会社員はどこに行ったんだ?」
ジェームズが近くにいたバスターミナルの職員に尋ねる。
「なぁ、あんた。ちょっと聞きたいんだが。いつもこんなに日本の平日は閑散としているのか? 会社員はどこ行った?」
職員は一瞬、何のことだ? と首を傾げかけたが、すぐに、ああ。といった表情を浮かべた。
「ああ……12月は後半になると法人が休業しだすんです。企業の中でも早い所だと23日の天皇誕生日から社員が正月準備とかで休みがちになる部署もあるらしいですよ。だからこの時期は経費の精算や予算取りの準備とか年末までに済ませる必要のある仕事に励んでいる企業が多いんで、外にいる会社員が少ないんです」
アレックスは周囲を見渡し、閑散とした街の様子に眉をひそめる。
「それにしても、こんなに静かになるのか……?」
と呟くと、職員が続けた。
「こんなのは序の口ですよ。年末年始は法律で法人は完全休業とされていますからね、こんなもんじゃありません。公共交通は減便になりますし、運送もストップ。銀行やコンビニ、スーパー、百貨店はもちろん、観光案内所や大型ホテル、レストラン、劇場やレンタルショップ、車の給油所や充電所も、会社という会社が、政令で公共性を担うと指定された法人以外は完全に休みになりますよ」
その言葉にジェームズは驚いた。
「えっ、都市機能が殆ど止まるってことか?」
職員は苦笑しながら答えた。
「ええ、違反して営業したら1月の総売上没収という厳重処分が待っていますから完全に休みます。まあ、屋台は開いていますし、個人商店も稀に営業していることもありますが、外国からの観光客の方にはちょっと不便かもしれませんね……」
「待て待て待て。じゃあ、食料はどうするんだ? 日本人は年末年始は何も食べないのか?」
ジェームズの驚いた問いかけに
「まさか。そんなことがない様にあんな風に色々買い溜めしたり、田舎に帰ったりして過ごすんです」
笑って答える職員。
アレックスは腕を組みながら考え込んだ。合衆国では祝日でも店が開いていることが多い。しかし、日本では年末年始の静寂が規則として定められていて、都市そのものが休息するようになっているらしい。
「合衆国とは全然違うな。日本の祝日って、何か特別な意味があるのか?」
ジェームズが尋ねると、職員は頷きながら答えた。
「ええ。法律で定められた祝日は、単なる休みではなく『社会全体が休む』という前提で作られています。特に年末年始は、人の動きがほとんど止まり、日本中が静かになります」
二人は顔を見合わせ、予想していた賑やかな年越しのイメージとの違いに戸惑いを覚える。都会の喧騒から離れた異国の静寂――これは予想外の体験だった。
「つまり、俺たちは東京の賑やかな年越しを期待していたけど、実際は……」
「静かすぎる街を歩くことになりそうだな。俺たちは下町の民宿に泊まる予定なんだが、年越しにどこかお勧めなところはないか?」
職員は「下町に滞在されるなら、浅草寺の初詣はおすすめですよ」と答えた。そして少し考えると「あそこは下町一帯の人が押し寄せますから人混みがすごいですけどね」と付け加えるのであった。
――こうして、アレックスとジェームズの日本滞在は、予定外の『静寂の都市』での体験として始まることとなった。
12月29日(火)
「さて、いよいよ29日になったわけだが、本当に街が休んでいると思うか?」
「出てみればわかるさ。宿の主人に教えられてから現金は一週間生活できる程度用意しているしな」
「教わらなかったらヤバかったな。ATMも休みになるなんて知らなかったぜ」
「日本じゃクレジットカードはまだまだ一般的じゃないからな」
宿の外に出る兄弟。
「おぉ。マジで都市が止まってら」
「でもみろよ、ポリスは働いているぜ」
「日本じゃ何かあったらポリスに助けを求められるんだよな。そこら辺のポリスも英語はある程度話せるって聞いてるぜ」
「助けを求めることにならなきゃいいけどな」
「警察はいつも働いているんだな……でも、それ以外は本当に止まっているのか?」
少し歩いてみることにした二人。通常なら賑わう飲食店や百貨店も、すべてシャッターが降りている。
「冗談じゃなくて、本当に休んでるんだな」
「でも見てみろよ、交差点には時折車が走ってる。完全に止まったわけじゃないようだ。しっかし、ここは本当に東京なのか? 昨日までの喧騒はどこに行ったんだ?」
「都市機能が止まるなんて想像もしていなかったが、こういうこと……なのか?」
彼らは少し戸惑いながらも、この「静寂の都市」をどう楽しめるか考え始めた――。
「昨日まではこの辺りも賑わっていたんだがなぁ」
29日を迎えた途端、大通りにはほとんど人影がなくなっていた。二人が通った映画館もシャッターを下ろし、レストランもすべて閉まっている。
「まるでゴーストタウンだな……」
ジェームズのそんな言葉に苦笑を返すアレックス。
「ゴーストタウンにしちゃ飾り付けが華やかだが」
「なぁ。食事はどうする? 宿に戻れば買い込んだのがあるが、せっかくだから旅先ならではってやつを食ってみたいんだが」
「そうだな」
ジェームズの言葉に、食事が摂れる場所を探そうとしたが、近くのコンビニも休業、自動販売機は動いているが、二人が見つけられた店は寺の境内にある小さな茶屋だけだった。
「おいおい。マジでなんもねえな」
「まさか自動販売機の缶コーヒーで済ませるわけにはいかないよな?」
「それはさすがに寂しすぎる……寺の茶屋、覗いてみるか?」
二人は静まり返った通りを抜け、境内へと向かった。そこには古びた木造の茶屋があり、暖簾が揺れている。中から湯気の立つ香ばしい匂いが漂い、期待が高まる。
「ようこそ。寒い中、ご苦労さまですな」
茶屋の主人は和やかな笑顔で二人を迎えた。
「すみません、開いている店をここぐらいしか見つけられなくて……何か食べられますか?」
アレックスが訊ねると、主人はうなずきながら湯呑みを手渡した。
「お茶でも飲んでいきなさいな。うどん、甘酒、おでんならすぐに出せますよ」
「おお、それはありがたい!」
「この時期のものを食べたいとおっしゃるなら雑煮、焼き餅、お汁粉がお勧めですが少々お時間を頂きます。ああ、珍しい所ではアメ餅がありましたな」
「雑煮ってどんな料理なんだ?」
ジェームズの問いかけに主人は笑いながら説明した。
「日本のお正月に食べる伝統料理です。もちを入れたスープでね、地域ごとに少しずつ違うんですよ。うちの雑煮は黒糖雑煮になります」
「黒糖雑煮?」
「昆布だしでお餅を煮て味噌を入れて最後にどっさり黒砂糖をかけた雑煮です。妻の実家がある福井県の小浜で食べられています」
