「俺やろっか?」
「え?」
「こうれい?ってやつ」
「嫌でもさすがに」
「それしたあとは何すればいいの?」
「いや…えぇと、普通であれば周りにいる霊媒師に体内にいる霊魂を祓ってもらうんですが…」
「なに、身体の中に入るわけ?」
「いえ…正確には、背後霊のように背中にこう…」
「あ、じゃあ背負い投げすればいいわけね」
「え?」
「んなら早く言えよ、ほらその"こうれい"ってやつを、やろう!今すぐ!」
岩井や朝霧が制止する暇もなく、武部は降霊の準備を始めようとしていた。
そんな彼につられ、2人も致し方なく儀式の準備を始めた。
しかしいくら武部とて、霊が憑けば心身にかなりの危険を伴うことは明白だった。岩井はこれまで、海外での依頼をこなす際に自身の身に霊体を降ろしたことがあるため、経験者として苦肉の策を提示したまで。その危険性は重々承知していた。
故に、どれほど危険であるかを武部に解き続けたが、そんなものは暖簾に腕押し。彼は聞き入ることを一切せず、とうとう降霊の場が整ってしまった。
麻縄で囲まれた境界線の中央に鎮座する武部。
服装はこれといって装束を身にまとっているわけでもなく、ラフな格好をしていた。これから厳かな降霊術が行われる様相にはとても見えないが、岩井が祈祷を始めた途端、空気が変わった。
口寄せを行う際に満たされた濃密な嫌悪感と同様のそれが、今度は数倍にも膨れ上がったようだった。
つまるところ、今度こそ怨霊がこの地に足を下ろすことにほかならない。
祈祷の末、指先で空を十字に切る岩井。
しばし、
「…っ」
「来ました」
「式神を…」
「いえ、直ぐには…」
瞬間。
「っ…結構なもんじゃねぇか、我慢比べすっか...えぇ?」
「式神を!早くせんと!!」
「いらねぇ!!!」
身を案じた朝霧がすぐさま除霊を行おうとするが、武部はそれを拒否し、自らの背に腕を回した。
幾分、普段よりも筋肉の形状がくっきりと浮かび上がり、血管が隆起している。正しく剛腕。その様、まるで金剛力士が如く、力強い振りで見えない何かをハッキリと捉えた武部は、それを自身の背中から引っ剥がした。
霊視を当たり前にできる岩井と朝霧でも、眼前で武部と格闘している何かを視認することが出来ない。それ即ち、かなりの隠密に長けた強力な怨霊であることは確かだった。
地面を蹴る音がする。
武部は見えない何かからの不意の攻撃を受けながら、確かにその腕を掴みあげた。
「おいおい初対面で人殴るなんて、失礼だな…」
口元から微かに血を流しながら笑う武部。
お前が言うなというツッコミを内心抱く朝霧。
武部は掴みあげた腕を、そのまま振り回し、地面に怨霊を叩きつけた。
ベダンっという鈍い音が境内に響き渡る。地面にそれを打ち付ける度に玉砂利がバラバラと飛び散った。
怨霊とて、人を振り回すなんて、格闘漫画でしか見たことの無い荒業だ。
時代が時代なら
眼前の光景は不敬罪どころの話じゃないだろう。しかし、相手にしているのはあくまでも怨霊。宮内庁からの許可は出ている、存分に叩きのめすのが吉であった。
バテるどころか、ますます攻撃の手を辞めない武部。新体操のリボンがごとく見えない怨霊をブンブン振り回す。なんて幼稚で、かつ大胆なお祓いだろうか…。
仮にこの男が、平安の時代に安倍晴明と対峙していたら、妖魔と間違われて祓われかけていたかもしれない。同じ霊媒師なのに。
それほど、振り回している時の面構えが鬼の形相であった。
順徳天皇がお前の親になにかしたのかと聞きたくなるほど、激しい攻撃の連続。朝霧がもうやめてあげてと、立場を見失い声に出しかけてしまうほど、激しいお祓いによって、ついに消え去った。
あまりにも呆気ないと言えるが、あれほどの猛攻を絶え間なく述べ10分に渡って耐えたかの怨霊は、伊達ではないと褒め称えることも出来る。
しかしながら、あまりにも脳筋すぎる除霊方法に、朝霧も改めて破顔せざるを得なかった。
これで残りは一体。
後鳥羽上皇だけだ。
午前11時28分 京都。
わずか40分ほどの移動の末、停車場『下鴨神社』へとたどり着いた平井夫妻は、濃密に満たされた濃い血の香りに顔を顰めた。これまでの仕事で、血は嗅ぎなれている。しかし、深い地下にまで垂れでるほどの血液ともなれば以下に地上が惨劇の状況であるかが推察できた。
午前11時26分 宇治市。
ある家庭では、昼下がりの陽気に茶をすすりみかんを頬張る御歳78歳の佐伯ウメが、地元ローカルテレビ局の生放送のワイドショーを見ているところだった。普段はNHKかKBS京都しか見ないという彼女。
今日も、テレビから流れてくるお天気中継を見て洗濯機を回すかどうかを判断しているところだった。
『本日は、こちら京都市は下鴨神社に来ておりまーす。見てください、今日も多くの人が観光のために来ているようで、中には修学旅行の学生さんたちもいて、大盛況のようでーす』
『神社が大盛況ってよくよく考えればおかしな話ですけれど、さて外の気温はどうですか?』
