灰髪の女学生アルフィア・クラネルの魔法は教師陣から見ても異質だった。今まで見た事も無い属性に戸惑いを覚える。
闇属性のようなおどろおどろしさは無く、見た目は風に近いが光とも違う。何とも判断しづらかった。
周りが静寂に包まれている時、彼女はレベルが低い為か、酷く疲れを覚えて額から脂汗を垂らした。
自分の感覚では
メイドのキトリーがタオルを持ってやってきた。
「凄い汗でございますね、お嬢様」
「……この魔法は思いのほか疲れるようだ。何とも燃費が悪い」
日陰まで移動し、休憩に入る。
魔法を披露したのでこれ以上は無理だとキトリーに伝えさせた。
前世の今時分のころを思い出すともう少し我慢強かった気がした。といってもその時は最愛の
(……今世に最愛は存在せず。私の頑張りも今一つとなっている。……何とも不甲斐ないな)
普段から閉じていた目蓋を開け、緑と灰色の色違いの瞳で空を見上げる。
冒険者ではない今の自分は強者という程ではないということか、と。
常に戦いのある日々ではない。魔王という驚異こそあるようだが――十五年の平安は良くも悪くも心地よかった。
(お嬢様の顔色が……。早めに早退させませんと)
快方に向かっている筈なのにアルフィアの活動時間はあまり芳しくない。
元々学業に専念できる身体ではないのかもしれない、とキトリーは心配を募らせる。
尊大で乱暴者というわけではなく、メイドや領地の心配をしてくれる心優しいお嬢様だ。
寮に戻ってもクラネル領をどう発展させようか日々勉強している事を知っている。
学生らしく剣と魔法に興味を持ち、無茶な行動に出るかと心配していたが思いのほか大人しく過ごしている事に最初は驚いたものだ。
音の魔法を披露したことで他の生徒や教師陣が興味を持ったようだが、
一日を置いて体調が落ち着いたアルフィアは登校する事にした。キトリーとしてはもう少しだけ休んで欲しいと思っていたが彼女の意志を尊重した。
どの道、今日休もうが明日にしようが大して変わらないと言われてしまったので。
あまりに心配してくるキトリーの為に午前の座学を欠席し、午後の課外授業に出る事にした。元々魔物との戦闘を目的としていたので、こればかりは出たいと強めに言った。
「休んでばかりでは強くなれん。それに身体能力を上げるにはレベルアップは欠かせない」
「……そうなのでしょうけれど……」
「それより手配させたアイテムは手に入りそうか?」
「冒険者組合というものに人を遣りましたので数日中には返事が来るかと」
メイドの返事に満足し、アルフィアは食堂に向かった。
廊下を歩いていると先日の偽ユミエラ騒動は起こらず、そのまま食堂の席に着く事が出来た。結局のところ、
前世の十五歳当時、妹の為に必死で冒険者業に務めていた日々を思い出す。
血反吐を吐きながら敵対派閥との抗争とダンジョン深層への挑戦を繰り返していた。確かに強くなったが嬉しさはどこかに無くしてしまった。
(……そうだ。特効薬も無く、すり減る命の灯火に私の心は酷く荒んでいた)
唯一の光明は妹に子が出来た事だ。成長を見る事は叶わなかったが、暗黒にも等しい心に光りがあるとすればそれだけだった。
たった一点の希望が前を歩く原動力となった。
けれども、今世は何もない。妹も
「……やはり食指が動かんな」
軽めの料理を頼もうとしたが食欲が湧かない。
無理にでも食べなければ衰弱するだけ。これはもう拒食症と変わらない。
前世でもそうだったが生きる事に意味が無いと何事にも懸命になれない。だが、今世は違うはずだ。
アルフィアは目の前に何も無いテーブルを見つめたままため息をつく。
他の生徒はさっさと朝食を食べ終えて教師に向かっているというのに。
(空腹を感じているが意欲が湧かない悪循環……。せめてスープでも頼みたいところだが……)
このままでは王立学園に居られるのもあとわずかな気がする。であれば――もう少し好きにしても構わないだろう。
余命の事は置いといても今の自分は学生だ。その本分は学びであるわけだが、学生としての楽しみはそれだけではない。