「想像がつかないな。アメ餅というのは?」
「アメ餅は温かくした麦芽あめにお餅を入れて、さらにきなこをかけて食べる餅ですね。本来は三ヶ日に食べる東北地方の郷土料理です」
アレックスとジェームズは顔を見合わせた。来日前に予定していたレストランでの食事とは違うが、むしろこの日本の特異な祝日文化を味わう絶好の機会かもしれない。
「じゃあ、その雑煮をお願いしよう」
「俺は焼き餅も食べたいな!」
こうして、静まり返った都市の中で、二人は日本の冬の味覚を楽しむこととなった――。
「そう言えば、日本人はこの時期はどう過ごしているんだ?」
雑煮と、食後に勧められた「お汁粉」というスイーツー――豆を甘く煮たものと知った時は驚いたが――に舌鼓を打ち満足したジェームズが、気になっていたことを尋ねた。
「そうですなぁ。私どもの様な家族でやっている店や屋台はこれからが掻き入れ時ですから忙しくなりますな。まあ、うちも三が日は流石に休みますが。年末分の休みはまとめて小正月頃取りますよ」
食後のお茶を出す店主。
「私どものような個人的な店ではない普通の家庭でも、この時期は正月飾りを済ませたら正月のおせちを拵えたり、餅を搗いたりと意外と忙しいものですよ」
12月30日(水)
「今日も閑散としているかと思えば……」
どこからともなく聞こえてくる声を辿る二人。表通りから一歩奥に入ると、車も止まっていない月極駐車場に大人と子供が集まり、何やら賑やかな様子だった。
「何をやっているんだろうな?」
「行ってみるか」
物珍し気に寄ってくる二人の外国人を見つけた大人が声をかけた。
「今日は。今から餅つきをやるのですが、お二人も参加してみませんか?」
アレックスは興味津々に頷いた。
「日本の年末の行事ってやつか?」
「そうです。餅は新年の縁起物ですからね。正月に食べる餅を家族や近所の人と一緒につくるんですよ。餅つきも日本では大事な行事の一つですから」
そんな言葉に、ジェームズは腕を組みながら周囲を見渡した。大きな臼と杵が準備され、すでに湯気が立ち上っている。
「これが餅つきか……思ったより本格的だな」
二人を誘った大人が説明を続けた。
「まずは餅米を蒸したものを、この臼に入れます。もち米を入れたら杵で潰します。ある程度潰したら、搗いてなめらかにしていくんです」
「なるほど。でも、けっこう力がいるんじゃないか?」
「ええ、二人で役割分担するとやりやすいですよ。この臼の餅米はもう潰しているので後は搗くだけです。餅を搗くときは一人が杵で搗いて、一人が餅をひっくり返します」
「よし、俺が杵を持つ!」
ジェームズが即座に手を挙げた。
アレックスは苦笑しながら杵を手に取ったジェームズを見た。
「そんなに張り切って大丈夫か?」
「大丈夫、こういうのは勢いが大事だろ!」
「息が合わないと手を打って大変なことになりますから注意してください。では、力強くいきましょう」
いよいよ餅つきが始まる。
ジェームズが杵を振り上げ、臼の中の餅をめがけて振り下ろした――
「どりゃっ!」
予想より重い音が響き、アレックスが慌てて餅をひっくり返す。
「おいおい、もうちょっと慎重にやれよ!」
「悪い悪い、思ったより重いな、この杵!」
二人が息を合わせながら餅をつく。最初はぎこちなかったが、次第にリズムが合ってきた。
「ほら、いい感じになってきたぞ!」
集まった子供達が笑顔で見守る。
「わぁ。お兄ちゃん達上手」
そんな声に、同じように見守っていた大人たちも
「ああ。上手いもんだ。何回か経験しているのかい」
「いいえっ! 今回がっ!」
「初めてですよっと」
息を切らせながら答える二人に
「では、もう少しついたら形を整えて餅にしましょう」
と声がかかる。
やがて餅がなめらかになり、二人が達成感に満ちた表情を浮かべた。
「これが日本の餅か……見た目よりずっと手間がかかるんだな」
アレックスが感慨深げに言う。
「いや、これは面白かった! いい運動になったぜ」
ジェームズは汗を拭いながら満足げに頷いた。
「つきたての餅は、すぐに食べると最高ですよ。柔らかくて美味しいんです」
大人達が、きな粉とあんこを準備してくれた。
「おお、つきたての餅か! 早速食べてみよう」
二人は熱々の餅を頬張り、そのふんわりとした食感に驚いた。
「これは……美味い!」
驚くアレックスに子供たちが、
「ねっ? もちもちしてるでしよ?」
と,声をかけてきた。
「日本の年末って、こういう体験ができるのがいいな……」
こうして、二人は日本の年末ならではの伝統を楽しみながら、正月の準備に触れるのだった。
12月31日(木)
朝、アレックスは目を覚ますなり顔をしかめた。
「……おい、ジェームズ、起きてるか?」
「起きてる、というか、身体が動かない……」
ジェームズは呻きながらゆっくり腕を持ち上げようとするが、途中で力尽きた。
「昨日の餅つき、思った以上に身体にダメージ残ってるぞ……杵、重すぎだろ……!」
アレックスは慎重に立ち上がろうとするが、足の筋肉が悲鳴を上げる。
「嘘だろ、腿が痛すぎる……!」
宿の主人が朝食を運んできながら苦笑した。
「餅つきをすると、普段使わない筋肉を使いますからね。杵を振るった腕と、踏ん張った脚にきますよ」
ジェームズはテーブルの前に座るのも一苦労していた。
「こんなに筋肉痛になるとは思わなかった……スポーツじゃなくて、食べ物作っただけなのに……」
この日、二人は外出することなく部屋に籠ったままだった。
夕方、宿の主人が二人の様子を見に来た。
「今日の夕食は、そばですよ」
「そば? 蕎麦ってあの蕎麦?」
腕を少し震わせながらも、手真似で蕎麦を手繰る動作をするジェームズ。
「ええ。今日は年越しですからね。日本では『年越しそば』を食べて一年を締めくくるんですよ」
「年越しそば?」
ジェームズが首を傾げた。
「ええ、寿命を延ばして家運隆盛を願うとか、他の麺に比べると切れやすいので一年の厄を断ち切り新しい年を迎えるために食べるとか、畑のソバは風雨に当たっても起き直ることから、捲土重来を期すとか言われている縁起物です」
アレックスは興味を持ってうなずいた。
「ほう、それは面白いな」
主人は厨房から温かいそばを運んできた。上には香ばしい大ぶりの海老天が乗っている。
「これは……シンプルだけど、うまそうだな」
そう言いつつも、アレックスは箸を持ち上げる動作がぎこちない。
微かに「昨日の餅つきの後遺症がまだ……」と小さく呟く声も聞こえていた。
ジェームズもまたそばをすすりながら、顔をしかめた。
「……これ、箸を持ち上げるのが腕に響くな」
