オレとぼっちと鈍い空   作:KKS

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闇の中から

 暗い闇の中にひとりぼっち。慣れ親しんでいる感覚のはずなのに、息が苦しくてだめになってしまいそうになる。

 もがく。けれども、ここには誰もいなかった。結束バンドのみんなも、いつだってあたたかさをくれる、あの人も。

 自分なんかが青くて瑞々しい果実に手を出そうとするから、こんなことになったに決まっている。暗い空間で足をかかえ、後藤ひとりは顔を伏せた。

 

「陰キャぼっちらしく、明日からは謙虚に生きよう。私みたいな人間が背伸びなんてしようとするから、おかしなことになるんだ。バンド入って、ギターやってるだけでもすごい進歩なんだし、それ以上だなんて」

 

 事実、この数ヶ月で起きた環境の変化には、凄まじいものがある。

 妄想の外にいる友達ができた。虚しい壁打ちを延々と続ける必要がなくなるだなんて、奇跡的だと思った。みんなのためにも、もっともっと演奏の腕を上達させたい。今の自分は、ギターヒーローとしての実力を欠片ほどしか発揮できていないのである。

 自分だけでなく、誰かのために。

 そんなふうに思える日が実際に来るだなんて、それだけで感涙ものなのではないか。

 

「だから、もう十分なんだ」

 

 最初に手を差し伸べてくれた人。正直、断れないからお店について行っただなんて、今更言えるはずがなかった。

 だけど、自分が優柔不断なコミュ障だったおかげで、家の外にも居場所ができたことになる。コーヒーとタバコの苦い香り。それと、お兄さんの淹れてくれるお気に入りの一杯が、いつも心を優しく包んでくれる。

 

「後藤ちゃん。おーい、後藤ちゃん」

 

 どうしたわけか、お兄さんの声が聴こえる。

 地獄に垂らされた一本の蜘蛛の糸。掴んだとしても、きっとまたするりと手の中から消えていってしまう。

 苦しい思いをするくらいなら、放っておくほうがましなんだ。私は後藤ひとり。名前のとおり、ひとりでいることには慣れている。

 

「まっ、別にいいけど。付き合うよ、いつまででもさ」

 

 付き合う。それはまさか、私と付き合ってくれるという意味なのか。

 いや、とち狂うな私。このお兄さんは夢の中の存在で、都合よく甘い言葉をかけてくれているだけなんだ。絶対に、間違いなくそうに決まっている。

 

「んっ、うう……」

 

 葛藤から、つい苦悶の声を洩らしてしまう。

 というか、頭の下にあるこの心地よさは一体なんだ。

 あたたかくて、やわらかすぎなくて。それでいて、ちょうどいい感じに後頭部にフィットしている感じがしていた。

 

「ふむぅ……。んんっ、んぐっ」

「いやいや。絶対起きてるでしょ、後藤ちゃん。寝ていたいってんなら、オレはそれでもいいけどね」

「むはっ……? んあっ、おおっ……」

 

 夢と現実の境界線。曖昧になっていく自分の在り処を探ろうと、ひとりは腕を無造作に伸ばしていた。

 ぶつかる。感触としては、どちらかというと固かった。なのに、やはりやわらかさもあって、探る手をとめられない。

 身体的に動きが出てきたせいか、五感が段々と明瞭になってくる。次いで感じたのは、慣れ親しんだあの匂い。なんていう銘柄なのかは知らないが、お兄さんはいつも同じタバコを吸っている。だから、間違えるはずなんてなかった。

 

「ふぇ……。ふはっ……!?」

 

 急激に覚醒していく意識。

 シャバの空気がうますぎる。というか、自分が散々まさぐっていたものとは、一体なんだというのか。

 

「あっ、おはようございます、お兄……さん?」

「はい、おはようございます。よく眠れたかい、後藤ちゃん。妙に苦しんでたけど、もう平気?」

「えっ……。あっ、あのっ、はい」

 

 眼を開けると、すぐ近くにお兄さんの顔があった。

 俗に言うまでもなく、これは膝枕というやつなのではなかろうか。だから、こんなにもお兄さんの匂いがそばにあったんだ、と変に納得してしまう。

 

「うへっ……!? わ、私なんてことを。っていうか、ここはどこ……? 虹夏ちゃんたちもいないし、やっぱり夢の中だったり……?」

 

