油断していたわけではない。けれど自信がなかったかと言われれば、それは嘘になる。
俺とてある程度の修羅場を潜って今に至っているのだ。レベルやステータスが上回っている以上、相手が手練れでも勝ちを手繰り寄せられると、そう確信していた。
──だが現実は、俺の思い描いた理想の遙か真下を突き抜ける。無情に、一縷の容赦すらなく。
「くそがッ!!
空から八つ。地面から十つ。敵を影へと引きずり込もうと伸びる、計十八の黒くて大きな手。
伸び交う様は黒紐の檻。決して人の抜ける隙間はなく、触れば捕獲の肉なき捕獲網。
けれど相手は容易く包囲を打ち破ってくる。文字通り、赤子の手を捻るかのように鮮やか且つ片手間で。
これで何度目だ。先手必勝とばかりに仕掛けた攻撃、その悉くを正面からねじ伏せられたのは。
目視できない影の糸。影の沼。地を這う刃。そして強化を掛けた直接攻撃。
今まで戦った相手への有効打。遮蔽物の少ない空間ながら工夫の限りを尽くした攻撃達は、どれも拳と杖によって薙ぎ払われてしまった。
わかっている。冷静さを欠いていると、その自覚は確かにある。
けれど動じないわけがない。この状況に顔を歪めないほど殺し合いで楽観的にはなれはしない。
何せ相手は俺よりレベルもステータスも下。いくら相手の方が戦闘経験が豊富でも、ここまで勝負にならず一方的にはあしらわれるとは思ってもいなかったのだから。
「数は見事。ですが強度が疎か。それでは烏合でしかなく、枷にすらなり得ません」
「あっそ!!
欠片も余裕を崩さず、表情一つ変えずにこちらへゆっくりと歩を進めてくる
ならば収束だと、三本の影の槍を一点へ向け、その舐め腐った態度ごと消してやろうと放ちながら、間髪入れずに本命の一本を構築していく。
──数で駄目なら大技で決めてやるよ。油断して突っ立てる方が悪いんだからな?
「そら喰らえよッ!! 本命をッ!!」
砕かれた三本がちょうど視界を塞いだその瞬間、止めとばかりにその大槍をデカ女へと射出する。
人一人なら飲み込める程度のビックサイズ。貫くどころか、全身ごと押し潰す槌の一撃。
超速で避ける暇も隙間もなく。当たったという確信に、少しばかり安堵を持とうと思った。──その瞬間だった。
「力は一流。けれど構築も魔力の巡りも雑。故に脆く、凝縮された一撃にすら劣ってしまう」
大槍が崩れていく。デカ女にぶつかった先からぼろぼろと、ガラスのように砕けていく。
彼女が差し出したのは少しの赤みを持った右拳。……まさか、あれを殴って止めたってのか?
「……これで充分ですか。勝ち目などないと、ここまでやればお分かりでしょう?」
「んなわけッ!!
見下すような、諭すような口振りに苛立ちながら、影で俺の人形を構築して走らせる。
呆れるように小さく息を吐いたデカ女は、人形に向けて静かに拳を構えてくる。
見るからに囮。けれどそれで構わない。所詮は壊されるための人形でも、壊さないわけにはいかないだろう?
デカ女の拳が突き刺さった途端に人形は弾け、大量の黒い煙を噴き出し相手の視界を奪う。
ここまでは全部ブラフ。正面からぶつかり合うなんて性に合わず、何処まで行こうと俺の本領は不意を突いた強襲でしかない。
だから必要以上に見える攻撃を使い続けた。全ては、この瞬間の一手を悟らせないために。
影を伝い、背後に回った正面からの不意打ち。これこそが今の俺の手札の真打ち。
気配は影で消した。音は出ていない。多少の回避は許すだろうが、この影煙の中で俺から逃げ切れるとは思えない。だから後は、勿体ないけどその端麗な容姿に金槌をぶち当てるのみ。
「笑止。よもやその程度で、私を出し抜いたつもりでも?」
だというのに、デカ女は焦ることなく、むしろより失望を露わにして俺の腕を掴んでくる。
動揺から次の選択を選べなかったその瞬間、影から空中へと投げ飛ばされた俺の体に、デカ女は拳をみぞおちに突き刺してくる。
「──ガはッ」
言葉にならない激痛に呻きながら、その勢いのまま地面へと叩き付けられる俺の体。
透明な液体と共に肺から空気の全てが吐かれる。力は抜けた体は強化を失い、のたうち回ることすら叶わず苦痛に染まるだけだった。
「策を弄したつもりでしょうが所詮は浅知恵の域。多少戦闘に慣れた者の誘導ほど読みやすく哀れなものはありません。この地で命を奪った者の誰よりも強く倒しやすい、緩急のない思い上がった
「っそが……」
「まだ呻けるとは頑丈ですね。冒険者と言ったことは訂正しましょう。多少知恵を身につけただけの
デカ女は俺を見下ろしながら、この上なく淡々と言葉を投げかけてくる。
フォストの意味は分からずとも理解出来る。今俺はこの女に、お前は素人同然だと指摘されたのだ。
せめて反論だけはしてやろうと思ったが、全身に碌な力が入らず、まともな言葉が喉を通ろうとしてくれない。脳が揺れたからか、思考も思うように回せていない。
……駄目だ。苦痛と浮遊感で打開策が浮かんでこない。
もし浮かんでこようとも実行に移せる気がしない。完全に詰みじゃねえか、くそがっ。
