オレとぼっちと鈍い空   作:KKS

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恒星前にギリ間に合いました。


祝福よ夜明けにあれ

 スターリーの入口に続く階段を、ひとりはとぼとぼと降りていた。

 ギターケースが異様に重い。それに伴い、足取りまでもが靴に鉄を巻きつけたかのように鈍くなっているのだ。普段ならなんとも思わないような長さなのに、どこまでも伸びる廻廊のように錯覚してしまっているのか。そんなの、理由なんて決まりきっていた。

 お兄さんにかけられた言葉が、メビウスの輪のように頭の中をぐるぐると渦巻き駆けめぐっている。

 正直、あの公園から二人で帰って、どうやってスターリーにまで来たのかすらわからなかった。高鳴りすぎた胸が苦しい。脳内にある感情は自分にとってバグに近しいほどのもので、きっとなにもかもをうまく処理できていないのではないか、と思えてくる。

 

「惚れた。惚れたよ、後藤ちゃん」

 

 鮮明に蘇る声。けれど、お兄さんの表情だけは少しも思い出せなかった。

 スマホのボイスレコーダーに保存しておけばよかった、なんて考える余裕があるだけ、自分は正気を保っていられているのか。無我夢中で弾いた弦。一心不乱というか、とにかく考えるよりも先に指が動いていた感じがする。

 たぶん、これまでにはなかったような感覚だった。

 

「うっ、うぐっ……。けほっ、うえぇ……」

 

 入口の扉に手をかけたところで、ひとりは思わずうずくまる。

 元来貧弱なメンタルに、過度に負担をかけすぎたのだ。少しでも躊躇いがあればできなかっただろうし、まともな演奏にもなっていなかったはずなのである。

 

「が、がんばった、私……。お兄さんも、へへ……、喜んでくれたみたいだし」

 

 せり上がる酸っぱい感覚をなんとか抑え込み、ひとりは顔をあげた。

 今日の出来事は、きっと人生の転機になる。そのくらいのポジティブな気持ちがあるのも、また確かなのである。

 午後までバイトをしていたばかりなのに、お兄さんのお店の匂いが恋しくなる。コーヒーとタバコによるビターな香り。苦手なはずだったものが、段々とそうではなくなっている。むしろ、この頃はずっとそばで感じていたいと思うくらいで、人間の印象というやつはこうも簡単に変化するものなのか、と戸惑うくらいだった。

 

「よ、よし。行こう、私」

 

 スターリーの入口をくぐる。

 今この瞬間から、後藤ひとりはスーパーリア充になってみせるんだ。

 謎の自信に満ちた一歩。踏み出すと、おかしな笑い声が自然と口から洩れていった。

 

 

 虹夏ちゃんの合図で、みんなの演奏が鳴り止んだ。

 今日の合わせはなかなかいい感じなのではなかろうか。額の汗を軽く拭い、ひとりはそんなことを思っている。

 リョウさんから向けられる熱い視線。調子のよさが伝わっていたのだと思うと、ちょっと嬉しくなった。それと同時に、お兄さんとのことをどうやって説明すればいいんだろう、なんて考えが浮かんでくる。

 

「あ、あははっ……」

 

 笑うことで、なんとか心の動揺を誤魔化そうとする。

 実際、お兄さんのことを、リョウさんはどう思っているのだろうか。この前は二人でいい雰囲気を醸し出していたし、それで少し気落ちしてしまったのも事実なのである。

 そんなところにいきなり、こ、告白されただなんてカミングアウトしてしまった日には……。

 

「ぼっち。今日の演奏、なんかやばいね」

「うえっ!? あ、あははっ……。わ、わかっちゃいますよね、やっぱり」

 

 心臓が飛び跳ねる。

 下手をすると、自分の一言がバンドの仲に亀裂を入れてしまうのではないか。

 せっかく手に入ったこれ以上のない居場所。結束バンド。それに、お兄さんとの静かな空間。

 どちらかを天秤にかけるだなんて、できるはずがない。それをした時点で、自分は人間どころかミジンコ以下の存在に成り果ててしまうような気がしていた。

 どうする。どうやって、この場を切り抜ければいい。

 リョウさんだけでなく、虹夏ちゃんや喜多さんまでもが疑念混じりの眼を向けてきているのだ。呼吸が苦しい。これが、リア充になるということ。うず高くそびえ立つ壁が見える。長年根暗陰キャだった女には、それはあまりにも険しい道だった。

 

「ぼっちちゃん、どこか具合でも悪かったりするの? あっ。めちゃくちゃギター走ってたし、もしお腹痛いとかなら早く言ってくれればいいからね」

「は、はひっ……?」

「後藤さん、いつもはあんなに上手なのに、音も結構外していたわよね? 私でも気づくくらいだったし、リョウ先輩ならもっと……」

 

