天使「人間さんにおかしくされてしまいました」   作:桜の塩漬け

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2.人間さんって難しいです

 あれは今日から一年前、僕がセンターに入学するする前日のことだった。

 

 

『蒼良、もう行くのか?』

 

『うん、早めに行って荷物の整理とかしなきゃだし』

 

 太陽が頭の真上に上る頃、僕は家の玄関で両親の見送りを受けていた。センター付属の寮までは大体家から三時間かかるので、先に運び込んでもらった家具の組み立てや荷物の整理を考えるともう出発しなくてはならない。明日の入学式で寝不足なんてことになったら幸先が悪すぎる。

 

『持ち物は大丈夫か?制服とか下着はあるか?あとは魔界植物のポーションと竜の爪が入ったお守りと獣除けの簡易結界と魔封じの札も・・・』

 

『大丈夫だから。足りなくなったら向こうでも買えるし』

 

 僕が背負っているリュックの中には魔界産の便利グッズが詰め込まれている。お母さんの心配性は昔からだったが今日は特にそうだ。別に僕はライオンのいる檻に入るわけでも、霊が生者を貪るホラーハウスに住むわけでもないというのに。

 このままだとリュックをさらに一回り大きくしかねない様子のお母さんを止めるように、その肩にふわりと手が乗せられた。

 

『大丈夫だよ、蒼良はしっかりしてるからね。心配要らないさ』

 

 隣に立っていたお父さんが苦笑いしながらお母さんを宥める。過保護なお母さんと少し放任主義のお父さん、相性が悪そうに見えるが夫婦仲は極めて良好である。喧嘩したのも僕が生まれる数年前にしたのが最初で最後だとか。

 

『それに、子供が自分で考えて進む道を決めたんだ。信じて送りだすのが親ってものだろう?』

 

『ぬぅ、ついこの間まで赤子だったというのに。人間の成長は早過ぎるぞ・・・』

 

 そう言うと、お母さんは僕を優しく抱きしめる。今まで何度も感じてきたこの温もりともしばらくはお別れだと思うと寂しく感じる。

 

『長い休みには必ず帰ってくるのだぞ。それと、もし辛いことがあれば遠慮なく連絡しろ』

 

『うん、わかった』

 

 いつも守ってくれていた両親と離れて暮らすことに不安はある。だけど、僕も大人になるときが近づいているんだから、仕事に忙しい両親に頼らず自立した姿を見せないと。そう考えていると、お父さんが僕の目を見ながら声をかける。

 

『僕らの仕事を邪魔しないように一人で頑張ろう、なんて思う必要はないからね』

 

『・・・なんで考えてること分かったの?』

 

『親だからさ。あと蒼良は顔に出やすいからね』

 

 柔らかく笑うお父さんに考えを見透かされて恥ずかしさで俯いていると、僕の頭にお父さんの大きな手が乗った。手と触れた頭の部分がじんわりと温かくなっていく。

 

『僕らは蒼良に自由に生きてもらいたいって思ってる。でも、それは一人で全部背負い込むってことじゃない。それに親にとって一番悲しいのは、子供の大事な時に力になれないことだからね。』

 

『うん、ありがとうお父さん。・・・そろそろほんとに行かなきゃ』

 

 そっと二人から離れて玄関の扉に足を向ける。これ以上は寂しさとか感動とかで涙が出てしまいそうだった。

 そこでお母さんがふと思い出したかのように声を投げかける。

 

『そうだ、蒼良。何度もしつこいようだが向こうでは魔族に、中でも特に』

 

『"天使に気を付けて"、でしょ?わかってるって』

 

 最後にもう一度二人の顔を振り返って宣言する。僕の夢の新しい出発を。

 

 

『行ってきます!』

 

 

『『行ってらっしゃい、蒼良』』

 

◆◆◆◇◆◆◆

 

 

「おはよ~、今日もりゅーちゃん先生の手伝いしてきたんだ。偉いね~」

 

「ふん、相も変わらず馴れ合いにご苦労なことだな、天使よ」

 

「おはようございます。でもこれは私の自己満足のようなものですから、褒められることではありませんよ」

 

