もしもこんな日本だったら   作:fire-cat

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沈黙と調和の島 ― The Silent Harmony

2015年5月――東京湾国際空港――

 

「見てよ、レオ。空港のロビーなのに、まるで図書館みたいに静かだわ」  

 

 ロンドンから来たイラストレーターのサラは、到着ロビーに降り立った瞬間、思わず声をひそめた。

 二人が降り立ったのは、東京湾の沖合に浮かぶ巨大な人工島、東京湾国際空港。

 陸と海、空が継ぎ目なく接続された「ハイブリッド・ハブ」だ。窓の外には、4000メートル級の滑走路から離陸する最新鋭の旅客機と、その脇の水上滑走路を滑るように着水する大型飛行艇が見える。

 彼女のパートナーで、テック系ジャーナリストのレオは、手元のWintel陣営の最新型タブレット端末と、空港で外国人が滞在期間中貸与されるB-TRON規格の携帯端末「テチョウ(Techo)」を見比べていた。

 

「ああ、やっぱりか。僕の最新型タブレットも、ここではただの板切れ同然だ」

「やっぱり?」

 

 首を傾げるサラに、レオは手元のタブレットを振って見せた。

 

「電波形式もプロトコルも違うから、日本のT-Netには接続できないんだ。辛うじて国際ローミングでWebには繋がるけど、この国のサービスは全部T-Netの中だから、外からは何も見えないよ」

 

 レオが代わりに手にしたのは、入国審査時に生体情報と紐づけられて貸与された、B-TRON規格の携帯端末『テチョウ(Techo)』だ。

 電源を入れた瞬間、画面には彼らが予約したホテルの情報と、現在地からの最適なルートが、流れるようなアニメーションと共に表示された。

 

「こっちは電源を入れた瞬間に都市システムと完全に同期した。……すごいな、この『テチョウ』は。アプリを一々起動する必要すらない環境融合型コンピューティングがもう実現しているのか。それにセキュリティもしっかりしている。僕の指紋・指静脈と虹彩を認識しないと起動すらしないし、ヤタガラスで常時位置を特定されている。出国ゲートを通らずに持ち出そうとしたり、一定期間信号が途切れたりすれば、即座に遠隔でロックされ『文鎮化』する仕組みらしい」

「持ち帰って利用することはできないのね」

 

 サラが笑う。

 

「部品も日本の独自規格だから、他国じゃ転売もできないだろうね。売るところに売れば技術の解析ぐらいはできそうだけど、そこまでして金が欲しいわけじゃないし、返さなくちゃ二度と入国できなくなるからね。素直に返すさ」

「デポジットも高かったし、大切に扱わなきゃね」

 

 画面に表示された案内は、単なる静的なウェブページではない。情報はユーザーの文脈を理解し、最適化された状態で「現れる」のだ。

 

「空港なのに広告がないのね」  

 

 周りを見渡していたサラが気づく。

 ロンドンやニューヨークの空港を埋め尽くす派手な電子看板や、消費を煽る巨大な広告看板が見当たらない。あるのは、TRONフォントの美しい明朝体と英語・仏語で記された、必要最低限の案内表示と、季節の花々を活けた生け花だけだった。

 

「この国では公共空間で不特定多数に情報を押し付けることは、マナー違反どころか違法行為に近いらしい。えっと……静穏権が日本国憲法第2章第36条で景観権が第27章第1条と第3条で保障されているそうだ」

 

 レオが『テチョウ』に表示されたガイドを読み上げた。

 

◆◇◆◇◆

 

 江東区への移動は、海上モノレールを選んだ。  

 ホームに入線してきた車両は、まるでひとつの巨大な陶器のように滑らかで、継ぎ目が見当たらない。ドアが開く音さえ、風の音のように自然だ。  

 車内は満席に近かったが、誰もスマホで通話していないし、動画の音も漏れていない。

 観光客は興奮気味に窓に張り付いているが、その他の人々は紙の本を読んでいるか、手元の端末で静かに作業をしている。

 

「ねえ、レオ。窓の外を見て」

「海面すれすれの景色ならアレックス・カーターの旅行誌の写真や観光客の投稿映像で散々見てきたよ見てきたよ」

「違うわよ、あれよあれ」 

 

 サラが指差す先、並走する高速道路には、数珠つなぎになったEVやFCVの群れが走っていた。  

 

「信じられる? 車間距離が数センチしかないのに、時速90キロで流れているわ」

「T-Net制御だ」

 

 レオが言った。

 

「全ての車両が信号機や道路とリアルタイムで対話しているんだ。ここでは『渋滞』という概念は、20世紀の遺物なんだよ」

「人間が運転していてそんなことができるの?」

「いいや。あれは2009年か10年に発売された自動運転レベル4の車だよ。日本は商用だけど自動運転レベル3のEV車が20世紀末に発売されているんだ。2000年代初頭に市販車へ波及してから、急速に自動運転レベルが進んだんだ。つい最近自動運転レベル5の商用車も発売されたはずだ」

 

 