 覚醒した視界で腕の行き先を追う。そして、そこにあるのはお兄さんの顔だった。

 空は夕暮れ。自分が寝かされているのは、人気のない公園のベンチかなにかなのだろうか。

 記憶を思い起こそうとすると、なぜか頭痛がやってくる。不思議な感覚。ひょっとすると、意識を失っている間に宇宙人に改造でもされてしまったのかもしれない。

 

「なにもないよ、変なことは。みんなで飲み物買ってくるから、ゆっくりしてなってさ。ちょっと申し訳なくなるよ。年下の子に、気を遣わせてるみたいでね」

「あっ……。なんだ、よかった」

 

 暗闇の中でしていたはずの覚悟は、一瞬で崩れ去った。

 お兄さんの優しくてあたたかい声。それが、こんな至近距離から聞こえているのだから、決心がぶれてしまうのも当然なのではないか。

 

「喜多ちゃんが、女の子介抱するならこれしかないだろって。しんどくはない、後藤ちゃん?」

「い、いえいえいえっ! むしろ夢心地というか、なんと言いますか!」

 

 うまく表現が出てこない。

 しかしともすれば、この数分間にあった感情のアップダウンを書き起こすだけでも、そこそこの歌詞ができてしまうような気がしていた。

 そのくらい、沈んでいたはずの心が、今は跳ねている。

 勢いのまま飛び起きる。普通であればもっと甘い感じの雰囲気が流れる場面なのだろうが、それはそれで自分の許容値を大幅にオーバーしてしまう。

 

「うえっ、んっ、あのっ……」

 

 脳内ですら表現が出てこないのだから、まともに言葉を紡げるはずがなかった。

 顔が熱い。お兄さんにとってはなんでもないことでも、自分にとってこの距離感は間違いなくキルレンジと言えるのだ。

 どのくらい、時間が経過しているのか。知る術なんてなかったが、そろそろみんながもどってくる頃なのではないか。

 

「どどっ、どうする私っ」

 

 プランなんてなにもない。だけど、せっかくの機会をこれで終わりにしていいはずがない。

 単身挙動不審になっている自分。そして、首を傾げているお兄さん。ああ。これでは、いつもと少しも変わらないではないか。

 漂ってくる絶望感。錆色の空を能天気に駆けるカラスの自由さが、心の底から羨ましかった。

 

「あっ。せっかくだし、写真でも撮ってみる? さっきのアレは水に流して、ってオレが言うのもなんだよな」

「さっきの……? うっ、うあっ、あ、頭がっ」

 

 嫌な感情が溢れ出してくる。

 早急に蓋をするんだ、私。細胞という細胞を総動員し、脳内で発生したバグの沈静化を図った。

 深呼吸。時間にしていえば、十秒もなかったように思えてくる。ちょっとまずい顔色になっていたのかもしれないが、相手がお兄さんなのだから今更な気もしてくるのがおかしかった。

 

「し、したいです。お兄さんと一緒の写真、生涯の記念にしますからっ!」

「やっ、なにもそこまで重く考えてくれなくていいんだけど。とまあ、それじゃ」

「はっ、はひっ!」

 

 冷静になって状況を俯瞰してみると、とんでもなく陽キャなイベントをこなしている自分がそこにいた。

 スマホのインカメラなんて、動画用に使ったことしかない。そんな私が他の誰かと、ましてやお兄さんと、同じフレームに収まっているだなんて。

 ポーズも笑顔も、なにもかもがぎこちない。跳ね回る心臓。口から飛び出さないように、抑え込むので必死だった。

 

「こんなもんでしょ。いくよ、後藤ちゃん」

「はー、はーっ、ははっ……。ど、どうぞっ。後藤ひとり、いつでもいけましゅっ」

 

 そして、最後には壮絶に舌を噛んだ。

 スピーカーからシャッター音が鳴っている。ディスプレイの隅に映る保存された画像。ほとんど真顔のお兄さん。そして隣には、この世の終わりみたいな顔をした自分が鎮座している。

 こんなものが、お兄さんとの初めてになるだなんて。イベントそのものは陽キャ属性であっても、こなしているのがまったくの正反対にいる女なのである。それゆえに、こんな結果に終わるのは当然といえば当然なのかもしれなかった。

 

「あっ。画像、あとで送ってもらえますか……? たとえ、真夏の心霊特番で晒されてそうな写真でも、大切にしておきたいので」

「ロイン、あとでしておくよ。それよか、舌は大丈夫?」

「は、はひ……。結構、じんじんしてます……」

 

 お兄さんがスルー力の高い人でよかった。

 ちょっと血の味のする口内。今日という日の思い出を噛み締めながら、ひとりは涙を一筋流している。

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