風味豊かな出汁の香りが広がり、日本の年末の空気を感じる。
ジェームズはそばをすすりながら、ふと窓の外を見た。
「こんなに静かな年越しになるとは思わなかった」
「一年の終わりにこうして静かに食べるのも悪くないな……歌番組も終わったら浅草寺に向かうか? ここからなら近い。筋肉痛もだいぶ治まってきたからな」
「そうだな、除夜の鐘とやらを聞きに行こう」
そんな二人に主人が一言。
「年越しそばは今年中に食べ終わらないと、新しい年に金に苦労すると言われますから、伸びないうちに早く召し上がってくださいね」
そばを食べ終えたアレックスが宿の窓から静まり返った通りを見下ろす。ニューヨークやロンドンのカウントダウンのような賑やかさはなく、日本の年越しはまるで世界が休息に入るかのようだった。
「本当に静かだな……」
ジェームズはため息混じりに呟いた。都市の明かりは控えめに灯っているが、騒がしさはない。時折、遠くから除夜の鐘の音が響いてくるだけだった。ジェームズは腕を組みながら、一昨日に茶屋の主人から聞いた話を思い出し考え込んでいた。
「でもさ、年越しの日は日本人は何をしてるんだ? 家で静かに過ごしてるのか?」
茶屋の主人は笑いながら答えた。
「一般的には家でゆっくり過ごすことが多いですよ。年越しそばを食べたり、紅白歌合戦を見たりとね」
「ほう、歌番組か」
「ええ、毎年恒例です。そして除夜の鐘が鳴ると、初詣に行く人も多いですね」
アレックスとジェームズは顔を見合わせた。
「つまり、静かだけど、何もしていないわけじゃないってことか」
「そういうことだな」
時計が23時50分を指すころ、街の静けさはそのまま続いていた。
「そろそろ浅草寺に行ってみようぜ」
「そうだな。人混みがすごいって言ってたからな。ニューヨークみたいな賑やかさがあるかもしれん」
――静寂の中、異文化の年越し体験が待っている。そう考える二人の胸には、未知なる体験への期待感が高まっていった。
人の流れについて行くと
「おいおい、こいつは……」
「すげえな。どこから湧いてきたんだ?」
地元の人々が列を作っていた。その後ろに並び、厳かな雰囲気の中で鐘が108回突かれる様子を目の当たりにする。
「まるで、都市そのものが、新しい時間へと滑り込んでいくようだ」
アレックスはゆっくりと息を吸い込み、冷たい空気の中に漂う香りを感じた。線香の匂いが微かに混ざり、穏やかな鐘の音が深く響く。
ジェームズは目を凝らした。
「昼間はあんなに静かだったのに、ここだけは全然違うな。まるで街が目を覚ましたみたいだ」
彼らの周りでは、地元の人々がゆっくりと前に進みながら祈りを捧げている。中には家族連れも多く、子供たちが手を合わせる姿が印象的だった。
「これは思った以上の光景だな……ニューヨークとは違うけど、これはこれで風情がある」
「確かに。カウントダウンの騒がしさとは違って、これは……静けさの中の祝福みたいだ。聖誕祭のミサに通じる荘厳さがあるな」
ゆっくりと列が進み、やがて本堂の入り口に到達する。手を清める人々が次々と柄杓で水をすくい、鐘の音と共に新年への祈りを捧げる。
見よう見まねで同じ動作をしたアレックスはふと問いかける。
「なあ、日本ではこういう風に新年を迎えるのか? 騒ぐんじゃなくて、祈ることで一年を始めるんだな」
ジェームズは頷きながら、おなじように手を合わせた。
「いいな……こういうのも悪くない」
彼らは日本の新年の習慣に触れながら、都市が新たな年を迎える静かな瞬間を過ごしていく――。
アレックスとジェームズは、浅草寺での初詣を終えた後、ゆっくりと夜道を歩いていた。空気は澄んでいて、先ほどまでの賑わいとは対照的に、街は再び静まり返っていた。
「面白いな……あんなに人がいたのに、今はほとんど誰もいない」
ジェームズはしみじみと言った。ニューヨークやロンドンでは年越しの後もしばらく騒がしさが続くが、日本では祝祭が終わるとすぐに落ち着くのが不思議だった。
「これが『新しい年の始まり』ってことなんだろうな」
アレックスは宿の鍵を取り出しながら呟いた。
1月1日(金)
窓の外には、まるで時間が止まったかのような静けさが広がっている。新年の朝、街はゆっくりと目覚めるように息をひそめ、その厳かな空気が、二人の胸にじんわりと染み込んでいく。
穏やかな足音が近づき、宿の主人が丁寧に朝食を運んできた。
「新年、明けましておめでとうございます」
「アケ……オメデ……?」
聞きなれない言葉に戸惑う二人。
「ええ、日本ではこう言って新年を迎えるんですよ」
二人は少しぎこちなく「明けましておめでとうございます」と返した。
「朝食は、おせち料理です。日本では新年の初めにこうした特別な料理を食べるのですよ」
主が手際よく重箱を並べる。
見慣れない華やかな模様の重ねられた箱に興味を隠せない二人。
「これは……すごいな!」
主がふたを開けた中を覗いたジェームズは目を輝かせた。
「随分とあるんだな」
「そうですな。おせち料理は、一年の始まりを祝う特別なものです。料理は『祝い肴』『口取り』『焼き物』『酢の物』『煮しめ』と分かれておりまして、それぞれ意味を持っています。ここ最近はだいぶ変わってきましたが、うちでは昔ながらの形でお出ししております」
どこか誇らしげな主。
「こちらの重箱の一番上が初乃重となります。こちらは祝い肴と口取りが納められております。こちらから田作り、黒豆、数の子です。この三品が祝い肴三種と申しまして関東では定番の縁起物です。関西では田作りがたたきゴボウと言われる料理に代わりますね」
「へぇ。何か意味があるのかい」
アレックスの言葉に、待ってましたとばかりに説明を始める主。
「田作りは五穀豊穣を、黒豆はまじめな暮らしを、数の子は子孫繁栄を願う意味が込められています。この祝い肴三種とお餅をそろえれば最低限のお正月のお祝いができるとも言われております」
隣が気になるジェームズが尋ねる。
「この隣は何?」
「こちらは「口取り」となります。錦玉子、紅白かまぼこ、伊達巻、栗きんとん、昆布巻きです」
初乃重を除ける主。
「下は二乃重と申しまして、「焼き物」が入っております。鯛、鮭、エビ、ハマグリ。関西では鮭の代わりにブリが使われますな」
同じように下の箱を開ける。
「これは三乃重と申します。煮しめと呼ばれる煮物が入っております。筑前煮とタケノコの土佐煮です」
さらに下の箱を開ける。
「与乃重と申します。酢の物が入っております。紅白なますに酢れんこん、そして菊花かぶですね。最後に控乃重となります」
開けられた箱を覗き込む二人の目には何も入っていない空箱が映っている。
