天使「人間さんにおかしくされてしまいました」   作:桜の塩漬け

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3.夢に私がいたらいいですね

 いつもどうり朝早くに桜舞い散る通学路を歩く。だけど今日は生憎その美しさに思考を割く余裕はない。今日から風紀委員最初の仕事、挨拶強化週間が始まるのだ。これから二週間は入学したばかりの一年生の風紀委員を除いた、二年生と三年生の風紀委員が一週間ずつ持ち回りで校門前に立って生徒に挨拶を呼びかける。

 昨日委員が決まったばかりだが、休み明けの生徒の意識を引き締めるために早速風紀委員の出番というわけだ。それ自体に不満はない。朝早く学校に来るのは普段と変わらないし苦に思わない。

 問題はウリエルさんとどう接するかだ。昨日の放課後に大地とのゲームで圧勝してから一睡もせずに考えたが答えは出なかった。ただの委員同士の事務的な関係では僕が知りたいことに近づけないだろうし、かといっていきなり馴れ馴れしくする勇気もない。

 

 センターの正面玄関で上履きに履き替え、そのまま階段を上って教室にたどり着く。まだ誰もいないことに安心しながら自分の席に腰を下ろす。纏まらない思考をそのままに時間が来るまで仮眠でもして頭をすっきりさせようとアラームをセットして机にうつ伏せになろうとしたとき、教室の扉が開かれるのが見えた。

 ・・・噂をすれば影とはよく聞くが、どうやら考えるだけでも適応されるらしい。

 

「あ、やっぱりいたんですね!おはようございます、人間さん!」

 

「あ、はい。おはようございます」

 

 驚きが一周回って逆にすらすらと言葉が出てきた。

 それにしても今日の彼女はいつもよりテンションが高い気がする。普段より目がキラキラしているし背中の翼もパタパタと忙しい。

 僕の目の前まで来た彼女は弾んだ声で語りかける。

 

「今日は初仕事ですね!慣れないことかもしれませんが私がサポートするので、一緒に頑張りましょうね!」

 

「あ、はい」

 

 廊下を見るにこの時間ではまだ他の生徒は来そうにない。さっき僕がいることを予想しているような口振りだったし、わざわざ僕と話すために早めに来てくれたのだろうか。

 僕の視界を遮るように立った彼女は言葉を続ける。

 

「風紀委員に立候補してくれたときは驚きましたけど、それ以上に嬉しかったんです。一年生のときは遠巻きにされてた気がしますけど、これをきっかけに仲良くなれますよね!」

 

「あ、はい」

 

 今日の天気は一日中晴れらしい、窓の外の雲一つない空がそれを証明しているようだ。雨だったら風紀委員の仕事に支障をきたしていただろうし一安心である。

 僕から太陽を遮るように立った彼女が少し前のめりになりながら続ける。

 

「安心したんです。人間さんは別に私のことを避けたいわけじゃ・・・」

 

 僕は再び廊下を見ようと首を動かそうとして、

 

「めちゃくちゃ避けるじゃないですか!?」

 

「ごめんなさい!」

 

 いや、本当に彼女を避けたいわけではないのだ。ただ彼女の目を見ると湧き上がる、得も言われぬ羞恥心に耐えられないだけで。昨日出した勇気はもう期限切れになってしまったのだ。

 彼女の方をちらりと伺うと教室に入ってきたときの元気は鳴りを潜め、不安そうな表情でこちらを見ていた。これでは昨日の焼き増しだ。なにか言い訳を、彼女を安心させる言葉をかけたくて迷いながらも口を動かす。

 

「あー、あの、実は僕、女の子とあまり仲良くなったことがなくて。それで、どうしても目を合わせると緊張してしまって」

 

 咄嗟に思い付いた言い訳にしては悪くないのではないだろうか、僕の女性遍歴を暴露したこと以外は。少し事実と違うことは図書委員のときに魔族の人に頼られることはあったけど、目を合わして話すことに苦労なんかしなかったことか。さっきの悪癖は彼女の前でだけ出てしまうものだ。

 

「そうなんですか?ふむ、なるほど・・・」

 

 僕の言葉を聞いた彼女は目を丸くすると、次第に意味を咀嚼したのか段々と笑顔になっていく。どうやら悲しませずに済んだようで、彼女の目もまた活力を取り戻してキラキラと、いやもはやギラギラと輝いている。

 すると彼女はふと何かを思いついた顔で僕に話しかける。

 

「でも風紀委員の仕事をするのに魔族の女の子たちと話せないのは困りましたね。例えば服装検査をする際にしっかり注意できないといけませんし」

 

 彼女の言葉に曖昧に頷く。さっきの言い訳が原因で風紀委員の業務遂行能力が疑われてしまったようだ。

 どうするべきか、ここで仕事をできることを言えばさっきの言い訳に矛盾が生じる。でもこのままでは風紀委員の役を降ろされる可能性もある。このセンターの大部分は女生徒だから男の子だけを相手し続けるのも不自然だ。

 やはり慣れない嘘などつくべきではなかったのかと悩んでいると、頭上から彼女の声が降ってきた。

 

「そんなに不安そうにしなくても大丈夫です。私にいい案があります!」

 

 いつの間にか俯いていた顔を上げて声の方を見ると、彼女は満面の笑みを浮かべ握りこぶしを胸のあたりに掲げながら言葉を続けた。

 

「私で女の子の練習をすればいいんです!」

 

「・・・はい?」

 

 聞き慣れない単語に思わず素っ頓狂な返事をしてしまう。

 女の子の練習とは、話の流れからするに女の子との会話の練習ということか。言い回しがちょっと危ない気がするが、そう考えれば別におかしな提案ではない。またいつものとおり彼女が人の助けになりたいと思って言ってくれたのだろう。