 場の流れがおかしい。もしかすると、自分はなにか盛大な勘違いをしているのではないか。

 横目でよくよく観察してみると、リョウさんの表情が先程とは違ったものに見えてくる。

 熱っぽさというより、そこにあるのは訝しみの類いなのか。

 

「ぼっち。お金の相談以外なら、私乗ってあげられるから。あっ。それと、この前の返済だけど再来月まで……」

「いや、それはさっさと返しなさい! けど、ぼっちちゃん。悩み事があるんだったら、あたしたちになんでも言ってくれていいからね。へへっ。仲間ってものでしょ、それが?」

「あう……。に、虹夏ちゃぁん……!」

 

 なぜだか、溢れてくる涙を止められなかった。

 下北沢に舞い降りた天使。その優しさと包容力は、陰キャにまとわりつく闇のオーラさえ浄化してしまう力がある。

 

「はーい。よしよし、後藤さんはいい子ねー。ほら、喜多お姉さんになんでも言ってご覧なさい? 恋バナなんかは、特に歓迎よ」

「あははっ。喜多ちゃん、ぼっちちゃんに限ってそんなこと……ってあれ、それもなくはないのか」

「ふむ……。もしかして、色々と持て余したお兄さんに、壁際でドンされてたりして?」

「やっ、そんなこと言いつつ、あたしにしなくていいからね!?」

「ふふ……。虹夏は今日もかわいいね。そんなだから、意地悪したくなるんだよ」

「だ、だから、近すぎるんだってば、リョウ。も、もう、いい加減にしなよー!」

 

 スタジオに、リョウさんと虹夏ちゃんの楽しそうな声が響く。

 もし、今の虹夏ちゃんのみたいに、お兄さんに追い詰められたとしたら。ぼんっ、と頭のてっぺんから、噴火の音がしたような気がした。

 耐えられるはずなんてない。そもそも、あんな近距離で顔を見つめられたりなんてしたら。死ぬ。確実に、死を迎えてしまう。リョウさんからの意味深な視線。とうして、自分は無駄にドキドキしてしまっているのか。一歩、また一歩、虹夏ちゃんから離れたリョウさんが近づいてくる。

 

「ふふっ。どう、ぼっち。私で、練習してみよっか」

「ず、ずるいです、後藤さんだけっ! リョウ先輩。なにとぞ、私にもご慈悲を!」

「えっ……、どうしよっかな。郁代の態度によっては、考えなくもないけど」

「はうっ! そ、その表情、素敵すぎますリョウ先輩。もっと、もっとそれください!」

 

 リョウさんを中心とした渦が、マイペースにどこまでも拡がっていく。

 気づくと、なんとか危地を脱した虹夏ちゃんが、這うようにして自分の隣にまでやって来ていた。見ることなどできやしないが、きっと同じように、自分も苦笑いを浮かべているはすだ。

 

「あはは……。なんかごめんね、ぼっちちゃん。リョウのやつが、変にかき回しちゃってさ」

「へ、平気です。あのっ、みんなが楽しそうにしてるの見て、ちょっと元気出てきたので」

 

 虹夏ちゃんの笑顔に癒やされる。

 香りもなにもかもが自分などよりもずっと女の子らしくて、ひどく眩しい感じがするのは気のせいなのだろうか。

 

「あ、あのっ……」

「んっ、それでどうしたの、ぼっちちゃん?」

「えとっ……。お兄さんが、惚れたって。惚れたよって、言ってくれたんです。ここっ、これってその、告白ってやつですよね……?」

「うへっ、ほ、ほんとに……? でも、そっかあ。あのシンジさんが、ぼっちちゃんにねえ」

「こ、これって、夢なんかじゃないですよねっ? あの、私、午後からずっと記憶があやふやで」

「んー? なら、こうしてやろうか。ほれ、どうだぼっちちゃん」

「あふぇ!? い、いふぁいれふ、にじかひゃん」

 

 頬が思いっきり引っ張られる。

 めちゃくちゃ痛い。けれどもそのおかげで、今が現実なのだということを強く実感することができている。

 満面の笑み。虹夏ちゃんは、心から祝福してくれているようだった。その事実だけで、胸がいっぱいになりそうになる。やがて、それは衝動となり、全身を駆け抜けた。

 

「うっ、おえっ、げ、げはっ……」

「ちょっ……!? ぼ、ぼっちちゃーん!?」

 

 再び湧き出した嘔吐感。慣れない現象が立て続けに起こっているせいで、身体中の不具合が無限に連鎖をしているのかもしれない。

 こんなことで、明日を生き抜けるのか私。

 自意識との間で終わらない壁打ちをするひとりは、虹夏の声に反応することなく白く燃え尽きていくのだった。

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