異世界から異世界へ転生し死を繰り返した失敗談をドアまみれの喫茶店で語る探偵少女・大河内冴と、彼女の全てに惹かれ彼女の語る失敗談にどっぷりと浸かる『私』のシチュエーションホラー。
 木にハンガーで吊るされたTシャツを皮切りに、誰もが植物になり滅んでいく世界とその侵略を垣間見る。
 縦書き推奨。

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ビールマンスピン

 『十七日未明、○○村の家屋数軒から出火せるを、帰宅した村民の男性が発見せり。幸ひにして怪我人はおらざりしも、出火せし家に住んでゐた住人十四人とは未だ連絡が……』

○○村火災14人行方不明.デーリー新岩手.1946-10-18,p.4

 

『【群馬発】……27日午後6時ごろ、前橋市在住の大倉義和さん(66)が農作業に出掛けたまま帰ってこないのを不審に思った妻の大倉ヤエ子さんが、所有する畑で義和さんの破れた着衣一式を発見した。身に付けていたものを残し住民が行方不明になる事件はこれで5件……』

県内行方不明相次ぐ.毎旦新聞.1983-9-28,p.1

 

『近年、増加する空き家が大きな問題となっている。数は実に7戸に1戸。犯罪の温床となるばかりでなく、街の景観を損ねる空き家にはもう一つ、大きな問題がある。内部の“森林化”である。家屋の床が抜け落ちたところから樹木や草むらが生え、害虫や野生生物の棲みかとなっている。こうした“森林”は空き家倒壊の早期化にも繋がり……』

森林化する空き家課題に.読買新聞.2019-11-2,p.30

 

 「見ての通り、人類の樹木化で一つの文明が死んだ。原因も始まりも結局わからずじまい、いや、現象そのものに誰一人気がつかなかったと言っていい。脳内にすでに根が張っちまってたんだな。想像してみたまえよ。楽園と言えば静謐と豊かな水と生い茂る緑だろう。日を追うごとに街がそうなっていくのをさ。車が歪んでアスファルトがひび割れて何もかもがもじゃもじゃと森に沈む。そう、見えるか?あの、隅の、赤茶の扉な。いいか、絶対に開けるなよ、溢れちまう――――」

 「そんな話してないだろ、木にハンガーで洗濯物が掛かってたんだよ」

 「いいから聞きたまえよ、ったく最後まで聞かずに茶々入れんだから、いっつも」

 コーヒーを混ぜる風鈴のような音色とレコードでかかるジャズのかすれたトランペットだけが扉まみれの無人の店内に響いている。オレンジ色の明かりに照らされたスクラップを前に寿命3日分というえらくお高い一杯を啜って、大河内はぼさぼさの髪ごし、その下の黒縁眼鏡ごしにじっとりと私を見つめてくる。

 私と大河内が今いる喫茶「寄り怪(よりみち)」は、机とソファと調度品以外は上下左右扉ばかり、そのうえメニューの端から端まで何を頼んでも“お代としてあなたの寿命を3日ぶん頂いております”と謳う、店名から料金に至るまで冗談のような奇天烈喫茶店だ。

 ある事件で大河内と出会った私は、さいきん出くわした不可解な出来事を大河内に話し、それと似た奇妙な事件の話を数倍の量にして返されるのが半ば趣味になりつつあった。有り体に言うと、この骨ばった陰気な少女に惚れているのである。大河内は運ばれてきた赤い果物のタルトをサクと切り分け、うんうんうまい、と頷きながら咀嚼して話を続ける。

 「どこまで話したか忘れちまっただろ。そうだ、あの赤茶の扉を開けるな、までか。とにかくあの向こうの世界はまだ健在だから――――」

 「さっき『文明が死んだ』って言ってたじゃないか。だいたいこんな新聞記事で、どうしてそんな大袈裟な話に――――」

 「また口を挟みやがる!やかましい奴だ。揚げ足を取るのはやめたまえよ。いいか、いなくなったのは人類だけ、他の生き物は我が物顔であたりをうろついてるし、人間は実際に私の前で音を立ててねじれ木になった。交通、通信、物流、全ておシャカ。アナウンサーが生放送中に木になろうが上の階から根が飛び出してようが、誰も気にも留めやしないんだ。そこに初めから人なんかいなかったみたいに」

