もしもこんな日本だったら   作:fire-cat

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前話を編集・修正しました。


成人式―現代における元服の儀 ―

平成10年(1995年)1月15日 ― 槇島町公会堂前にて ―

 

「よう、久しぶりだな、佐々木。貴公、まだ兵役中であったな? 工兵隊の按配はどうだ」

美柳(みやぎ)か。北陸の隧道工事でしごかれたよ。貴様こそ、佐藤の親父殿の工場に勤めているのだったな?」

 

 佐々木と呼ばれた工兵隊の冬服を着た若者が、親愛を込めてそう呼んだ。軍隊という鉄の規律の中で、同期や親しい友を呼ぶ際に染み付いた呼び方だ。呼ばれた美柳という黒五つ紋付羽織袴姿の若者も、不快な顔一つせず、むしろその「軍人らしさ」を頼もしげに受け止めている。

 

「ああ。とはいえ来月でまだ二年だ。だが兵役を終えているからかな、来月から主任職を仰せ付かることになった。職を預かるからには今以上に知識も深める必要があるのでな、四月から夜学にも通う予定だ」

「ははっ、出世も楽ではないな。明年は俺も兵役明けだ。貴様と同じく、俺も除隊後は資格を生かして何処ぞの建設会社に入る予定だ」

 

 美柳と佐々木が、白い息を吐きながら笑い合う。彼らの顔つきに、幼さは微塵もない。雨風に耐え、労働と規律に身を置いてきた者特有の、精悍な貌だ。

 公会堂の正面玄関には、本日の来賓として、地域の経済を支える名士や、縁のある華族の名が墨黒々と貼り出されている。

 成人式は単なるお祝い事ではない。これは若者が「社会の一翼」として正式に承認される、現代の元服の儀なのだ。

 

「貴公、式次第は持っているか?」

「当然だな。ここにある」

 

 そう言って、佐々木が内ポケットから式次第を取り出す。

 

【挿絵表示】

 

 

「今年の成人記念品も櫻材の懐中用成人証の他は組紐装飾付特製印章ケースと実印・銀行印・認印の3本セットか」

「ああ。象牙の輸入が停止したからどうなるかと案じていたのだが、素材を黒水牛に変えたらしいな。ところで貴様、飲酒喫煙解禁の儀の記念品は何を選んだのだ?」

 

 佐々木が式次第に添えられた解説目録を指さして美柳に尋ねた。

 

【挿絵表示】

 

 

「ああ、【不磨の道標】だ。そういう貴公は何を選んだのだ」

「【蜜月の知恵】だ。兄が見せてくれた【蜜月の知恵】の切子のぐい呑みに憧れていてな」

「そうか。それにしても、やっと『堂々と』飲めるな」

「まったくだ。働いているとはいえ、酒は卵酒か正月の屠蘇で口を湿らせる程度しか許されぬからな。親方衆が美味そうに晩酌しているのを横目で見るばかりで、羨ましくてかなわなかった」

「法が厳しいからな。露見すると大変な事になる」

「今夜は、親父とサシで飲むことになっている。……正直、緊張するよ」

「そうか。俺もだ。講習を終えたら祖父が秘蔵の古酒を開けると張り切っていてな」

 

 そこへ、振袖姿の女性たちが通りかかる。彼女たちもまた、専修学校を出て、すでに看護師や企業で働いている「社会人」が多い。

 

「よお、塩見。久しぶりだな」

「あら、お久しぶり。わぁ。二人とも立派になられて」

 

 幾分からかい気味な口調の女性に佐々木が苦笑しつつ応える。

 

「よせよ。宣誓の大役を担う新成人代表殿に言われても、こそばゆいわ」

「でも、悪くないな。こうして胸を張って集まれるのは」

 

 美柳のその言葉に皆が頷く。

 

「ねえ、由紀子。新成人代表による誓いの詞、例年の【両親と恩師への感謝、国家・社会へのさらなる貢献と法と道義の遵守の宣誓】以外に何か付け足したいとか言ってたけど、考えたの?」

「そうそう、ありきたりの言葉じゃ嫌って言ってたけど」

「そこはしっかりと考えたわ。大丈夫、内容はお師匠様にお墨付きを頂いたから。期待していて」

「首長式辞は、例年通り成人としての権利の行使と義務の履行についてでしょうから、貴女の新しい宣誓が混乱を起こさないことを祈るわ」

 

 その言葉を聞き苦笑を隠せない友人一同。その脇を五つ紋付羽織袴姿の若者が通りすぎた。

 