 モノレールは江東区のターミナルへ滑り込む。改札を抜ける時、二人は切符もカードも出さなかった。空港で登録した生体認証と『テチョウ』が連動し、ゲートを素通りするだけで決済が終わる。  

 

「何もしていないのに、全てが終わっている。魔法みたいね」

 

◆◇◆◇◆

 

 チェックインしたホテルは、数寄屋造りを模したモダンな和風建築だった。

 部屋に入ると、どこからともなく穏やかな声がした。  

 

『ようこそ、レオ様、サラ様。室温は24度に設定しておりますが、調整いたしますか?』

 

 スピーカーからではない。壁そのものが振動しているような、自然な響きだ。  

 

「君はクラウドのAIかい?」  

 

 レオが問いかけると、声は丁寧に否定した。  

 

『いいえ。私はこのお部屋の制御を司るAI――護り人です。私の記憶領域は、このお部屋のサーバー内に限定されており、外部のクラウドへお客様の会話やデータを送信することは法律で禁じられております。安心してお寛ぎください』  

 

「プライバシーの護りは鉄壁ね。Backrub社やNeXT社が聞いたら卒倒しそう」

 

 サラが笑う。

 サラはそのままトイレへ向かい、数分後に戻ってくると、目を丸くしていた。

 

「レオ、信じられないわ。このトイレ、最新型のウォシュレットがついていて、清掃が行き届いているのはもちろん、まるで新品の陶器みたいにピカピカよ。よく考えたら空港やモノレールの駅の公衆トイレもそうだったわ。ガイドブックに書かれていた『清潔は道義の基本』って、こういうことなの? 日本は全ての公衆トイレがこうなのかしら」

 

 レオは『テチョウ』を操作しながら頷いた。

 

「どうやらそうらしい。この国では、公衆衛生と清潔さが、社会の規律と信頼性を保つための基本中の基本と考えられているんだ。TRONの堅牢な制御システムだけでなく、道徳的な基本の部分まで徹底しているわけだ」

 

 夕食の場所を探そうとすると、守り人は「検索結果」を羅列するのではなく、二人の体調と気分を問いかけ、最適な一軒だけを提案してきた。  

 

 

『長旅でお疲れかと存じます。消化に良く、日本の出汁の文化を感じられる「千代木屋」の豚しゃぶ定食はいかがでしょう? ここから徒歩3分、今なら並ばずに入れます』

 

「決まりだ」

 

 レオが即答した。

 

「ちょっと待って。その情報本当に信じられる? 私が前にグルメ検索で評判のお店に行ったら、散々待たされた挙句、高くてまずい料理が出てきたから大損した気分になったわ。私旅行先でそんな思いするのは嫌よ?」

 

『ご安心ください。ここから徒歩3分にある千代木屋の現在の混雑状況は低。これは現在待機人数が5人以下であることを示しております。千代木屋の豚しゃぶはどこの店でも同じ味にになる様にレシピが定められており、日本の出汁の文化を感じられるとお二人の母国の大使館調理人の方が実名で投稿されておりますので、お二人にも合う味であると想定されます』

 

「日本ではシステムがその情報の論理的根拠を保証してくれるのね。それなら安心ね」

 

◆◇◆◇◆

 

 夜の東京は、世界で最も明るく、かつ最も暗い都市だった。  

 足元や建物の入り口は美しくライトアップされているが、空を刺すようなレーザーや、点滅するネオンサインは皆無だ。

 角を曲がったところで、サラは立ち止まった。目の前に設置された自動販売機は、まるで小型のモニュメントのように堂々としていた。

 

「見て、あのベンダーマシン、画面がついてるわ」

 

 レオも近づいた。その販売機に書かれた説明書によれば、販売機には飲み物だけでなく自動体外式除細動器も収納されており、電源が切れてもバッテリーで動作し、災害時には衛星回線経由の緊急通信機能を備えた「街の防災拠点」として機能するのだという。

 

「信じられない。災害時には無料で開放されるし、日本の販売機はインフラの一部なんだな。ここでもTRONの堅牢性が生きてる」

「すごいわね。私たちの国じゃ、こうはいかないわ。絶対盗まれちゃう」

 

 サラが自動販売機に視線を向ける。そこに幼げな子供たちの声が聞こえてきた。

 

「あら?」

 

 サラの視線の先には、小学校低学年くらいの子供たちが、大人に付き添われることなく、笑い合いながら夜道を歩いていた。  

 

「見て、あの子たち。いまは19時すぎよ? まだ遅くはないけど夜に子供たちだけで出歩くなんて、危なくないのかしら?」  

「治安が良いとは聞いていたけど、ここまでとは。『教育理念心得』の賜物だな」

 

 レオが言った。

 

「この国では、他人に理不尽な危害を加えることは、犯罪である以前に『恥』だと教え込まれる。監視カメラがなくても、全員の内面に警官がいるようなものさ」

 

 千代木屋での食事は、衝撃的だった。  

 ファストフード店だと聞いていたが、出された料理は料亭のような器に盛られていた。豚肉の質、出汁の香り、そして店員の無駄のない所作。  

 

「これで7ドル? 嘘でしょ?」  

 

