鈴木先生、教わったことは(おそらく形を変えて)ここに生きています。
末川先生、深いお言葉を遺されていたのに、漠然と覚えているだけだったこと、申し訳ありません。
この日の午後、私・黒鉄清霜はその日の勤務を終えて…
この日の勤務は提督執務室棟でのデスクワークだったんだけど、何だかいつもより忙しく感じた。
忙しい日を乗り切った自分にご褒美を!と思って、私は「間宮」に行った。
テーブルに着いて、注文を取りに来た伊良湖さんにアイスクリームを頼んだ。
それでアイスクリームを待つ間、ふと、この前武蔵さんと話したことを思い出した。
…ツイフェミ、の話を。
なんでこのタイミングでこの話を思い出したのかは自分でもわからない。
けど何故かこのタイミングで、私はツイフェミについて考え始めていた。
あの人たちは、自分たちは女性に対する差別に反対し、女性の正当な権利のために声を上げている…と言い張っている。
不当な差別に立ち向かうことも、正当な権利を求めることも悪いことではないはずなんだけど。
あの人たちがしていることは、やっぱり悪いことのように見える。
ここで正当な権利という言葉が出た。
権利とか人権とかは、私もなんとなーく使う言葉だ。
でも権利とか人権とかについて自分がどれだけわかってるのかと聞かれたら…。
…よくわかってない。
ホントになんとなーく「生きていく上で大切な何か」ということしか、わかってなかった。
ツイフェミの人たちが「差別反対」とか「正当な権利」とか言っているのが、どうして悪いことに見えてしまうのか?
それを理解するために、まず私が権利とか人権とかについて考えてみることにした。
前にも言ったかもしれないけど、この時代は私たちが艦だった頃から本当に進歩してると思う。
ちょっと気になることがあったら、本屋や図書館に行くまでもなく、思い立ったその場で(ある程度)調べることができる。
私はスマホを取りだして、「人権」をキーワードにして検索を始めた。
1776年にアメリカで宣言された「バージニア権利章典」が、世界で初めての「人権宣言」。
その第一条には、こんな一文があった。
全ての人は生まれながらにして等しく自由で独立しており、一定の生来の権利を有している。
「バージニア権利章典」の後に出た「人権宣言」…フランスの人権宣言とか、1948年の世界人権宣言にも、似たような一文がある。
そしてこんな一文は、どの「人権宣言」でも「第一条」に書かれてる。
全ての人は生まれながらにして等しく自由で独立しており、一定の生来の権利を有している。
人権について調べ始めはしたけれど、私の考えはこの一文から先に進まなかった。
ここで注文したアイスクリームが私のテーブルに届いた。
伊良湖さんにありがとうと言ったときに、お店の中を見回したら…。
…何だかお店の中が混雑してた。
甘味処「間宮」は、海神警備・岩川台営業所の福利厚生施設なんだけど、近所の人…人間も利用できる。
この時お店を混雑させていたのは、近所の人たちが殆どだった。
なんで今日に限って、こんなに人が集まってるんだろう?
今日、何かイベントとかあったかな?