「おい。見ろよ、中井だ。彼奴(あいつ)、黒紋付が板についているな」

「流石だ。老舗旅館の次期当主だけあって、毎日袖を通しているから着物姿が様になっているな」

 

 新成人たちの黒紋付の波の中に、所々、工兵隊の制服やダークスーツが混じっていた。

 

「お久しぶり」

「わぁ、花楓! お久……って、その、指輪……!」

 

 振袖姿で声をかけてきた女性――花楓の左手の薬指に鈍い光を見た友人が、息を呑んで立ち止まる。

 

「ええっ! 花楓、貴女、結婚したの!?」

「ちょっと、その格好。留袖でなくて良いの?」

 

 既婚者の証であるはずの左薬指の指輪と、未婚の象徴である振袖。その明らかな矛盾に、友人は戸惑いを隠せず、礼儀に反しないかと案じるように尋ねた。

 

「ふふ、驚かせてごめんなさい。これ、まだ婚約指輪なのよ。先月、婚約の儀を済ませたところなの」

「あ、あら……婚約。そうなのね、ああ、吃驚した」

「ええ。婚約者はまだ海軍の士官候補生学校に在籍中だからって籍は入れていないの」

 

 成人式は独身時代の掉尾を飾る装いで楽しんでらっしゃい、と婚約者から諭されたのだと、はにかむ花楓。

 そこへ、少し遅れて別の女性が到着した。

 

「皆さん、お久しぶり」

「あ、由美! 久しぶり……って、えっ?」

 

 今度は別の振袖姿の友人が、その姿を見て絶句した。

 声をかけた友人――由美は、淡い藤色の訪問着に、二重太鼓の帯を締めていた。その落ち着いた佇まいは、同い年とは思えないほど大人びて見えた。

 

「あら、花楓も一緒なの? 花楓とは本当に久しぶりね。卒業式以来かしら?」

 

 花楓に話しかける由美。

 その視線が、花楓の左手に向けられた。一瞬、彼女の眉がピクリと動き、厳しい眼差しが花楓の装いに向けられかける。

 ――が、彼女の視線はすぐに花楓の指輪に固定された。台座に据えられた一文字の輝き。それは、由美自身の指にある重厚な輝きとは明らかに性質の異なるものだった。

 

「良い指輪ね。花楓、婚約おめでとう」

 

 由美は窘める言葉を出す代わりに、確信を持った穏やかな声でそう言った。

 

「あら、由美。貴女、すぐにわかったの?」

 

 由美は自分の左手を見せた。その薬指に結婚指輪と婚約指輪が重ね付けされていた。

 

「ええ。私は先月、籍を入れたばかりだから」

 

 その輝きの重みの違いは既婚者だけが知るものだ。

 だから気づいたのだと由美が言外に匂わせていた。

 

「ええっ、本当!? お相手は?」

「同じ職場の先輩。だから振袖は卒業。花楓はまだ独身時代を楽しめるわね、羨ましいわ」

「うわぁ。由美もおめでとう! 二人とも、なんだか急に大人に見えるわ」

「ふふ、ありがとう。でも、中身は変わっていないわよ。式が終わったら、二人で一緒に直会に行くから紹介するわ」

 

 そう言い残し、会場に向かう由美。

 訪問着の女性が醸し出す「守るべき家庭を持った者」の自信と品格は、周囲の振袖姿の友人たちに、鮮烈な憧れと、少しの焦燥感を与えていた。

 その様子を見て互いに頷く美柳と佐々木。

 

「俺たちも、うかうかしてられないな」

「ああ。黒紋付を着て満足している場合じゃない。中身も一人前にならないと、彼女たちに笑われる」

 

 遠くで、警察音楽隊の雅楽を模した厳粛な旋律が響き始めた。

 

「始まるな。行こうか」

「ああ」

 

 公会堂の重厚な扉が開き、開式の案内が放送される。

 

「まもなく、平成十年度 槇島町 成人の儀を挙行いたします。新成人の皆様、どうぞ大ホール内へご参集ください」

 

 居住まいを正した若者たちが、一歩、また一歩と会場の大ホールへ歩み出す。

 それは、守られる子供から、国家と社会を支える大人へと完全に移行する、誇り高い行進の様であった。

 

◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆

 

 大ホールは、張り詰めた静寂と、微かに漂う白檀の香りに包まれていた。

 その光景は、現代の日本に蘇った「元服」の精神を象徴しているかのようだった。

 

「皆様、お待たせいたしました。ただいまより、平成十年度 槇島町 成人の儀を挙行いたします」

 