「おや、空じゃないか。入れ忘れか?」
首を傾げる兄弟に、
「いえいえ。これは年神さまからの福を詰め、さらに幸せが入るようにと敢えて空にしておくものでございます」
「へぇ。そんな謂れもあるのか」
異文化の奥深さに感心する二人。
宿の主人が料理の説明を続ける。
「おせちは単なる正月料理ではなく、一つ一つの料理にも意味があるのです」
アレックスは興味津々に箸を手にしながら尋ねた。
「例えば?」
主人は嬉しそうに頷きながら続ける。
「この錦玉子は卵の黄身と白身が金銀の「二色」に見えることから「錦」にかける縁起ものです。紅白かまぼこは形が日の出に似ていて、紅は魔除けや喜び、白は神聖さを現していますね。伊達巻は巻物に似ていることから、学問成就や文化の繁栄を願い、栗きんとんは「きんとん」を漢字にすると、こう「金団」って書くんですよ」
主人が漢字を書いて見せる。
「栗は財宝が詰まった袋を、きんとんは色が金銀財宝を連想させるんです。昆布巻きは「喜ぶ」と語呂合わせと昆布に「子生」の字を当てられることから、子宝を願うんです」
「子宝を願うのが多いんだな」
「昔から子は宝ですから。この焼き物ですが、鯛は「めでたい」、鮭はさかえるとの語呂合わせ、エビは姿が丸く曲がっていることから、腰が曲がるまで長生きできるよう願うんです。ハマグリは二枚の殻がぴたりと重なるから「夫婦円満」の縁起物ですね。形もアレを連想させますし」
主人のそんな言葉に大うけする二人。
「三乃重の筑前煮は様々な具材を一緒に煮ていることから、家族一緒に仲良く結ばれることを願う象徴ですね。タケノコは子供がすくすく成長するように、この手綱こんにゃくは結び目があることから、良縁や家庭円満を願うんです。クワイは大きな芽が出ていることから、立身出世を願うんですが、アッチの力も抑えてしまうので食べ過ぎにはご注意を。里芋は種芋を植えると子芋が多くつくことから、子宝を願うんです」
「なるほどなぁ」
と言いつつも、目が泳ぎだす二人。そんな二人にお構いなく説明が続く。
「与乃重の紅白なますは配色が祝袋の水引に見えることから、おめでたいことを連想させ大根とニンジンは土中に根を張ることから、家族の土台を築くことを願うんです。れんこんは極楽浄土の池には蓮の花が咲くことから穢れがないことを現す縁起物です。これは菊花かぶですが……菊は、皇室の象徴でもありますし」
「皇室の象徴!? そんなものを食べてもいいのか!?」
さすがに驚いたアレックス。疑問の声を上げる。
「菊は古くから繁栄や健康、邪気払いや長寿を願う時に食べたりお酒に浸したりしていましたから特に咎め立てとかはされませんよ。それにこれは菊を模した蕪ですから問題ありません。お節料理の説明は以上となります」
「おせち料理にそんなに意味があるのかぁ。覚えきれないなぁ」
目を丸くしながら、次々に出てくる意味に驚いていたジェームズは笑顔で、降参だ。とばかりに手を挙げていた。
「ええ。後で紙に書いてお渡ししましょう」
「それはありがたい」
箱を元通りに重ねる主。
一品づつ説明を受けたもののさっぱり分からなかった二人は隣の銀朱塗りの器に目を遣る。
「綺麗な漆器だな。この中に入っているのは食前酒?」
「これはお屠蘇と言う薬草酒です。この盃はお屠蘇専用の盃でこの時期にしか使用しないものです」
「これは雑煮ってやつかな?」
茶屋で食べた物に似たものがあることに気がつくジェームズ。
「そうです。どこかで食されましたか?」
「ああ。近くの茶屋でね。ただそこで食べたものと違う気がするな」
アレックスの言葉に、なるほどと頷く主。
「雑煮は地方や家庭によって違いがありますから。宿の雑煮はしょうゆのすまし汁に里芋、ゴボウ、鶏肉、青菜、しいたけに焼いた角餅を入れた物になります」
「そんなに違いがあるの?」
「宜しければ、明日は妻の故郷で作られる雑煮をお出ししましょうか」
「良いね。作れるなら他の雑煮も頼むよ」
かしこまりましたと頷く主の言葉に、テンションが上がる二人。
「この料理は食べる時の順番はある?」
早速、と料理に伸ばしかけた箸を止め、念のため作法があるか尋ねると、
「お好きに召し上がって構いませんが,正式な作法で召し上がるのであれば、屠蘇、祝い肴、お節、雑煮の順でお召し上がりください」
「やっぱり食べる順番はあるのか。そこはどこの料理も変わらないんだな」
二人は納得しながら、それぞれの料理の背景にある意味に感心しつつ食事を楽しむ――。
昼過ぎ、二人は再び東京の街を歩いていた。朝の静けさは少しずつ薄れ、商店街や飲食店はまだ営業はしていないが神社仏閣には賑わいが戻っていた。
宿の近くまで戻ってくると浅草寺では新年の賑わいが続いており、振る舞い酒や甘酒を楽しむ人々の姿が見える。
「昨夜は静まり返っていたのに、また活気が戻ってきたな!」
ジェームズは人々の流れを見渡しながら驚いた。
「この日本では、年越しは静かに迎えて、新年が始まるとゆっくりと動き出すんだな……面白い文化だ」
アレックスは感慨深げに言った。
1月2日(土)
「おぅ。今日の雑煮は真っ白なのか」
おせち料理は変わらないが、昨日出された雑煮とは打って変わったものが出されたことに驚く二人。
「妻の実家で作っていた雑煮で豆腐餅と言います。昆布だしの白みそに砂糖とお豆腐と焼いた角餅を入れた雑煮ですね」
食事を終え一休みしている二人に、
「今日は『書き初め』をするのですが、よろしければお二人もいかがですか?」
宿の主人が筆と和紙を用意しながら勧める。
「書き初め?」
「ええ、新年の抱負やめでたい言葉を書いて、一年の成功を願うものです」
「へえ。面白そうだな」
「やってみよう。上手く書くのは難しそうだけどね」
アレックスとジェームズは筆を手にし、主人が用意した「長生殿裏春秋富 不老門前日月遅」を見ながら興味を示す。
「これを書けば、一年がうまくいくのか?」
「そう願って書くものです。縁起が良い言葉ですからね」
二人は知らなかったが、それは、学問の神様の掛け軸を掛け新しい筆と墨を準備し,宿の主人が元日の早朝に井戸から汲んで神棚にお供えしていた若水と呼ばれる水で墨をすり、恵方に向かって書くという本格的な吉書始めだった。
書き初めを終え、主人がテレビをつける。映し出されたのは箱根駅伝だった。
「これは日本で人気のある駅伝競走です。お正月に行われ、大学生が東京と箱根を往復するコースで走ります」
ジェームズは興味深く画面を見つめた。
「なるほど、正月でもスポーツが盛り上がるのか」