『はい、こちら微かに肌寒いですが非常に過ごしやすい気温になっております』
午前11時20分 下鴨神社。
観光のため中国から来ていた
彼らがここ下鴨神社へ来る道中、タクシーの車窓から見た鴨川デルタ先の空模様がかなり怪しげな雰囲気となっており、ゲリラ豪雨もやむなしと考えていたものの、その杞憂は一瞬にして晴れ、天気も快晴に至った。
午前11時29分 下鴨神社。
地中からとてつもなく大きな音がするという通報を受けた警察車両が現場へと急行。辺りは一時騒然となる。
午前11時30分 下鴨神社 地下。
鳴り止まぬ銃声。
あれから滴り落ちる血に異様さを感じ取った平井夫妻は、何かが来ることを察し、装備を整えた。
壁一面に這い出でる百足。あまりにも気持ち悪いその光景の元凶はゆっくりと、血の滴る地上へ通づる真っ暗な階段から現れた。
闇の中から薄白く、充血した目の死人がヌッと現れたのは何を隠そう、後鳥羽上皇であった。
いつも以上に警戒心を高めるが、途端に怨霊は吊られたように宙へと舞い上がり、地下空間全体を包み込むほどの濃密な殺気と穢れを満たした。
鼃の目で、空間を掌握する穢れに苦しめられた平井夫妻は、対策も織り込み済みで、穢れから身を守る
「偉大なる方よ何故そこまで荒ぶるか…!」
「笑止、理由などいらぬ」
「気をしっかりしてくださいっ」
「黙れ、小童ァ!!!」
ケンジからの問いかけにも答えない怨霊は、ますます憎悪を持って彼らを殺さんとしていた。こうなれば致し方ないと、携えた国宝級の武具をついに使用した。
「貧弱」
しかし、矢を射ればそれは朽ち、刀は錆び、銃弾に至ってはかすりもしない。
戦況はかなり一方的で、かつ平井夫妻にとっては今まで以上に不利な状況であった。
あっさりと国宝が破損しているが、そんな事気に止める暇もない。
飛び交う武器の雨、全てをいなす怨霊。
均衡する両者。
今までの祓いとは訳が違う。
それこそ、その道のプロ、どころか上澄みの君臨する平井夫妻は今まで目を向けるのもおぞましい悪霊と対峙してきた。
しかし、約1000年に及んで言い伝えられる怨霊ははっきりいって格が違った。それでも、引くことは無い。むしろ追い風が如く状況を巻き返しかけていた。たった1発、されど1発。平井茜が親族を惨殺された憎しみを押し殺して放った、銀弾が胸の中心部に命中した。
正しく"命中"。
昨年2022年6月30日、イギリスのオークションにかけられた吸血鬼退治キット。19世紀の貴族が所有していたこれを13000ポンドで落札した平井夫妻はアメリカにいる友人に頼み込んで先月に至るまで、この嘘のような一式を悪霊退治に通ずるほどメンテナンスしてもらった。
効果は絶大。
この吸血鬼退治キットは"本当に"吸血鬼を殺している代物であるからして、今まで使用してきた武器類とは全くもって違った。武器自体の威力は低いが、対怨霊作用が半端なものではない。それこそ国宝級の代物と粗相ない程だ。
胸の中心部からどす黒い血と、蟲を垂れ流す後鳥羽上皇。
今までの状況から一転、地に墜落した怨霊は、苦しみに悶えながらおぞましい眼差しを平井夫妻に向け、よりいっそうの憎しみを露わにした。
「お願いします。成仏してください。これ以上の苦しみは無用ですから…」
「黙れッ…だまれ…」
最後。
せめて安らかに…という優しさを抱きながら、妻の茜から除霊の札を受け取ったケンジは、それを貼り付けた。
苦悶はうっすらと和らぎ。
みるみるうちに身体が消えていく…。
これにて決着。
と、安堵を巡らせた瞬間だった。
「…」
音が消えた。
「…」
「…」
何が起こっているのか。
理解することが出来ない。
「…」
「…」
息をすることも苦しく。立つこともやっと。
「…」
「…」
「…」
…。
…。
「…逝ね」
倒れる二人。不気味に血の一滴も流れていない。
しかし、息はなかった。
今はどちらの状態でもない。
死んではいるが、魂は潰えていなかった。
しかし、死んでいると言われれば事実。意識もない。
瞳孔も動かない。
「はぁ…」
真っ黒な闇が、ため息をついた。
瞬間。
日本はおろか、中国、韓国、台湾…ロシアやタイに至るまで。
全ての霊感を有する人間が冷や汗を流し、京都の方角を向いた。
何事か。
これは災害が。
天災か。
神の祟か。
疑問を感じるものの、この認識だけは一致していた。
これはヤバイ。
この世に存在していいものでは無い。
目にすることも、思案することも、声を交わすことも、全てが悪い方向に向かう悪手。
一体日本で何が起きているのか…。
岩井と朝霧は、動悸をしながら額から汗を流した。
「これは…これは…」
「…終わりやな」
「…」
朝霧のネガティブな発言を否定することが出来ない岩井。
「…なに、このムズムズする感じ」
「……」
「…香川に行ったことのある人間で、霊感を持っとる人間は絶対に感じたことのある感覚…」
「これは間違いなく、そうですね…」
「…」
「…」
「…崇徳天皇です。」