病気という枷があるものの比較的自由である事は確かだ。
そうと知れれば行動は早い方がいい。
そう思い立って教室に向かおうとしたが極度の空腹により
医務室送りになった後は薬湯を飲まされたことで一応、空腹は免れた。
食事は無理でも薬ならば受け入れられるようだ。何ともままならぬ身体だ、と呆れる。
(冒険者ではない私はこんなものかもしれない)
不思議と納得できた。
その後、メイドによって寮に戻された。もはや授業を受ける事もままならず、自主退学の手続きを取った方が周りに迷惑がかからないのではないか、と。
そんなことを思うほど学生でいる意味を見失う。
それもこれも姿を見せない両親のせいだ、と恨み言の一つも言ってやりたくなるというもの。
キトリーお手製の食事を堪能しつつ数日程休学し、登校を開始した。
頻繁に休むので授業にもついていけなくなるかと思ったが、心配したクラスメイトがノートを持ってきてくれた。
彼女達と親しくなったわけではない、と思っていたが自分以外はそうでもないらしい。
この国の学術レベルを知るには学びを修めるしかない。それを諦めれば何もする事が無くなる。それはとても勿体ない。
気持ちを新たに教室向けて歩いていると複数の男子生徒の姿が見えた。
(……そういえば今日は絡まれないな)
男子に言い寄られる事は無いが女学生からはよく思われていないことは知っていた。
キトリーの
バルシャイン王国についてまだ理解が及ばない事があるらしい、と思いつつため息をつく。そんな彼女の背中を心配してついてきたキトリーが
通りすがる男子生徒は金髪の第二王子のエドウィン・バルシャイン。他の女生徒のように騒ぎ立てず軽く一礼する。これは単に顔見知り程度の認識での挨拶だ。
相手方は王子だけ軽く手を上げたがお付きの二人――ウィリアム・アレスとオズワルド・グリムザード――は機嫌悪そうにしただけだった。
礼を解いて手の甲を上にし、
「軽く私と踊ってくれないか?」
(……こんなところで!? なぜ、ダンスを……というか廊下で……)
そうアルフィアから言われた第二王子は少々面食らったが淑女からの誘いを無下にするわけにはいかないと思い、彼女の手を取る。
お付きの二人は何か言いたそうだったが王子の決断に苦虫を噛み潰したような顔のまま黙った。――キトリーも
五分も経たずに踊るのをやめ、互いに一礼する。
(……アルフィア嬢のダンスは可もなく不可もなく……。近づいて何かを囁くような不純も無かった)
現場が学園内の廊下でなければ華やかだっただろう。
そのまま立ち去るのかとエドウィンは思ったがアルフィアは顔を上げたまま少しの間、黙っていた。――両の目蓋が閉じたままなので立ったまま寝ているように見えなくもない。
病弱で欠席の多い女学生。それ以外は目立った事は無いが良くない噂が付いて回っている事は承知していた。
殆どが
「……度々で申し訳ない。厚かましいお願いではあるが、どうか聞き届けてほしい」
居住まいを正したアルフィアは平身低頭の態度でエドウィンに言った。
多くの女学生から愛の告白などを受ける事がある彼らにとってまたか、という事態かと勘ぐった。
前回は唐突に婚約者だと
「改めて……。私はクラネル辺境伯が娘アルフィア。この度は無礼を承知で第二王子にお願いしたき儀がございます」
至極丁寧に紡がれる言葉は傲慢なものではなく、貴族淑女としての柔らかさがあった。
少し興味があったのでエドウィンは無下にせず、言葉を続けさせた。本来、格上の相手の言葉が無い限り隠したから発言すべきものではない。しかし、ここは身分を問わない学園だ。アルフィアの
内容は消息不明の様な存在になっているクラネル辺境伯の動向について。
十五年も音信不通となっている事態に流石のエドウィンも気の毒に思えた。
(連絡しようにも音信不通となれば心配もしよう。しかもこちらからの接触を拒んでいるとか)
病弱なアルフィアは気軽に王都に向かう事もままならず今まで難儀していた、という事を掻い摘んで説明した。キトリーも補足するように言葉を差し挟む。
