オレとぼっちと鈍い空   作:KKS

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ビターなオレ(たち)

 壁掛けの時計に眼をやると、午後二時を少し過ぎたところだった。

 湧いてきそうになる眠気。振り払いながら、シンジは首を左右に傾けている。土曜日のランチタイムだっただけに、普段よりかは客足が多かったのである。

 そこさえ過ぎてしまえば、あとはほぼ常連が顔を見せに来るだけで一日は終わる。とはいえ、近頃はそこに新顔が加わっているから、あまり油断はしていられない。

 

「へい大将、今日もやってる?」

「だから、ここは寿司屋かなにかかっての。……っと、今日は山田ちゃんひとり?」

「はい。私、孤独を愛する女なもので。お兄さん的には、ぼっちがいないとやっぱり物足りなかったかな」

 

 爽やかな色をしたショートヘア。そこに黒のシャツが合わさると、外見上はクールな印象が一層強くなる。

 

「いやいや。山田ちゃんの相手するだけでも、結構お腹いっぱいになれちゃうからね、オレ。それに、後藤ちゃんとはロインしたばっかりだし」

「ほう。意外と脈ありかと思ったのに、言ってくれますな、お兄さん」

「はい、そうやって大人をからかわない。でないと、皿に山盛りの雑草出されたって知らないからな?」

「うっ……。どうか、それだけはご勘弁を。もうお腹ぺこぺこで、ここは私にとって砂漠で見つけたオアシス同然なんですから」

 

 言いながら、山田ちゃんはカウンターの端をスムーズに占拠する。空腹なのは本当のようで、突っ伏したのと同時に、かわいらしい悲鳴が腹のあたりから聞こえてくる。

 喜多ちゃんの再加入によって、活動にも本腰を入れられるようになったのだろう。結束バンド。名前自体にはなにかの冗談かと思わせる響きがあるが、その輪に織り込まれているのは、メンバーみんなの夢なのである。

 

「後藤ちゃん、なかなか苦戦してるみたいでさ。でも、ここは乗り切るしかないよな、自分の力で」

「結構スパルタなんだね、お兄さん。むむ……。昼間の喫茶店といえば、やっぱりカレーかな。ナポリタンなんかも、捨てがたいけど」

「応援はしてあげてるよ、もちろん。けど、下手にアドバイスして、迷わせることになってもいけないでしょ。ただでさえ、年の差あるのに」

 

 バンド活動を本格化させていくためにも、オリジナルの楽曲がいる。

 その作詞を担当しているのが、後藤ちゃんなのである。数日ノートと向き合い、ワードは書きためているようだった。けれど、どうにも方向性がまとまらないでいる。ロインに最後に送られてきたのは画像で、しかもサインの候補がいくつか書いてあるようなものだった。

 ほほえましいが、正直悩んでいることがありありと伝わってきてもいる。山田ちゃんの言ったように、自分の態度は薄情だと思われているのかもしれない。

 だけど、これは大切な最初の一歩なのである。

 後藤ちゃんがなにを感じ、なにを音楽としてぶつけていきたいのか。そこに、自分のような半端者がノイズを乗せるべきではない。

 応援はする。そして、完成した時には存分に祝ってあげればいい。それこそが自分の役目、なんて言うには思い上がりが過ぎるのか。

 山田ちゃんのアンニュイな笑み。

 いい加減そうに見えて、この子にもバンドに懸ける思いが間違いなくあるのだろう。そうでなければ、復帰を迷う喜多ちゃんの背中を押したりなんかするはずがないのだ。

 

「いいな、ぼっちは。冷静に見守ってくれるオトナが、近くにいてくれて。あっ、あとなにか、冷たい飲み物も一緒にお願いします。炭酸入ってても、平気なので」

「ほんとちゃっかりしてるね、山田ちゃんは。カレーと飲み物、了解。ふふん。そろそろ来る頃だと思って、試作品を準備してあるのよ。そっちの味見、頼んでもいいかな?」

「うむ、任された。出来上がるまでイヤホンで曲聴いてるので、私にはお構いなく」

「おっけー、ちょっと待ってな」

 

 プレイヤーを取り出し、山田ちゃんが自分だけの世界に入っていく。凛とした横顔。作曲のヒントを、あるいは探ろうとしているのか。

 懸命になっているのは、誰だって一緒だ。

 準備しておいた片手鍋に火を入れ、中身をかき混ぜる。以前からメニューとして存在していたカレー。リニューアルしようという思いになったのは、最近のことだ。

 ポケットの中にあるスマホが振動する。通知を見てみると、後藤ちゃんからのメッセージが来ていることがわかった。

 

「実は今、そちらに向かってます。出来上がった歌詞の雛形、お兄さんに見てもらいたいので」

 

 ロインの文章を眼で追う。

 付き合い方が多少はわかってきたのか、びっくりするようなメッセージの連打はなくなった。時間が空くとたまに心配するような言葉が届いたりもするが、それはまあご愛嬌というやつだろう。

 あたたまったカレーの鍋に、最後の仕上げとして隠し味を投入する。混ざり具合は悪くない。あとは皿に盛ったご飯に、ルーをかければ出来上がりだ。

 

