ライブハウス『STARRY』。その近くの路上で他のバンドメンバーと落ち合い、ひとりはしまっていたスマホを取り出した。最近使用頻度の高くなったロインのアプリ。ふるえる指で立ち上げ、お兄さんとのトーク画面に入る。
よかった、連絡先を交換したのは夢じゃない。おかしなタイミングで安堵する自分を虹夏ちゃんが訝しんでいるが、笑顔でどうにか誤魔化したつもりになる。
なにを話していいかわからなかったから、履歴にあるのは確認用に送ったメッセージくらいだった。でも、知らない間に連絡が来ているかもしれない、と思うだけでドキドキするし、なにより年上の男の人とのつながりがあるというだけで、謎の自信が湧いてくるのだ。
「ええっと、今からバンド仲間を連れて行きます、と……」
「お店、ほんとに実在してるんだよね。最悪、ぼっちの想像上のものだったりしない?」
「ひ、ひどいです、リョウさん……。そ、それに、虹夏ちゃんは店長さん経由で、お兄さんのこと知っていたんですよね?」
「うん、そだよー。お姉ちゃんが現役の頃は箱でも会ってたし、お店にも何回か行ってるかな」
「あっ、ううっ……。虹夏ちゃんはずっと前からお兄さんのこと知ってたのに、イキるような真似してすみません……。あ、穴があったら一生そこで暮らしたい。というか、なければ自分で掘ろうと思います……」
お兄さんの店に来ていた怖そうな女の人。まさかその人と、再会することになるとは考えもしなかった。
『STARRY』の店長こと伊地知星歌さんは、自分をバンドに誘ってくれた虹夏ちゃんのお姉さんだったのである。正直今も顔を真っ直ぐになんて見られないし、眼をつけられないようにするのが精一杯だった。
「やっ、自分で墓穴掘りに行ってどうするのさ、ぼっちちゃん。それにイキるもなにも、あたしはシンジさんの連絡先だって知らないんだよ? で、ぼっちちゃんが話してくれてなければ、こうしてみんなで行くこともなかったんだし」
「な、名前で呼んでるんだ、虹夏ちゃんは……。私なんて、せっかくロイン交換してもらったのに、『あ』って事故みたいなメッセージしか送信出来てないのに……」
「泣かないで、ぼっち。ここはやっぱり、空想上の存在だったことにして、綺麗さっぱり忘れたほうが精神衛生上いいのでは」
「はい、リョウの戯言はそこまでね。あたしも無駄な燃料注いじゃった気がするけど、ほんとになんでもないんだから。それに、ぼっちちゃんだって『お兄さん』に元気な姿見てもらったほうがいいでしょ?」
虹夏ちゃんはやっぱり優しい。包み込んでくれるような大らかさがあって、自分のようなコミュ障でも安心して付き合うことができる。
それに比べると、リョウさんは……。
「むう。虹夏がぼっちのメンタル抉り続けるのが見てられないから、助け舟を出してあげただけなのに。こんなタダ飯にありつけそうな絶好の機会、私が潰そうとするはずないよ」
「あっ、それは確かに」
「ふふふ。やっと理解してくれたみたいだね、ぼっち。だから今度ご飯おごっ……」
リョウさんの言葉は最後まで紡がれることなく、虹夏ちゃんによってかき消されていく。
なんだかんだで仲良しな二人のことが羨ましい。なにも遠慮のいらない親友。陰キャでコミュ障な自分には一生縁がないもの。だけど、偶然の出会いがこの『結束バンド』を作り上げた。はじめてのライブは本気で酷かったし、ボーカルを務める予定だったギターの子は逃げたままだ。
でも、そんな完璧でない場所だからこそ、自分はなんとかやっていけているのではないか。そして、その歩みを出来ればお兄さんにも見届けてもらいたい、というのがひとりの密かな野望だった。
「と、とりあえず行こっか。向かってる間にシンジさんも連絡に気づくでしょ、たぶん」
「あはは……。だ、だったらいいな」
ロインの画面をもう一度確かめる。