王都に居るであろう貴族の動向を探るには上位貴族に尋ねた方が分かりやすいのも頷ける。なにより貴族の知り合いが居ないアルフィアには頼れる手段が殆ど無い。
ダンスに関して、ふと踊りたくなっただけと言った。
言うべきことを述べた後、どうするかはエドウィンに委ねてアルフィアはあっさりと引き下がる。
要望というよりは愚痴に近い。無理にどうこうする気も無く第二王子達から離れた。
メイドのキトリーは気にしていたがアルフィアが何も言わないのであれば黙っているほかない。
(……他の貴族の伝手が無い今、世間話程度が関の山でしょう)
(折角覚えたダンスを披露出来て良かった。……パーティ会場ではなく廊下だったが……)
深刻そうな雰囲気になったがアルフィアの頭の中では言うべきことを伝えた為、気持ち的にすっきりしたようだ。
元々両親については半ば諦めていた。学園を卒業するなり退学なりした時点でもう他人と思うと決めていた。
そうであるならば自分のやりたいことを追求してみるのも楽しみと言える。折角の第二の人生だから。
だからといって浮かれた気分になって踊り出すほど心はまだ若くない。見た目には少女なのだが。
(……浮かれても良い年だったな。しかし、心はまだ老齢したまま……。何とも勿体ない)
殺伐とした冒険者家業ではなくごく普通の少年少女。貴族という階級社会の一員ではあるものの荒んだ心では希望も何もあったものではない。
メイドのキトリーにしても領地を任せている家令達や領民の為にも令嬢としての振る舞いを今一度学ぶのも悪くない、と思えてきた。
魔王の復活という驚異こそあるようだが世間的にはあまり
「お嬢様。午後の授業はお休みになられた方がよろしいのでは?」
「……いや」
魔物討伐の授業はどうしても出たかった。その為に午前の授業を取り止めて保健室で過ごす事にする。もはや一日をまともに過ごすことなど出来ないと理解していた。
無理をしているようだが休める時はしっかりと休むアルフィアにキトリーは僅かばかり安堵する。
小さなころから病弱であった貴族令嬢のわりに下々の事を気に掛け、決して我儘な態度を見せない。――貴族らしくないと思われているが従者たちからすれば手のかからない子供に見えた。
要領も決して悪くない。
難点は虚弱である事と食が細いところだ。
(体力は減る一方……。でも、ご学友との交流も無視できない)
アルフィアを保健室に連れて行き休ませた。
体力が無い為か、すぐに寝入ってしまう。
楽な仕事かと言われれば――他人から見ればそう見えてもおかしくないくらい楽である。しかし、それに胡坐を好くメイドはクラネル領には殆ど居ないし、キトリーの記憶の中でも手抜きをしている仲間の姿は思い当たらない。
楽だからこそ競争率が激しく、手抜きをしようものなら容赦なく解雇される。いくらアルフィアが大人しくても執事やメイド長の目は誤魔化せない。
付き添いも苛烈な競争に勝ったからこそ得られた仕事だ。そう易々と渡しはしない。このことに関してアルフィアは特に関わっていないがご機嫌取りはあまり得策ではないとキトリーは学んでいた。
午後の授業が始まる少し前にキトリーに起こされたアルフィアは自身の体調を
派手な吐血をする事があるが体調としては悪くない、という判断を下す。
第二の人生にしては先が思いやられる。
(……平和だ。常に敵対派閥と争っていた時代が懐かしく感じるほどに)
血の気は多い方ではない彼女は静かな時を好む。そして、それが今正に訪れている事に気づくまでしばしの時を要した。
喧騒は無く、学生達の賑やかな声が微かに聞こえる。
灰髪の少女は閉じた目蓋から手を伸ばしても掴めなかった至福を得た。だが、満たされない。
彼女の隣には何も無いから。
「……ここが私の部屋だったら楽なのにな」
「消毒液の匂いの中での生活はちょっと……」
苦笑を滲ませるキトリーに冗談だ、とアルフィアは微笑みかける。
素早く身支度を整えた後、そのまま校外に向かう。
