秋山醤(息子)の子世代の少女が遠月学園に入ったら、というお話。

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再会

 料理は心、学問、変幻自在、そして勝負。様々な世界を持つ料理人たちがいて、数え切れないくらいの料理がある。同じ料理を作っても、同じ志しを持てるわけではない。

 

 それは幸福なのだろうか。不幸なことなのだろうか。ある人は権利と誇り、ある人は呪いと嘆いた。

 

 私はどちらだろうか。今でも答えは出せずにいる。

 

 

 

「うわぁ……」

 

 視界を埋め尽くすリムジンの群れ。エリート校、遠月茶寮料理學園、通称遠月学園の校舎内でも際立つその光景は、しかし生徒の間では普通のことのようで、リムジンが次々と走る中すれ違った生徒は誰も気にしてはいなかった。それがまたキッカには驚きだった。

 

 編入試験がこんな雰囲気であるならリムジンを借りてくるべきだった。そう思ってもすべて後の祭りだ。ポツポツとは一人で来ている人もいるものの、キッカはどうにも居心地の悪さを拭えなかった。

 

 そもそもキッカはこの学園にそこまで通いたい熱意があるわけではない。ただ友達と一緒の高校に通ってこれからの進路でも考えていこうと思っているだけで、試験対策を行う時間もあまりなかった。料理人である以上、キッカも料理に関してある程度の知識は持っている。とはいえ、筆記試験でもされれば周りより点が低いことは確実であるし、そもそもたいてい試験の最初に行われるという面接で残れるのかも怪しかった。

 

 せめて落ち着いて試験を受けようと深呼吸をして試験場の門をくぐるキッカは、歩いてきた道の方で少し騒ぎが起きていることに気がついた。

 

 ──試験官がもう到着したのかも。

 

 キッカは中へ急いだ。

 

 試験会場の調理室にはかなり大勢の人がいた。編入試験は……そもそも高等部に入学するだけで編入と言われることにキッカは若干納得がいかないのだが、ともかく倍率が高いことは明白だった。さらに試験で何人合格するかも決まっていない。

 

 誰も合格しない年だってザラにあるのだから、少しでも評価を上げようと受験生たちは必死だ。誰も指示していないにも関わらずみな黙ってピシリと整列していた。席がないことに驚きつつも、キッカも倣って列に加わった。周りはほぼほぼ男子だった。もし近くで組んで集団面接だとか調理だとかをしろと言われたら少しやりづらいとキッカは思ったものの、試験内容は試験官次第なため神に祈るほかなかった。

 

 そして、その祈りが通じたのかもしれない。彼女が現れたときキッカは静かにそう感じた。

 

 金髪に近い薄茶の美しいロングヘア。羨ましいほどにグラマラスな体型。

 

「本日の編入試験を担当する薙切(なきり)えりなと申します」

 

 ──えりなちゃんだ! 

 

 キッカの想定よりはやい、友との再会だった。そもそも試験官は教師とばかりキッカは思っていた。知り合いに会えるにしても彼女の祖父である学園総帥だろうと予想していたのだ。

 

 それでも、たとえ友達が受けるとしても手を抜かない。そう判断されて神の舌の持ち主である彼女が試験官を務めるのだろうなとキッカは喜びを噛みしめつつ考えていた。

 

 キッカは、えりなに自分の料理を食べさせることがたまらなく好きである。自分の舌に正直で、嘘をつかない彼女が頬を染めて美味しいと言ってくれる様を見るととてもとても嬉しくなるのだ。その独特の例えにはついていけないこともしばしばあるが。

 

 しかも彼女は卵料理を一品作るだけで試験は終わりとまで言っている。キッカにとってこれ以上とない好条件だった。

 

 それだけに、なぜ周囲の受験生がこの試験から逃げ出しているのかを不可解に感じていた。

 

「オイ待てっ! なんで逃げんだよ!?」

 

 同じく疑問に思った少年が問いかけた答えに聞き耳を立てた限り、えりなにまずいと言われるのが怖いらしい。キッカには理解できなかった。誰であろうと、食べる人を満足させられる料理人になるために来たのではないのか。キッカにはその自信があるし、覚悟があるし、矜持もある。

 

 そしてそれはあの少年も同様だった。彼は他の受験生の様子を見聞きしてなお、目をらんらんと輝かせて佇んでいた。

 

