2年前、私は首を吊ろうとした。

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死にたがりのエッセイ

2年前、私は首を吊ろうとした。

私には何も出来ない。私に出来ることは大体他の人ができるのだと感じたのだ。なら私のことは他の人に任せてしまえばいい、私は首を吊ろうとした。

在り来りな理由だと思う。私よりも辛い思いをしてる人もいる。私はただ、今苦しいことから逃げるためだけに吊ろうとしたのも分かっているつもりではある。何も出来ない。いる価値は無い。いらない。いらない。家族に殺して欲しいと頼んだこともあった。やってくれなかったから首を吊ろうとした。

クローゼットの中。趣味で使っていた毛糸を、ハンガーをかけるところに通す。暗いクローゼットの中。嫌なことがあった時はそこに閉じこもって涙がかれるまで泣いていた。もっと厳重でくらいところは家にはなかった。あったらそこに閉じこもっていたと思う。

毛糸の中に首を通してじっとする。少し力を抜けばピッタリフィットするところに圧力がかかってこのまま意識は遠のきそうだと呑気にも思った。

 

本当にいいのだろうか。

 

そう考えたあとにあったのはまだ生きたいと思うのかという軽蔑だった。体が死にたくないと言っている、警鐘を鳴らしていることだけが分かる。そんな生理現象は私は嫌だった。1度思ってしまうと「自分はまだ必要とされているのでは無いか」という無意味で無駄な期待が膨らんでしまうのだから。

ピッタリとはまった窪みから紐を外した。自殺愛好家という訳では無いが、もう少しこのままでいても良かったかもしれないと感じた。今になって思うと、死というものはなんとも誘ってくるものだと感じる。火傷や切り傷などは痛みを感じるが、この紐には安らぎを感じたのだ。力を抜くだけで意識を落とせるであろうこの紐に。意識を落としてさえしまえばあとは任せてしまえばいいこの紐に。だからこそ、今になって落とさなくて良かったかもしれないと思うのだが。

 

後日、これでいつでも死ねるからと少しだけ気力を取り戻した。嫌なことがあってもいつでも死ねる。

そう怠惰に生きていたら、あの紐は母によって取り外されてしまった。母は何も言わなかった。言わないでくれたのだと思う。やったのは私だし、バレないと思っていたから取り外されてしまったのは残念だと思うけど、大事にならなくてよかった。本当に。

 

死にたいと思う気持ちがなりを潜める気配は無い。いつだって思い返せば全てこの気持ちに繋がるし、何時でもこの気持ちは頭のどこかで蠢いている。生きている中で終わりを望んでしまうのはなぜなのだろうか。自殺をする人は心が弱いだなんて話を聞いたことがあるけれど本当にそうなのだろうか。少なくとも私はそうは思わない。安全バーをとっぱらってしまったひとが最終的に行き着くのが自殺なのではないかと思う。私の場合、安全バーが働いてしまったから今これを書いているし、生きている。

 

こういうものは、興味本位で覗いてはいけないのかもしれない。


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