もしもこんな日本だったら   作:fire-cat

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ガラパゴスの楽園 ―2015年、東京滞在記―

執筆:レオ・ハリソン

日付:2015年5月22日

 

 

 東京湾国際空港に降り立った瞬間、私の愛用する最新型タブレットは、高価な文鎮へと姿を変えた。

 この国を覆う「T-Net」は、世界のデファクトスタンダードから完全に隔離されている。しかし、貸与されたB-TRON端末『テチョウ(Techo)』を手に取った瞬間、私は気づかされた。隔離されているのは日本ではなく、我々の側なのだと。

 アプリを立ち上げる必要も、複雑な設定をすることもない。端末は「私」を認識し、都市そのものが私に話しかけてくる。これは「道具」としてのコンピュータの終焉であり、環境そのものが知性を持つ「環境融合型コンピューティング」の完成形だ。

 驚くべきは、公共空間に無駄な広告が一切存在しないことだ。

 ロンドンやニューヨークを埋め尽くす視覚的暴力――消費を煽る看板や騒音――が、ここでは禁じられている。

 移動中の海上モノレールで、人々は静かに紙の本を読み、あるいは端末で思索に耽っている。車間数センチで自動走行するEVの群れが、騒音もなく滑らかに流れていく。この「渋滞なき静寂」は、20世紀の我々が夢見た未来以上の何かだ。

 

 夕食に訪れた「千代木屋」で、私はこの国の自動化の真髄を見た。

 多関節ロボットが調理し、人間が最後の仕上げを施す。驚異的な効率化によって、わずか7ドルで提供される食事のクオリティは、ロンドンの高級店に匹敵する。

 しかし、彼らはチップを受け取らない。サービスは商品ではなく「道徳」であり、清潔さは「道義」だからだ。最新のTRON OSで制御された清潔な公衆トイレ、繁華街に近い場所を19時過ぎに子供たちだけで歩ける治安の良さ。これらは監視カメラによるものではなく、日本人の内面にある「恥」の文化と、徹底した教育理念心得の賜物だろう。

 

 秋葉原の変容も興味深い。1980年の法改正以来、日本の漫画は劇的に変化した。官能劇画誌や過激な性描写は鳴りを潜め、エロティシズムは、エロスとタナトスを問う「耽美」と「哲学」の極致とも言うべき文学的な深みへと転換され、今やそれは子供向け娯楽の域を遥かに超えている。

 

結びに:別の未来

 

 この国は、グローバリズムという名の「加速」を拒絶し、独自の「深度」を選んだ。

 オンラインストアの利便性や世界共通のSNSはここにはない。しかし、ここには人間が自分自身を取り戻すための「余白」がある。

 我々が進歩だと思っていたものは、ただの「忙しさ」ではなかったか?

 羽田へ向かう帰路、静謐な空港ロビーで、私は自分たちの世界の騒々しさを思い、少しだけ憂鬱になった。

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