1992年に発生した中満・中疆戦争(中華人民共和国とマンチュリア・東トルキスタン共和国間の戦争)は、人類史上初めて核兵器が実戦で都市に対して使用された*1衝撃的な、そして破局的な出来事であった。
この戦争は、日本の社会構造を「要塞国家」へと変容させただけでなく、東アジア全域、さらには世界の安全保障秩序を根底から覆すこととなった。各国は独自の形で、それぞれが核の時代を生き延びる為に新たな時代へと突入した。
I. 東アジア
1. 中華人民共和国(PRC)
中華人民共和国(PRC)は1992年の核戦争の最大の敗者であり、最も悲劇的な変容を遂げた国家である。
首都が北京より内陸の鄭州に移されていたため、中央指導部の物理的な壊滅は回避された。しかし、北部経済の中枢であり文化的象徴でもあった北京、および西部辺境の重要な軍事・物流拠点であった蘭州が戦術核による攻撃を受け、国家は戦略的なショックと致命的なインフラ損壊に陥った。
鄭州の中央政府は物理的に生き残ったものの、北京、蘭州を中心とする広範な核汚染地域が出現。この核汚染地域は国家の経済活動と物流を遮断し、国家としての復興を事実上不可能なものにした。
政治的混乱と放射能汚染から逃れるため、数千万から億単位の国内難民が発生したが、周辺諸国が汚染流入を恐れて互いに協力しつつ国境を軍事的に完全封鎖したため、難民の奔流は国内の比較的安全な地域へと押し戻され、国内の混乱を加速させた。海を渡り対岸の台湾を目指した集団もいたが、台湾海峡で行われた日米英の海上封鎖により,台湾の地を踏む事なく大陸へと強制送還された。
広範囲の放射能汚染、主要都市の壊滅、そして数千万単位の国民の混乱という未曾有の危機に対応する統制力を完全に失った中央の指示を待たず、あるいは無視して、各軍区や省は自らの生存と防衛を最優先し軍閥化、事実上の独立状態に陥った。
中華人民共和国は中央政府の物理的崩壊は免れたものの、統治能力、国土の地理的統一性、そして国民の支持を完全に失い、地方軍閥が割拠する「形骸化された失敗国家」へと変貌し、2000年に開催されたシドニー五輪にも統一国家としての参加は行えなかった。
2. 朝鮮民主主義人民共和国
1992年の戦争には直接参加しなかったものの、ソ連から核を継承し、最も大きな地政学的影響を受けた国の一つである。
隣国(マンチュリア、中国)で核戦争が現実化したことにより、朝鮮半島の安全保障環境は最悪の事態を迎えた。汚染された大気(核の黄砂)は朝鮮半島にも降り注ぎ、国民に深刻な健康不安をもたらした。
日本が核の雨をきっかけに、1978年の核共同運用計画を公然化させ、防衛力を飛躍的に増強させたことは、朝鮮にとって最大の脅威となった。「日本も核を使うかもしれない」という恐怖が、国家運営の前提となった。
唯一の活路は、同じく核を保有するマンチュリアやロシアとの同盟強化であった。しかし、同時に自国の独自性を守るため、国内の統制を極限まで強化した結果、閉鎖的かつ強固な、文字通りの「要塞」国家となった。日本や西側への警戒と、核汚染への恐怖から、全国土のシェルター化と、日本のTRONや欧米のARPANETとは異なる独自の国民監視・情報統制システムを完成させた。
1994年の金日成死去という体制の危機を乗り越え、1996年の京城五輪を強行開催。これは、金正日新体制の安定と、核汚染を克服したという国威を世界に誇示する、政治的な「勝利宣言」であった。欧米主要国の参加は限定的だったが、1995年の日朝条約に基づき、日本からは小規模な選手団と非公式の技術調査団が派遣された。
3.中華民国(ROC)
中華民国はこの核戦争における、地政学的な最大の受益者である。
1952年の香港平和条約以来、睨み合いを続けてきた宿敵「中華人民共和国」が、無理な征西と北伐を行った挙句手酷い反撃を受けて自滅。これにより、大陸南部と海南島を領有する中華民国が、唯一の「合法的かつ安定した中華政府」としての地位を確立。東トルキスタン等と条約を結び、日米英と新興核保有国を繋ぐ「調停者」として、アジアの新しいパワーバランスの中核となった。
