買い出しに出かけるとお目当てのものがない。どうしたものかと考えていると、あることを思い出した。
ある昼下がり。
今日は珍しくトレーニングがなく、担当であるシービーも私用があるらしいので一人、日用品を買いに来ていた。
トレセン学園に所属するトレーナーは毎日のトレーニング、それのメニュー作りとスケジュールのほとんどを自分の担当に費やし、自分の時間というものを持たない。だからこそこういう日は、日用品など生活必需品の買い出しに走ることが多いのだ。
「えーっと…家にないのは、シャンプーとリンスとボディーソープか」
スマホのメモを確認しながら売り場へと歩く。売り場にはカラフルなボトルが並び、自分を選んでとでも言いたげな様子だ。
「いつものやつは…ない?」
いつもの位置にあるはずのボトルがそこにはなかった。位置が移動しただけだよな、と思い棚の端から見て回ったがそれらしきものはなかった。どれか一つでもあれば、と淡い期待を抱いていたがそのシリーズもろとも無くなっていた。
「弱ったな…好きだったのに」
大学生の時から使っていたそれに幾分か愛着がわいていたので肩を落とす。
ふとその時、あるボトルが目に入った。
「あれ、これって…」
─・─・─・─・─・─・─
「シービーってさ、シャンプー変えた?」
「え!?」
「この前、シャンプーのブランドのオファー受けてから匂いが変わった気がしたんだけど」
「よく気付いたね、ミスター」
ウマ耳がせわしなく動き、落ち着きがない。
「前よりも甘い…っていうかいい匂いになったからさ。その匂い好きだな」
顔を近づけスンスンと匂いを嗅ぐ。
「俺もそれ使ってみよう」
「ト、トレーニング行ってくる!」
慌てたようにシービーはトレーナー室を出て行ってしまった。
「?」
何をそんなに慌てていたのかは分からなかったが、少し気になったからそれをメモ帳に書き込んだ。
─・─・─・─・─・─・─
「お、シャンプーだけじゃないのか」
シャンプーの横を見るとリンス、ボディーソープと自分のお目当てのものが丸々売っていた。
「買うか」
何も考えずにそのまま買い物かごの中に放り込み、レジへ向かった。
~
「合計三点で6240円になりまーす」
「カードで」
普段買っているものより二倍の値段になった。これでもで品薄になっているというのだからさすがシービー。
「ありがとうございましたー」
間延びした店員の声を聞きながら軽い足取りで帰路に着いた。
シャワーを浴びたまま手探りでポンプを押し込み手のひらにシャンプーを出す。
「うお!」
感じたことの無い未知の感覚に驚き、思わず手を引っこめる。
「…?」
シャワーを片手で止め、確認すると液状ではない泡状のものが手のひらに乗っていた。
「泡?」
不思議に思いボトルを見てみると、どうやら泡状で出てくるタイプのようだった。
こういうタイプもあるのか、と思いつつ出した泡を頭へと運ぶ。
おぉ、と触れた瞬間息が漏れた。
ふわふわする。
それが最初の感想だった。
例えるならアドマイヤベガが乾燥させた布団。
シャワーで汚れと一緒に洗い流すと、一週間分の疲れが一気に取れたかのような感覚を覚えた。
「ふぅ…」
毎日するものだが、今日のは格別だ。
ドライヤーで乾かすと心なしかいつもより髪の通りが良くなった気がする。
ふと、シービーの匂いが鼻腔をくすぐる。
「シービー?」
振り返ってもシービーはいるはずもなく、いつもの脱衣所が広がっているだけ。
なぜシービーがいると思ったのだろうか。
そう問いかけても返ってくるのはキーンとした静寂の音だけだった。
「おはようございます、トレーナーさん」
「おはようございます、たづなさん」
翌日、すっかり疲れも取れ清々しい気持ちで門を潜るとたづなさんがいつものように立っていた。
会釈をして、隣を通り過ぎようとするとたづなさんが鼻をスンスンと鳴らした。
「あれ、トレーナーさん」
「どうかしましたか?」
「いえ、匂いが少し…」
「臭い?」
少し怪訝な表情をするたづなさん。
こんな歳でもう加齢臭か、と軽く絶望し服の匂いを嗅ぐ。自分では感じないが周りからしたら臭うのだろうか。
「あ、そういうことじゃないんです!」
