もしもこんな日本だったら   作:fire-cat

80 / 102
場所: 東京・三鷹 スタジオ・ミタカ会議室
時期: 2000年代初頭

登場人物:

田中(日本側技術責任者): 職人気質。TRON規格の画質が「当たり前」だと思っている。

スミス(米国側配給担当): リアリスト。MPEG圧縮とDVDの容量制限に苦しむ技術者。


幸福な誤解と絶望的な断絶―日米アニメーション技術交流会の悲劇―

 

田中

今回の作品ですが、特に背景美術の粒状感と、水の透明感にこだわりました。ですので、データ転送ではなく、物理的に『マスター光ディスク(TRON規格・数テラバイト)』をお持ちしました。配給の際は、可能な限りこのオリジナル画質でお願いします

 

スミス

(渡されたディスクの重みに冷や汗をかきながら)

タナカさん……。以前も言いましたが、我々の市場の標準メディアはDVDです。容量は片面4.7GBなんです。この数テラバイトのデータをそのまま入れることは物理的に不可能です

 

田中

ああ、承知しています。海外ではまだ通信インフラの整備が途中だと聞いていますからね。ご苦労が多いことでしょう。では、そちらの放送規格に合わせてダウンコンバート(圧縮)していただいて構いませんが……ブロックノイズだけは勘弁してくださいね。あれが出ると、監督が不機嫌になるもので

 

スミス

……善処します(無理だ! あんたらの絵は書き込みが細かすぎて、MPEG-2で圧縮したらノイズだらけになるんだよ!)

 

田中

ところでスミスさん。先日、貴社から送っていただいた『新作CGアニメ』のサンプルを見せていただきました

 

スミス

おお、いかがでしたか? 最新のレンダリング技術を使った自信作です

 

田中

(言いづらそうに)

いや、その……素晴らしい動きでした。ただ、送られてきた映像が、なぜか少し……眠いというか、色が浅いように見えまして

 

スミス

は?

 

田中

おそらく、日本への輸送用に、わざわざ容量を落とした『軽量版』を送ってくださったのだと思いますが……。

 

スミス

そ、それは…! おそらく日本のTRONディスプレイで、我々の標準的なMPEGの色域を無理に拡大した結果です。我々の規格では、それが限界なのです!

 

田中

やはりそうでしたか。何か原因があるとは思っていたのですが、やはり規格の違いでしたか。次はぜひ、本国の映画館で上映されている『オリジナル版』を見せていただきたいのです。本場のディズニーのフルスペック画質、我々も勉強させていただきたい

 

スミス

……タナカさん。あれが『オリジナル』です。あれが我々のフルスペックです

 

田中

またまた、ご謙遜を(笑)。そんなはずないでしょう。あんなに階調飛びがある映像が、あのスノープリンセスをはじめとする数々の名作を送り出したアニメ制作会社の完成品なわけがない。我々としては、海外と比べると、おそらく少し日本が遅れているくらいだろうと思っているのです。

 

スミス

(この野郎! 前任が胃潰瘍で入院したのはこいつのせいか)

 

田中

……ハッ! もしかして、産業スパイ対策ですか? 我々に最高画質のデータを見せるのを警戒していると?

 

スミス

(顔を覆う)

……そうだ。その通りだ。君たちは鋭すぎるよ、タナカさん

 

田中

やはりそうですか。そこに気が付かなかったとは、いや、お恥ずかしい。とはいえ我々も井の中の蛙ですから、世界標準の『本当の画質』を知るために、一度、貴社のスタジオを見学させていただけませんか? どのような機材を使えば、あのような世界的なエンターテインメントが作れるのか、ぜひ拝見したい

 

スミス

(立ち上がり、机を叩く)

ダメだ! 絶対に来るな!

 

田中

えっ? な、なぜですか? 我々は同盟国ですし、技術交流は……

 

スミス

い、忙しいんだ! そう、今は新作の制作で戦場なんだ! 君たちのような目が肥えた……いや、繊細な技術者を招く余裕はない!(心の声:来られたら終わる! 俺たちのモニターがsRGBで、君たちのモニターの半分の色域しかないことがバレたら、日本のマニアになんて書き込まれるか分かったもんじゃない!)

 

田中

そうですか……残念です。では、せめてこの『日本版リマスター(超高画質)』の機材一式をお送りしますので、貴社の参考にしてください

 

スミス

……ありがとう。(お前らの『変態品質』は変換アダプタがないと映らないんだよ!!)

 

【後日談】

田中は日記にこう記した。

「米国はガードが固い。彼らが隠し持っている『世界の最先端技術』を垣間見ることはできなかった。我々はもっと精進し、画質を高めなければ、世界に置いていかれるだろう。道義に反することになるが、身元を隠し一観光者として彼らのスタジオを見学して技術視察を行うことも検討すべきであろう。向こうの現地の制作環境を見て、その高品質技術を学ばねばならない」




この世界線の日本の技術者やクリエイターは、「自分たちが世界最高峰にいる」という自覚を持っていません。

要因
・Webの質が低く、海外の「リアルな技術水準」が正確に伝わってこない。あるいは、これは明らかに劣化したものだなとわかる程度のものしか伝わってこない。
・「自分たちの技術がこの程度だから世界の標準はもっと凄いに違いない」という性善説的なバイアスがかかっている。なお、海外旅行に出かけた観光客も、海外で見た映像を「たまたま受信機の調子が悪かったからあんな画質だったんだ」と思い込んでいる。

「世界に追いつくため」という動機で、すでに世界一の技術をさらに磨き上げ、他国が絶対追いつけない領域(オーバーテクノロジー)へと突っ走ってしまう結果となっています。
  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. よみあげ
  11. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。