 秘書課長の凛とした声がホールに響き渡り、式典の幕が上がった。

 久世郡警察音楽隊による金管楽器が、国歌『君が代』の旋律を紡ぎ出す。新成人たちは一斉に起立し、その背筋は真っ直ぐに伸びていた。斉唱の声は地に響き、槇島町歌へと続く。彼らにとって、この歌声は守るべき社会への参画を宣言する産声でもあった。

 登壇した町長の式辞は、義務の履行と権利の享受を説く重厚なものであった。それに続いたのは、来賓筆頭の侯爵、洞院公教であった。

 侯爵がゆっくりと壇上に歩みを進めると、伝統ある血筋が放つ威に会場の空気が一層引き締まった。

 侯爵が華族としての視点から、伝統の継承と若者への期待を述べ、若者たちは、自分たちが単なる個体ではなく、長い歴史の連なりの中の一点であることを、侯爵の言葉だけでなくその立ち居振る舞いから理解していた。

 

「新成人代表、塩見由紀子さん、ご登壇ください」

 

 名前を呼ばれ、由紀子が凛として歩み出た。

 由紀子の振袖の袂が、歩みに合わせて優雅に揺れる。彼女が町長から目録を受け取り、一礼する動作には、一分の隙もなかった。

 続く誓いの詞。

 マイクの前に立った由紀子の声は、ホールの隅々にまで透き通って届いた。

 

「……私たちは本日、成人としての尊い権利を手にすると同時に、社会に対する重い責任を負うこととなりました……」

 

 その言葉は、単なる原稿の朗読ではなかった。

 

「……自由の真意を履き違えることなく、自らを厳しく律する克己の精神を持ち……」

 

 会場に座る友人たち。その一人ひとりの胸に、鋭い楔となって打ち込まれていく。

 二十世紀を締めくくり、新たな世紀を切り拓く旗手としての自覚を述べ、

 

「……より良き未来への架け橋となるべく、弛まぬ努力を続けていくことを誓います。平成10年1月15日 新成人代表 塩見由紀子」

 

 宣誓を終える。

 会場に一瞬の真空状態が生じた。  

 やがてそれが弾けたように、雷鳴のような拍手がホールを揺らした。最前列では洞院侯爵が、厳格な面持ちで、しかし満足げに静かに頷いていた。

 

 式典の山場は『飲酒喫煙解禁の儀』であった。

 再び登壇した由紀子の前には、三宝に乗せられた記念品が恭しく運ばれてくる。厳かなBGMが流れる中、彼女がそれを受領する様は、古の授受の儀式を彷彿とさせた。

 

「これよりは、自らの行動に責任を持ち、法とマナーを遵守し、品位ある大人として振る舞うことを心に刻んでください」

 

 町長の声は、祝辞というよりは、一種の「戒律」の授与に近い響きを持っていた。

 式典は粛々と進み、残すところは記念撮影のみとなっていた。

 

「式典の結びに、この良き日を記録に留めるべく、記念撮影を行います。準備が整うまで、そのままの席でお待ちください」

 

 案内が流れる中、舞台ではカメラマンと進行係がひな壇や椅子の準備を整えていた。

 粛々と待つ新成人たち。待つこと暫し――。

 

「お待たせいたしました。整列のご案内を申し上げます。はじめに、町長、洞院侯爵閣下、ならびにご来賓の皆様は、前列の椅子にお掛けください」

 

 案内が流れ、来賓が舞台の座席に着席した。

 

「続きまして、新成人の皆様は、係員の誘導に従い、中央前方へお集まりください。身長の低い方は前の方へ、高い方は後ろの方へ、お互いのお顔が隠れないよう、少しずつ間を詰めてお並び願います。私の顔が見える方は、カメラからも顔が見えています。お手元のお荷物やバッグなどは、自席に置いていただくか、足元など写真に写らない場所へおまとめください。また、学生帽やコートなどを着用されている方は、恐れ入りますがこの場ではお脱ぎいただけますようお願いいたします」

 

 誘導に従い新成人たちがステージ前方に集まる。 

 中央前列の町長と洞院侯爵をはじめとする来賓者。その周りを、未来を担う若者たちが取り囲む。

 

「皆様、よろしいでしょうか。ネクタイの曲がりや、髪型など、今一度お互いにご確認ください。……はい、それでは撮影いたします。カメラの方をしっかりご覧ください。参ります。……はい、撮ります」

 

 フラッシュが数回焚かれ、撮影は無事終了した。

 フラッシュが焚かれた瞬間、そこには「特権」ではなく「覚悟」を瞳に宿した、新しい大人たちの貌が刻印されていた。

 

