一本の煙草に火を付けた。
ある田舎の歩道橋の上。
赤のジッポの蓋を小気味いい音を響かせて開け、火打石を擦る。
一度では点かず、二、三度やすりが石を削るチャっという音を鳴らしてようやく点く。
パーラメントの9ミリロング。
ボックスから一本取り出して、咥えているそれに火を近づけ、吸い込む。
口の中で燻らせ、吐き出す。
味の良しあしなど分からないが、何となく口当たりがいいので好んで吸っていた。
ここ数日、色々な出来事が続いて疲れていた。
俺の色々な出来事なんて、突発的な飲み会か遊びの誘いが関の山なのだけれど。
それでも、常日頃から運動不足な身体には応えた。
何か音楽を聴こうと、スマホからyoutubeで適当な曲を聞く。
明るい曲がいいな、と思ってラップの替え歌を聞き始めた。
付けているワイヤレスイヤホンは右だけ。
左は、電池切れだった。
周りは大きな倉庫があったり、集落があったり。
集落の間には田んぼがひたすら並んでいて、遠くに信号の光が見えた。
青、黄色。白。
その光を見ていると、心が安らぐような気がした。
多分錯覚に過ぎないのだけど、それでもよかった。
歩きながら、煙草を吸う。
煙が体の後ろを流れていく。
ふと後ろを見ると、緑の歩道橋がやけに小さく感じた。
履いている、有名なコミックスとのコラボの白いスニーカー。
見た目に惹かれてネット通販で買った物だが、高すぎるバックステーはアキレス腱を攻撃してくる。
歩くたびに足にダメージが入る感触に、いつか慣れは来るのだろうか。
空の月は半月。
曇り空だった。月だけが浮かび上がるように雲を外れていた。
煙草は、まだ半分も吸いきっていない。
曲に混ざって、battery lowと機械のような声が聞こえる。
曲を聞きたいのに、耳障りで仕方なかった。
T字路に来た。この道を真っすぐ行くと、友人の家に着く。
左に曲がると、自分の家だ。
左に曲がって、少し後悔した。
面白くない生き方だ。
自分の右にある電柱には、犬の小便がかけられた跡があった。
電線は真っ黒で、揺れる様子はなかった。
街灯の明かりが心の支えとなるくらい、寂しい道で、暗かった。
曲も盛り上がる直前で、右耳からdisconnectと一言聞こえて沈黙した。
曲が無くなると、世界はこんなにも暗く重いのだと気付いた。
静寂は、辛い。
煙草の味が、落ちてきていることに気付いた。
そもそも、火種の位置が明らかに指に近い。
あぁ、煙草を吸い終わるか。
そう思った。
クオリア。
その単語が、頭の中に浮かんできた。
共感性とか、感じる力。
創造性と言い換えてもいい。
きっと、これが僕の遺作になるんだろうと思った。
煙草を地面に落として、踏みつける。
この煙草を踏みつけることで、僕の創造性は終わりを迎える。
共感性も失う。
作るものや、感じる力は失われて、何も感じない木偶人形になるんだろう。
その、最後の遺作がこの煙草だ。
ぽとりと落ちた煙草を、スニーカーとコンクリートで挟み込み、なじる。
足を離すと、先端が焦げた葉で、紙が破けていて、少し葉っぱが先端からばらけるように散らばっているんだろう。
スポンジも、余りの吸い口の紙も、ぺちゃんこにされて、少しの泥が付く。
そのぐちゃぐちゃになった煙草が、僕の遺作だ。
足を離して、歩き出す。
下は、見なかった。
ポケットから、パーラメントの箱を取り出す。
箱を開けて煙草を一本抜き出して、咥えた。
箱を無造作にポケットに仕舞い、反対のポケットから赤のジッポを出す。
蓋をキンという軽快な音を立てて開け、やすりを擦る。
今度は一発で着いた。
火に煙草の先端を近づけて吸うと、ジリ、と音を立てて火が付いた。
僕は口から、煙を吐いた。