着替えは必要なく、武器等も現地で支給される。
王立学園の敷地は広く、森と山があるためか魔物をおびき寄せる事も出来るという。
魔物との戦闘はほぼ集団戦。
前衛と光栄を複数人用いて一匹の魔物を滅多打ちにする。
(生徒達の怯え具合から彼らは戦闘に不慣れなようだ)
経験を積んでレベルアップする為には複数人での戦闘は非効率過ぎる、と考えるのは黒髪の女生徒ユミエラ・ドルクネス。
アルフィアはレベルアップ自体が未だによく理解できていない。――前世の記憶では強い魔物を倒したり偉業を成せば格段に強くなるのだが、この世界では同じことが出来ないようだ。
何となくだが魔物を倒して経験を得ていけば自然とレベルが上がる、ということは教わっている。であれば強そうな魔物を複数人で倒しても大して経験値は得られない筈だ。そうでなければ強者が多く居ない理由にならない。
ゲーム的な思考が出来ないアルフィアとは違いユミエラは
「……効率が悪い」
ため息交じりにユミエラは呟く。それをアルフィアは小耳に挟んだが言葉を掛けなかった。いちいち反応する必要がなかっただけだ。
支給された剣の調子を見つつ魔物が自分に襲い掛かってくるのを待っていた。
教師は無暗に近づくと危ないから遠距離からの攻撃を推奨しているが経験を得る為には近づくほかない。
彼らを襲う魔物は黒い狼の様な存在で倒すと身体が掻き消えて魔石を落とす。
(数が少ないから私の分が来ないな)
アルフィアは剣を持ったまま佇むことになった。範囲魔法を扱うので支援もしずらい。
少し退屈していると何処からともなく笛の音が聞こえた。そして、魔物が大量に襲ってくるから気を付けろ、と警戒を促す声が轟いた。
その言葉の通りに森から今までは散発的だった魔物が数を増して現れる。
生徒達は恐怖に
力こそ弱体化しているが別に怖がるほどの脅威とは思えなかった。この世界の基準でレベル7程度でも充分に戦えているし、それほど後れを取っていない事に安心した。
怪我をすればすぐに回復ポーションが与えられ、重傷者はユミエラの回復魔法で事なきを得る。
過保護過ぎる内容だとアルフィアは感じたが概ね
そして、何度か魔物を呼び寄せた笛こそ『魔物呼びの笛』というアイテムであると知れた。
「……はっ。もっと吹き鳴らせ。強くなるには……」
少し興奮したアルフィアは眩暈を覚えて倒れ込んだ。
気付いたユミエラが配給されたポーションを持ってきて彼女に飲ませる。
外傷は無く、病気に効くかどうかは考えに無かったが少し経つとアルフィアの呼吸が治まったので安心した。
生徒達の増強も大事だが病弱なアルフィアに無理をさせる事も出来ない。――彼女のメイドの怒り顔を思い出して自重する事に決めた。
魔物の気配が治まった後、まずアルフィアを木陰に運んでおく。
(他の生徒と違い、彼女は随分と好戦的だった。……嫌いじゃないぜ)
と、一人で不敵な笑みを浮かべるユミエラだった。
一部を除けば大混乱だった授業が終わり、アルフィアは女性教師に支えられて保健室行きになった。もはや自室や教室より滞在時間が長くなったのでは、と思われる程に。
学園では生徒達に魔物を倒させる授業があるがやる気を出しているのは病弱なアルフィアを除けばユミエラだけであった。
保健室の
「他が怖がるなら魔物は私達だけで倒せば良かろう」
そう主張するも他の生徒達の為にならないと教師が異を唱える。側に居たユミエラもたくさん魔物を倒したくて退屈を覚えていたのでアルフィアの意見には賛成だった。
大多数は恐怖におののいているのでアルフィアの要望は容易く却下されることになる。
レベルアップにしろ、強くなるには魔物との戦闘を経験しなければならない。その点について教師達はあまり重要視していないようだ。
安全に無理なく魔物と戦いましょう。――そんなことで本当に強くなれるとは到底思えないし、学生達は魔物の脅威から人々を守る事の筈だ。
(……このやる気の感じられない空気感は何なのだ? ごく一部の生徒だけ強ければいい、という考えなのか?)