 ──いいですね。いい料理人の面構えです。

 

 キッカは少年が身の程知らずの馬鹿などではなく、試験に合格できるだけの腕前があろうことを予測した。

 

「えりなちゃ、いえ、試験官の方! 私と彼とだけが残りましたけど、試験の方は開始していいでしょうか?」

 

「もちろん続行するわ、橘花(きっか)。卵さえ使用していれば作る品は自由よ。貴方のための試験だから……楽しみに待っているわね」

 

 えりなはただキッカのみを見つめて、少年──幸平(ゆきひら)創真(そうま)、実家は定食屋経営と願書には書かれている──の方は完全に無視している。その様子を見たキッカはまたえりなの悪いくせが出たなと嘆息した。どうにもえりなは他人を見下しがちなのだ。もちろんえりなの神の舌は正確であり、えりな自身も才能あふれる料理人であり、さらに精進していることはキッカもわかっている。それを差し引いて、友達からの甘い目で見てもえりなは少し傲慢すぎるところがあった。

 

 友達とはいえ、忙しいえりなとは店に来たときくらいしか話すことができなかったキッカはそれとなく注意することしかできなかった。だからこそ、これから同じ高校で過ごすことでえりなの偏見を友人として正すこと。それもキッカの入学の目的の一つだ。

 

「おー、えっと、俺も受けていいんだよな?」

 

「本当に私の試験を受ける気?」

 

 えりなは呆れた口調で創真に言った。ともにいる紅沙子(ひさこ)もなんて身の程知らずな、という目線で彼を射抜いていた。しかし幸平創真はそれで動じるような男ではない。

 

「え? もちろん。美味いって言わせればいいんだろ? そこの彼女が受けれるんなら、俺だって受けたいんだけど」

 

「えりなちゃん、私も一人だけ作るのは寂しいのですし、やる気がある人には、やらせてあげるのが筋だと思いますよ」

 

「……まあ、橘花が言うならいいわ。料理業界底辺の味も我慢してあげる。その代わり、橘花は私の口直しも作るのよ」

 

「必要ないと思うけれどもね。わかりました」

 

 パサリとブレザーを脱いでコックコートを羽織るキッカと同様、創真も一瞬で学ランを捨てはちまきを締めていた。

 

「ウチの店のとっておきを出してやるよ、薙切試験官どの!」

 

 えりなは創真に一瞥をくれただけだった。えりなも紅沙子も創真のことは気にせず、キッカの調理のみを見つめていた。

 

 そのキッカはといえば、何を作るかはすぐに決まっていた。和洋中含めできるだけ平等な試験になるようにはしているのだろう、準備されている食材にはもちろん中華に使えるものが用意してあった。

 

 キッカが冷や飯・卵・ネギ、塩・コショウ・醤油・酒をとる。えりなにはそれだけでキッカが何を作ろうとしているのかわかった。

 

 黄金(ホワンチン)炒飯(チャーハン)。ネギと卵のみの炒飯だ。それだけに、最も単純で最も難しいと言われる。えりなも何度も食べたことがある一品だ。

 

 中華鍋に卵が入れられ、お玉で手早くかきまぜられる。卵が半熟になる瞬間、冷や飯が入れられた。ネギのみじん切りを入れて塩・コショウで味を整え、あくまで香りづけに醤油を、最後に卵と飯がふわっとするように酒を入れたら出来上がり。

 

 

 恐ろしいほどはやく調理を終えたキッカの姿を見た創真は、先日の父との勝負を思い出してワクワクしていた。父との最後の勝負も炒飯だった。あと3回は鍋を振るべきだった、あの489敗目の勝負。父や自分の炒飯と比べてあの炒飯はどれほどの味なのか。自分の料理が終わったら食べてみたいぜ、とのんきに考えながら創真は煮凝(にこご)りを一生懸命作っていた。

 

 

「どうぞ。お召し上がりください」

 

 さっと器に美しく盛られた炒飯は黄金に染まっていて、芸術品のようにすら見えた。えりなと、紅沙子の分も置かれている。

 

 そっと一口運ぶと優しい味が口いっぱいに広がった。飯は完璧にバラバラになっており、そのバラけた飯粒一つずつに卵がコーティングされている。これができる料理人が日本に何人いることか。具はネギと卵のみだというのに、具だくさんの炒飯にもまったく劣らない満足感がそこにあった。