記憶を検索してみたけど、どうも心当たりがない。
…でもまあ、
私は混雑のことは気にせず、注文したアイスクリームを口にした。
そう言えば、私は一人でお店の四人席を独占していた。
お店が混雑している時に、四人席を独り占めしてるのは拙いんじゃないかなあと思い始めたとき…。
「あ、清霜ちゃん…ごめんなさい、相席しても良いかしら?」
市松模様(ベージュと茶色)のロングスカート、白いシャツの上に、ベージュの、ゆったりした…というよりダボダボのパーカーのような上着を羽織った、髪の長い女の人が現れた。
同僚の、黒鉄扶桑さんだった。
「あ、扶桑さん…良いですよ、どうぞ。」
私が良いですよと言うと、扶桑さんはニッコリと微笑んで私の正面に座った。
即座に伊良湖さんが注文を取りに来た。
「ホットコーヒーと、この…フィナンシェの金塊盛りをお願いします。」
扶桑さんはコーヒーとフィナンシェ…洋菓子を注文した。
扶桑と言うと、やっぱり日本茶と和菓子…と言うイメージがあるんだけど、扶桑さんはコーヒーとフィナンシェを注文した。
扶桑というと、なんとなーく和装というイメージがあるんだけど、私の前に居る扶桑さんは洋装だ。
余所の…海上防衛隊S港基地の扶桑さんは、街で見かける時はだいたい和服なんだけど…。
私は
「何かしら?」
「あ、すみません。扶桑さん、お茶じゃなくてコーヒーなんだと思って…扶桑って言うと、やっぱりお茶ってイメージがあるから…。」
「………。」
「ご、ごめんなさい、何か失礼なこと口走っちゃって…。」
「それはお互い様よ。私も、清霜と言えばスマートフォンで調べ物をしているより、
扶桑さんは私の失礼を許してくれた。
「それで、スマートフォンで何を勉強していたのかしら?」
「はい、この前武蔵さんと…。」
この前武蔵さんとツイフェミについて話したこと。
ツイフェミはよく差別反対とか女性の権利を、とか言っているけれど、ツイフェミの言うことにはどうも違和感を感じること。
…そして、なんで自分はツイフェミの言っていることに違和感を感じるのかと思って、まず人権について考えてみることにしたこと。
私はこれらのことを、扶桑さんに話した。
「調べ始めたのは良いんですけど、初っ端から行き詰まっちゃったような感じなんです。」
「それこそ、世界で初めての『人権宣言』のところから、ですね。」
「全ての人は生まれながらにして等しく自由で独立しており、一定の生来の権利を有している。」
「…っていう所から、なんですけど…。」
私がここまで話した所で、扶桑さんの注文したものがテーブルに届いた。
あ、私のアイスクリーム、溶けちゃう溶けちゃう…。
扶桑さんは届いたコーヒーを一口して、言葉を始めた。
「清霜ちゃん。」
「は、はい、何ですか?」
「全ての人は生まれながらにして等しく自由で独立しており、一定の生来の権利を有している…って、言うけど。」
「はい。」
「…これ、嘘よ。」
…!?
嘘?
全ての人は生まれながらにして等しく自由で独立しており、一定の生来の権利を有している。
こんな感じの宣言は、どの人権宣言でも一番最初に出て来てる。
それが嘘って、どういうことなんだろう?
人権って、誰であっても生まれながらにして持ってるんじゃないの?
例えば身長170cm未満の男の人には、人権はないとか言っちゃうの?
「先に言っておくと、例えば身長170cm未満の男の人に人権はない…というような話じゃないわ。」
…え?心を読まれた?
私が戸惑っていると、扶桑さんはそのまま言葉を続けた。
「嘘は、全ての人は
扶桑さんはフィナンシェを一囓り、コーヒーを一口した。
口の中で、フィナンシェにコーヒーを染み込ませて味わっているらしい。
コーヒーを染み込ませたフィナンシェを飲み込んで、扶桑さんはさらに続けた。
「…権利…これはrightとかの訳語なのだけど、これは元々どこで使われる言葉なのかと言うと…。」
「訴訟の場、裁判の場で使われる言葉なのよ。」
「権利というものはもともと、訴訟の場で、裁判の場で相手方と争って、勝ち取るものなの。」
「生まれながらにして
「そしてこれは、単に嘘と言うだけじゃなくて、恐るべき嘘でもあるわ。」
「恐るべき…ですか?」
権利は与えられるものじゃなくて、勝ち取るものだというのはわかったけど…。
恐るべきって言うのは、どういうことなんだろう?
「権利というものは、裁判の場で相手方と争って、勝ち取るものと言ったけれど。」
「この勝ち取る、というのはゲームで…チェッカーやエカルテで相手を負かす、と言うのとはワケが違うのよ。」
「相手方の事情、言い分、気持ちその他を、言葉で、力で捻じ伏せ、押さえつけ、相手方を打ちのめし、屈服させるということなの。」
「裁判で勝つことができれば、権利を認められ、未来を切り拓くことができるけれど。」
「裁判で負けた方は、権利を認められず、未来や夢や希望は奪われ、場合によっては生業を失い、生命まで失うことだってあるわ。」
「権利を勝ち取ると言うことは、形を変えた暴力なのよ。」
扶桑さんは、二つ目のフィナンシェを、一つ目と同じように味わった。
「…私には、このフィナンシェとコーヒーを楽しむ権利があるわ。」
……?
扶桑さん、何を言ってるの?
