「はぁっ、はぁっ、はぁっ───!」
背後から聞こえる数多の怒号から少しでも離れる為、必死で足を動かす。今だけは、このよくできている体がありがたい
もっとも、その体のせいでこんな目に遭っているのだが
妖精國における人間の在り方。それは言ってしまえば家畜だ
……いや、まともな生き物のように繁殖すらできない事を考えると、家畜以下かもしれない。寿命はせいぜい三十年。妖精達によって作られる工業製品のような……家畜からどんどん離れてないか?
とにかく、そうやって作られている以上、何処かでミスは生まれるわけで
そのミスこそが、この俺と言うわけだ
俺が生まれた時、俺という存在にあるものが混じった。やけにボロボロな魂の一欠片だ。恐らく妖精のものだろう
妖精の魂の欠片が俺に混じった事で、俺という人間は、他の人間とはかけ離れた存在となった
寿命は恐らくない。生まれた時から大人の体をしていた。もちろん、精神も。身体能力だって妖精の兵士に引けは取らない程だったし、生殖機能だって持っているようだった
だから、俺は出来損ないと呼ばれたわけだ
生産者は、不良品を世に出さない。俺という不良品を、生産者である妖精達がそのままにしておく筈も無かった
「こっちだ!逃がすな!」
「追いかけろ!」
「はあっ、はあっ、クソッ!」
不良品として処分される前に、俺は人間牧場から逃げ出した。死にたくなかった。たったそれだけの事だ
わかっていた。逃げ切れる筈がない事も、もし仮に逃げ切れたとしても、まともな生活なんて送れないことも
それでも俺は、死ぬ事が何よりも怖かったのだ
平原、森の中、色んな所を走り抜け、今は泥の上を走っていた
確か、湖水地方とか言ったっけ
もう何日間かぶっ通しで走り続けている。本当に、よくできた体だ
「…!森……!」
森の中へ入ろうと、一層速く足を動かす。しかし──
「っ!クソッ!」
右足のふくらはぎに感じる鋭い痛み。矢が刺さった事は見なくても理解できた
右足を引きずりながら森の中へと逃げ込み、木々の間を通り抜けていく
速度は明らかに落ちている。確実に追いつかれる
俺は、ここで終わる
「急げ、急げ……!」
恐怖を振り払うように、無理矢理足を動かして進んでいく
やがて、沼に辿り着いた
何やら大きな……岩?いや違う、生き物か何かの……
「……考えても意味ねぇってのに」
急に全てがバカらしくなって、沼の側に座り込んだ
クソみたいな人生だった。生まれて……出来損ないだったから殺される
本にしたなら一ページも書けないで終わる人生だ。なんとつまらん物語だろうか
あぁ、でも
死ぬのは怖いが、それ以上に嫌だった事が一つあった
孤独だ
妖精と人間は違う。人間と俺は違う
俺はこの世界に親しい誰かどころか、種としての同族すらいない
それがたまらなく嫌だった
せめて、誰か───
「……いた」
沼の中で蠢く何か。お世辞にも生き物と呼べないような何かだったが、わかる
こいつは、生きている
妖精ではない、人間でもない
なら、俺と同じ孤独な何かだ
「よっこいしょ……」
汚い沼の中に手を突っ込んで、その肉塊を引っ張り上げる
意思すらあるかどうかわからない肉塊
でも、俺と同じ孤独な"何か"
それだけで、救われたような気がした
だから、それには酷く驚いた
「────え?」
肉塊から泥が剥がれ、段々とその形を変えていく。泥は、一つの形を形成していった
美しい少女だった。髪も肌も真っ白な、人形のような美しさを持つ女の子だった
黒い角と翼のようなものが付いている。妖精にも翅を持つものはいるが、それとは全く違う
妖精とも人間とも違う、もっと高位の存在だと直感的にわかった
「…最悪な奴に拾われたな」
そのままお姫様抱っこで持ち上げ、歩き出す……軽い
「俺はもうすぐ死ぬけどさ、お前ぐらいは逃がしてやれそうだよ」
少女は一言も発さない。ただ俺の腕の中から俺を見つめるだけ。だがそれでいい。言葉は必要ない。だって、俺たちは同じだから
「俺と一緒に居たら、多分お前も殺されちまう。時間稼ぎぐらいはするから、さっさと逃げろ」
泥まみれの少女を優しく地面に下ろす。ただ呆然とこちらを見つめて立ち尽くしている
「居たぞ!」
「おいマジか!?早く逃げ──え?」
──一瞬だった
視界の悪い森の中ですら視認出来る程の距離にいた妖精達の首が、宙を舞った
「な……にが…?」
俺の目には、全ての首が寸分の狂いなく同時に切断されたように見えた
「……君を死なせはしない。私がいる限り、絶対にね」
白い少女が口を開く。透き通るような声だった
少女の体は返り血に濡れていた。しかし、それさえも彼女を美しく見せる要素の一つにしかならなかった
「怪我はない?」
「あ、あぁ…足をちょっと怪我してるだけだ、大した事ない。とりあえず、名前……いや、さっき産まれたようなもんだし、無いのか」
「うん。私に名前はない。好きに呼ぶといい」
「そうか……じゃあ、メリュジーヌ」
「メリュ、ジーヌ。うん、気に入った。ありがとう。君の名前は?」
「俺?俺はベセト。よろしく」
これが、俺と彼女……メリュジーヌの出会い
それからは怒涛の展開だった
「妖精騎士になったよ、ベセト!」
「はぇー、凄いじゃん」
「これでずっと一緒に居られるね!」
「……ん?」
どうやら俺の存在を容認する代わりに妖精騎士になったらしい。しないとこの國を焼くと女王に言ったとか
もう隠れ住む必要は無くなったとの事で、いつのまにか建っていた彼女の家に住むことになった
「ちなみに、今のベセトの立場は私の部下。ベセトは私のものだし、私はベセトのものだから、あんまり気にする必要は無いけどね」
「お、おう…?」
「ベセトに何かあったら妖精國を焼くから。だから──私から離れないでね?」
こうして俺は、國が滅びて二人仲良く死ぬまでの僅かな時間を、彼女と過ごす事になったのだ
主人公の名前の由来は『STEVE』を並び替えて『VESET』です
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