「ええ。各大学の選手が必死にタスキを繋いで走る姿は、まるで新年の希望を繋ぐようにも感じますよ。私も出来れば箱根、せめて沿線沿いに応援に行きたいのですが、交通機関も減便。車で行こうにも給油所も充電所も休み。店やレストランも休みですし、ホテルも大きな所は軒並み休み。何よりこういう観光客向けの民宿では,年末年始の外出は夢のまた夢ですな」
二人は、日本ならではの正月の過ごし方にさらに惹かれていく――。
宿の主人が、午後はどこへ行こうかと相談する二人に微笑みながら話しかけた。
「ところで、お二人は『初夢』の準備をされましたか?」
「準備? 夢に必要なのか?」
アレックスが怪訝そうに尋ねる。
「ええ、日本では良い初夢を見られるように、『宝船の枕絵』を用意することがあるんですよ」
ジェームズは興味深げに前のめりになる。
「宝船?」
主人は棚から一枚の美しい絵を取り出した。それは七福神が乗る宝船の絵で、柔らかな和紙に描かれていた。
「この絵を枕の下に敷いて眠ると、良い夢を見ると言われています」
アレックスは驚いた。
「そんな風習があるのか。俺たちの国じゃ初夢って風習もないし、夢にこういう準備はしないからな」
「せっかくだし、買いに行ってみるか?」
「そうだな、日本の伝統ってやつを試してみよう。どこで買える?」
「この近くなら浅草寺でしょうな」
こうして、二人は浅草寺に向かい、新年の縁起物として宝船の枕絵を手に入れることにした。
「いらっしゃい。おや、珍しいお客さんだ」
「宝船の絵はある?」
アレックスの言葉に笑顔になる店主。
「ああ。初夢ですね」
「うん。宿の主人に教わって、せっかくだからというわけで買いに来たのさ」
「なるほど。お客さん、宝船も良いですけど、こっちの絵もどうです?」
「これは、富士山?」
「ええ。『一富士二鷹三茄子』という言葉があって、それが出てくると縁起がいいとされています」
「へぇ。折角だから両方もらおうか」
日本の文化と新年の過ごし方にさらに深く触れていく二人。こうして、この日本での一年の始まりが、異文化を学びながら続いていく――。
1月3日(日)
「どうだった? 良い夢、見たか?」
「うーん……俺は飛行艇に乗って、黄金の海を飛び回る夢を見たな。宝船とは違うけど、悪くはないんじゃないか?」
「俺は……よく覚えてないな。でも、これのおかげで良い年になればいいけどな」
アレックスは笑って懐から敷いていた絵を取り出す。
そんな二人に主人が微笑みながら言った。
「それなら大丈夫ですよ。この枕絵は『悪夢を見た場合、川に流せば災いが去る』という言い伝えもあります」
ジェームズは目を丸くした。
「そんな伝統まであるのか!」
日本の文化を深く知るにつれて、二人の滞在はますます面白くなっていった。
「今日の雑煮は讃岐の雑煮です」
「へえ。あんまり見た目は変わらないけど」
「味は食べてのお楽しみです」
悪戯気な宿の主人の言葉に首を傾げながら餅をほおばる二人
「「!!! 甘っ!!! なんじゃこりゃ!!!」」
驚く二人に、してやったりと主人が笑いながら説明を始める。
「これは讃岐のあん餅雑煮と申します。この餅はあんこが入った餅なんですよ。見た目はいりこ出汁の白味噌汁ににんじんと白大根で、普通の雑煮と変わらないのですが、食べた直後はみんな目を白黒させてしまいますな」
そんな宿の主人の声に思わず二人が声を上げた。
「「いや、これは驚かない方が無理だろう!」」
アレックスとジェームズは、朝食を終えた後、街に出てみることにした。
宿の外へ出ると、昨日の様子とほぼ変わらない静けさが広がっていた。
「まだ祝日か……昨日と同じくらい静かだな」
「都市が動き出すまで、もう少し時間がかかるのかもな」
しかし、街のあちこちでは商店主がシャッターを開ける準備を始めている様子が見える。
「なんだか、徐々に戻っていく感じだな」
「明日にはもっと店が開くだろうな……でも、日本では一気に戻るんじゃなくて、少しずつ動き出すのが面白いな」
昼下がり、二人は商店街を散策していた。
まだ正月の雰囲気が残る街の一角で、着物姿の子供たちが賑やかに羽根つきを楽しんでいる光景を目にした、ジェームズが足を止めて眺める。
「へぇ、これが日本の伝統的な遊びってやつか。ラケットで羽を打つなら、テニスと変わらないだろ?」
アレックスも腕を組みながら頷く。
「まあ、羽を打ち返せばいいんだからな。簡単そうじゃないか?」
すると、一人の女の子がにこやかに二人を見つめる。
「お兄さんたちもやってみる?」
「お、それはありがたい。俺たちに任せろ!」
ジェームズが自信満々で羽子板を受け取る。
「じゃあ、私と勝負ね!」
少女がもう一枚の羽子板を構え、対戦が始まる。
ジェームズは軽く腕を動かしながら構える。
「よし、テニスの要領で――」
しかし、最初の一打で思い切りスカした。
「えっ!? 羽が……軽すぎる……!」
アレックスは隣で爆笑しながら見守る。
「おいおい、テニスのノリで打とうとしてたのか? これはスマッシュじゃないぞ!」
ジェームズは気を取り直して再挑戦。今度こそ打ち返せるかと思ったが――
羽は想定以上に軌道が不規則で、思った方向に飛ばない。
「なんで狙ったところに飛ばないんだ!? なんだこの不規則な動きは!」
一方、少女は慣れた手つきで次々と打ち返し、まるで手加減なしのラリーを仕掛けてくる。
「お兄さん、テニスと違うんだよ~!」
ジェームズは汗をかきながら苦戦するも、負けが確定――。
「うぐっ……やられた……!」
すると、少女がにこりと笑いながら墨を手に取った。
「負けた人は、顔に墨を塗るのが羽根つきのルールだよ♪」
「えっ、マジか!? そんなペナルティ聞いてないぞ!」
アレックスはすでにカメラを構えながら爆笑している。
「おいおい、これは見逃せないな!」
少女は遠慮なくジェームズの顔に墨を塗る。
「よし、真っ黒になったよ!」
鏡を見たジェームズは思わず固まる。顔がまるで歌舞伎の隈取のようになっていた。
「ちょっ……これ、俺の顔か!? いやいや、塗りすぎじゃないか!?」
「大丈夫、正月だからね!」
「よし。交代だ」
笑い声を隠さないアレックスが交代を宣言する。
「じゃあ、こっちも交代。佳代ちゃん、お願い」
「良いよ~」
「手加減はしないぜ、お嬢ちゃん」
「こっちの台詞だよ~。お兄さんも真っ黒にしてあげるね」
「はい、私の勝ち~」
「クッソ。また負けた」
「は~い。ちょっとしゃがんで~」
なんだかんだと言いながらもしゃがみ込むアレックス。
「よし、真っ黒になったよ!」
目の周りを真っ黒にされ、今回、ひげも6本書かれたアレックスを見たジェームズがアレックスのカメラを構えながら爆笑している。