 

 まるで天使の羽にくるまっているかのよう。そんな幸福感が2人を包み込んだ。

 

「──いつも通り美味しいわ。もちろん合格よ、橘花」

 

「ありがとう、えりなちゃん」

 

 次はデザートに三不粘(サンプーチャン)でも作ろうと思ったキッカは、調理中の創真を目にして自分の予想が正しかったことを悟った。

 

 ──土鍋のご飯に手羽先の煮凝り。卵そぼろを作って。ご飯にかけると煮汁が卵にからむという寸法ね。鶏と卵をかけるというのは親子丼や鶏そぼろ、卵そぼろのそぼろ丼からもわかる通り相性抜群。私の炒飯は卵が米をコーティングしているのに対して、こちらは手羽の煮汁が卵をコーティングする。偶然とはいえ飯物かぶりとは面白いものです。

 

 創真の作る料理はえりなが未だ経験したことのないタイプのものだ。彼の料理が少しでもえりなを変えるきっかけになることをキッカは願った。

 

 そしてキッカはえりなのための口直し、デザートにとりかかる。試験は終わったとはいえ、せっかくだから卵を使うシンプルなものにしようと思ったキッカの選んだ料理は三不粘(サンプーチャン)だ。

 

 北京にある山東料理店同和居の看板料理で、かつては宮廷料理だった一品。砂糖をボウルに入れ、卵黄、ラード、緑豆でんぷんを混ぜ、ラードを少しずつたらして弱火で練り込む。

 

 キッカの作っている間に鳥のいい匂いがする。創真の審査が行われていた。

 

 しかしその試験はキッカの予想に反して不合格となっていた。えりなの蕩けた顔は創真の料理を美味しいと彼女の舌が認めたことを明らかに示している。彼女が自分の舌に嘘をついたことにキッカは驚いた。

 

 同じく神の舌を持つ大谷日堂は性格は最悪だったが自分の舌にだけは正直で、美味しいものには逆らえなかったと聞く。だが、えりなは意地で逆らったらしい。

 

「不味いわよっ!」と涙目で言い放ったえりなに、キッカはそっと嘆息した。どうやらまだまだえりなが他者を認める日は遠そうだ。

 

 

「何よ! 何よ!! 何よ!!!」

 

 はむはむとやけ食い中のえりなによって黄金の月が侵食されていた。皿につかず箸につかず歯につかずの三不粘(サンプーチャン)がスルスルとえりなの口に消えていく。

 

 一緒に食べていたキッカはふにふにとした不思議な食感とともに卵の優しい甘さを感じ、我ながら美味しいと自画自賛した。

 

「あんな上から目線……この私に対して!」

 

 炒飯も、創真の料理も美味しいなともぐもぐしながらキッカは彼を本当に不合格にするのかと疑念を抱いていた。もしそうしたら遠月学園総帥の孫とはいえ流石に私情に走りすぎている。

 

 しかし意地っ張りなえりながそうそう前言撤回しないことも長い付き合いのあるキッカはよくよくわかっていた。

 

「もう二度と会いたくないわ!」

 

 癇癪を起こした子どもじゃないんだから。そんな言葉は飲み込んで、キッカはえりなをなだめた。

 

 

 

 

「新1年生総代。薙切えりな」

 

「はい」

 

 4月。桜舞い散るこの遠月茶寮料理学園で高等部1年始業式が始まっていた。

 

 高等部の入学式もないのだから、本来ならばキッカもこれが初登校になるはずだが、春休みから既にえりなの寮に住まわせてもらっていたキッカははやくも遠月学園に馴染み始めていた。えりなの派閥の人間と親しく話すその姿は完全に在校生にまぎれており、自分とは異なり目立っている人間、つまり同じく編入生である創真をあっさりと発見していた。

 

 昨日今日とえりなは始業式の準備をしていた。それで創真の存在に気づかなかったのだろう。そうキッカは推測した。

 

 ──仙左衛門(せんざえもん)さんはきちんと審査してくれたらしい。

 

 結局あのあと、流石に気の毒に思ったキッカはこっそりと学園総帥である薙切仙左衛門に創真の審査について連絡をしていた。結果までは聞いていなかったものの、順当に審査されていれば創真は合格の料理を作っていたのだ。よかったとキッカは胸をなでおろした。