 心なしか暗くなった天使の輪を浮かばせながら、彼女は自分に割り当てられた席に向かう。その途中で向けられるクラスメイトたちからの親し気な挨拶は、彼女が一年生の間多くの人を助けてきた結果だ。その賞賛に対しても謙虚に返すのは彼女の美徳だが、もっと誇ってもいいことだと思う。

 それと少し尊大な口調の人は吸血鬼族で、態度に反して根はいい人だ。一年間接してきてクラスの皆も段々慣れてきている。たぶんさっきのは「いつもお手伝いお疲れ様!」、ぐらいの意味だろう。

 

 挨拶を交わしながら教室を歩く彼女は僕の隣の席に鞄を置くと、顔をこちらに向け僕と大地に声をかける。

 

「人間さんたち、今日もおはようございます」

 

「おう、おはよう!」

 

「お、おはよう、ございます、ウリエルさん・・・」

 

 大地の大きな声とは反対に僕は今にも消え入りそうな声を出した。彼女の前では妙に気恥ずかしさを感じてしまうのだ。特に去年のあの事件以来は彼女の名前を呼ぶにも少し緊張してしまう。

 一年生のときは同じクラスでも席が離れていたので僕の挙動不審が彼女に露呈することはなかったのだが、新学期初めての席替えで彼女が隣になってからというものの教室で僕の心は休まることを知らない。いつもこんな調子で接してしまっているのは彼女に申し訳ないので、どうにかしたいとは思うのだが。

 

 そんなふうに考え事に浸っていたからだろう、彼女が僕の顔を不安そうに覗き込んでいるのに気付くのが遅れた。

 

「あの、大丈夫ですか?何か悩み事があるならお話を聞くくらいならできますよ」

 

「別に、大丈夫、です」

 

 急に目の前に彼女の整った顔が映って、咄嗟に思い切り目を背けてしまった。加えて長身の彼女が屈むようにしているせいで身体の一部が協調されていて目に毒だ。というか本人に向かって「悩み事は貴女といるときに緊張してしまうことです」、なんて変な勘違いを生みそうなこと言えるわけがない。

 

 とはいえ彼女からすれば僕は話しかけた途端に目を背けた奴になるわけであり、すると彼女が一つの推論を導くことは当然だった。

 

「・・・私、なにか気に障るようなことをしてしまいましたか?もし、知らないうちに迷惑をかけてしまっていたならそう仰ってください」

 

 そう言う彼女の顔には確かな悲しさが浮かんでいて、少し目も潤んでいるような気がする。

 人間の苦痛を取り除くことを目標にする彼女であるからこそ、自身が苦痛の要因となることを恐れているのだろう。そんな優しい彼女を僕の行動のせいで悲しませてしまったのだと思うと、罪悪感と自己嫌悪で胸が苦しくなる。

 なんと言葉を返したらいいのか、迷っているうちにも過ぎていく時間がより僕らの間に沈黙を積もらせる。

 

ーーーああ、最悪だ。死にたい。

 

 

「いやーそんなことないと思うぞ。ちょっと照れてるだけだって!な、蒼良?」

 

 二人の間で流れる暗い雰囲気を消し飛ばすように大地の明るい声が聞こえた。その声に思わず彼の方を見ると、机の陰で僕以外には見えないように右手でサムズアップを作っている。

 今日ほど彼のことを頼もしく思ったことはない。昼休みに学食を奢ることを心に決めながら、出された助け舟に全力でしがみつく。

 

「そう!全然迷惑なんかじゃない、です。だって・・・」

 

 続けて出そうとした言葉は教室の前方に取り付けられたスピーカ―から流れるチャイムの音によってのみ込まれた。HR開始の合図だ。見ると、先生はすでにプリントを前の席の生徒に配り終えているようで、じきに僕らにも回されるだろう。

 

「ほら、蒼良もこう言ってるしさ。安心しなって」

 

「そう、ですね」

 

 まだ少し不安の残る表情だが、一応納得の返事をした彼女は僕をちらりと見てから席に戻っていく。本当はもう少しちゃんと弁明したかったのだが、一先ず誤解は解けた、はずだ。

 

「うむ、みな席に着いたかの。今日のHRは各委員会と係の担当を決めるのじゃ。詳しい仕事内容はプリントに書いておるから確認しておくことじゃ」

 