 サラが驚愕する。その食事は7ドル(約800円)とは思えないクオリティだった。 

 

「効率化の極致だよ。厨房に多関節ロボットアームが見えた。単純作業は全て機械がやり、人間は『仕上げ』と『接客』に集中しているんだ。さすがASTRO BOYの国だ。多関節ロボットアームがこれだけの料理を作れるとは」

 

「チップを渡そうとしたら拒否されたわ」

 

 サラが不思議なものを見つけたかのように首を傾げた。 

 

「日本にはチップの習慣がないからね。彼らはサービスを『心付け』としては受け取るかもしれないが、それはあくまで感謝の気持ちであり、サービス料ではない。技術による効率化と、それを支える『道義』こそが、彼らのサービスの質の根源なんだ」

 

 そういうとレオはカードの代わりに現金で会計を済ませた。

 

「あら? 日本はカードも使えないの?」

「いや。さすがにカードは使えるよ。日本もキャッシュレスは進んでいる」

「じゃあなんで?」

「記念に日本の紙幣と硬貨が欲しかったからね」

「そういうことね。それにしても紙幣は折り目が少ないし硬貨も随分綺麗よね」

「日本の清潔さはこんなところにも表れているんだな」

 

 

◆◇◆◇◆

 

 翌日、二人は秋葉原を訪れた。  

 そこは、かつて聞いたような欲望と情熱が渦巻く街ではなかった。  

 書店に並ぶのは、分厚い設定資料集、精緻なメカニックの図面。棚にある雑誌や漫画には性描写を主眼とする作品は掲載されていない。

 

「噂通りエロティックな本や過激な性描写を描いた漫画はないわね」

 

 サラが棚を見渡す。  

 

「1980年の法改正で、未成年を想起させるキャラクターへの性的表現は厳格に排除されたからね。それまでは少年誌にもエロティックな表現を含んだ漫画が描かれていたそうだよ。あおりを受けて、成人の性行為を描写するときも具体的な描写は伴わずに前後だけを描いてほのめかすだけだそうだ」

 

 レオが解説する。

 

「今の漫画からはとても信じられないわね」

 

 サラが漫画の歴史が書かれていた資料を手に取り流し読みをしていた。

 

「その代わり見てくれ、この漫画の「The Tale of Genji」の画力。性的表現に頼れない分、ほかのところへの表現力が異常に進化している」

 

 レオが興奮気味に源氏物語の漫画を手にしサラに語り掛けた。

 

「すごいわ、まるで彩色写真みたい。この本を読んで思ったんだけど、エロティックな表現が排除されたことで、なんて言ったらいいのかしら……そうね、文学的で耽美な作品が多くなったみたいね、ここにある漫画なんて子供向けとは思えない哲学的な内容だわ」

「エロティックな表現の代わりが、エロスやタナトスといったより文学的なテーマの追求になったのかもしれない」

 

 通りでは、和装の老婦人が、最新型のペットロボットを連れて散歩していた。ロボットは生き物のように愛らしく動き、道行く人に会釈をする。

 そして横断歩道の前で立ち止まると、信号が点滅して変わりかけていることに気が付かずそのまま横断歩道を渡ろうとする老婦人の裾を軽く引き注意を促した。

 

「見ろよ、サラ。本物の犬と変わらない動きじゃないか」

「本物より賢いかも」

「ここではロボットも『隣人』なんだな」

「そのうち二足歩行で感情AIを搭載しているメイドロボや執事ロボも実用化されるんじゃないかしら?」

「あのゲームのようにかい。それこそ、この国だけ23世紀に行ってしまうよ」

 

 そんな風に笑う二人の脇を自動配送ロボットが通り過ぎて行った。

 

◆◇◆◇◆

 

 旅行を終え、空港に向かうモノレールの中で、レオは自分のタブレットで記事の草稿をまとめていた。

 タイトルは『ガラパゴスの楽園』。  

 Wintel連合のグローバリズムから切り離され、独自のOS、独自の道徳、独自の時間を生きる国。  

 不便なこともある。

 総合オンラインストアは使えないし、規格が違うから動画投稿サイトの動画も再生できない。ゲームも実写と見間違えるほどの映像やシナリオ、「ヌルヌルとした」スムーズさ、入力が即座に反映される体感的な精度は素晴らしいが、自分の国で友達とプレイできない。

 しかし、ここには「静寂」があり、「安心」があり、人間が人間らしく生きるための「余白」がある。

 

「ねえ、レオ」

 

 サラが窓の外、夕日に染まる東京湾を見つめながら言った。

 

「私たちが『進歩』だと思っていたものは、本当に進歩だったのかしら。ただ、忙しくなっただけじゃない?」

 

 サラの問いに、レオは端末を閉じて答えた。

 

「分からない。でも一つ言えるのは、この国は『別の未来』を選んだってことだ。そしてそれは、僕たちにとって少し眩しすぎるかもしれない」

 

 降り立った空港のロビーには、相変わらず静謐な空気が流れていた。  

 二人は、騒がしい「現実」の世界へ戻る飛行機に乗るのが、少しだけ億劫になっていた。

 

 

<FIN>






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