もしもこんな日本だったら   作:fire-cat

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邦訳:静かなる首都―眠り方を知る街での休暇―


The Silent Capital: A Holiday in the City That Knows How to Sleep

Text by Alex Carter

Photo by James Carter

(Published in "Global Traveler", Spring 1988 Issue)

 

 1987年の冬、私と弟は「未来」を見るために東京へ飛んだ。

 噂に聞く東洋の経済大国の海上に浮かぶ巨大な人工島空港、波間を縫って走る海上モノレール、そして街を行き交う静かな電気自動車たちは素晴らしいものだった。

 

(写真:海面高5mを走るモノレールから見た車窓)

 

 私たちが期待していたのは、ネオンが瞬き、24時間眠ることなく脈動し続ける、サイバーパンク小説のような「ハイテク・メガロポリス」での年越しだった。

 だが、私たちがそこで見たものは、世界中のどの都市でも体験したことのない完全なる静寂だった。

 東京は、自らその巨大なエンジンの回転を止めることを知っている都市だったのだ。

 

閉じられたシャッターの「儀式」

 

 到着して私たちは東京近郊を巡った――近郊とは言い難いボニンの島々にも足を延ばしたが。

 この時、私たちはまだ都市が止まるということがどういうことか聊か楽観的に考えていた。

 問題の12月29日の朝、弟と二人で街に出ると東京は魔法にかけられたように活動を停止していた。

 これは比喩ではない。文字通り、止まっていたのだ。

 

 ニューヨークであれば、クリスマス休暇でもどこかの店は開き、商魂逞しく客を呼び込んでいるものだ。しかし、この国には「国民の休日法」という、ある種、宗教的とも言える厳格な法律が存在する。

 年末年始、企業は休まなければならない。違反すれば莫大な売上を没収される。だか、誤解しないでほしい。この東洋の経済大国では、年末年始の休業は、法律と文化が一体となって守る、ある種の厳格な儀式なのだ。

 

 レストラン、デパート、映画館、そして主要な交通機関に至るまで、あらゆる企業のシャッターが下ろされた。この国は、法律という力を使って、強制的に「休むこと」を国民に義務付けている。見方を変えれば、この国は、効率や利益よりも優先されるべき「休息の権利」を、国全体として国民に与えているのだ。

 

 当初、私たちは途方に暮れた。食料はどうする? ゴーストタウンと化した東京で、私たちは飢えるのか?

 しかし、宿泊先の小さな家族経営の宿(Minshuku)の主人は笑って言った。「正月は家で過ごすものです」と。

 (※従業員を雇用していない家族だけで経営する宿は国民の休日法の対象外だそうだ。本当に助かった。ホテルではなくこの宿を予約してくれた友人ワットにここで感謝の気持ちを表したい。ホテルも休業していたのだ)

 

深夜に響く「108」の調律

 

 店が閉まっているということは、人々が家にいるということだ。

 消費活動が停止した都市で、人々は「買うこと」以外の豊かさを享受していた。私たちは近隣の住民と共に、蒸した米を杵で搗いて餅を作り、大晦日の夜には「年越しそば(Toshikoshi-soba)」と呼ばれる長い麺を啜った。

 

 驚くべきは、この国では年越しのカウントダウンに花火も歓声もないことだ。深夜0時、響き渡るのは、寺院から聞こえる低く重厚な鐘の音だけ。

 除夜の鐘(Joya-no-kane)と呼ばれるその音は、人間の持つ108の煩悩を一つずつ取り除くために、108回突かれるそうだ。人々はその音を聞きながら、静かに一年を振り返り、祈りを捧げる。

 何十万人もの群衆が浅草寺に押し寄せていたが、そこには暴動も混乱もなく、ただ厳かな祈りの波があった。それは私が知る限り、世界で最も美しい「群衆」の姿だった。

 

カレンダーに刻まれた「伝統の遊び」

 