「ありがとうございました。以上をもちまして撮影を終了いたします。新成人の皆様、速やかに自席へお戻りください」

 

「以上をもちまして、平成十年度 槇島町 成人の儀を閉式いたします」

 

 閉会の辞と共に、再び音楽隊の演奏が始まった。

 しかし、ホールを出る若者たちの耳には、その後の事務連絡がさらに重く響いていた。

 

「新成人の皆様へ、大切なお知らせがございます。【蜜月の知恵】または【静寂の風格】を受け取られた方はこのあと2階第二会議室にて行われる嗜好品摂取のマナーと自己管理に関する講習会に出席してください。お帰りの前に、必ず指定の会場へご移動をお願いいたします。係員が順次ご案内いたしますので、そのままのお席でしばらくお待ちください。【不磨の道標】を受け取られた方も後日連絡される指定日に、講習会を必ず受講してください。講習修了まで成人証への「解禁印」は付与されません。解禁印なき嗜好品の摂取・購入は法律により禁止されております」

 

「貴様は【不磨の道標】を選んだのだったな」

「ああ。貴公は講習会か。塩見達はどうするのだ?」

「私は【蜜月の知恵】を選んだから講習会ね。由美たちは?」

 

 由紀子が友人たちに問いかける。

 

「私は【不磨の道標】を選んだからこのまま直会に向かうわ」

 

 と由美。花楓も

 

「私も【不磨の道標】を選んだの。このまま直会に向かうわ。講習会は婚約者と一緒に受ける予定よ」

 

 と、手を振りホールに向かう。

 

「それじゃぁ、直会でね」

 

 由紀子も【蜜月の知恵】や【静寂の風格】を選んだ友人たちと講習会場に向かった。

 

 公会堂の重い扉が開き、冬の澄んだ光が差し込む。

 外に出た彼らの左胸には、成人証が重く収まっていた。

 独身時代の終わり、あるいは少年期の決別。

 由美と花楓は、互いの装いを見つめ合い、静かに頷いた。これからは、甘えの許されない「大人の世界」を、それぞれの足で歩んでいくのだ。

 槇島町の空に、警察音楽隊が奏でる行進曲の余韻が、いつまでも高く、厳かに溶けていった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


 

おまけ(直会にて)

 

「この『不磨の道標』の万年筆、ペン先が21金で長刀研ぎになってるのよね。これ普通に買ったら何万もするのよ」  

 由美が、授与された桐箱を恭しく開けながら声を弾ませた。  

 隣で花楓も、純銀の懐中時計の竜頭を愛おしそうに巻いている。

「時計も素敵。純銀製だから、使い込むほどに味が出そう。……ねえ由紀子、貴女の『蜜月の知恵』も見せてよ」

「ええ、いいわよ」  

 由紀子が風呂敷を解くと、琥珀色に輝く瓶が現れた。ラベルには力強い筆致で【黄金の契】と記されている。

「綺麗な色……。それに、この切子細工のぐい呑み、伝統工芸士の手作り品なんて宝物よ。私の名前も伝統工芸士が彫っているなんて」

「『静寂の風格』もデュポンのシガーカッターとかバカラのクリスタル灰皿とか高価な品が多いんでしょう?」

「価格は同じ位になっているみたい」

「『静寂の風格』を選んだ方たちは、今頃『若駒』の香りを嗅いでるのかしらね」

「葉巻のカットから吸い方まで、みっちり扱かれるらしいわ。私もみっちり扱かれたし」

「ふふ、大人になるのも楽じゃないわね」

 

 

<FIN>




 成人式は、古き良き伝統と早熟な社会性が融合した式典になっていることでしょう。ぶっちゃけ元服の現代的解釈になっているかと。小正月が祝日だし、縁のある華族や地方の名士が来賓として列席する儀式になっていたりしてもおかしくなさそう。
 式の内容に飲酒喫煙解禁の儀があるので、成人式は二十歳を過ぎてからの出席となります。式後に二十歳を迎える人は翌年の出席となります。




①嗜好品摂取のマナーと自己管理に関する講習会は、医師会の医師と警察署の生活安全課に加え、杜氏やソムリエ、バーテンダーも講師を務めます。
②飲酒と喫煙の双方にそれぞれ解禁印が必要です。
③自販機はあちこちにありますが、酒と煙草の自販機だけはありません、念のため。
④飲酒喫煙解禁の儀の記念品、金額的には10~15万円位か?




誓いの詞の全文は来週掲載(先々週予約投稿済)

2026/05/10までは毎週日曜日の予約投稿設定済

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