「オイオイ。パンダモドキなネコがこんなところにいるぜ!」
「うっせ! お前も似たようなもんだろうが」
互いに互いの顔を指さし大爆笑し、対戦相手の少女たちも笑い出した。
「くそっ……こんなことになるとは思わなかったが、楽しかったぜ!」
「お兄さ~ん。今日はありがと~。楽しかったよ~」
こうして、二人の日本滞在は、思わぬ「墨まみれの正月遊び」とともに、さらに楽しい思い出となった。
「昨日まで静かだったのに、少しずつ人が増えてきてるな」
「ああ。店はまだ閉まってるけど、掃除してるところもあるな」
年始営業は6日からのところが多いはずだが、商店は少しずつ準備を始めているようだった。
「これが日本の『正月気分の終わり』ってことか?」
「明日から仕事が始まる人も多いんだろうな」
「いやいや。今年は明日、明後日は振替休日だって聞いたぞ?」
「強制休暇じゃないなら交代で営業するところも出てくるだろうさ」
静寂から賑わいへ――この日本の正月は、徐々に切り替わっていく。
宿の主人が「最後のおせちになりますよ」と言いながら膳を並べた。
「これで正月も終わりって感じか」
「昨日までは特別な料理だったけど、これが終わったら普通の食事に戻るんだな」
主人は微笑みながら言った。
「ええ、明日からは普通の食事になります。そして1月7日は『七草粥』を食べて正月の締めくくりをします」
「七草粥?」
「胃を休めるための食べ物ですね。正月のご馳走が続いた後に、七草を入れたお粥を食べるのです」
「なるほどな、祝祭の後にリセットする食文化か」
「よし、せっかくだしそれも食べてみるか!」
食事の後、商店街を散策する二人。
祝祭の名残はありつつも、街の静けさは変わらないように見える。だが、道を歩くと、翌日の開店準備を進める商店の姿がちらほらと見えていた。
「昼間は静かだったけど、今は人の流れが戻ってきてるな」
「これが日本の正月の終わり方なのか……静かに祝って、静かに戻るんだな」
「面白い文化だな。賑やかに始まる国もあるけど、こうやって丁寧に締めくくるのもいいもんだ」
この静寂の都市での最後の祝祭を名残惜しく感じながら、二人は翌日の予定を考え始める。
1月4日(月)
アレックスとジェームズが宿の外に出ると、昨日よりも人の流れは増えていたが、完全に通常の賑わいとは言えなかった。
「昨日は静かだったけど、今日もまだ休日の雰囲気が残ってるな」
「振替休日か……企業はまだ休みだから、街の本格的な動きはもう少し先ってことか」
商店街では、一部の店が開き始めるものの、まだ営業を控えている場所も多い。宿に戻ってその事を話すと、主人が説明する。
「この期間は、新春の賑わいは続くものの、まだ営業は個人商店が中心ですね。企業は6日から仕事始めですが、本格的に動き出すのは8日からです」
宿の主人によると、企業は振替休日が明ける6日を正式な仕事始めとし、事務処理などが再開されるものの、7日は祝日となるため、大半の企業はまだ休日ムードが残っているそうだ。
初売りが始まり、福袋を購入する客の姿が増えている。
アレックスは看板を見ながら「昨日まで静かだったのに、急に人が増えてるな。まるで一晩で街が目を覚ましたみたいだな」と驚く。
正月の休みを終えて、商店街には「新春初売り」や「福袋」の看板が掲げられ、新春セールを開始していた。
それを見ながら人々が買い物を楽しんでいる。
「この福袋ってやつ、どういう仕組みなんだ?」
ジェームズが中身が見えないように封をした袋に興味を抱いた。
「中身が見えないまま買うんだよ。お得なものが入ってることもあるし、運試しみたいなもんだな」
アレックスは興味津々に福袋を手に取る。
「これ買ってみないか? 運試しって面白そうだよな」
既に買う気満々のジェームズ。
「いいね、日本の運試しとやらをやってみよう」
そんなジェームズに苦笑しながら自分ものる気満々のアレックス。
「せっかく日本に来ているんだから、こういうのは乗らなくてはな」
「運試しってやつはどこででも楽しみの一つだな。それにしても日本の新年の縁起って面白いものが多いよな」
そんな事を言いながら一足お先に、とジェームズが店員の下に福袋を持って行った。
二人で福袋を買い、開封すると期待とは違う商品が出てきて笑い合う。
「まあ、こういうのが正月の遊びってことか」
福袋を片手に散策を続ける二人。街のあちこちで書き初め展や新春の特別展示が行われている様子も目に入る。
「昨日は俺たちが書き初めをしたけど、こういうのが展示されるのか?」
「面白いな、日本では新年に文化活動が根付いてるんだな」
夜になっても、街の雰囲気はまだゆったりとしている。
「明日も振替休日だし、まだ完全に都市が動き出す感じじゃないな」
「でも、店は徐々に開き始めてるし、6日になれば本格的に動くんだろうな」
二人は、少しずつ活気を取り戻していく街を観察しながら、「日本の正月はゆっくりと終わる」という感覚を実感する。
1月5日(火)
朝、アレックスとジェームズが外へ出ると、昨日よりも少し人の流れが増えていた。
「昨日よりも駅前に人がいるな……街が少しずつ動き始めてるようだ」
「振替休日とはいえ、もう正月気分が薄れてきてるな」
「ああ。街の空気も徐々に引き締まってきている様な気がする」
商店街の店主たちが少しずつ営業準備を進めており、正月の装飾はそのままだが、店先の掃除が念入りに行われており、明日から通常営業という紙が貼られている店もある。
「正月の飾りはまだあるけど、そろそろ片付けるって感じか?」
「日本じゃ、正月の飾りは松の内とやらが終わってから外すらしい。もう少し後だな」
宿に戻ると、宿の主人が『明日から企業が動き始めるので、今日が最後の静かな時間ですよ』と教えてくれた。
二人は「そうか。ならその静かなひと時を味わいに行くか」と再び町中に繰り出した。
昼になると、商店街は本格的に開店する店も増え、新春セールの賑わいが戻ってくる。
「おい、昨日までは準備中だったのに、今日は開いてる店が多いぞ」
「新春セールが本格的に始まったってことだな」
二人は商店街を歩きながら、日本の新春セールを楽しむ。
「この国では正月の終わりに買い物をするんだな」
「福袋の運試しもあるし、祝祭の締めくくりみたいなものなんじゃないか?」
夜になると、町の雰囲気はさらに変わる。
「昼間は新春セールで賑わってたけど、夜はもう普通の東京って感じだな」
1月6日(水)
二人が朝食を食べていると、宿の主人が『今日は仕事始めなので、各企業では年始の挨拶回りが行われますよ。新年の抱負を述べたり、神社に社員で参拝する会社もあります』と教えてくれた。