そう思っていると、扶桑さんは私のアイスクリームに視線を移して…。
「私には、そのアイスクリームを味わう権利があるわ。」
「!?…急に何言い出すんですか、扶桑さん?こ、これは私のですよ?あげませんよ?」
私は手でテーブルに置かれたアイスクリームを庇った。
「清霜ちゃん、あなたは…。」
「私がフィナンシェとコーヒーを楽しむ権利があると言った時、この
「それで私が、そのアイスクリームを味わう権利があると言った時は、私を自分のアイスクリームを奪おうとする敵だと思ったわね?」
「このことは…。」
「敵対関係が無い時には、権利があるとか無いとか言う言葉は意味が無いということを示しているわ。」
「権利があるとか無いとか言う言葉に意味があるのは、敵対関係がある時だということを示しているわ。」
「そして、場合によっては権利があるとか無いとか言う言葉そのものが、敵対関係を発生させてしまうことがある、ということもね。」
少し間を置いてから、扶桑さんはさらに続けた。
「思い返して欲しいの。」
「基本的人権、というものが形になっていった時、どんなことが起こっていたか。」
「
「
「そして人および市民の権利宣言が出された後、フランスでは…国民公会、公安委員会と革命裁判所が、一体どれだけの自国民を殺戮したのか。」
「ジョン王は確かに暗愚だったし、イングランドが
「でも、どんな理由があったとしても力で誰かを吊し上げたり、武力・暴力に訴えたり、人の命を奪ったりすることは…やっぱり恥ずべき事であり、悲しむべき事だわ。」
「自由や権利のためと言って、誰かを吊し上げたこと、武力・暴力に訴えたこと、多くの人々を殺戮したことを、誇らしいこと、輝かしいこととして記述すると言うことは…。」
「…この世には何をしても良い相手がいて、その相手をどれだけ残酷に扱ってもそれは正しい…rightだという考え方を広めてしまうのではないかしら。」
「それこそ、身長170cm未満の男の人には人権がない、というような考え方を、ね。」
「人権…権利、right という言葉は、その成り立ちの初めから争いと暴力に結びついた言葉なの。」
「だから、全ての人は生まれながらにして権利・人権を有していると教えることは…。」
「…困難は暴力で解決するのが当たり前、と教えているようにも見えるわ。」
「全ての人は生まれながらにして権利・人権を有しているということが『恐るべき嘘』だと言うのは、そういうことなのよ。」
扶桑さんはここで、また私のアイスクリームに視線を向けた。
アイスクリームを狙っているのではなくて、早く食べないと溶けてしまうんじゃないかしら、という視線だった。
視線による注意に従って、私はアイスクリームを口にした。
…うん!美味しい!…まだまだ大丈夫!
扶桑さんの方もコーヒーを一口した。
「人権…権利は、裁判や法律によって『認められている』ことで right…正しい、と思われているわ。」
「清霜ちゃん、あなたは…。」
「ツイフェミの人たちが、差別反対とか人権尊重とか言っていることが悪いことのように見える、と言っていたけれど。」
「それはどうしてなのかしらね?」
舌と上顎で押し潰したアイスクリームを飲み込んで、私は扶桑さんの小問に答えた。
「えーと…権利を主張するとか、権利を勝ち取るっていうのは結局、形を変えた暴力なんですよね。」
「…でもその一方で、権利は裁判や法律によって、正しいと認められてる…。」
「だから、ツイフェミが差別反対とか人権尊重とか言っているのは…。」
「…権利っていう正しいと認められているものの裏に隠れて、自分の気に入らない物事に対して一方的な暴力を振るうこと!」
「…っていうことになりますよね!?」
「そういうことよ。」
「…それで、これってはっきり言うと…戦争の時に、敵に対してすること…なのよ。」
…そうか…ツイフェミの人たちが、あの人たちがしていることは、社会に対する戦争なんだ。
そう言えば、あの人たちは時々「戦争反対!」とか言うこともあるようだけど。
……あの人たちの方こそ、周りの人たちに対して戦争を仕掛けてるんじゃない…。
「誰かとの間で、揉め事が起こった時。」
「人間が(そして私たちが)しなければならないことは。」
「それはまず交渉・取引であり、解決を先延ばしにすることだと思うの。」
「…取引とか、解決を先延ばしとかって…何か感じの悪い言い方ですね。」
