私は思った。
この人は頭がおかしい、と。
初対面にして、ここまで狂っていると感じた人と私は出会ったことがない。それこそ、この世界にいるあらゆる怪物と比べても、私は彼の人間味を到底感じられなかった。
なにせ今彼は、目の前に現れた野犬のような怪物に向かって躊躇なく、おにぎり大の石を投げつけたからだ。普通、森の中で熊と出会ったとしてもそんな真似はしない、それこそ、この世界の怪物は人間を食料としか見ていない野蛮な存在だと言うのに、恐怖心の欠片もなくまるで挑発とも取れるような、山なりのカーブで石を直撃させるなんて、私には自殺行為にしか見えない。
怯えて竦む私なんて眼中に無いように、彼は向かってきた野犬を蹴り飛ばした。仮に怪物でも…犬を蹴るなんて。
「明日は雨かー」
どこの誰が蹴りあげた犬の向きで、お天気占いをするのだろう。不謹慎すぎる。
「そういや名前なんて言ったっけ」
「あ、はすみです」
「そうだそうだ、はすみだ」
「あの、お名前は」
「俺か?俺の名は
見た目通りだと思った。身長も高いし、ガタイもいい。一般人じゃなく重量級のアスリートと言われた方が納得出来る体つきだ。名は体を表すと言うけれど、ここまで合致した名前を赤子の頃に付けられていたと思えば、言霊というのも存在するのかもしれない。
初対面で狂った彼…と内心思っていたが、対話が図れないわけでもなさそうだった。節々にボケなのか天然なのか定かに出来ない部分もある、ただ今まで会う度に私を追いかけ襲いかかろうとする
「あの、剛さんもここに来るまで電車に乗ってたんですか?」
「あぁ、いきなり景色が変わったからブレーキで電車を止めてやろうと思ったら、いやぁ痛い思いをした」
「え?」
「ほら、急ブレーキみたいになって窓を突き破っちゃって…まぁでも電車から降りれそうになかったからいいかなって」
前言撤回。やっぱりこの人おかしい。
「とりあえずここから出たいけど、なんか分かる?」
「あ、えっと…私自身トンネルを抜けた先のことはあまり分からなくて…ここに来たのも、つい5日前のことですし」
「5日か…案外最近に来たんだなぁ」
「そうなんですよ…ほんと三が日明けに最悪です」
「三が日?たしか今日は8月10日だったはずだぞ」
「え?」
私がこの世界に迷い込み、インターネット掲示板『にちゃんねる』に事のあらましを投稿したのは2004年1月8日のこと。だとすると、この目の前の剛さんは7ヶ月も経過した真夏の最中にこの世界に来たということになる。
思えばここは異世界、現世の時間軸が通用しないことは十分に考えられるだろう。しかしたった5日で7ヶ月も経過してしまうなんて、恐ろしいことこの上ない。
「7ヶ月後の日本はどうなってるんですか?」
私はつい、自分の知らない空白期間の日本が気になり、ふと問いかけてみた。
「8月か…そうだな最近は暗いニュースもあったからなぁ、流行で言うとあれが流行った、ヤク○ト1000」
「1000?なんでいきなりヤク○トが」
「睡眠の質をあげるとか何とかでな」
「ヤク○トが?」
「あぁ、なんたって"1000"だからな…あとは東京オリンピック…が去年だから…あぁ、今年は冬季北京か」
「え!?と、東京オリンピック?」
「おう、東京五輪…まぁ結局会場には見に行けなかったんだけど」
耳を疑った。歴史の教科書でも見たことがあるが、東京五輪は確か1964年に行われた高度経済成長期を代表する出来事のはず。まさか剛さんが昭和の世界から来たなんて、見た目の様相からして考えもしなかった。
「…そうですか、だとすると1964年からここに」
「ん?2022年だけど?」
「え?にせん…にじゅう…に?」
「おう2022だ」
「じゅ、18年も経ってる…え?だとすると今私いくつ?40代?え?」
「落ち着け、はすみ」