最大の脅威は、北の無政府地帯からの放射能汚染されたモノの流入であった。中華民国は、香港平和条約で定められた珠江デルタのDMZ(非武装地帯)を、世界で最も厳重に警備された「NBC防護壁」へと作り変えた。
崩壊したPRCに代わり、中華民国は「共産主義と核の無秩序に対する防波堤」として、日米英から莫大な経済支援と軍事支援(NBC防護技術、ミサイル防衛網)を受け入れ、唯一の中華政府として存在をたしかなものとした。
4. モンゴル国
ソ連崩壊後の独立を志向していたモンゴルは、核戦争による中華人民共和国の崩壊という、予期せぬ事態に直面した。
北京と蘭州への核攻撃、そしてマンチュリアとの戦闘による広域汚染は、内モンゴルを含む大草原地帯に深刻な影響を与えた。遊牧と畜産業を基盤とするモンゴルにとって、広範な牧草地の汚染は、国家経済の根幹を揺るがす危機となった。
国土防衛と汚染対策という二つの喫緊の課題を解決するため、モンゴルは歴史的な同盟国であるロシアとの関係を劇的に強化。マンチュリア、朝鮮を含む「北の核枢軸」に半ば強制的に組み込まれ、その軍事的な緩衝地帯としての役割を担うことになった。
中華人民共和国からの難民と汚染の流入を阻止するため、国境をロシアの支援のもとで軍事的に完全封鎖。広大な国土と少ない人口を活かし、広大な「防護区」を設け、国民生活の集約とNBC防護化を急いだ。
この戦争によりモンゴルは自由な市場経済化への道を閉ざされ、核汚染と地政学的圧力により、広大な国土を防護システムで維持する緩衝国へと変貌した。
5.マンチュリア
ソ連崩壊(1991年)で再独立を宣言し、核を継承したマンチュリアは、1992年に中華人民共和国の「中華経済共同体」提案(事実上の再併合要求)を拒否。侵攻してきた人民解放軍に対し
、自国領土内で戦術核を使用したため、ハルビン、瀋陽、長春、大連などの大都市では市民への重度の被曝があり、パニックや医療崩壊を引き起こしたが独立を維持した。
マンチュリアは「核兵器によって独立を維持した」という強烈な体験により、核兵器の保持と、いかなる侵略にも核で報復するという国家戦略が国民的な合意となった。これによりマンチュリアは極めて厳格な軍事独裁的な国家へと移行した。国家予算の大部分は、核兵器の維持・高度化、ミサイル防衛網の構築、そして日本以上に強固な全国民的NBCシェルターの建設に充てられた。 。
自国領土内で戦術核を使用した為、広大な東北平原の土壌が放射性物質に汚染された結果、国内の食料危機はもちろん、世界の食料市場にも多大な影響を及ぼした。
その後生じた世界恐慌は先進諸国の企業の撤退を招き、また、自国領土の一部が戦術核使用で汚染されるなど社会経済に大打撃を受けた結果、活路を中華民国との同盟(1992年10月)による西側へのアクセスと、ロシア・朝鮮との北の核枢軸ともいうべき新たな経済圏への接近という二正面の外交に求めた。
Ⅱ. 南アジア・中央アジア
1. 東トルキスタン
ソ連崩壊(1991年)で再独立を宣言し、核を継承した東トルキスタンは、1992年に中華人民共和国の「中華経済共同体」提案(事実上の再併合要求)を拒否。侵攻してきた人民解放軍に対し戦術核を使用し、独立を維持した。
侵攻してきた人民解放軍に対し、自国領土内でも戦術核を使用したため、自国領土東部(牧畜地帯)が、蘭州(PRC兵站拠点)への核攻撃と、河西回廊での戦闘による「近接降下物」で壊滅的な汚染被害を受け、国土の半分が深刻な汚染地域となった。国民は、戦勝の代償として、この汚染と共に生きることを余儀なくされた。
天山山脈および崑崙山脈は、オアシス都市の「水源」であるが、大気中に拡散した放射性物質は、これらの山脈の雪氷に沈着した。汚染された雪氷は、春から夏の融雪期に放射性物質を含んだ雪解け水として流れ出し、タリム川などの河川やや地下水、湖沼を長期間にわたり汚染し続けることになった。水と土壌の汚染は、オアシス都市で営まれてきた綿花、果物などの農業や牧畜業に壊滅的な打撃を与え、深刻な食料危機を引き起こし地域の生態系と人間の生存基盤そのものを破壊することとなった。
