①教育基本法前文推敲会議 昭和21年10月18日 文部省 第三会議室
出席者:
・西園寺 公明(座長)
・北白川 誠(文部省教育制度課長)
・伊丹 和明(東京大学教授/教育哲学)
・吉永 澄(詩人・教育白書編集参与)
・門脇 花乃(東京女子高等師範学校 教諭)
・鶴見 剛(教師代表/広島県立呉中学校)
・サミュエル・S・若林(占領軍CIE文化顧問/オブザーバー)
第一部:「冒頭文」における“敗戦”の位置づけ
西園寺:「冒頭で【憲法を確定した】と置くことは良い。しかし、それだけで『なぜ教育を改めるのか』が国民に伝わるだろうか?」
伊丹:「文言として戦争の悲惨や敗戦を正面からは言いにくいなら、精神の虚脱と道義の廃頽など、倫理的崩壊を表す語句で象徴できるかと」
吉永:「国家再建へのたゆまざる意欲と並べて、道義の確立を置く――これならば建設と反省を同時に響かせるリズムが出るかもしれません」
第二部:「和」と「自主」の対概念をどう扱うか
門脇:「自律を掲げるのは大切ですが、戦前の修身教育にあった服従による秩序ではなく、人格による和だと読み取れる構成が必要でしょう」
鶴見:「現場としても、和が同調圧力と読まれては困ります。自主独立の精神と和の精神とは、道義の精神の両面である。という行に込める意味が鍵でしょうな」
北白川:「それが自由=孤立という西欧的誤解を越えて、独立した人格同士が共に敬愛するという日本的自由の姿になるわけですね」
第三部:「家族」「郷土」「国家」の順序性
西園寺:「両親に孝し、兄弟友愛し、夫婦相睦み…と連なる部分は、旧時代的にならず、それでいて日本人の情操にも響くべき順序だと自負しております」
吉永:「身を慎んで無礼の挙動なく、常に自分を引きしめて…という行の口調は、文語詩の韻律として美しいですね。列挙ではなく、生の敬虔のような節として構成できそうです」
第四部:「普遍文化」「国民文化」「国際協調」の接続
伊丹:「普遍的にして個性ゆたかな文化の創造ー―ここで国家再建を世界との共生へと開く視座が生まれる。利害にとらわれず和協への道を開くという語が見えました」
門脇:「戦時中に教え子を送り出した身としては、ここに国際平和がただの理想ではなく、言わば、赦しと連帯への意志として明記されるのは有難く存じます」
第五部:「最後の段落」の落とし方――誓約か願望か
西園寺:「ここに、日本国憲法の精神に則り……とする締め文句が良いと思うが、これは誓いなのか、宣言なのか?」
伊丹:「この法律を制定する、という行は、あえて淡白にすることで、前段の精神的高揚を受け止める“法的意志”へと移行できる効果があります」
若林(CIE):「I would only offer, gentlemen and ladies, that this preamble reflects something we ourselves struggle with: how to write laws that remind us what we’re striving for, not just what we prohibit. This may be one of the most dignified pieces of legislative prose I have ever encountered. It is your cultural testament in law.」
通訳:「皆様に申し上げたいのは、この前文が、我々自身が苦心している事柄、すなわち、単に禁止事項を定めるだけでなく、何を追求しているのかを想起させる法律をいかに記すか、という問題が反映されているということです。これは、私がこれまでに出会った立法に関する文章の中で、最も威厳のあるものの一つかもしれません。これは、法における皆様の文化的な証です。」
※ この前文草案は、文語の伝統・修身の語彙・民主の価値・文化の未来を抱き、まるで詩と法が婚姻したような文となった。
起草者たちはこれを「教えるための法律」ではなく、「育て合うための約束」と呼び合ったという――。
②新聞見出し
昭和二十二年十二月五日(木曜日) 某全国紙朝刊 一面
【東京本社版】定価※円
見出し
《教育基本法案・全文判明》
未来を託す「前文」公開――自主・道義・和を高らかに
教育勅語に代わる国の魂、政府草案に盛り込まる
本文抄(前文抜粋)
「われらは、さきに、日本国憲法を確定し……心を合わせて道義の確立に努めねばならない」
かく始まる文面は、敗戦の痛苦と戦中教育への反省を滲ませながら、道義と人格の再建を宣言する。草案は全6章、附則を含めて約30条に及ぶが、その魂と称されるのが、この前文である。
政府関係者は「道義という語に、ただの倫理ではない、民族の自律性を託した」と語る。
各界の識者かく語る
「教育法にこれほど格調高き前文が設けられた例は、諸外国にも稀である。公明正大なる大道という語に目頭が熱くなった(教育学者 井上太郎)」
「俯仰天地に愧じないという一節は、生徒の前で何を語るべきか迷ってきた私への答えでした(広島県立呉中学校教員 鶴見剛)」
【投稿】東奥日報/昭和22年12月12日付朝刊
「あの前文を黒板に書いた朝」/青森県弘前市・尋常科教員 渡辺澄夫(45)
教育基本法の前文が新聞に載った朝、私は思わず教室の黒板にその冒頭をチョークで書いた。「われらは…国家再建に向かって出発するにあたって…」――黙読を始めた生徒たちのなかに、涙ぐむ者があった。
私は、生徒に向かって、「これは法律であって祈りだ」と言った。かつて我々は、勅語を畏れて黙読した。しかし今、道義を信じて声に出すことができる。私はこの十七年、初めて教育を愛せた気がした。
【巻頭特集:わたしたちは何を教えるか】『自由之婦人』昭和23年1月号
「母として、女として――教育基本法の“和と自律”に寄せて」
執筆:神戸女子法律会同人・大澤春子(28)
あの前文の中に、“家庭、社会、国家を形成する”という語がある。かつてわたしは“家庭”に縛られていると感じた。でも今は違う。“母性”が“教育の出発点”として尊重されていることが、言葉ではなく信任のように思えた。
私は夫にこう言った。「この法律の中の“和”は、あなたの命令ではなく、わたしの選択でもあるのよ」と。
私たちは育てる。ただ産むのではなく、育てる。そして語る。その尊さが、文字になった朝だった。
文教出版社教科書編集部回覧文書(昭和22年12月15日)
① 前文の表現について
文語調であるが、旧来の修身語彙とは全く異なる精神がある。特に「利己心を越えて公明正大なる大道を歩み…」以降のくだりは、義務教育用副読本の導入部分に極めて相応。
② 表記統一案
現代仮名遣いとの整合をとるにあたって、「俯仰天地」「愧じない」等の読解支援(脚注もしくは指導書注記)が必要と判断。
③ 教科書構成案への影響
現行改稿中の『社会科導入編』『国語表現読本』冒頭に、「この法律の前文から学ぶ道義」という特集ページ案を企画中。編集会議で継続審議。