たった5日だ。たった5日で20年近く経過していたなんて、そんな馬鹿な話あってたまるか。1日が4年?ちょっと理解が追いつかない。
「…18年、じゃあ"雪の華"とか"さくら"は流行りの曲じゃなくて」
「平成の名曲って感じだな…いつの話をしてるんだ?」
「2004年です!!」
「2004年か!俺がまだ小学校高学年の頃じゃあないか」
「しょ、小学校って…」
「今の流行りはヒゲダンとかキングヌーとか、Adoだぞ」
「独特な名前の曲ですね」
「いやミュージシャンの名前だぞ」
「あ、そっち…」
普通に会話できているけれど、今はどうしても動揺が隠せない。18年も経過していたら、もしかしたら私の両親は生きているかも定かでない。当時70代だった祖父母は相当元気でなければ、もしかしたらこの世には居ないかもしれない。死に目に立ち会えない孫なんて、とんでもない不孝者だ。
私はこの世界から抜け出すことを半ば諦めていたけれど、今の話を聞いて俄然やる気が出た。
「と、とりあえずここから抜け出しましょう」
「そうだな…とりあえず調べよう」
「そうですね…あ、ごめんなさいパソコンの充電が」
「気にすんな、スマホあるから」
「す、スマホ?なんですかそれ……って、なんですー!?それー!?え、光る画面…え、未来!?未来すぎますって2022年!!」
私は剛さんがそそくさとポケットから取り出した、光る板を見て目を丸くした。小型のテレビとでも言おうか、とにかくそれがとんでもない代物であることは容易に想像が着いた。SF映画で見る、タッチパネルみたいな…それはもう未来感が半端なかった。
「スマートフォンっていう、まぁ携帯電話でありパソコンであり、ゲーム機であり…とにかくいっぱい機能の詰まった凄いものだ」
「ひみつ道具じゃないですか…いくらするんです?」
「んー、10万円代?」
「た、たかい…」
「まぁ、分割払いもあるし、今どきほとんどの人間が持ってるぞ」
「へぇ…私も欲しい、てかどうやって操作するんですか?」
「タッチパネルみたいに、指でスライドする」
「未来…」
スマホに注目しすぎて話はズレてしまったが、私からの質問攻めの間にも剛さんはその"スマホ"というもので、ここのことについて調べてくれた。
「あ、きさらぎ駅…2004年1月8日に立てられたスレッドが…うんたらかんたらで…マップだと千葉県の八千代市にある八千代緑が丘駅を指しているらしいな」
「じゃあ、ここは千葉県なんですね」
「そうだな」
「千葉ってこんな、魔境みたいな場所なんですね」
「その発言、千葉県民を敵に回すぞ…知らないからな、南房総の海に沈められても」
「す、すいません」
ついつい失言してしまったと反省する。それでもここの位置が特定出来ただけでも良かった。と思ったが。
「…うーん、信ぴょう性が皆無だな、確かに八千代緑が丘駅っていう情報はあるが…いかんせん我々のいる状況とは全く異なる"きさらぎ駅"みたいだ…周りにビル群があってコンビニも存在してたらしい、ガセだな」
「うそ…せっかく場所が分かったと思ったのに」
「うーん、なんか対話の図れそうな奴とか居ないのか?」
その問いに私はふと、つい5日前にトンネルの前で出会った不気味な老人のことを思い出した。対話が図れるかどうかは、その不気味さに私が一方的に逃げてしまったため定かでないが、もしかしたら話の通じる人間かもしれない。
線路を辿ってトンネルにたどり着いた私の後方に現れたあの"片足の老人"
あれから一切会ってないが、探してみるのも良さそうだ。
「片足の老人か…まあ、なんかあれば殴ればいいか」
「や、やめてくださいよ…出会い頭にグーパンチなんて私たちの方がよっぽど野蛮ですよ」
「狂気には狂気で…これ真理ね」
「ズレた真理だな…」
そう言いつつも、私たちはその老人を探してみることにした。