 

 ──でもなんで、私が言う前に幸平くんのことを知っていたのだろう。

 

 実はすごい家の息子なのだろうか、とキッカは当たらずとも遠からずな推測をしていた。

 

「諸君。高等部進学おめでとう!」

 

 文月学園では中等部から高等部に入るのも本当に一苦労なのだとキッカは周りから聞いていた。調理理論、栄養学など遠月学園生は中学生で習った料理に関連する知識の中にはキッカの知らないものもあり、彼らの復習も兼ねて教わっていたのだ。きちんと全てを身につけ進学できた人、さらには首席、大差をつけてのトップだったえりなへの尊敬を深めていた。

 

「諸君の99%は1%の(ぎょく)を磨くための捨て石である」

 

 それだけにキッカは仙左衛門の言葉に愕然とした。教育者としてそれでいいのだろうか。料理業界での彼を見てはいても学園での姿は見ていなかった故の驚きは、しかし高揚感に塗りつぶされることとなった。

 

「昨年の新1年生812名のうち2年生に進級できたのは76名。無能と凡夫は容赦なく切り捨てられる。千人の1年生が進級するころには百人になり、卒業まで辿り着く者を数えるには片手を使えば足りるだろう。その一握りの料理人に君が」

 

 皆が。ビシリとこちらへ伸ばされた、仙左衛門の指先を見つめていた。

 

「────君が成るのだ!!」

研鑽せよ

 

 沸き立つ高揚感に会場全体が震えていた。どこからともなく歓声が上がる。会場のボルテージがマックスに達した今、次の登壇者はキッカだった。

 

「えー、最後に高等部から編入する生徒を2名紹介します」

 

 大会で料理するときより緊張する、とキッカは思った。舞台袖から見ているえりなの姿が目に入る。

 

 ──恥ずかしくない、所信表明をしないと。

 

「おはようございます。高等部から一緒に学ばせていただきます、秋山橘花と申します。作り手も食べる方も幸せになれる料理を作っていきたいと考えています。どうぞよろしくお願いいたします」

 

 深々とお辞儀をする彼女に対してえりな派閥を中心に拍手が送られた。

 

 舞台袖ではえりなが嬉しそうにキッカを迎えた。

 

「お疲れ様。それにしても、私とは別の審査で合格者が出たのね。もう一人はいったい──」

 

 えりなの言葉が止まった。次の登壇者は2人にとって見覚えのある顔。幸平創真だった。

 

「じゃー手短に……えっと、幸平創真っていいます」

 

 えりなの顔は驚愕のあまりゆがんでいた。どうして、と声にならない声を上げる。

 

「この学園のことは正直踏み台としか思ってないです。何かあれよあれよという間に編入することになったんすけど、客の前に立ったこともない連中に負けるつもりは無いっす」

 

 新1年生たちも創真のあまりの無謀っぷりに口をあんぐりとさせていた。

 

「入ったからにはてっぺん()るんで」

 

 ビッと指を天へ向ける創真に、信じられないという視線が集中する。当然だ。この学年のトップはえりな。これは覆せない事実なのだから。

 

「3年間、よろしくお願いしまーす」

 

 ペコリと頭を下げる創真に蹴り入れたいと思った人が何十人いることか。

 

 キッカはこの悪役(ヒール)っぷり、父や祖父を思い出すなあとのんきに構えていたが、生徒たちはもちろんそうはいかない。「ぶっ殺すぞ」だの「死ね」だの言う言葉が飛び交い、物を投げる生徒まで現れる始末。幸平創真は全校生徒を敵に回した、といってまったく過言ではなかった。

 

 創真が近づいてくるとえりなは驚きと不満とをごちゃまぜにした顔でいた。ひと悶着あるなと思ったキッカはそっと後ろへ下がり、そしてなぜか観戦している仙左衛門にとりあえず黙礼した。

 

「楽しみにしてなっ。アンタの口からはっきりと『美味い』って言わせてやるよ! 俺の料理の限りを尽くして──」

 

 青春ですなあ。見つめ合う二人を見てキッカは思った。

 

 横目で見ると、仙左衛門は期待のこもった鋭い眼差しで二人を見つめていた──

 



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