十月一日。
台風の爪痕が生々しく残る中、皇居の表御座所において内閣総理大臣による内奏が行われた。
窓外には、嵐が過ぎ去った後の皮肉なほどに澄み渡った秋空が広がっている。
しかし、室内には鉛のような沈黙が立ち込めていた。総理は、死者・行方不明者が五千人を超えるという未曾有の被害状況と、京極宮慶仁王および松殿侯爵令嬢寛子の被災状況について報告を終え、深く頭を下げたまま動けないでいた。
天皇は、机上に置かれた被災地の写真──泥に埋もれた六華苑の残骸と、へし折られた揖斐川堤防の無残な姿──をじっと見つめていた。その表情は硬く、静かな怒りと深い悲しみが、周囲の空気を震わせるほどの重圧となって総理にのしかかっていた。
やがて、天皇はゆっくりと口を開いた。その声は低く、しかし一言一句が刃のように鋭く室内に響いた。
「予報は的中していたと聞く。然るに、なぜ一行を堤防の喉元たる桑名で留め置いたのか。なぜ避難先が濁流の直撃を受ける木造の邸宅であったのか。情報が、技術が、判断が、なぜ斯も脆弱であったのか」
総理は、その言葉の重みに耐えかねるように、さらに深く上体を折った。
「……御言葉、痛恨の極みに存じます。避難先は当地で最も堅牢な洋館を手配いたしましたものの、想定を超えた高潮に加え、貯木場より流出した膨大な北洋材が激流と共に建物を粉砕するという、物理的な暴力を予見できず……斯くの如き事態を生ぜしめました。堤防の強度の不足、ならびに避難誘導の不徹底は、政府の重大な失策でございます」
「『想定を超えた』や『予見できなかった』という言葉で、失われた命が戻るわけではない」
天皇は椅子から立ち上がり、窓の外へと視線を向けた。
「慶仁は、寛子の手に守られて生き残った。その寛子の手に握られていたのは、泥にまみれた御守りであったという。寛子は、我が身を挺して皇室の藩屏を守り抜いた。それは臣下としての鑑と言えるかもしれぬ。しかし……」
天皇は言葉を切り、震える拳を机に突いた。
「寛子は一輪の蕾が香りを放ち始めたばかりの、瑞々しき芳紀であった。将来、慶仁を支え、共にこの国を歩むはずであった至宝である。その命を、濁流に、泥に、冷たい暗闇の中に置き去りにした。そして、慶仁を支えんとした五辻をはじめとする学友達、寛子の乳姉妹を始めとする二人に忠義を尽くした者達もまた、その未来を奪われた。朕は、寛子に、慶仁に尽くしてくれた者達に何と詫びればよいのか」
総理の額からは、冷や汗が滴り落ちた。
「総理。今回の件、単なる災害対策の不備として処理することは許さぬ。これは人災である。政府が、そしてこの国が、自らの未来を軽んじた報いではないのか」
「……仰せの通りにございます」
「二度とこのような悲劇を繰り返さぬよう、法を改め、予算を組み、この国の土木を根底から作り替えよ。それが、命を賭して慶仁を守った者たちに対する、国家としての唯一の贖罪である」
天皇の視線が再び総理を射抜いた。
「朕は、慶仁がこれから背負うであろう傷の深さを思うと、胸が締め付けられる。慶仁は、自らの命が寛子の犠牲の上に成り立っているという事実を、一生背負って生きていくことになるのだ。その重圧に、慶仁は耐えねばならぬ。ならば、我々大人は、それ以上の覚悟を持ってこの国の安全を築かねばならぬはずだ」
「……身命を賭して、治水計画の抜本的刷新を断行し、国民の生命を守る鉄壁の国土を築き上げることをお誓い申し上げます」
総理の言葉を聞き終えた天皇は、静かに椅子に戻った。その背中は、一人の少女を救えなかった元首としての苦悩を色濃く漂わせていた。
十月。
伊勢湾台風の合同葬儀が執り行われた数日後、都内にある伏見宮邸の大広間に、各宮家の当主たちが一堂に会した。
部屋の中央に松殿侯爵邸から届けられた白い百合が、弔いの意を込めて生けられている。
室内を支配しているのは、単なる哀悼ではない。それは、皇室の藩屏たる宮家が、国民の生命を守る仕組みからいかに切り離され、無力であったかという事実に対する、痛切なまでの自責と、静かな怒りであった。
上座に座る老練な当主が、集まった者たちを見渡し、重く、力強い声で沈黙を破った。
「もはや、政治に口出しせぬなどとは言っていられん。憲法の制約下で我々宮家ができることといえば、それぞれ防災の、科学の、あるいは土木の教育を支援し、二度とあのような『不備』を許さぬ空気を造ることだ。寛子の犠牲を、単なる『悲劇の美談』として消費させることだけは、断じて許してはならん」