煮え切らない授業に早くもアルフィアは疑問を抱いた。
そんなのんびりした調子のまま気が付けば夏休みになっていた。勉学にしろ、魔法や魔物討伐にしろ、王立学園で充実した生活というのはついぞ経験できなかったように思われる。特にアルフィアにとっては。
休み期間中、他の生徒達は実家に帰省する者が多くアルフィアもそうする予定だった。
メイドのキトリーが機敏に機敏に動き回る様子を眺めつつクラネル領の事に思いを馳せる。
(辺境伯領は外国勢力や魔物との戦いにおいて危険度の高い場所の筈だ。それなのに何の報告も来なかったな。守護騎士団が優秀なのか、私に気を使っているのか)
生まれてこの方、危機的状況は病気のみ。驚異ではあるが今すぐどうこうするものではないのが普通なのかもしれない。
とにかく、実家に帰って従者たちの様子を見て――おそらく半分以上は静養する事になる。
とても大事に扱われる事は元冒険者であるアルフィアにとって退屈以外の何ものでもない。平和である事が望ましいのは理解している。
帰省したアルフィアは両親の居ない自宅でたくさんの従者に出迎えられた。久しく見ていなかった者達の元気そうな表情にひとまず安堵する。
メイド長のクソアーヌと対面し、改めて名前について軽く唸る。――どうしても気になって仕方がない。
家長の居ない執務室に赴き、領地の様子について大雑把な報告を受けてた後、山積みの書類に目を通す。といってもほんの数枚だけだが。
その後は浴槽に連れていかれて就寝を促され、お抱え医師に着こまれて数日程療養生活を強いられる。
後日改めて領内事情について従者たちと言葉を交わす。それと頼んでいたアイテム類が届いたので受け取る。
「国境最前線なのに随分と平和なのだな。……この報告が間違っていなければ、だが」
「そうですね。境界線の向こうに外国勢力が陣地を構築している、というような報告もありませんし、村落の襲撃報告もありません」
「大なり小なり魔物との遭遇はあるようですが、この辺りには強い魔物が居ないのかもしれませんね」
魔王が居るのに平和でいる事に疑問を覚えるが何も被害が無い、と言われればそうかとしか言いようがない。
領主代理の様なアルフィアに出来る事はある程度の命令だけだ。率先して戦いに赴く事は執事達に止められてしまうし、弱い自分は
辺境伯当主が不在でも娘のアルフィアが代理領主として書類にサインする事に支障が無いらしい。ただ、これが正しい事なのか判断できないのが問題だった。
(判を勝手に押していいものか? 貴族の知り合いが居ないと駄目だな)
黒髪で忌み嫌われているユミエラ・ドルクネス以外では第二王子くらいしか面識がない。他の生徒とは何故か触れ合ってこなかった事を今更ながら思い出す。
その後、体調を考慮し、無理のない範囲で過ごした。残念なことがあるとすれば領内の視察が出来ない事だ。領主代理とはいえ領民と触れ合えないのは
天気が良い日は庭に出て軽く鍛練し、自領に存在するダンジョンに向かう計画
自室の窓から外の景色に顔を向けて、比較的穏やかな日常を過ごせているな、と。
毎日のように騒動が起きても困るが、平和である事は悪いものではない。
(こうしてのんびり過ごしていると時間が物凄い速さで過ぎていく。夏休みもあっという間だろうな)
もう少し健康的であれば自領の視察に赴くのだが呼吸が苦しくで外出もままならない。
不自由な生活に嫌気を刺して三日ほど過ぎた頃、突如ユミエラ・ドルクネスが訪れた。近くを通りかかったので寄ってみた、という言い分で。
追い返すのも可哀そうなのだがキトリーが敵認定しているので機嫌が物凄い悪い。
学友という事でまずは客間に案内して適当に持て成しておけ、と従者たちに命令しておいた。代理とはいえアルフィアがクラネル領の代表者だ。一度命令すれば従者は従うほかない。
来客用の服に着替えるのは手間だし身体に負担がかかるので寝間着姿のまま移動する。これには従者達も意見は言わなかった。