タクラマカン砂漠やゴビ砂漠といった広大な乾燥地帯では、地表に降下した放射性物質が土壌や砂に付着し、これらの汚染された砂塵が風によって繰り返し大気中に再浮遊した。これにより、汚染地域が当初の範囲を超えて拡大し、放射性物質の拡散による外部被曝に加え、汚染された砂塵や粉塵の吸入、汚染された水・食物の摂取による内部被曝が深刻な健康被害を引き起こし住民は吸入による内部被曝のリスクに継続的に晒された。
核戦争が勃発した7月末頃は、気温が40度を超える酷暑となった。
国民は、放射性物質の吸入を防ぐために屋内退避を行ったが、熱中症による健康被害が急速に増加し、放射線防護と熱中症対策という二重の危機に直面した。
水と食料の不足、インフラの停止、健康不安の増大は、ウルムチなどの主要都市において深刻な社会不安を引き起こし、国家の生存は、汚染を免れた南部・西部のオアシス農業と、食料・経済支援を受けるために1992年10月に締結した隣国のカザフスタンや中華民国との同盟に依存することとなった。
2. インド亜大陸
1992年の核戦争は、アジアの核保有国間の緊張とは別に、インド亜大陸において「核拡散」と「人道危機」という、制御不能な二重の危機を誘発・加速させた。
インド・パキスタン
中満・中疆戦争で核兵器の実戦使用と、それによるマンチュリア等国家の独立維持という前例は、両国の核開発に対するタガを完全に外した。
米国・EU諸国が世界恐慌とロシア情勢で手一杯となり、国際的な圧力が消滅。両国は核兵器こそが国家生存の絶対条件であると確信し、核弾頭とミサイルの開発競争を加速させた。
カシミール問題を巡る緊張は、常に限定核戦争へのエスカレーションの危険をはらむ「火薬庫」として、アジアの不安定要因であり続けた。
バングラデシュ
バングラデシュは、世界恐慌によって最も深刻な打撃を受けた国の一つとなった。
世界恐慌によるODAの完全停止と、主要な輸出先である欧米市場の崩壊により、国家経済が破綻。アジア穀倉地帯の汚染による食料価格の高騰が飢饉を悪化させ、統治能力を失った国内からは、数千万単位の環境・経済難民が発生。難民は隣国インドの西ベンガル州などに流入し、インド国内の治安悪化と印パ間の新たな緊張の火種となった。
3.チベット国
チベットは、1992年の核戦争によって、その独立性と神聖性を守るための新たな防衛戦略を強いられることになった。
1992年の核戦争では「厳正中立」を宣言し、被害をアムド地方の低レベル汚染に限定出来たものの、西隣の東トルキスタン共和国が核を保有する国家となったこと、そして東部の中華人民共和国が核汚染と軍閥化によって不安定化したことで、地政学的な脅威はむしろ増大した。特に、蘭州方面からの汚染の拡散は、チベット高原の清浄な環境を脅かす重大な問題となった。
世界で最も高い標高が、汚染の完全な拡散を防ぐ自然の障壁となったことを追い風に、チベットは「世界の精神的な聖域」としての地位を確立。インドや西側諸国は、チベット高原を「中立的な観測・保全拠点」として支援することを決定。日本が開発した高精度な環境モニタリング技術とNBCフィルター技術は、チベット高原の主要な集落や仏教施設に導入された。これは、「高標高という天然の防護に加え、仏教国日本の技術によって清浄さを維持する」という、チベットの新しい国家戦略となった。
周囲の核保有国と混乱地域に囲まれたことで、その生存は、高山という地理的障壁と、国際社会からの限られた、そして高度な技術を伴う支援に依存する国家となったものの、「平和と中立の聖域」としての国際的権威を高めた。
4.ネパール・ブータン
周辺のPRC崩壊後の混乱や印パの核緊張を受け、両国は、独立を維持し続けるチベット国との連携を強化した。
経済的にはインドとの関係を維持しつつ、政治的・文化的にはチベットと連携し、チベットと一体化した「核保有国間の神聖な緩衝地帯」としての地位を確立。日本や西側諸国からも、アジアの緊張を緩和する「平和の聖域」として限定的な支援を受けた。
5. 中央アジア