 

「でもウリエルさんに迷惑が・・・」

 

「全然大丈夫です!むしろ嬉しいといいますか、役得といいますか!」

 

 僕の言葉に被せるように勢いよく返事が返ってくる。ここまで言わせてしまっては逆に断る方が失礼だろう。それに僕だって彼女とは普通に話したいと思っているのだ。彼女のことを知りたいと風紀委員会に入ったのに、このままでは好きな動物も聞くことができない。

 

「じゃあ、その、お願いします」

 

 

 僕の返事を聞いた彼女は笑みを浮かべたまま、その二本の腕を僕の肘のあたりまで持ち上げる。手の平は大きなものを掬い上げるかのように傾けられ、同時にほっそりした指は軽く曲げられている。窓を背に立つ彼女の金髪が太陽の光を浴びてあたたかく光る。

 

 その光景はまるで宗教画の中の天使が人間に救いを与える瞬間のようだ。彼女はすべての罪をその母性で包み、赦すだろう。彼女が次に口を開いたときに紡がれるのは神への賛美歌か、それとも人への金言か。

 

 

 

 

「では、まずはハグしましょう!」

 

 

 僕の脳が思考を停止する。視覚と聴覚が拾う情報が一致しない。

 

「なんで・・・?」

 

「誰かと仲良くなるには目を見て挨拶するのがその第一歩です!ですが先ほど、目を合わせるのが苦手と仰っていました」

 

 かろうじて絞り出した疑問に返された彼女の言葉を確かめるうちに、少しずつ思考が回りだす。そして彼女が言いたいことを察する。

 

「そこでハグです!人間さんたちの間ではこれも挨拶になると聞きました。そしてなにより、ハグした後はお互いの顔が見えません!」

 

 確かにハグならお互いの顔は見えなくなる。ただし、かなり密着した場合である。しかも僕と彼女はかなり身長差があるから正面から抱き着きあったときに、その、僕の顔が彼女の胸の上の方にいってしまう。つまり絵面が大変よろしくないことになる。

 そもそもハグで挨拶するのは海外の文化だ。人間という大きな区別で物事を見ている天使からすれば問題ないのだろうが、僕は純日本人でただのクラスメイトの女の子とするにはハードルの設定が高すぎる。なんなら目を合わせて普通に挨拶するより難易度が上がっている。

 

 それに、まだ僕らは・・・

 

「その、ウリエルさん。確かにハグは人間の挨拶ですけど、特に仲良くなった友人同士とかでやるもの、なんです。だから、お互いを何も知らない僕らには・・・」

 

 

 

 

「大丈夫ですよ。これから、私たちは絶対に特別な仲良しになれます。神様にだって誓えます」

 

 

 

そうやって、彼女があんまりにも自信に満ちた声で言うから、天使が神様に誓うなんて言うから。

なんだか、その根拠を聞いたりするのは野暮な気がしてしまって。

足を一歩一歩動かしながら、これが雰囲気にのまれるっていうことなんだなと思った。

 

「絶対、ですか?」

 

「はい。だからこれはちょっとした先払いです」

 

 背中に回された腕が僕を引き寄せる。制服越しでも彼女からの体温はしっかりと感じられた。いざそのときになると僕が思っていたような劣情は浮かんでこなくて、ただそこには安息があった。

 僕の身体を外から隠すように彼女の大きな翼が広げられる。触れたその感触で、まるでふわふわの布団の中にいるような気持ちになって、そういえば仮眠を取ろうとしていたことを思い出す。

 

「寝てもいいですよ。時間になったら起こしますから」

 

 

 今、彼女はどんな顔をしているのだろうか。そんなことを想いながら僕は意識を落とした。

 

 

 

 うっすらと無機質なアラーム音が聞こえる気がする。でもそれはすぐに止まって、代わるように人の声が聞こえだした。

 

「おはようごさいます、人間さん。これで二回目ですね」

 

 目を開けると鼻先から数センチのところに彼女の顔があった。少しからかうような彼女の笑顔を見ながら、自分がどこで何をしていたのかを思い出して顔が熱くなる。

 そして同時に嫌な予感がして、足元を見てあることに気づく。

 

「ず、ずっと立ったままでいたんですか!?ごめんなさい、僕が寝てしまったせいで・・・」

 

「いえいえ、私が言い出したことでしたし大丈夫ですよ。それよりも、」

 

 同級生の女の子に甘えてしまって迷惑をかけたことに、恥ずかしさと申し訳なさで俯いている間にも彼女は話し続ける。

 

「むぅ、まだ目が合いませんね。こうなったら出来るようになるまで毎日ハグしましょうね!」

 

「え!?」

 

 今日一回しただけでもう羞恥心でどうにかなりそうだったというのに、毎日なんてとてもじゃないが耐えられない。彼女のとんでもない提案を思い直してもらうために慌てて口を開く。

 

「ま、待ってください!そこまでやらなくても・・・」

 

「あー、そろそろお仕事始まっちゃいますね。急がないといけません」

 

「露骨に話を逸らさないでください!」

 

 このあとも必死に言葉を尽くしたが彼女が聞き入れてくれることはなかった。

 

 

 

 今日から一週間、僕は風紀委員の仕事としてたくさんの生徒と挨拶を交わしたけど、彼女一人と交わした挨拶の方がどっと疲れた。

 

 

 

 

 




彼らは一年生の頃からお互いを知らないわけではありませんでしたが、人間さんが距離を取っていたので会話自体は最小限になっていました。
この挨拶が彼らの関係の始まりとなります。

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