オレとぼっちと鈍い空   作:KKS

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雨のち雨な私

 突然降りはじめた雨だった。

 アスファルトを打ちつける音。段々と大きくなっていき、それはやがて街全体を覆っていく。

 邪魔になる傘なんて、持ち歩いているはずがない。とにかく、背負っているギターケースだけは守ろうと、後藤ひとりは抱きかかえて駆けていた。

 

「もう、なんでっ」

 

 声。雨粒の帳にかき消されていく。

 弱々しく叫んでみたところで、なにかが変わるわけでもない。それでも、とひとりは身体を前に傾け、慣れない全力疾走に息を切らしている。

 これなら、バイトがなくてもスターリーに寄っておくべきだった、なんて思いが湧き上がってくる。今日くらいは早く帰って、個人練習に時間を使おう、なんて考えたのが間違いだったのだ。

 

「お兄さん、今いるのかな」

 

 駅寄りの避難場所を頭の中で検索する。浮かんでくるところなんてひとつしかないのだから、最初から結論が出ているようなものだった。

 

「ううっ。あたたかいもの飲んで、ちょっと落ち着きたい……」

 

 からかうようなリョウさんの顔が浮かぶ。

 以前までの自分だったら、こんな思考に行きつくことなどありえなかった。それが、たまたま居場所を与えられたせいで、大きく増長しているのかもしれなかった。

 迷惑じゃないかな、なんて臆病になる気持ちがないわけでもない。けれども、となけなしの勇気を振り搾り、必死に足を進める。

 

「つ、着いたぁ……」

 

 ジャージはびしょ濡れ。当然髪も同様で、地面に水が滴り落ちている。ギターケース、は自身を犠牲にした分なんとか無事なのか。

 このまま入るのは、さすがに迷惑かもしれない。手で払えるだけ払い、意を決して扉に手をかける。

 お客さんがいたら、ドン引きされるのは確定だった。それにもし、お兄さんにまで嫌な顔をされてしまったら、なんて考えただけでも壁に頭を打ちつけたくなる。

 どうしよう。やっぱり、やめておくべきなのかもしれない。

 軒先だけ借りていれば、そのうち雨だってあがるかもしれないのだ。たぶん気まぐれな通り雨なのだろうし、きっとそう長くは続かない。それに、それに。

 

「はっ……、はっくし!」

 

 くしゃみ。自分でも、びっくりするようなものだった。

 冷静に考えるまでもなく身体が冷えている。いくら季節が春だろうと、寒いものは寒かった。

 

「んあ、ごふぉーひゃん?」

「え、ええっ。な、なんで、お兄さんが」

 

 開いた扉の隙間から、お兄さんが顔だけを覗かせている。口にはタバコを咥えているから、言葉が不明瞭になっていた。

 

「それはこっちの台詞だっての。ここ、オレの店の前なんだし」

「ごごっ、ごめんなさい。勝手に雨宿りなんてして、邪魔しちゃって。す、すぐに退散しますのでっ!」

 

 心の準備ができていなかったせいもあり、いつも以上に動揺してしまう。

 なんでか、お兄さんの顔がちょっと近くなる。まとったばかりの渋い香り。それにも、鼻が随分慣れてきているのか。

 

「入りなよ。ふるえる子犬を追い払っても、寝覚めが悪いだけじゃない」

「こ、子犬? それって、私のこと……?」

「あ……、ごめん。たまには、かっこつけとかないとってね。ほら、あるでしょ。大人の威厳……、とか?」

「とか……? とかって、なんですか?」

「それより、ギターケース早く拭いてあげないと。大事にしてるんでしょ、それ」

「あっ、は、はいっ!」

 

 お兄さんの手招きに従い、店内に足を踏み入れた。

 歩くそばから、足跡がうっすらと浮かび上がる。これはすぐにお風呂に入れるように、家に連絡しておくべきなのかもしれない。

 

「ついでに上も脱いじゃいなよ。拭くもの、とってくるからさ。それだと、さすがに寒いでしょ」

「ふえっ……!? う、上ですかっ!?」

 

 驚きで心臓が飛び出しそうになる。

 お兄さんの様子は普段と同じで、特別なことを言っている感じはしなかった。

 これが大人の余裕。高校生の自分にはない経験から、身につけたものなのか。

 上着を見る。確かにかなり濡れていて、着ていて気分がいいものではない。とはいえ、いくらなんでも話が性急すぎるという気もしている。

 

「お、お客さん誰もいないし、いいのかな……?」

 

 お兄さんがバックヤードに消えていく。思わず、ひとりは唾を飲み込んでいた。

 ジャージのジッパーに手をかける。ここまでなら、まだなんでもないはずだった。そこそこの気持ち悪さを感じながら、腕を抜いていく。バケツかなにかを用意してもらって、雨水を絞り出したいくらいだった。

 

「あう……。す、透けちゃってる、かな」

 

 上を脱げ、とお兄さんには言われている。ということは、やはりこのブラウスまでが指定の範囲内なのだろうか。

 今日の下着、ちょっとはかわいかったかな、なんて愚かな考えが浮かんでは消えていく。もちろん、誰かに見せる場面なんて、想像すらしたことがなかった。

 緊張で指がふるえる。いつもなら簡単に外せるボタン。それが、引っかかってどうにもならないでいた。

 

「は、早く。早くしないと」

 