「もしも貴方が大成すれば、その時は……いえ、よしましょう。所詮は私もあの外道と同じ他者を害しながら欲望を満たす堕落者。復讐という目的に縛られた、どうしようもない人でなしなのですから」
「……っ」
「未熟ながら挑んだその覚悟に敬意を。そしてさようなら。せめて苦しみのないよう、我が全霊を以て仕留め供物とさせて頂きますので」
先ほどとは比較にならない、白い魔力の凝縮された拳。
抗おうにも体は言うことを聞いてくれず。このまま為す術なく拳を振り下ろされ、それで俺の人生はいともあけえなく終わりを迎えるのだと諦めた。
──その時だった。その拳が振り下ろされることなく、デカ女の身体が吹き飛ばされたのは。
「何て様だ
聞き覚えのある呆れ声の後、誰もいなかったはずの場所に突如として人の姿が現れる。
黒スーツを着こなし、辛辣な俺に言葉を投げかけてくる背の高い女性。この女と相対した時、疼くように脳裏に浮かんだいつかの月夜の一番手。
「ど、どうしてぇ……?」
「偶然だ。周辺調査の際に見慣れない結界の波を確認したのでな。故に感謝は必要ないし、増援にも期待するな」
微塵の油断もない警戒心。不意の一撃を食らわせたというのに、まるで手応えを感じていないかのような不快さを露わにしながら拳を握っていた。
「そら起きろ。いなしたくせしていつまで狸寝入りをしている。この程度で倒れるやつが
「……酷い御方ですね。招かざる者に結界内へ侵入されたことすら驚愕に値するというのに、それ以上を望むなんて」
デカ女は不満を漏らしながら、何てことのないようにゆっくりと立ち上がる。
やはりというべきか。どうやら今のもそこまで効いてはいないらしく、精々服が汚れたと叩く程度で余裕を崩す様子はないらしい。
「後学のために確認しますが、どうやって侵入したのです? 私の
「気にするな。どうせ参考にならん。ただ私の性質上、仮想の壁は無意味なだけだ」
静けさと儚さを併せ持った修道女の雰囲気から、縮み上がってしまうほど鋭く薄い気配へ。
……どうやら今までは本当に舐めプだったらしい。それで負けてるんだから嫌になるよ、本当に。
「……貴女はそこの少年とは違いそうですね。さては同類でしょうか?」
「さあな。それで一応の確認だが、貴様が退魔師狩りで違いないな? ここ数日で十人の退魔師を殺害し、そのうち半分から心臓を抉り持ち去ったイカレ趣向の殺人犯。覚えはあるか?」
「……ええ。ただ弁明させていただきますが、私が行った殺人は臓物を抉らぬ五件のみ。それ以外は謂われのない、貴女の情報不足が故に起きた誤解ですので、もう少しお調べになった方がいいかと」
「……そうか。それは失礼した。まあもっとも、貴様が手の汚れた下手人であることに変わりはないがな」
棘のある物言いの応酬。いつ血生臭い戦闘が始まるかわからない張り詰めた空気。
まさに一矢触発。この場はいつ破裂するかもわからない風船のように、ただただ緊張を充満させながら二人は睨み合う。
だが、
「……どういうつもりで?」
「
「……弱腰ですね。それでは余裕がないと告げているのと同義では?」
「どうかな? だが一人は手負いなれど、未だ数の利はこちらにある。貴様が如何に得物を抜かず手札を隠そうとも、血も涙もない本隊の突入まで時間を稼ぐ程度ならどうにでもなるとは思わんか?」
血も涙もない本隊? あれ、さっき増援は期待するなって言ってなかったっけ……? もしかしてハッタリ……?
「……良いでしょう。私としても無辜の民を巻き込むつもりは毛頭ありません。この場は潔く退き、態勢を立て直すといたしましょうか」
意外にもあっさりと戦意と魔力を抑え、
流石に分が悪いと思ったのか。それともその方が都合が良いのか。……顔的には多分後者な気がする。
「だがゆめ忘れぬように。そこの少年、貴方は既に六番目に定めたと。我が悲願の成就のため、必ずやその極上の魔力を貰い受けると」
デカ女は俺を指差しそう告げた後、くるりと回した錫杖で地面を小突く。
次の瞬間、弾かれた地面から溢れ出る光。その強い閃光に咄嗟に目を瞑ってしまうこと数秒。
光が止んで目を開けたときには、先ほどまでそこにいたシルラというデカ女はどこにも存在していなかった。
「に、逃げた……?」
「そうらしい。結界は消失、追跡は不可能。……まあ良い。今はこっちが優先か」
今度こそ警戒を解き、いつも通りの雰囲気に戻った
どうやら何とか乗り切れたのだと、ほっと一息付こうと思った矢先、突如彼女は俺の体がお姫様抱っこで持ち上げてくる。
「え、なに……?」
「とりあえず話を聞くが、まずは移動だ。ここじゃ目立つからな」
そう言われたので周囲を見回すと、公園内の主婦や子供がとっても驚きながらこちらを凝視しているのを理解してしまう。
……なるほどね。結界がなくなって元に戻ったから、いきなり現れた俺達が注目の的ってわけね。あー恥ずかしい。
理解してから襲ってくる、顔が真っ赤になるくらいの羞恥心。
さっきとは違う意味で悶えそうになりながら、
これが敗北の屈辱ってやつか。覚えてろよあのデカ僧侶ぉ……。忘れぬようにとか言われんでも、こっちが一生根に持ってやるからなぁ……あー、ちくしょうが。