ソ連崩壊(1991年)と世界恐慌(1992年)の二重の打撃を受けた中央アジア諸国(カザフスタン、ウズベキスタン等)は、国家建設の初期段階で経済的・政治的な基盤を失った。
ソ連時代の相互依存経済が崩壊し、西側からの投資も完全に途絶。経済は停滞し、インフラの老朽化が急速に進んだ。
この「力の空白地帯」は、地域大国の角逐の場となった。
ロシア連邦の権威主義体制が「失われたソ連圏」として影響力を保持しようと介入、東トルキスタンもまた自国の安全保障と、民族的・宗教的(トルコ系・イスラム)な繋がりを背景に、影響力を西に拡大しようと試みた。
中央アジアでは東トルキスタンという核保有国が隣接するため、ロシアは集団安全保障機構などを名目に軍事的な関与を強めカスピ海沿岸のエネルギーなど、中央アジアの資源に対する支配力を固めた。
グルジア、アゼルバイジャンなどのコーカサス地方へは アブハジア、南オセチアなどへの支援を強め、これらの地域の不安定化を恒常的なものにし、ロシアからの影響力排除を不可能にすることを試みた。
イランと黒海に面したトルコも第五次中東戦争をはじめとした中東の混乱と連動し、それぞれが宗教的・民族的な繋がりをテコに勢力圏を争った。
中央アジアは、核の遺産と資源を巡り、権威主義的なロシアと、新興の核保有国・地域大国が睨み合う、極めて不安定な、代理戦争の火薬庫へと変貌した。
Ⅲ. 東南アジア
東南アジアは、1992年の危機に対し、その地理的位置と政治体制によって大きく運命が分かれた。
1.ベトナム
1982年に南ベトナム主導で統一されたベトナムは、日米英の強力な同盟国であった。PRC崩壊後の「核の無政府地帯」からの難民流入と「北の核枢軸」の脅威に対し、「南シナ海の最前線防波堤」としての役割を担う。日本からEPSドーム農業などのNBC防護技術を積極的に導入し、軍事・経済の両面で急速に「要塞化」を進めた。
2.フィリピン
伝統的な米国との条約関係に加え、1992年の危機によってフィリピンの戦略的価値は極限まで高まった。ルソン島周辺の基地は、崩壊したPRCの汚染監視、南シナ海での海上封鎖、そして東トルキスタンの核保有国化に伴う米英の主要な海上・航空兵站拠点として再活性化された。経済的には観光業が壊滅したが、代わりに基地経済と米英の戦略的援助によって国家運営が維持されており、その外交・安全保障政策は完全に米英の戦略に組み込まれている。
3.ブルネイ
世界恐慌と日本の「脱石油化」により、主要な歳入源である石油・ガス価格は暴落したものの、日本は自国の「清浄な要塞国家」体制維持のため、LNG(液化天然ガス)などの安定供給をブルネイに依存。これにより、ブルネイは、王室を中心とした権威主義体制の維持と日本に対する絶対的な資源供給国としての地位を確立した。資源提供の見返りとして、日米英はその海軍力を持って周辺の不安定化した国家からブルネイとその交易路を保護し、ブルネイは日米英が保護する石油・ガスの資源供給国として生き残った。
4.マレーシア・インドネシア
世界恐慌による貿易激減で経済停滞。国内の民族・宗教対立が煽られ、政治的な不安定化が長期化。海賊対策が最優先課題となっている。
5.シンガポール
独自の統制システムと金融ハブ機能、日米英との連携により、周辺国が混乱する中で「秩序ある海上要塞」として生き残った。
6.ビルマ(ミャンマー)
強硬な軍事政権による孤立主義が、世界恐慌による輸出停で完全に破綻。中央政府は統制力を失い、少数民族武装勢力との内戦が泥沼化。無秩序な混乱地域へと変貌した。
7.タイ
伝統的に西側と良好な関係を保つタイは、世界恐慌による観光業と輸出産業の崩壊、そして隣国ビルマが「失敗国家」化したことによる国境地帯の難民・武装勢力の流入という三重苦に直面。経済的苦境と治安悪化の中で、日米英からの支援に依存する一方、王室を中心とした権威主義的な政権への傾倒を強めた。
8.カンボジア・ラオス
政治的・軍事的にベトナムの強い影響下に置かれ、PRC崩壊後の難民流入を食い止めるための第一緩衝地帯として機能。日本のODA支援もベトナム経由で行われ、事実上の保護国となった。