 タルトをコーヒーで流しこんだ大河内がソファにふんぞり返って息を吐く。いつもながら煙草でもふかしはじめかねない雰囲気だ。

 「しかし、もうそこまで広がってたか。話したのがお前で二人目、それがもう模倣されてる?ったく、つくづくお前らってやつはお喋りだよ。呆れた奴らだ。いいか――――」

 コーヒーを啜って、ソーサーに戻す。私に対して毒づく時の大河内の瞳はいつも、コーヒーと同じ色の瞳の奥に得体の知れない感情を覗かせている。それは例えるなら自宅の窓の外をふと見たとき、遠くで光る街灯の白い明かりの下に人影が立っていて、しかもどうやら形からしてこちらをじっと睨み付けているように見えるとか、誰もいない水族館を歩いていると曲がり角の水槽の小さな窓でシロナガスクジラとばったり目が合うとか、通勤路にある側溝の水面下に広がる恐るべき地獄の噂、そういったものに似た感情としか私には思えない。私は唾を飲み込んで続きを待った。

 「私が話した女は『じゃあ、逆は?』とこぼした。そしてそれは、成った。人を木にするんじゃなく、木を人にするんだ。なるほど人間とて、十月十日を経て動き回る臓物に過ぎない。果実も一人歩きを始め、人のように振る舞い、人の中に混じった。だから、女から聞いた話を誰かが真似しようとしたんだろう」

 「だから木に洗濯物かけて、木から人を生もうとしたって、そんな馬鹿な話が――――」

 「やかましい、と言ったぞ。そんなに信じられないなら赤茶の扉を開けてみればいい。なかなか神々しい体験ができる。まず、脳が根で一杯になる。心配しなくても最初から最後まで苦しくはない。姿勢は自然と片足を残して手足と胴が上へ上へと伸びる。ちょうどそれがビールマンスピンと同じ格好なんだ。骨を軸にして全身が捻れさらに伸びて幹や根や枝になるとな、わかるんだ。わたしたちが繋がっているということが。わたしたちは根の分泌物のやり取りで、繋がりあっている。それはひと続きの陸地単位で広がっていて、何も恐れることはない、とな。ただ水と養分を吸い上げ呼吸する管の束になり極大の幸福感の連帯感を何十年何百年を過ごしそして枯死を迎えるサイクルの中に組み込まれる、ドライアードにでもなったような気分だった。思い返すとつくづくひどいもんだった。」

 大河内の真っ暗な瞳に意識を飲まれていると、この少女が繰り返し様々な世界で体験してきた『終わり』のひとつが目に見える。あくまで比喩だが、大河内が物を言うと事実としてその様子が目に浮かぶようだった。

 目の前の痩せぎすの少女が苦悶の叫びを挙げてスケートのポーズをとるとギチギチと手足の指先から順番に全身が捻れ長く長く伸びもはやどこが指やら手のひらやらわからなくなる。病的に白い肌は固く灰色く褪せひび割れて、大きく開かれた目や口から枝が突き出て顔が消える。そのうち葉が芽吹き風にそよぐ森のひとつになった。ああ、彼女がまた『終わっていた』。彼女が食べている赤い果物のタルトに視線が落とした。

 「だからこれは役得、いや復讐だ。と言っても極めて小規模だが。君もどうだ」視線を向けられていたタルトが、背中を押されて私の視界に進み出てきた。Tシャツがハンガーでかかった木と突如として話が繋がり、私は何度も首を振った。

 「そんな物食えるか、気持ち悪い!」

 これは侵略だった。赤茶の扉の向こうから持ち帰った『原理』は今や悪意の何者かに逆用され、ハンガーで木にかけられたTシャツは果実となり、人に姿を変え歩きだした。大河内が『復讐』と表現したのは、こうして果実が屠られ今度はタルトに姿を変えて彼女の胃袋に収まっていることだろう。……だがもし、その木がすでに『原理』を再逆用していたとしたら……大河内が今に悲鳴を上げてビールマンスピンのポーズを取るのではないかと思うと、私はしばらく洋菓子を食べる気がしなくなった。所詮それも植物の塊だ。


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