「敢えてそういう言い方をしてみたわ。」
「でも、ここで言う『交渉・取引』というのはね?」
「先ずお互いが、何をどうしたいのかをハッキリさせること。」
「次に一体何が問題になっているのかもハッキリさせること。」
「それからその問題を解決する方法を見つけ出そうとすること。」
「…そしてその方法を行うために、お互い何かを諦め、譲り合うことなのよ。」
「それと、ここで言う『解決を先延ばしにする』というのはね?」
「言い換えれば、待つ、と言うことなのよ。」
「待てば時間は過ぎる。」
「時間が過ぎるということは、状況が変わるということよ。」
「たとえ今、問題の解決や譲り合いが難しかったとしても。」
「時間が過ぎて状況が変われば、そしてそれを待つことができれば。」
「難しかったことも簡単になるかもしれないでしょう?」
「話し合いでの解決と称して、この『話し合い』に法律による解決を含める人もいるかもしれないけど。」
「法律による解決というのは…『話し合いでの解決』の中では、最低の方法よ。」
「法律による解決っていうのは、裁判を前提にした解決って言うことだから…。」
「…結局それは暴力で解決することと、大して変わらないから、ですか?」
「その通りよ。」
「だから誰かとの間で揉め事が起こった時は、問題が起こった時は。」
「何よりも先に交渉・取引を考えなければいけないし、それが難しければ解決を先延ばしして、待つことを考えなければいけないの。」
「権利を主張し、正しさに物を言わせて相手を捻じ伏せ、屈服させることは、本来避けなければいけないことなのよ。」
扶桑さんはコーヒーを一口した。
「ツイフェミとか、ポリコレとか…正論おじさん、とか。」
「権利とか、正しさというものを盾にして自論や要求を強く主張する人たちは結構いるけれど。」
「この人たちは、自分の主張を通すために、誰かを殺す覚悟はあるのかしら。」
「この人たちは、自分の主張を通すために、誰かに殺される覚悟はあるのかしら。」
「ついでに言うと、身長170cm未満の男の人に人権はないと言ったあの人。」
「あの人は、身長170cm未満の男の人を何人か…誰か一人でも殺す予定があるのかしら。」
「正しさや、権利の有無を主張するということは、本質的に言って誰かと殺し合いをすることに他ならないのだけど。」
フィナンシェを囓って、扶桑さんは続けた。
(あの食べ方には、拘っていないらしい。)
「孔子は…魯の国で何か公職に就いていた時、魯の国を訴訟のない国にしたいと言っていたわ。」
「宮澤賢治は『北に喧嘩や訴訟があれば、つまらないから止めろと言い』と書いていた。」
「元は
「やっぱり理想の世界っていうのは、まず争いのない世界なのよ。」
「法の理念は正義であり、法の目的は平和である。だが、法の実践は社会悪とたたかう闘争である。」
「…誰かの格言・名言みたいですけど、誰の言葉ですか?」
「法学者、末川博先生の言葉よ。」
「末川先生はこの言葉で、法の実践は社会悪と『たたかう』ことであると仰っているわ。」
「でも末川先生は同じ言葉の中で、法の理念は正義で、法の目的は平和である、とも仰っている。」
「私はこの言葉でしか末川先生のことを知らないから、私がこんなことを言ったら怒られるかもしれないけど。」
「末川先生の言葉は、今ならこういう風に言い換えられるのではないかしら。」
「あるいは―――これこそ、身の程知らずな想像なのだけれど。」
「『正しさ』という暴力が人の心を荒ませているところを、末川先生がご覧になったら。」
「末川先生は、こういう風に仰るのではないかしら。」
こう言ってから、扶桑さんはコーヒーを飲み干した。
「法の実践は社会悪とたたかう闘争である。」
「生きるために、自由のためにたたかわなければならない時はある。」
「だが誰かを、何かを社会悪と断じてたたかう前に、まずは省みてほしい。」
「自分の、自分たちの側に、本当に譲るべき点はないのか。」
「自分は、自分たちは、本当に待つことはできないのか。」
「この闘争は、本当に避けることはできないのか。」
「まずは省みてほしい。」
「法の理念は正義であるし、何より法の目的は―――平和、なのだから。」
ふと見ると、扶桑さんのお皿から、五つあったフィナンシェは無くなっていた。
私の方も、溶けてしまう前にアイスクリームを完食することができた。