Ⅳ.オセアニア・太平洋諸国
1.オーストラリア・ニュージーランド
オーストラリアとニュージーランドは、北半球の核汚染から地理的に最も遠く、「世界で最も清浄な土地」としての価値が爆発的に高まった。
「汚染リスクのない天然食材」の最大の供給基地となり、東アジア諸国、とりわけ日本との経済的結びつきが強固になった。同時に難民の受入問題も発生したが、ニュージーランドは国土が限られていることを盾に、オーストラリアは居住地が限られていることと天然食材の最大の供給基地であることを盾に、高度な教育を受けていることを前提とした厳格な受入体制を敷いた。
2.太平洋諸国(島嶼国)
世界恐慌による観光業の崩壊、欧米からのODA停止、漁業権販売収入の激減により国家経済は深刻な危機に瀕したが、この経済的脆弱性とは裏腹に、その戦略的価値は極めて高騰した。
混乱を極めた大陸から離れた位置にあるこれらの島々は、特に米軍にとって、アジアと北米・豪州を結ぶ海上・航空ルートの通信中継、偵察拠点、燃料・兵站補給の要となった。
経済的な存続は、米国・日本からの基地インフラ維持費、対難民・検疫費用などの戦略的援助に完全に依存することとなった。
Ⅴ.ヨーロッパ・ロシア
1. EU
EUは「繁栄の追求」から「防衛と秩序の維持」へと目標を転換した。
1993年の英仏海峡トンネル工事中断に象徴されるように、長期投資が凍結。通貨統合は遅延し、保護主義が台頭した。
ロシアの権威主義化と、国際社会の介入麻痺によるユーゴスラビア紛争の泥沼化による国家乱立という混乱を目の当たりにし、EUは東方への拡大を停止。代わりに、バルカン半島からの難民流入を防ぐ為に旧ユーゴスラビアとの国境線に、厳重な難民流入を防ぐための防御線を構築せざるを得なかった。
これにより、EUは内部の安定を守るため、東ヨーロッパとバルカンを「緩衝地帯」として切り離すという非情な選択を行い、内向きな「防御的ブロック」となった。
核ショック後のユーゴスラビア
核戦争と世界恐慌によって国際社会の監視と介入が麻痺した結果、旧ユーゴスラビア領内では、民族紛争が「大国による統制」を失い、「自己主張と分離の連鎖」が止まらなくなった。
米国、ロシア、欧州が自国の危機対応に集中し、バルカン半島に外交的・軍事的関心を向けられなくなったため、地域紛争の終結を誰も強制できなくなったことが要因に挙げられる。
先進主要国、特にロシアが経済的に破綻したことで、ロシアが支援するセルビア系勢力も軍事・経済的な息切れを起こし、他民族を排除して領土を維持する能力が低下した。これにより地域内の武装勢力や民兵組織による「事実上の独立」が容易になった。
大規模な人道危機が発生するたびに、国連や赤十字は機能不全に陥り、代わりに地域ごとのローカルな支配者が行政と治安を担わざるを得なくなり、これが小国家の母体となった。
紛争が長期化する中で、セルビア共和国の領域内を中心に、民族的・地域的アイデンティティを基盤とした分離運動が成功を収めた。
セルビア北部にある、マジャル人、スロバキア人、クロアチア人など、極めて多様な民族構成を持つヴォイヴォディナ自治州が、セルビア中央政府がバルカン紛争に資源を注ぎ込み、経済的に疲弊し混乱した結果、戦禍からの隔離と経済的安定の維持を掲げて、中立的な独立を主張。特にマジャル人が強い支持基盤となり、事実上の独立を勝ち取りヴォイヴォディナ共和国を樹立した。
これを機にセルビアとモンテネグロにまたがる地域で、主にボシュニャク人(ムスリム系スラヴ人)が居住する地域もボスニア紛争の激化とセルビア系勢力による残虐行為から身を守るため、民族自決権を強く主張し、近隣のボシュニャク人勢力やイスラム系諸国からの、限定的な支援を受けて武装し、セルビアからの分離と独立を強行しサンジャク共和国を樹立。
最後に、ボスニアでボシュニャク人、クロアチア人、セルビア人の間の対立が極限まで達したためセルビア人勢力圏がスルプスカ共和国の独立を宣言。