珍しく仕事が忙しいのか、既読マークはまだつかないままだった。
♪
お兄さんからの返信があったのは、お店に到着する直前のことだった。どうやら外に買い出しに行っていたらしく、それでメッセージの着信に気が付かなかったのだという。
『BLAZER』という看板が見えてくる。
店名は、お兄さんが組んでいたバンドから由来しているようだった。というか、それを虹夏ちゃんから聞かされたという事実がまず悲しすぎる。
自身の口下手っぷりは承知しているものの、この前もう少し話をふくらませていれば、そのくらいのことは聞けていたはずなのだ。それなのに、なのに……。
「お、いらっしゃい、後藤ちゃん。というか、星歌さんの妹ちゃんじゃないの。バンド、もしかして一緒に?」
「あはは。すごいですよね、偶然って。ぼっちちゃん、最初は臨時でギターに入ってもらったんですけど、残ってくれることになりまして。あたしがドラムで、それでこっちがベースの」
「どうも、山田リョウです。ウチのぼっちが大変お世話になったようで、これはつまらないものですが」
「ぼっちちゃん……? それにこれ、雑草……」
リョウさんの我が道を行く感はほんとに凄い。
そのへんで摘んできた雑草を渡されて、お兄さんの頭上には大量のハテナが浮かんでいるはずだった。
「ちょっとリョウ、初対面の人相手にツッコミしかないことやらないで」
「ひどいよ、虹夏……。私は、自分にできる精一杯をお兄さんにあげただけなのに」
程なくして、二人による漫才がはじまる。
店先に置いてある背の高い灰皿。そこでタバコの火をもみ消し、お兄さんが歩み寄ってくる。
少し煙い。なのに、どうして落ち着けてしまうのだろう。軽く緊張していく身体。それでも、なんとか顔だけは見上げていようとひとりは努力した。
「仲間には、ぼっちって呼ばれてるんだ。考えたのは、ベースの子?」
「ああっ、その、はい。あだ名、つけてもらって嬉しかった、です。あっでも、お兄さんは今まで通りの呼び方で……」
「ははっ。わかったよ、後藤ちゃん。それで、初バイトはどうだった?」
「わ、私なりには、超絶頑張ったつもり、です。虹夏ちゃんたちからしてみれば、まだまだなんだろうけど……」
「そっか。うん、偉い偉い」
「えっ、あの……? んっ、ひゃうっ」
気づいた時には、お兄さんの手に頭を撫でられていた。
気持ちいい。それに、心臓が張り裂けそうなくらいドキドキする。確かな安らぎと、強すぎる刺激。その相反するものを同時に与えられて、正直頭がおかしくなりそうになっている。
言葉がなにもでてこない。こんな時、どうしているのが正解なのかまったくわからなかった。
「うっ、うぅうう、ああぁあ……」
悲鳴に近しい声。出てしまったのは、心が感極まってしまったせいなのか。
驚いたように、お兄さんの手が離れていってしまう。追いかけることなんてできるはずがなかった。残ったのは、締め付けられるような胸の感覚。どうすることもできない、淡い火傷。
「う、うぐぐっ。んっ、ううっ、はっ……!?」
はっとして眼を開くと、そこには虹夏ちゃんの顔があった。
その向こう側には、ちょっと曇り気味の空が見えている。この数分間に起きた負荷に耐えられず、脳がシャットダウンしかかっていたのかもしれない。
心配してくれる虹夏ちゃん。お兄さんは自分の放つ発作的ななにかに慣れてきているのか、入り口にかけてあった看板を『CLOSE』から『OPEN』に変更していた。
「あ、あの、リョウさん」
「ん、なに……ぼっち? 成仏するなら、どうか安らかにお願い」
「あっ、ははっ、はい……」
お兄さんに受け取ってもらえなかった雑草が、胸の上に置かれている。
悟りを開いて仏に成れば、あるいは今あるすべての苦しみから解放されたりするのだろうか。そんなとりとめのないことを思い、ひとりは静かに瞳を閉じるのだった。