「お邪魔しています」
貴族としての最低限の挨拶を述べるユミエラの姿は黒い靄に覆われていた。相も変わらない姿に安心感さえ感じるほど。
お互いが椅子に座ったところで軽食が運ばれた。
「立ち寄っただけだと聞いたが……、良ければ街も見ていくといい」
「うん、そうする」
話すほどの話題は無かったがまずはユミエラの用件を聞く事にした。とはいえ、大した用はないようで込み入った話しは無かった。
別の伝手で
魔獣が居る事は知っているが
アルフィアにとっては因縁の相手でもあるが――弱体化した今となってはどうする事も出来ない。
「貴女が病気なのは聞いていたけど……、重いのだろうか?」
「そうだな。肺病だそうだ。生まれた時から
特効薬といえる物は無く、空気の綺麗な場所で静養するのが精々だと言った。
病気を癒す魔法でもあればいいのに、と呟いた。
レベル99であるユミエラとて病気を癒す魔法は習得していない。
「薬が駄目なら病巣を丸ごと消し去ってから癒しの魔法で治すくらいか? そんな事が出来れば、だが」
「……う~ん。やってみましょうか?」
(強引な方法なら出来るかもしれない。もげた首すら繋げた私だ。頑張れば出来るかも)
必要な魔法はすぐに思い浮かんだ。ただ、周りに控えている従者達が物凄い形相で睨んでいるのが気になる程度――
最初こそ血生臭い出会いだったが敵対せずにいるのはアルフィアの優しさだろうか。黒髪に対する忌避感も無い。
同じクラスメートやアリシア・エンライトは未だに怖がっている。
病を癒すと言っても方法が血生臭い事はユミエラも
間違いなく怒られる。
人から嫌われることが多いから慣れたものだと思っていてもやはり気持ちとしては嫌われたくないし怒られたくない。
(裏ボスだけど好感度上げたい)
それと最近友達と呼べる存在が出来た。――アルフィア以外で。
そういえば、とユミエラは思う。友達の家に遊びに来たのは今回が初めてではないだろうか、と。
今度、ドルクネス領に誘ってみようかな、と思いはしたが病弱ゆえに移動が難しい事に気付いた。ならば、なんとか元気になってもらわねばまるいと強く思う。
「病巣を消し去るとしてもやっぱり血が飛び散ると思います。私の魔法は……その……見た目がグロくなるので」
「……何となく予想は出来るが……。どの道、長く生きられるとは思っていない」
(それでも十五ほど生きられたのは奇跡ではないだろうか)
(局所的に『ブラックホール』を発生させてすぐに『ヒール』をかければ……)
まずは邸宅自慢の浴槽に向かう。
ユミエラより
装飾こそ派手さはないが貴族らしい造りに感動した。だが、アルフィアはここを従者達に使わせて自分は自室のこじんまりとした浴槽を使っている。理由は単純に広すぎると思ったからだ。
移動範囲が狭い彼女は邸宅の殆どを従者に開放している。それこそ好きに使え、と。
(アルフィア嬢は痩せ型体型だけど凄くスタイルがいい。灰色の髪だけどパトリックとの繋がりはないみたいだし)
身体をバスタオルで巻いたアルフィアを見て感心した。――浴槽の中に入る為にユミエラも裸になった。あと念のためにメイド達も控えている。
大量の
ゲームの知識があるユミエラは知っていたがアルフィアは専門用語に理解が無いようだった。ゆえにこの世界特有の
『乙女ゲーム』の『光の魔法と勇者様』を散々やり込んだユミエラもクラネル領やアルフィアという
(私は『ヒカユウ』の知識があるけど彼女は全くの素人のようだ。しかも病弱令嬢。こんなキャラクターはやっぱり私の知識には無いな)
それとクラネル領が本当に実在している事も驚きだった。少なくともここは広大な森の一部だったと記憶している。もちろん魔物が住む人跡未踏の地だった。
ちゃんと物流が発達、発展しており、王国の歴史にも記載されている。――教科書に明記してあった。
余計な雑念に囚われている内に用意が整った。
(……魔法を使ったらおっぱいが消えそう。ちゃんと治るかな?)