その様子を察してか手を振ってすぐ否定された。だったら匂いとは何のことだろうか。
全く見当がつかない。
「先程、ミスターシービーさんが通ったのですが匂いが少し似ていまして…」
「ああ、そういう事ですか」
どうやらシャンプーのことを言っているようだった。心の中で安堵の息を漏らす。
「シービーと同じシャンプーを使ってるからですよ」
「同じシャンプーですか?」
「はい」
そう答えると、たづなさんはワナワナと顔を赤くしていく。
「トレーナーさん。念のため聞いておきますが、シービーさんとそういう関係になったりはしてないですよね?」
「そういう関係?」
どういうことかと聞き返すと、言いにくそうにもじもじとした素振りを見せる。
「その…シービーさんのお宅に伺う関係なのかということです…」
なるほど、そういうことか。
それで様子がおかしかったのか、と一人で納得する。
「いやいや、そんな訳ないじゃないですか。シービーとシャンプーを同じにしただけですよ」
そう言うと、たづなさんは安堵したような表情を見せた。
「そういうことですか!てっきり…」
シャンプーを同じにすると同棲していると勘違いされることがあるのか、と新しい発見をした。
十中八九もう使うことはないだろう。
「とりあえず安心してくださいよ、担当に手を出すことはしませんから」
世間話もそこそこにトレーナー室へ向かう。向かう最中にも視線を何度も感じた。たづなさんと同じように勘違いをしているのだろう。
訂正しようとも考えたが、一回一回やるのも面倒くさい。なにより勘違いしていなかったときの気まずい空気に耐えられるはずがない。
それが間違いだった。
シービーのトレーニングメニューを考えながら、手元のコーヒーを啜る。トレーナーは激務といえど、そうではない時がある。書類を片付けているときだ。
書類と言ってもトレーニングメニューを打ち込んだり、レースの出走登録をしたりどれもとても時間がかかるというわけではない。トレーニングメニューを考えることの方が大変だ。
「終わったー」
凝り固まった首を回すと小気味いい音が鳴る。勢いそのままに全身も伸ばす。
「あ〜」
力の抜けた声にならない声が口から漏れ出す。
「喉乾いたな」
冷蔵庫に手を伸ばし、器用にペットボトルを取り出す。
冷えた水が喉を通る度に全身が適度に冷やされている。
時計を見るとトレーニングの時間が近づいていた。シービーは五分前には決まってトレーナー室に来る。
そろそろ来る頃だろう、とトレーニングの用意を整える。
やがて、足音が近づいてきた。それは何処か焦りを孕み、急いでいる様子だった。
「ミスター!」
「シービーどうしたんだ?そんなに急いでー」
「何か変なことしたでしょ!」
開口一番シービーはそんなことを言い出した。心当たりが全くない中、シービーは言葉を続ける。
「今日、廊下を歩く度に視線を感じたんだよ」
「それはいつもの事じゃないのか?」
トレセン学園内でも、当然シービーは有名だ。廊下を歩くだけで視線を集めるのは当然だと思うが。
「いつもと違う種類の視線なの!なんかカップルを見てるみたいな!」
そこで僕は気がついた。
みんなたづなさんと同じ勘違いをしているな、と。
「僕がシャンプー変えたからかな」
「え?」
「シービー、この前シャンプー変えたでしょ?それ僕も使ってみようと思って買ったんだー」
そう言うと、シービーは顔を真っ赤にして詰め寄ってきた。
「ミスターそんなことしたの!?」
「ダメだったか?」
「ダメじゃないけど…」
シービーは「う〜」と唸りながらスカートの端を握る。
まさか、たづなさんのような勘違いを大勢がするとは思わなかった。誤算だった。流石にトレーナーと担当ウマ娘が交際してるなどと噂が広がるのは避けたい。
「このまま勘違いされたままってのも困るから明日からは別の使うよ」
「変えちゃうの…?」とシービーは耳を垂らした。
「シービーも困るでしょ?このままだと」
「アタシは…別に困らないけど…」
顔を赤くしながらシービーが答える。
「じゃあ、明日からも使うことにするよ」
「分かったよ…ミスター」
ウマ耳を忙しなく動かしながら、シービーは呟いた。
その後、トレーナーとシービーの交際報道がされたのは言うまでもない。