これらの小国家は最終的に、独立した主権国家として、国際社会の承認を得ることになった。
核ショック後の旧ユーゴスラビアは、スロベニア、クロアチア、ボスニア、セルビア、モンテネグロ、マケドニア、コソボ、ヴォイヴォディナ、サンジャク、そしてスルプスカの10ヵ国がひしめき合う、極度に不安定な多極地域となった。
2. ロシア・東欧
ソ連崩壊直後のロシアと、中欧連合(CEP)に参加できなかった東欧諸国(ポーランド、ルーマニア、ブルガリア等)及び旧ソ連構成国(ウクライナ、バルト三国、ベラルーシ)は、世界恐慌により西側からの経済支援の希望を完全に断たれた。
資源価格の暴落と西側資本の逃亡により、ロシアのエリツィンが進めた市場経済化は失敗。ハイパーインフレと治安悪化により、国民は「ソ連のほうがよかった」というノスタルジーを強めた。
経済的絶望の中、国民は民主主義よりも「秩序」を求め、強力な指導者による権威主義体制が早期に台頭。
EUやCEPに加盟できなかった東欧諸国は、経済的・安全保障的な「空白地帯」となった。ロシアは、この脆弱な国々に対し、「失われたソ連圏」の回復を目指す「いびつな国家」として再編された。
ウクライナ
ロシアにとって「ソ連の復活」と「汎スラヴ主義」というイデオロギーの中心であり、西側への傾倒は許されない、絶対に手放せない最優先の標的だった。
恐慌によって西側からの投資が途絶え、ウクライナの経済は極度に悪化。ロシアへの経済的依存度が高まり、ロシアはエネルギー供給や債務を強力な外交・内政干渉のツールとして利用していった。
ウクライナは歴史的に不可分な「兄弟国」であり、直接的な軍事併合ではなく、親ロシア派の指導者を政治的に支援し、ウクライナをロシア主導の軍事・経済同盟に組み込むことを最優先の目標とした。
バルト三国(エストニア、ラトビア、リトアニア)
地理的にロシアのサンクトペテルブルクやカリーニングラードに近く、西側の影響を排除するための戦略的な緩衝地帯として狙われた。
EUが内向きになり、日米英がアジアの核大国への対処に集中しているため、バルト三国へのNATOの軍事的コミットメントは弱いものだった。
正面からの軍事侵攻は西側の反発を招くため、ロシアは各国に存在するロシア系住民を保護するという名目で、内政干渉やプロパガンダを仕掛け、バルト三国を内部から不安定化させる「ハイブリッドな手段」を用いた。
ロシアはバルト三国の内政に深く干渉し、エネルギー供給を人質に取り、西側(特に北欧諸国)との結びつきを弱めさせることに重点を置き、バルト三国は、常に不安定な「ロシアの隣人」という立場を強いられた
3.中欧連合(CEP)
1990年代を通じて通貨統合の遅延や保護主義の台頭に苦しむEUは、その政策が内向きになり、中欧への繁栄の保証を提供できなかった。
また、EUが東方への拡大を停止した結果、地理的にロシアの再権威主義化の影響を強く受けることになる中欧諸国はロシアとの経済関係を維持し、不必要な軍事的緊張を避けるため、EUの強硬な外交・防衛政策に深く組み込まれることを避け独自の生存戦略を採った。
EUの停滞、そしてロシアの圧力という二重の脅威に対し、オーストリア、チェコスロバキア、ハンガリーは経済的・防衛的な相互連携を目的とした「中欧連合(Central European Pact / CEP)」を結成した。この連合は結果として、EU圏の安定と、ロシア・東欧への緩衝地帯としての役割を果たすこととなった。
バルカン紛争の波及を最も恐れる中欧諸国、特にハンガリーは混乱するユーゴスラビアとの国境を強固に管理することで、バルカン化の波及効果を中欧に及ばせない「北の防護壁」としての役割を担い、中欧全体の安定化に貢献した。
オーストリアは金融ハブとして、チェコスロバキアは工業力において、ドイツなど西側の市場と緊密な経済的結びつきを維持しつつ、EUの政治的・財政的な重荷からは距離を置き、CEPは、内向きなEUと不安定な東側をつなぐ「中継点」としての地位を確立した。
4.イギリス