腕一本の再生は確認済みだ。だから、頑張れば出来ない事は無い、と思う。
ユミエラとて失敗は怖い。レベル99とて気持ち的には普通の少女だ。表情筋が死んでいても何の感情も無いわけではない。
ゲームの中のユミエラというキャラクターの仕様だから仕方がないと言い聞かせている。
従者に止められる事を危惧したのでアルフィアに人払いを頼んだ。自分が言えば絶対にメイド達は移動しない。こればかりは確定事項と諦めたので。
アルフィアの言葉に渋々従ったメイド達は浴室から退出する。元気な姿になるよう祈っていてくれと彼女の言葉を聞いて、まるで今生の別れのようになってしまった。
一応ユミエラも全力を尽くします、と言っておいたが睨まれた。
まずポーション類が魔法に巻き込まれないようにバッグに詰め込んで腰に巻き付けておいた。
アルフィアには硬い良し繋いで仰向けに寝転がってもらった。それとタオルを取る。
他人の裸体にしばし赤面しつつ。――魔法を使ったらタオルは吸い込まるのではなかろうか、という事実に気付いてより恥ずかしくなってきた。ただ、寝ているアルフィアは大人しかった。
「胸を大きく削ることになると思いますし、たぶん相当痛いです」
「……ああ。覚悟しておこう」
まずは布巾を噛んでもらい、後は耐えてもらうだけだ。
イメージは出来ている。実際に使えばどうなるかが問題だ。しかも他人の身体だ。失敗も想定しなければならない。
頭が吸い込まれたらアウト。即死してもアウト。
レベル99の本領を発揮してもらわなければ自身は単に貴族令嬢を殺した殺人犯になってしまう。――そうなっても国外逃亡するだけの自信はあるが、後味が悪いのは嫌だなと思った。
(基本的に魔法はイメージでどうにかなる。強弱も範囲も。局所的に小さく出来た魔法があるからきっと大丈夫)
自身に出来ると言い聞かせつつ何度も深呼吸を繰り返す。
他人を救うための魔法は実のところ持ち合わせていない。それは光属性のキャラクターの役目だと思っていた。
ユミエラは闇属性のみ。傷を治す魔法こそあるが万能には程遠い。しかし、大抵の傷は治してきた。
両手を開いたり閉じたりしつつ軽く魔法の練習をしてみた。
一瞬で出したり消したりは出来ないようだが数秒であれば問題は無いと自信がついた。
(……肺は大体この辺り。魔物を倒すのは得意だけど医療となると……レベル99でも自信が持てない。最悪、病気が治らない事も想定しなければ)
ふと自分の胸とアルフィアの胸を比べてしまった。
巨乳というほどではないが形のいいおっぱいが目の前にある。つい悪戯心が騒ぎ出し、触りたくなるものの強靭な精神力にて自制する。
それにしても自分の胸は慎ましやかで寂しいな、と思わないでもない。――あくまで個人の見解だ。
「では、気をしっかり持っていてください。……ブラックホール」
アルフィアの胸部付近に黒い靄の塊のようなものが発生した。
範囲内にある物質を吸い込む闇属性の魔法である。
頭が吸い込まれないように注意していると骨が砕ける音が聞こえてきた。
聴力も抜群に良いユミエラは彼女の身体が粉々になる様に眉を寄せて顔を
吸い込みを防ぐために彼女の頭を掴み、すぐに治癒魔法を唱える。
ほんの一瞬とはいえ人間の身体が修復不可能なほど崩れる様はユミエラとて吐き気を覚えるほど。というより元々現代人であった彼女は人体の損壊に慣れていない。平気そうな顔をしているけれど内心では慌てていた。