「どうぞ、山田ちゃん。冷めないうちに、召し上がれ」

「あっ、これはどうも。ふふふ……。食欲をそそられる匂い。やっぱり、カレーにして正解だった」

 

 両手を使い、山田ちゃんがカレーの皿を恭しく受け取る。スプーンを右手に構える姿は完全に臨戦態勢で、用意した側としてはちょっと嬉しくなったりもする。

 

「来店お待ちしております、と」

 

 手が空いた隙に、後藤ちゃんへの返信をしてしまう。

 ずっとアプリを開いていたのか瞬時に既読がつき、謝意を示すメッセージが送られてきた。

 

「どうかな、山田ちゃん。感想、正直に言ってくれていいからさ」

「う、うぅ……」

 

 スプーンを咥えた状態で、山田ちゃんがかたまっている。

 普段から一癖ある子なだけに、ここでもひと芝居うとうとしているに違いない。そう思って、シンジはカウンターに片腕をついて返事を待った。

 

「う、うぅ……。これは、全然うまく、ない」

「へ……? う、嘘だろ」

 

 それなりにあった自信が、見事に打ち砕かれていく。

 眉間にちょっとしわを寄せ、山田ちゃんは神妙な表情を作り上げている。どこにも嘘はない。シンジは、受けたショックのせいで、危うくカウンターで顔を打ちそうになっていた。

 

「に、苦すぎるよ、お兄さん。まさか、毒なんて入れてないよね」

「苦い……? あっ、もしかして」

 

 仕上げとして投入した隠し味。その正体は、珈琲の粉だった。

 この店らしい味として、どうにか変化をつけてみたい。そう考えたアレンジが失敗のもとだったのか。

 

「いいから、食べてみて。絶対自分で味見してないでしょ、これ」

 

 カレーをひと掬いしたスプーンを、山田ちゃんが差し出してくる。

 有無を言えないような雰囲気。これだと、間接キスになってしまう。そんなことを考える余裕すらなく、口の中にカレーを放り込まれた。

 

「んぐっ……。よくない、よくないな、これは」

「でしょ、お兄さん。これ食べさせたの、まだ私でよかったね。虹夏だったら苦すぎて泣いてるよ、きっと」

 

 ひと味違う一品に仕上げたい。そんな気持ちが強すぎて、確認するべきステップが抜け落ちていたようだった。

 これでは、さすがに山田ちゃんにも申し訳が立たない。口に残るビターすぎる後味。失敗の味としては、百点満点だった。

 

「はむっ、もぐっ……」

「無理するなよ、山田ちゃん。すぐに、片づけさせてもらうからさ」

「いい。たとえ失敗作でも、お兄さんが私のために用意してくれたものだから。残したりなんかしたら、失礼だし。むっ、はぐっ……」

「や、山田ちゃん、あんたって子は」

 

 苦しみながらスプーンを進める姿に、謎の感動と勇気を与えられてしまう。

 この分だと、リニューアル計画を大幅に見直す必要がありそうだ。そして、ちゃんと美味しいと言ってもらえるような品を、いつか山田ちゃんに提供しなければ。そう決意するのと同時に、シンジは心に流れた涙を拭っている。

 

「ふう。ごちそうさま、お兄さん。まあ、お腹はふくれたかな、少なくとも」

「やっ、ほんとにすまなかった。まだまだ修行中だな、オレも」

 

 きれいに食べ終わったカレーの皿を山田ちゃんから受け取る。

 口を拭く様はドラマで見るようなお嬢さま然としていて、数秒見惚れてしまったのはたぶん気のせいではないのだろう。

 

「あれ、ぼっち。奇遇だね、同じタイミングでお兄さんのとこ来るだなんて」

 

 入口を見ながら、山田ちゃんがそう呟いた。

 確かに、後藤ちゃんはそこにいた。ただし、見えているのは眼の部分だけで、あとはいつものピンクジャージがかすかに見切れているくらいだった。

 

「ど、どうも。あっ、お兄さんとリョウさんがなんだかいい雰囲気に見えて、そのぅ……」

「ふうん。それで、ぼっちは遠慮してくれてたんだ。だそうだけど、お兄さん?」

 

 隙間から覗いている後藤ちゃんの二つの眼。なんとなくそれが潤んでいるようにも見えて、悪いことをした気分になってくる。

 カウンターから抜け出し、とりあえず壁となっている扉を完全に開放する。瞬時に小さくなっていく後藤ちゃん。なにかいい手はないか、とシンジは数瞬思案する。

 

「いつもの、ここに置いておくよ。だからもどってこい、後藤ちゃん」

「すんっ……。お、お兄さぁん!」

 

 いつものカップに、いつもの中身。それをカウンターに置いて呼びかけると、予想通り反応が返ってくる。

 見る間に大きくなった後藤ちゃんが、高さのある丸椅子にさっと上がる。ちょっと弱気でいるくらいが、きっとこの子らしいのだ。山田ちゃんはこうなることが最初からわかっていたのか、涼しそうな顔で炭酸入りのジュースを呷っている。

 

「え、えへへ……。つい、来ちゃいました。リョウさんにも見せたかったし、ちょうどいい、かな?」

 

 鞄から取り出したノート。

 緊張を帯びた後藤ちゃんの表情が、今はたまらなくいじらしかった。

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