 この国のカレンダーは、単なる日付の羅列ではない。季節と伝統に深く紐付いている。

 元日の朝には、一つ一つに深い意味(子孫繁栄や健康など)が込められた「おせち(Osechi-ryori)」という箱詰めの料理を食べ、2日には筆で新年の抱負を書き初めし、その夜に宝船の枕絵を枕の下に敷いて夢で一年の運勢を占う。7日には胃を休めるため7種類の野草で作られた七草粥(nanakusa-gayu)を食べた。

 

 弟のジェームズは、公園で少女たちと「羽根突き(Hanetsuki)」というバドミントンに似た遊びに興じ、負けた罰として顔中を墨だらけにされていた――私のことはどうでもいいだろう、この文を読んでいる諸君の想像通りだ。

 信じられないかもしれないが、このハイテク国家のど真ん中で、子供も大人も、数百年前と同じ遊びを本気で楽しんでいるのだ。

 

 都市機能が完全に回復したのは、1月8日になってからだった。それまでの間、私たちは不便を感じただろうか? 答えは「No」だ。

 事前に買い込んだ食料と、宿の温かい料理、そして街角に残る伝統的な遊びがあれば、心は満たされる。むしろ、24時間365日、常に何かを消費し続けなければ気が済まない私たちの社会の方が、どこか病んでいるのではないかとさえ思えてきた。

 

旅の終わりに:静寂という名のユートピア

 

 もしあなたが、東京に「ショッピング」や「ナイトライフ」を求めて行くなら、年末年始は絶対に避けるべきだ。あなたは閉ざされたシャッターの前で立ち尽くすことになるだろう。

 ともすれば、アジア諸国は、外国人観光客のために看板を書き換え、夜遊びスポットを作るような媚びた観光政策をとりがちだが、そのような政策を日本はとらない。逆に、「日本のルール(祝日法による休業、静穏権による静けさ)」を頑なに守り、観光客側がそれに合わせることを求めているともいえる。

 だが、その媚びない姿勢と独自の世界観こそが、均質化しつつある世界に飽きた富裕層や知識層を強烈に惹きつける魅力にもなるのだ。

 

 もしあなたが、世界有数の経済大国がそのエンジンの回転を止め、深く静かな呼吸をする瞬間を見たいのなら――そして、失われつつある「家族の絆」や「静寂の美」に触れたいのなら、是非ともこの時期の日本を訪れてほしい。

 そこには、効率や利益よりも優先されるべき「人間の尊厳」と「休息」が、法と文化によって守られている、稀有なユートピアがある。

 消費を強制されない時間、家族や宿の主人との対話、静かな祈り。これらは金で買えない贅沢な時間として評価されるべきものだ。

 欧米のエグゼクティブ層は「精神的休息」のために年末年始の日本を訪れるべきだと私は思う。

 

 日本はお世辞にも物価は安いとは言えない。むしろ高い品質に相応しい価格である。ルールは厳しく、店はよく閉まる。しかし、そこにしかない高潔な精神文化と調和のとれたハイテク社会がある。

 日本を訪れる人々は、単なる遊び場としてではなく、あるべき未来の社会モデルとして敬意を持って文化を体験してほしい。

 

 私たちは、この「眠り方を知っている都市」から、最も重要な未来の教訓を得て帰国したのだ。

 

(写真:公園で、顔を墨だらけにして笑う弟ジェームズと、着物姿の少女たち――写真を撮った私の顔を想像してはいけない)


編集部注:

 本記事で紹介されている「宝船の枕絵(Takarabune Pillow Picture)」は、日本の新年における幸運のお守りです。カーター氏は帰国後、これを枕の下に敷いて眠ることを習慣にしているそうです。






小売店、祝日は休みます(特に旧四大節とか旧新嘗祭とかの旧祭日)が土日(祝日は除く)や振替休日は普通に営業します。
定休日は当然ありますが。









年表、20世紀の終わりまで埋めました。
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