 ウリエルさんのことを気にかけながらもプリントの内容にざっと目を通す。学級委員に風紀委員や保険委員、図書委員、体育委員等をまとめた委員会に、各教科の先生を補佐する教科係。それが役職ごとに男女関わらず二名ずつ。どうやら一年生のときと大きく違いはなさそうだ。

 どうしようか、去年と同じ図書委員にでも入ろうかなと考えてみる。仕事も持ち回りの図書室の管理と二か月に一回おすすめの本を紹介するだけだし、暇な時間は本が読める。楽な仕事なので委員会の中では最も人気が高い。

 

「まずは学級委員じゃな、誰かやってくれる子はおるかの?」

 

「先生、俺やります!」

 

 先生が尋ねるなり、そう言って勢いよく僕の前の席から大地の手が挙がる。確かに彼はよく人の機敏に気付けるし、明るい性格だからクラスのリーダー的立場は似合うだろう。でも彼はすでに生徒会に入っているはずなのだが大丈夫なのだろうか。

 どうやら先生も僕と同じ疑問を抱いたようで大地に問いかける。

 

「ありがたいが、お主はもう生徒会に入っておるじゃろう。忙しいのではないか?」

 

「あー、実は生徒会での仕事って魔族の先輩がほとんど終わらせちゃうから俺はあんまり忙しくないんすよ。だから大丈夫です、やらせてください!」

 

 生徒会の仕事というのを詳しくは知らないが、それでも口振りから察するに彼に任されている仕事も多少あるはずだ。なのに彼は軽くなった荷物の分を休むことに使わず、さらに荷物を背負おうとしている。それはたぶん人の役に立ちたい、誰かを助けたいと思っているから。

 僕もそうだ、両親のように人の役に立ちたいと思っている。でも、将来のために本のページを捲る僕と、今精一杯誰かの手を掴もうとしている彼を比べたとき、どうしても僕は自分が自己満足で終わるのではないかと怖くなる。僕が助ける人は僕の想像の中にしかいないのだから。

 

 他に探すべきなんじゃないだろうか、この手の別の使い道を。

 

「そこまで言うならここはお主に任せようかの。ではもう一人誰かやってくれる子はおるか?できれば女子がよいの」

 

「誰もやらぬなら我がやろう。大衆を導くなど貴族の我からすれば造作もないことであるからな」

 

 僕がぐるぐると考えているうちに学級委員が決まったようだ。もう一人は朝、ウリエルさんと話していた吸血鬼の人だ。今のは「誰もやりたくないなら私がやるよ!こういうの慣れてるから気にしないで」って意味だろう。

 

「学級委員は決まりじゃの。では次に風紀委員をやってくれる子はおるかの?」

 

「はい、私がやります」

 

 今度は隣の席からウリエルさんの手が挙がる。一年生のときも彼女は風紀委員を務めていたし不思議はない。意外かもしれないが彼女はルールを破った人に対してしっかり怒れるタイプの人である。規則を破った生徒がいくら屁理屈を捏ねようと笑顔のまま理詰めで追い詰めていく光景はちょっと怖かったりする。

 ちなみに風紀委員は委員会の中で最も人気がない。理由は単純に仕事の量が多く面倒だからだ。校内清掃に校門前での朝の挨拶、注意喚起のポスター制作や相談箱に寄せられた学校に対する不満の解決など、単純作業で終わらない内容も多い。

 

 ・・・では彼女が手を挙げたのは面倒ごとを引き受けるためだろうか。それとも規則を守ることが多くの人を救うと信じているからだろうか。

 

「ではもう一人、男女どちらでも構わぬよ。誰かおるかの?」

 

 そういえば彼女はなんで人を助けるのだろう。人間を救うって使命が神様から与えられているとして、じゃあ人間以外の魔族を助けるのに理由はあるのだろうか。

 

 彼女の側で、彼女と同じように誰かを救っていけば僕は変われるだろうか。

 

 今、この胸にある衝動が大事なもののような気がして、彼女を知りたくて

 

 

 

「・・・え?」

 

「お、ならこれで風紀委員は決まりじゃの」

 

 

 だから、僕は手を伸ばした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 




こういう委員会決めって長引きましたよね。
女子は早めに決まるんですけど、遊びたい盛りの男子は放課後に拘束される時間がもったいないと感じてしまうのか結局じゃんけんで決めたりしてました。

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