 理由のない使命感に衝き動かされる。

 心臓は今にも爆発してしまいそうで、顔は熱く火照っていた。まさか、もう熱が出てきているのか。それならば、学校やバイトを罪の意識なしに休むことができる。最近は動画サイトの更新も滞っているから、そちらに時間を割くのも有りといえば有りだった。

 

「いや、いやいやいや!?」

「あっ……。ご、ごめんなさい!? す、すぐに脱ぎますから許してください」

 

 お兄さんが奥からもどってくる。

 その表情はどこか焦ったようでいて、手にしているタオルがふわふわ揺れている。

 

「許してって言いたいのは、こっちだっての。とにかく、その手を一旦止めてくれ、後藤ちゃん。脱いでって言ったのは、ジャージまでなんだよ、ほんとに」

「あっ、ジャージ……。ごっ、ごめんなさい。そそっ、そうに決まってますよねっ!」

 

 打ちつける雨に、思考を変にされていたのかもしれない。

 だいいち、お兄さんがそんな要求なんてするはずがないし、自分の裸なんて見たところで誰も得をしない。

 飛び上がるように立ち上がったせいで、カウンターにまで数的水が飛んでしまう。そのせいで、余計にいたたまれない気持ちが大きくなる。

 

「タオル、遠慮なく使ってくれていいから。むっ……。なるべく、視線は外すようにするので」

「えっ……? あっ、す、すみません。お店に迷惑かけたうえに、お見苦しいものまで見せてしまって」

「やっ。全然お見苦しくないから、こっちは困るんだっての……」

 

 タオルを渡すだけ渡して、お兄さんはカウンター内での作業に入ってしまう。

 身体をざっと拭き上げて、ケースについた水滴を払っていく。よかった。多少は防水性能があるみたいで、中にまで染み込んでいる形跡はない。

 

「黒のレスポール。いいね、かっこいいじゃない」

「お、お父さんから、借りてるものなんです。だから、大事にしなきゃって……」

「そっか。喜んでるんじゃない、お父さんも。愛娘が、自分のギター受け継いでくれたんだからさ」

「そ、そうだったらいいんですけど。いつも、心配ばっかりかけてるような娘ですので……」

 

 ずっと、ネットの中にしか居場所がないと思っていた。

 ギターヒーローとしての活動はそれなりにうまくいっているし、評価してくれる人もたくさんいる。だけど、今の自分には結束バンドのギターとしての立場があって、お兄さんのように外で話せる間柄の人までいる。

 この前、自分との出会いを奇跡的だとお兄さんは評したが、その言葉をそっくりそのまま返したいくらいだった。

 優しい声。虹夏ちゃんとはまた違った包容力のある、オトナの人。

 勢いではじめたようなギターが、ここにきて様々な出会いをくれている。過去の自分よ、グッジョブ。送れるものなら、いいねを毎秒してあげたくなる。

 

「軽く弾いてみてよ。今日のミルク代は、それでいいから」

「あっ。い、いつもすみません、お兄さん」

「いいって。それに、どうせならありがとうって言われたいかな、オレは」

「す、すみません! って、あっ……」

「ははっ。ほら、また謝ってるし。まっ、それはそれとして」

 

 先程とは別の理由で顔が熱くなる。

 コンロに火がつく音。ほかにあるのは、外で降りしきる雨音だけ。

 座った状態でギターを構え、弦に指を添えた。

 鍋に入ったミルクを、お兄さんがかき混ぜている。視線はそっちにいっていても、耳は確実に自分に向けられている。

 

「そ、それでは、聴いてください」

 

 頭の中で、弾いたことのある曲を検索する。シチュエーション的には、静かめの曲が合っているはずだった。

 緊張のせいか、指の関節がかたく感じる。だけど、今できる一番をお兄さんに届けたいと思った。想像するのは最強の自分。飛び入りのステージではさっぱりだったが、ギターヒーローとしての腕前を発揮すれば乗りきれない局面ではないと自信をこめた。

 

「へえ……」

 

 少し手をとめて、お兄さんがこちらに顔を向けている。

 よかった。多少は、聴き入ってもらえているみたいなのである。そこから調子に乗ってピッチを上げ、曲に通り雨のような変調をもたらそうとした。

 これなら、きっと。そう確信した状態で、懸命に指を動かした。

 

「どうぞ、後藤ちゃん」

「い、いかがでしたでしょうか。えへへっ……。なんだか楽しくなって、途中でアレンジなんかしちゃったりして……」

 

 あたたかな湯気。一緒に連れて、ホットミルクがカウンターに登場する。

 夢中になって弾いていたから、軽く息があがっている。お兄さんの前だというのも、それには確実に影響しているのだろう。

 

「んー。これから頑張っていけばいいよ、練習。最初のあたりは、間違いなくよかったからさ」

「えっ? う、嘘だっ……」

 

 お兄さんの苦笑いが胸に突き刺さる。

 そんな。普通なら、ここで感動をもぎ取って好感度爆上げ、みたいな場面のはずなのに。

 

「ま、またやってしまったんだ、私……」

 

 敗北の味が冷えた身体に染み渡る。場所が場所なら、絶対ゴミ箱かダンボールの中に引きこもってしまっていたはずだった。

 それでもどうにか耐えられているのは、ホットミルクに込められた優しさのおかげに違いない。虚空を見上げるひとりは、そう信じることで、どうにか塵になりそうな自我を保っている。

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