(魔法を使う前からグロい。自分でやったこととはいえ内臓がここまで見えている状態はちょっと……。ちゃんと再生しますように、再生しますように)
心臓が損壊しているし、即死も危惧したが魔法は今のところ順調に効果を発揮している。
少し時間がかかっているように感じるのは自分が焦っている証拠だ。少なくとも一般生徒に比べれば早い方と言える。
浴室の床に大きな穴が開き、血も結構飛び散っている。再生の都合で腕が余計に増えていたりしたが本体は形を戻ししあった。
思った以上に消費した魔力を補いつつ治癒魔法に全力を尽くした。
体感時間では三十分から一時間ほど。実際には数分程度かもしれないがアルフィアの身体はきちんと元の形を取り戻した。
意識の回復に時間がかかるとしても――問題があるとすれば病気が治ったかどうかが分からない所だ。
あくまで病巣を削り取っただけで完治したかどうかは専門家に任せるしかない。
(ちゃんとおっぱいも復元できた。……さすがレベル99。失敗したらどうしようかと思ったけれど……。……本当に良かった)
壊れた浴槽については謝るしかない。弁償したくても手持ちがない。最悪、アルフィアの下で働く事も覚悟しておこうと決めた。
後は飛び散った血をどうやって洗い流そうか、悩む。
人体が完成してから心臓が動いているかどうか確かめてから従者を呼んで対応してもらう事にした。事前に色々と説明したはずだが現場の惨状に何人かのメイドが悲鳴を上げた。
どの道、隠しようがない。大きな音も鳴った筈だし。
「病気については分かりませんが最善を尽くしました」
「……お嬢様の命令が無ければ捕縛命令が出せたのに」
(……貴族令嬢を殺しかけたのだから仕方がない。でも、故意とはいえ依頼を受けてやったのだから文句を言われる筋合いはない)
「みんな、今回はお嬢様の指示によって
と、メイド長が手を叩きながら周りに控えていた従者たちに言った。
ついで壊れた浴槽の修理の為に業者の手配も
ユミエラは黒髪で闇属性の魔法を扱う事で身内にも嫌われていた。灰色の髪もあまりいい印象を与えないらしいがクラネル領では世間の風潮とは違っているようだ。
それとユミエラに客室が与えられ、改めて食事が振舞われた。アルフィアの意識が戻るまで軟禁させてもらう事を伝えられたが大人しく従う事を約束した。元より自分も
一人になった時、肺病の事を考えた。
手術が難しく特効薬も無さそう、という事は何となく理解した。今回の事で丸ごと病巣を消したから再発は無い筈だが、転移するような病気であれば今すぐでなくともいずれまた再発可能性がある。その時はまた消せばいいのかもしれない。
元より魔法という超常の力で強引に消し去ったり再生させたのだからきっと大丈夫のはずだ。治癒魔法が病気も復活させるようなものでないかぎり――
実のところ病気を癒すには光魔法が有効であることをさっき思い出した。ただ、その
「健康な身体で育った私は運がいいんだろうな」
(しかも裏ボスだし。……嫌われるのは……)
ゲームのユミエラ・ドルクネスは悪役令嬢だ。嫌われ役のキャラクターなのは本人も理解している。今はストーリー展開を変えて平和に過ごそうと活動していた。レベル99という事をすっかり失念して平和的な生活が脅かされているけれど、当人は至って平和主義な人物であると思っている。
折角の異世界――ゲームの中だが――転生なのだから楽しみたい、と。
その後、宿泊する事になり翌朝にはアルフィアの意識が戻ったと連絡を受けた。