それを聞いた二人は「へえ。日本が再び動き出す瞬間を見てみよう」と早速街に繰り出した。
街を歩いてみると、これまでの正月の静けさがすっかり薄れ、駅前やオフィス街にはスーツ姿の人々が行き交っていた。日本の仕事始めの雰囲気は、ただ業務が再開するだけでなく、ある種の儀式のようなものがあるようだ。
午後には、街の活気は完全に戻り、電車も朝のラッシュから続く混雑を見せていた。
「これこそ東京だな」
というジェームズ。コンビニで買った総菜パンと缶コーヒーを持ち、どことなくご機嫌な様子であった。
「ああ。眠っている東京も良いが、やはり目覚めている東京が一番だな」
そんなジェームズの様子に苦笑を隠せないアレックスも片手に缶コーヒーを持ち、同じようにご機嫌な様子であった。
商店街の店主たちも『ようやく日常が戻ってきましたね』と話しながら、活気のある店先を整えている。
宿に戻ると宿の主人が何やら口ずさみながらまな板の上で草を叩いていた。
「何をやっているんですか?」
「ああ。お帰りなさい。これは七草粥の準備ですよ。こうやって七草をそろえて神棚の前においた清浄なまな板の上で、はやし言葉を7回唱えながら、七つの道具で七草を7回叩き刻むんです。これは申し訳ありませんが宿の主の私が行うものですので、体験は出来ません」
そう言うとはやし言葉を唱えつつ調理の続きを行う。
「七草 なずな 唐土の鳥が 日本の土地に 渡らぬ先に ストトントントン ストトントントン」
宿の主人のゆっくりとした調子が、穏やかに室内に響く。包丁がまな板を打つリズミカルな音と共に、古来の祈りがこの空間に染み渡るようだった。
その姿に声をかけるのが躊躇われ二人は早々に部屋に戻っていった。
1月7日(木)
「昨日は何だったんだろうな」
昨夜の光景を思い浮かべるアレックス。
「さっきもやってたぜ」
とジェームズ。
「あんな儀式もあるんだな」
そこに宿の主人が微笑みながら朝食を運んできた。
「お待たせしました。これが七草粥です。正月の締めくくりとして、最後の祝いの日になりますね」
ジェームズは湯気の立つ粥を覗き込んだ。
「これが七草粥か……」
疑問を抱いていたアレックスがここぞとばかりに宿の主人に問いかける。
「昨日のアレは一体何だったんですか?」
昨日の謎めいた儀式を思い浮かべる二人。
「ああ。あれは七草粥を作るときの儀式です」
「そんな儀式もあるんですね」
「昔は囃子言葉を唱えながら6日の朝に28回まな板を叩いて邪気を追い払い、18時頃から2時間ごとに七草を1種類ずつたたき、細かくしていくのが正式な作り方だったそうですよ。7日の朝にも21回まな板を叩きながら囃子言葉を唱えて邪気を追い払って7時から9時ごろに七草を煮て食べたそうです」
「今もそうなのか?」
「今は6日の夜に七草の葉を清浄なまな板の上で、独特なはやし言葉を7回唱えながら、包丁やすりこ木で7回叩き刻むという風になりましたけど、大正の頃までは囃子言葉を唱えながら6日の朝に28回まな板を叩いて、夜に七草の葉を清浄なまな板の上で独特なはやし言葉を7回唱えながら包丁やすりこ木で7回叩き刻んで7日の朝にも21回まな板を叩いて、その後で七草粥を作っていたと聞いています」
「随分簡略化されたんだな」
そんなアレックスのつぶやきにジェームズは、『簡略されてたか?』と思ったが口にはしなかった。代わりに口にしたことは、
「七草粥は胃を休めるために食べるって言ってましたよね?」
とありきたりな事だった。
「ええ、正月のご馳走の締めくくりです。七草粥は、平安時代に野草を粥に入れて食べる風習があったことから始まって江戸の頃には広く食べられていたそうです」
興味を持ったアレックス。
「何が入っているんですか?」
宿の主人が
「七種の野草ですね」
と答える。それを聞いたジェームズが呟いた。
「七種類? 随分と入っているんだな」
そうですね。と相槌を打った主人。
「せり、なずな。ごぎょう、はこべら。ほとけのざ。すずな、すずしろ。これぞななくさ」
と唄い、春の七草の覚え方です。と紹介する。
ジェームズが、
「春という事は他の季節にもあるってことか?」
と尋ねる。
「秋の七草もありますね。こちらは食べられませんが」
「言い伝えとか色々あるんだろうな」
「七草はそれぞれに意味や効能がありますから、後で紙に書いてお渡ししましょうか?」
主人の言葉に
「それはありがたい」
と笑顔の二人。
温かい七草粥を食べながら、二人は日本の正月文化の最後の行事を満喫していた。
ジェームズが腕を組みながら考え込む。
「これまで静かな祝祭だったけど、今日が最後となると、何か特別なことをしておきたいな」
「今日はどこかで特別な行事がある?」
アレックスが尋ねると、宿の主人が頷いた。
「先ほどの七草粥を大鍋で振舞う所もありますよ。もう少しお時間があれば、七福神巡りもおすすめしたんですけどね」
「七福神巡り?」
アレックスが呟く。
「ええ。七柱の福神様を祀る寺社を巡り、延命長寿、商売繁盛、家内安全など福運を願うんです。半日あれば巡れるとは思いますけど?」
「何だ。そんな行事もあったのか。やってみるか?」
ジェームズが身を乗り出すも、
「半日か……明日の準備もあるからな。それは難しいだろう」
アレックスが首を振る。
「そうだよな。七草粥とか街で何か探すか」
二人は街へ出てみることにした。街は最後の名残を探しながら、穏やかな休日を過ごしていた。
「これで、本当に正月も終わりってことか。まるで祝祭の余韻だけが街に薄く残り、時間の流れが再び日常へと戻っていくようだな」
「この日本では、正月が終わると一気に日常に戻るんだな」
「明日から本格的に仕事が始まるから、今日は最後の正月モードだな」
「いよいよ普通に営業か……ほんとに静寂から賑わいへ移り変わるのがわかるな」
「観光客はまだいるけど、仕事が始まる前に最後の休みを楽しんでる感じか?」
街を歩くと、最後の祝日を楽しんでいる人々の姿が見えた。
「明日からはもう祝日じゃないんだよな」
「これで完全に正月が終わるんだな……面白い文化だったよ」
アレックスは懐から宝船の枕絵を取り出し、しばらくじっと見つめた。
「これも持って帰ろう。家族の宝船は買ったけど、これも持っていると何となくこの一年を良くしてくれそうな気がする」
ジェームズも頷く。
「そうだな、日本の静かな正月……悪くなかった」
二人は、この日本の「ゆっくりと締めくくられる祝祭」を実感しながら、翌日の帰国準備を始めるのであった。
1月8日(金)
アレックスとジェームズは、窓の外を眺めながら静かに日本での最後の朝を迎えた。