その言葉は、広間の空気を一変させた。
当主は、手元にある厚い報告書──政府の治水予算の推移を記した資料を叩いた。
「新聞は、寛子が慶仁を守り抜いたことを『忠義の華』と称賛している。国民も涙を流しているだろう、齢十六の少女が、とな。だが、我々までもがそれに酔ってどうする。寛子が死なねばならなかったのは、堤防が脆かったからだ。貯木場の管理が杜撰であったからだ。想定を誤り、管理を怠っていた。それは政治の、技術の、そしてそれを監視できなかった我々大人の敗北である」
列席した若き当主の一人が、唇を噛み締めながら問いかけた。
「しかし、我々が具体的に動けば、内閣や議会との軋轢は避けられません。憲法に定められた枠を越えると批判される恐れもあります」
「枠を越える必要はない」
老当主は、鋭い眼光を向けた。
「古来より、仁政とは、民を水害から守る治水にはじまる。我々には、学術会議や各大学、教育機関への総裁・総裁代行としての席がある。あるいは、数々の伝統文化を保護する立場がある。ならば、これからは『土木』も『防災科学』も、皇土安寧のための必須教養であると定義すればよい。名誉職として座るのではない。予算の使途を問い、若き技術者を激励し、不備があればそれを公の場で『憂慮』する。それが、我々に残された、最も強力な政治的牽制となる」
当主は視線を落とし、救出されたものの、未だ沈黙の中にいる若宮に思いを馳せた。
「慶仁は、寛子たちが命を賭して繋いだ命だ。慶仁が将来、伏見宮系諸家を統括する立場になったとき、その手にあるのが『和歌』や『儀礼』だけでは足りぬ。慶仁には、木曽三川の荒ぶる流れを、この国の土を、水を、風を制御するための『科学』という武器を持たせねばならん。それが、慶仁を救って逝った寛子への、そして泥の底に消えた千代や五辻たち学友、忠義を尽くした者達への、我々の誠意というものだ」
「……左様でございますな」
広間に、同意の呟きが広がった。
列席した宮家当主たちの脳裏には、数日前、いまだ包帯の痛々しい慶仁が、御所に参内した時の光景が焼き付いていた。
傷ついた身のまま、這うようにして天皇に跪いた慶仁は、絞り出すような声で泣きながら訴えた。
「……陛下、どうか、どうかお聞き届けください。寛子は、私を生かすために、自らの命を泥の中に落としました。正成も、千代も、皆、私の盾となって消えたのです。これ以上の死は、自責による死は、皆の尊い犠牲を無に帰すものでございます……!」
その必死の嘆願は、居合わせた者の心を震わせた。
それを受け、天皇は静かに、しかし雷鳴のごとき威厳を以て、異例とも言える「勅語」を発した。
「此度の悲劇、痛恨の極みなり。然れども、死を以て責を塞ぐは容易なり。真の忠義とは、この国土を二度と斯かる悲しみに染めぬよう、生きてその知見を捧ぐることにある。罪は生きて贖うべし。確と申し渡す」
──生きて、贖え。
その言葉こそが、絶望の淵にいた人々を、「後ろ向きの死」から「前向きの戦い」へと突き動かした原動力であった。
この日を境に、宮家の活動方針は劇的に転換した。
これまでのような慈善活動や文化保護にとどまらず、各宮家は分担して「防災科学研究所」の設立を支援し、奨学金制度を通じて土木工学の若きエリートを宮廷に招くようになった。
それは、松殿寛子という一人の少女の死を、歴史の闇に消えゆく「悲劇」ではなく、この国の「背骨」を作り替えるための「礎」とするための、宮家を挙げた戦いの始まりであった。
生き残った慶仁が、どのような心境で泥にまみれた寛子の冷たい手からお守りを回収し、自らの心を永遠の雨音の中に閉じ込めてしまったのか。
のちの日本に治水という国家課題を突きつけたこの大災害は、未来の皇室を背負う若き皇族の心に、決して癒えることのない深い爪痕を残したのだった。
松殿侯爵家の随行員、寛子嬢が同行していたということは男性ばかりでなく、寛子嬢を世話をする侍女達もまた随行していたわけで……。
寛子嬢は清華家侯爵家の令嬢であり、殿下の婚約者。当然、妃候補の教育を直接担当する御教育係や松殿侯爵家で彼女の身の回りを世話する侍女が同行していたと。中には姉妹のように育った若い侍女もいたり……。
と、気が付いたので乳姉妹を追加。
……殉職しましたが。
……極端な防災国家に走るよなぁ、これなら。