政治・経済面ではEUと足並みをそろえているが、軍事面では日米英相互防衛協定の欧州における中核として、日本の要塞化を全面支援するとともに、「核拡散阻止」を最優先戦略に掲げ、EUとは距離を置いている。
VI. 北米・中南米
1.アメリカ合衆国
1970年代のベトナムでの戦術核使用を「対軍事目標の限定的措置」として正当化してきた西側諸国は、「都市への核攻撃」という現実を目の当たりにし、自らの核戦略の根本的な見直しを迫られた。
1991年のソ連崩壊で、核兵器が独立国家(マンチュリア、東トルキスタン、朝鮮)に「拡散」した結果、わずか1年で核戦争が勃発した。この現実は、「核の拡散は、即、核戦争につながる」という恐怖を西側指導者に植え付けた。
これ以降、西側の世界戦略は「核不拡散(NPT)」から、より攻撃的な「核拡散の阻止(Counter-Proliferation)」へと移行した。核保有を目指す国家は、それが西側の脅威になる場合、先制的な軍事行動の対象となった。
日本が「核の雨」をきっかけに、国土全体のNBC防護化、TRONによる監視社会化、そして軍備の増強を進めることを、西側は「アジアにおける最も信頼できる防波堤」として全面的に支援・歓迎し、日本が求める大量の生鮮食料品の輸入に対しても、プレミア価格ではなく同盟国価格での提供を行うなどの協力を惜しまなかった。
日本のEPSドーム技術やEV防護技術は、米英の軍事技術と融合し、西側全体の標準となっていった。
2.中南米
核戦争の直接的影響は少ないものの、世界恐慌の影響を真正面から受けた。最大の貿易相手である米国市場の崩壊と、欧州からの資本引き揚げにより、経済が破綻。権力の弱体化によって政府が国家の構造を制御できなくなり、政府が果たすべき基本的な責務を果たせなくなった国家こそ出現しなかったが、国家経済では「絶望的な20年」として民主化プロセスが後退・停滞した。
3.カリブ海諸国
カリブ海諸国は、観光業と米国へのモノカルチャー輸出に極度に依存していたため、世界恐慌による米国市場・観光客の蒸発によって経済が壊滅。多くの国で治安悪化と統治能力の著しい低下を招き、国際スポーツ大会等に参加する等、対外的な余力を完全に失った。
VII. 中東・アフリカ
1.中東
世界恐慌と日本の「脱石油化」達成により、世界の石油需要が蒸発。産油国の国家財政が破綻し、社会保障が崩壊した。米国・ロシア・EUが大国の関心を失った「力の空白」の中、経済的絶望を背景にイラン、サウジアラビア、トルコ、イスラエルといった地域大国間の覇権争いが激化。
湾岸戦争後、多国籍軍が駐留し軍政を行っていたイラクは多国籍軍の撤退後、クルド人自治国家でトルコの影響が強い北部、スンニ派の影響が残った中部、イランとその影響下にあるシーア派諸勢力の影響が強い南部に三分割され、中東全域が核開発を伴う「第五次中東戦争」の火薬庫と化した。
2.アフリカ
核戦争後の世界で、最も国際社会から見捨てられた地域がアフリカとなる。
世界恐慌によるODAの完全停止と、アジアの穀倉地帯の汚染による食料価格の高騰が、大陸全土の飢饉を悪化させた。米・ロシア・EUの関与が停止したことで、外部の抑制を失った部族紛争や内戦が資源を巡り激化・泥沼化し、権力の弱体化によって政府が国家の構造を制御できなくなり、果たすべき基本的な責務を果たせなくなった、いわゆる失敗国家が大陸全土で続出した。
2000年のシドニー五輪と2004年のアテネ五輪、参加できたのは何カ国・地域ぐらいになるんだろ……?
多分120ヶ国前後……はあると思うが、核戦争からの物資高騰や世界的経済不況を生き残った国家が何カ国になるかは……知らん。
書き終えてなんだが、こんなディストピア世界は嫌だ! 黄金の1990年代を書きたいんじゃ〜! 核戦争回避で絶対書き直してやる……ということで書き直しました。
今の年表を【年表―核戦争勃発編―】として【灰色の雨と、置き忘れた空- 2017 -】・【1992年以降の日本の社会生活:核の時代を生きる ―中等学校六年生 現代社会副読本 より-】・【1992年以降の国際情勢:核の時代と生存の論理】と一緒に異伝として扱います。