「これが、この日本で過ごす最後の朝か……なんだか名残惜しいな。最初は戸惑いもあったけど、今ではこの静けさが心地よく感じる」
呟くジェームズに、
「ああ。最初は静かすぎるって思ったけど、この国の祝祭の過ごし方も悪くなかったな」
応えるアレックス。
「朝食前に少しその辺を散策しないか?」
そんなアレックスの提案に「いいね」とジェームズが答えた。
朝食前に帰国前の最後のひと時を味わいつつ商店街を散策していると飾りがきれいに消えていることに気がつく二人。
「もう街の正月飾りがなくなってるな。昨日まで色鮮やかだった街角も、飾りが静かに消え、日常へと溶け込んでいる。これが旅の終わりの合図ってやつだな」
「今日から普通の東京って感じになるのだろうな」
二人は日本での締めくくりを感じながら、通常営業モードへの切り替わりを実感する。
宿に戻ると、すぐに宿の主人が笑顔で朝食を運んできた。
「最後の食事ですね。せっかくなので、軽めの和食にしました」
テーブルには、ご飯、焼き魚、味噌汁、そして日本の漬物が並んでいる。
「昨日の七草粥で締めたかと思ったけど、こういうシンプルな朝食もいいな」
「これだから日本の食事は飽きないよな……」
「色々お世話になりました」
「次は別の季節に来られるとまた違った印象を受けると思いますよ。そうですな……春は桜、秋は紅葉が美しいですよ」
「そうですね。その節はまたお世話になりますよ」
「ああ、四月の下旬から始まる大型連休はまた観光地が大混雑しますからお気を付けを」
笑顔で別れを告げた二人。
空港へ向かう前に、二人は近くの商店街で最後の買い物をすることにした。
「日本の食玩って面白いものが多いから、お土産を買って帰りたいな」
「そうだな、しかも精巧にできてるよな。あと和菓子とかも買って帰ろうぜ」
商店街では、外国人向けのお土産店が並び、二人は日本の伝統品や珍しい食べ物を選びながら、日本の旅の思い出を振り返っていた。
「こんなもんだろ。
「ああ、初夢の宝船の枕絵も買ってるし、正月らしいお土産もあるからな」
「ああ.羽子板も飾れる物と使える物を買ったしな。いい土産だ」
「お前のあの顔写真もいい記念になるな」
そんなジェームズの言葉に
「お前の顔も家族に見せたら、面白がりそうだ」
と混ぜ返すアレックス。
再び海上モノレールに乗り、東京湾を眺めながら帰国へ向かう。
「これが最後の乗車か……まさか日本滞在の最初と最後に同じ乗り物に乗ることになるとはな」
「海の上を滑るように進む感じ、やっぱり独特だよな」
車両が動き出し、窓の外には広がる海と人工島の景色。
「最初は驚いたけど、今じゃこれが普通に感じるな」
「もうすぐ空港か……本当に帰るのかと思うと、少し寂しいな」
空港が近づき、車内に聞こえる「まもなく、東京湾国際空港に到着いたします。ご利用ありがとうございました」とのアナウンスの声とともにモノレールが駅にゆっくりと到着する。
日本滞在の幕が静かに閉じていく瞬間を二人は感慨深げに味わっていた。
空港に到着し、チェックインを済ませた二人は、ラウンジで最後の日本食を楽しむことにした。
「せっかくだし、最後に抹茶でも飲むか」
「いいな、日本で過ごしたこの期間に乾杯ってことで」
抹茶と和菓子を前にして、二人は旅の思い出を振り返る。
「本当に異文化を味わった感じだったな」
「ああ。冬至では冬至の七種とやらを食べて、柚子湯に入ってついでに酒風呂にも入れたし」
「日本でのクリスマスも味わえた。ここじゃ国際親善の日とやらになっていたのは面食らったが、思ったよりもしっかりとしていた。無事ミサにも参加できたしな」
「俺は最後に七福神巡りってのをやってみたかったが」
「教えてもらったのが昨日だったからな。また来た時にでもチャレンジすればいいさ」
「また来るなら、次は桜の季節にしようぜ」
二人の兄弟の「静寂の都市」での旅は幕を閉じ、その姿は出国ゲートに消えていった。
数週間後――アメリカ・西海岸
アレックスとジェームズは、いつもの賑やかな日常に戻っていた。しかし、時折、二人は日本の静かな年末年始の光景を思い出すことがあった。
「なぁ、アレックス。あの静かな年越し、今思うと不思議な体験だったな」
コーヒーを飲みながら呟くジェームズ。
「ああ、本当に。あのとき感じた静けさ――ただの静寂じゃないな、都市全体が新しい時間へゆっくりと移行する、その瞬間に立ち会えた気がした」
アレックスも振り返るかのように目を閉じて答えた。
「そうだな。ニューヨークの騒がしさとは全然違った。静けさの中で新年を迎えるのも、特別な意味があった気がする。あの静けさの中で、ゆっくりと新しい年を迎えるっていうのは、なかなか良いものだ」
ジェームズも新聞を読みながら答えた。
「あの時食べた雑煮も美味しかったな。特にあの甘い餅が入ったやつは衝撃的だった」
アレックスは笑いながら言った。
「ああ、あれは本当にサプライズだったな! まさか餅が甘いなんて思わなかったよ。宿の主人が言ってたように、地域によって全然違うんだな」
ジェームズも笑った。
「それに、あの初詣も印象的だったな。あんなにたくさんの人が静かに祈りを捧げている光景は、初めて見たよ」
アレックスは遠い目をしながら言った。
「ああ。僕たちが普段体験するお祝いとは全く違っていた。静けさの中に、何か特別な力があるように感じたな」
ジェームズも深く頷いた。
「あの宝船の絵はどうした?」
アレックスが尋ねた。
「娘がちゃんと枕の下に置いて寝たようだよ。良い夢が見られたかは、内緒だそうだ」
ジェームズは肩をすくめた。
「なるほど。見知った顔の王子様が白馬に乗って迎えに来た夢でも見たのかもな。まあ、あれは験担ぎみたいなものだからな。でも、ああいう文化に触れるのも面白かったよ」
アレックスはそう言って微笑んだ。
二人は、日本の「静寂の都市」での、予定外だったけれど深く心に残る旅の思い出を語り合った。賑やかな日常の中で、あの静けさの中にあった温かさや、異文化との触れ合いの喜びは、二人の心に確かに刻まれていた。そしていつか、再びあの静かな都市を訪れたいと、二人は心の中でそっと願うのだった。
二人は日本フリークだけあって、日本語検定3級程度の実力はありますし、箸の使い方も、大豆を使った練習で覚えていました。
宿はホテルじゃない家族経営の民宿なので、朝夕の食事も出ています。ホテル泊まりだったら大変でしたねw こっちだとサバイバル編になってしまう
東京湾国際空港の絵、無理でしたm(__)m
昔は一月一日の夜といえば、新春スターかくし芸大会だったなぁ。テーブルクロス引きとか。