『斜陽』
「友人に関する調査?」
「はい…そうです」
東京都上野。駅から少し離れた位置にある古めかしい建物『信榮ビル』5階、窓の外から斜陽が差し込む午後。西谷探偵事務所に一人の若い女性が依頼人として来ていた。
名を新垣由紀子といい、都内の一流企業に務めるキャリアウーマンで、つい数週間前に出会った友人、佐藤カナミに関する調査をして欲しいという依頼内容だった。
「身内や恋人の調査はしたことがありますが、友人の調査…というのは初めてですね」
「西谷さんならきっと、初めての依頼でも遂行してくれると…調べたら書いてありましたよ、都内の探偵の中でも随一だって」
そう言いながら、新垣は自身のスマホで西谷に関する記事を検索し本人にみせた。
「そんな…大層な人間じゃないですよ、やっぱり大手の探偵事務所と比べると私も所詮弱小ですから」
「そう謙遜なさらないでください」
西谷はこれまで多くの調査を遂行してきた、ベテランの探偵だった。依頼内容は一般的な浮気調査や身辺調査から、法律事務所の証拠集め、夜逃げの斡旋、ストーカーの撃退。とにかくありとあらゆる内容を全て完遂してきた、達成率100%の優秀な探偵で、ネットで検索すれば必ず名前は出てくる人物だった。
「色々な依頼をこなしている西谷さんでも"友人の調査"は初めてなんですね」
「えぇ、大体身辺の調査は近親がほとんどですから…まぁたまに浮気相手が友人なんじゃないか…と疑い、ここに来られる方はいらっしゃいますが…して、なぜご友人の調査を?」
「それが…私の友人がかなりおかしいみたいで」
「おかしいというと、元からですか、それとも急に」
「急にです、ついこの前…都内のデパートで中学時代の友人の、佐藤カナミと出会ったんですけど、見た目や雰囲気が変わっていることはまだ分かるんです…ただ話している内容にどうしても辻褄が合わなくて」
「…なるほど」
「2020年の9月、大体2年前くらいに都内で出会ってるはずなのに、数週間前に会った時はまるで、初めて会うかのように接してきて、話している内容も支離滅裂だったし、何より腕にタトゥーを彫ってたんです」
「タトゥーや服装に関しては、本人の趣味趣向もありますから如何せんどうにも…ただ初対面のように振る舞うのは些か疑問ですね」
「はい」
「若年性アルツハイマー…の可能性もありますが、貴女自身のことは覚えていたんですよね」
「はい、明確に」
「本人であることに間違いはなさそうですが…んー、ちなみに腕にあったタトゥーはどのようなものですか」
西谷の質問に、新垣はカバンに入っていたメモ用紙とボールペンを取りだして思い出せる範囲で、タトゥーの柄を書き記した。
円の中に合唱したような手のマークが掘られたシンプルなそれを見た時、西谷は思わず顔を顰めた。
「あー…」
「ど、どうしたんですか」
「…唐突で申し訳ありませんが、この依頼はちょっと…」
「え、このタトゥーの何がそんな」
「…」
「お、教えてください」
「……」
西谷はため息をついた。頭を抱えた後、天井を見上げ数秒考える。
「この話を聞いても…あなた自身が深く関わるのはオススメしません…危険ですから」
「え」
「どうします」
「…お、お願いします」
「分かりました」
そう言うと西谷は、事務所の棚から一冊のバインダーを取り出した。資料がびっしりと詰まったそれのインデックスには、特に何も書かれておらず、さも目星のもののようにそれを迷いなく取り出した西谷に、新垣は何やらとんでもない事実でもあるのでは無いかと、内心戦々恐々としていた。
「日本国内には所謂、新興宗教組織というものが規模や知名度問わず複数存在しています。よく、自宅にいる時チャイムを鳴らしてみると、宗教の勧誘だった…なんてことがあるでしょう」
「ありますね」
「日本国内において最も過激かつ危険と認知されているのはやはり、地下鉄サリン事件などを起こしたオウム真理教なんですが、意外と知られていない宗教組織に『
「鼃…カエルのことですか」
「えぇ、というのもありますし…能楽にも同様の名前を持つ面が存在しています…水死人を表した面です」
新垣は思わず
「大正時代に発足されたこの宗教は、独自の神を主神として奉り、現在に至るわけですが、その実態は目を向けるのも恐ろしいカルト教団でして…生贄として年に2度、教団員を殺害し山中で磔にするんです」
「ん、、え?生贄?」
「はい…生きたまま皮を剥ぎ、遺体に花をいけて山中に放置するんです、骨になったものを砕き煎じて飲む…というのが一連の流れでして、単刀直入に申し上げるとカナミさんは、この宗教組織に加入していると思われます」
新垣は、聞かされた内容にあまりにも現実味が無さすぎて、瞬きすることも出来なかった。
「け、警察はどうしてその組織を」
「警察もマークはしています、特に大きな組織とは違って政治や権力のしがらみも無いですから、捜査に踏み入れようとすればいつでも出来るはずなんです、しかしながら立ち入れない事実がある」
「というと…」
「それは…残念ですが言えません、というか私も知らないんですよ…私の人脈もかなり広く、警察の上層部にも知り合いはいます、その人に聞いても一向に口を開かないです。なぜあの教団を叩かないのかと…調べてみたら分かりやすいほどに教団内での殺害も行われているのが分かりましたから、警察がこの事実を知らないはずがないと思うんですよ」
「なのに警察は手を出さない…」
「…少なくとも、今回の依頼は私でなく、もっと専門的な人物に頼るべきかと…残念ですが私ではお力になれません」
「で、では誰に頼れば」
「少し待っててください」
頼りを失い、目に涙を滲ませ、身震いをしながら聞く新垣に西谷は、スマホを取りだしとある人物に電話をかけることで応えた。
「もしもし…お久しぶりです西谷です…えぇ、えぇ、あ、今台湾に……なるほど、別の方を紹介していただけると…頼りになるんですか…そうですか、えぇ…分かりました、あ、電話番号と住所ですねはい…えぇと…080…はい……22……」
「…」
一体どこの誰に電話をかけているのか、不安になり顔に困惑を滲ませていると、西谷が電話をし終え1枚のメモ用紙を手渡してきた。
「この電話番号にかけたあと、この住所に向かってください」
「だ、誰なんですか」
「誰…先程の電話の相手ですか」
「はい、あとこのメモの連絡先の人です」
「先程電話をかけたのは、岩井なつという…日本でも有数の霊媒師です、でその連絡先は彼女が紹介してくれた別の霊媒師…」
「その岩井なつ…という人は来られないんですか」
「残念ながら台湾で別件を抱えていて今は動けないらしいです。少なくとも彼女からの紹介ですから、安心して大丈夫かと」
なぜ霊媒師に…という疑問を新垣は口にしなかった。相手は日本で警察も手が出せないカルト教団、オカルトに頼るのも一つの手立てかもしれないと、納得した、納得せざるを得なかった。
今はとにかく頼るべき存在が欲しい。
新垣は当初、友人の奇行に疑問を抱き彼女の身辺調査を依頼するのが目的だったが、いつの間にか内心、友人を救いたいと思えてきた。
※『鼃の目』はサイコロジカルホラー映画の宗教組織をオマージュしています。実在する組織をモデルにしていません。