アドム達が鬼神の背を見送った直後。
ヴィンテージ屋敷ではアドムがアスラに頭を下げた。
「親父殿。アドム、ただいま帰りました」
「……ああ」
アスラは一言だけ応えるとアドムに背を向けて告げた。
「後で居間に来い。話がある」
「……分かりました」
「来るのは、お前だけだ。他の誰も入れぬ」
淡々と返すアドムに釘を刺すように続けるアスラ。
父の眼はアドムについて行こうとしたタハトやリアは勿論、アグニにも向けられている。
「! 父上、私はヴィンテージの後継者ですよ!!」
「この話は私とアドムの二人だけでする。他の立ち入りは許さん」
「父上……!!」
「どうしても納得できぬならば、お前は今回の件からは手を引いてもらう」
冷徹な父の眼にアグニの真っ直ぐな瞳は鋭く細まる。
アスラは、何も言わずに背を向けて去っていった。
その背中を見送ってアドムはタハトとリアに言う。
「悪いが、二人は待っててくれ」
「ああ」「分かりました」
二人の答えに頷いてからアドムは屋敷の居間に向かって庭を歩く。
アグニとカイトの間を真っ直ぐに歩いて行こうとして足を止めた。
鯉口が切られる音がしたためだ。
横目で音がした方を見ると自分と同じ顔をした弟が激情を露わにしてアドムを睨みつけている。
その左腕は魔物によって使い物にならなくなったモノを呪術が施された鋼鉄製の鎧を着けることで無理やり動かしている。
その左腕に持たれた鞘と鍔にかけられた親指を見てからアドムは静かに告げた。
「……息災か、アグニ?」
「……ええ」
「腕の具合はーー」
「ヴィンテージを出た赤の他人が、気安く話しかけないでください。私に兄は居りません……!!」
ヴィンテージ本家の血を引く証ーー黒に近い青の瞳は激情でギラギラと光っている。
アドムは静かにアグニを真っ直ぐに見つめる。
「貴方が、気ままに祖父上殿のところで遊んでいる間ーー王都のヴィンテージを守っていたのは私だ!! ヴィンテージの主は、私だ!!!」
「……アグニ」
「屋敷に入るならば、私に一声かけてから入れ。無礼者!!」
その言葉にアドムは静かに頷いた。
「分かった。入らせていただく……」
「……貴方は昔から」
特に拘りもなく吐かれた言葉にアグニは顔を俯かせると目を逸らして背を向ける。
「おかえりなさい、兄上」
「……ああ、ただいま」
アドムの返事を背に受けてからアグニは去っていった。
カイトがほっとしたように息を吐くとタハトとリアに向かって屋敷に入るように促す。
二人は客間へと案内されていた。
そのままアドムはアスラの待っている居間に向かったーー。
居間には既にアスラが椅子に座って待っていた。
「よく帰った、アドム」
「親父殿も、息災そうでなにより。またーー今回クロード陛下の剣術指南を兼ねた近衛騎士隊長に抜擢されたとか。おめでとうございます」
「お前が言うと、少しもめでたく感じないな」
「……」
「道中、何もなかったか?」
そこで初めて父の眼はアドムの眼にすえられた。
「……影に襲われました」
「放った相手は分かるのか?」
「いいえ」
「影の流派は? 一つだったか?」
「……おそらく3つ」
そこで父は溜息を吐いた。
「アドム・ヴィンテージをクロード陛下に会わせたくない貴族は多い。しかし、直接影を出してくるものが少なくとも3は居たか。俺の城内での影響力も、その程度のものか」
「俺の身分は、ヴィンテージ本家から出ている。旅路で殺されたところでヴィンテージと貴族の利権争いには影響ない。逆に王都に俺が現れればヴィンテージは陛下との繋がりをより強くする。それが嫌だということなのかもしれませんね」
「……」
「その貴族たちを炙り出して排斥する口実を作り上げるのですか?」
「フ、お前は本当に俺が嫌いだな。アドム」
真っ直ぐに自分の眼を見て告げてくる息子に父は苦笑していた。
「お前を王都に寄越したのは親父殿だ。お前を使うような企みなど俺にはないさ」
「……『今は』ですか」
「ああ。『今は』な」
それは昔のことか、これから先の事かとは聞かない。
アドムもアスラも、言葉にせずとも互いの考えが分かる。
「……お前を陛下に会わせるのは明後日を予定している。それまでは、ゆっくり休め」
「分かりました」
頭を下げ、去ろうとするアドムの背にアスラは告げた。
「アグニは、強くなっていたか?」
「はい。相当な腕を持っていると拝見しました」
「……アレは『貴様』に勝とうと剣の腕を磨き、それだけで足らずに槍術、薙刀、大太刀、二刀、弓術、影術を皆伝にまで極めている。だが、剣術と体術だけを極めたーー貴様には及ばん」
「ヴィンテージ流を全て学びつくすというのであれば、アグニは正しいと思います。ヴィンテージを継ぐためならば、間違いではないでしょう」
「貴様には勝てなくてもーーか?」
アドムは振り返ってアスラを見つめる。
「ヴィンテージを継ぐために俺を打倒する必要があるーーと?」
月光が窓から零れ落ちる書斎で、アスラの眼は愛憎に染まってギラギラと光っている。
対するアドムは、どこまでも透き通った青の瞳を向ける。
まるで底が見えない美しくも深い青の瞳がある。
「……俺はな、アドム。貴様が妬ましくーー憎らしい」
「……」
「妻ダーナは、貴様を愛していた。無論自分の子を愛するのは当たり前だがーー。何か不吉なことがヴィンテージにあるとアレは5つの貴様を頼った。二言目には貴様の中にある守り神が何とかしてくれる、などとな。夫として男として最愛の女が俺ではなく別の男をーー年端も行かぬ自分の息子を頼る。それを目の前で語られる気持ちーー貴様に分かるか?」
「いいえ」
「だろうな。そもそも貴様は、何故俺が妬ましく思うかも分かるまい」
「ええ。俺にとって母と弟を守るのは当たり前のこと。それを親父殿が妬む気持ちなど分かるはずもない。また妬まれたからと言って俺が母と弟を守ることに変わりはない」
真っ直ぐに告げるアドムにアスラは笑みを強くする。
「変わらぬな、アドム。その鈍さと強さが貴様の双子の弟やクロード陛下を傷付け執着させているのだ」
父が何を言いたいのかを分からずアドムは静かにアスラを見つめる。
「人間はな、アドム。貴様のように強くない。どこまでも割り切れず不条理な生き物だ。貴様にとってできることだからする、そのような当たり前が人間にはできぬ。力が無いからだ……。そして、あったとしても力を見せようとはせぬ。貴様のように「あるがまま」に生きることは、多くの人間が望みーーそして諦めたものだ」
「親父殿。俺に力を隠してヴィンテージ領で暮らせ、と言ったのはそれ故か?」
「貴様への嫉妬と執着は素晴らしい強さを俺とアグニにーーそして陛下に与えた。だが、強烈な感情は時として計算の邪魔になる。貴様を王都から遠ざけたのは俺の計算が狂うからだ。良くも悪くもな」
アスラにとってアドムの存在は劇薬だった。
どちらに転ぶかが見えないのだ。
阿呆な貴族がアドムによって変わり、聡明になるかもしれない。
有能な貴族がアドムに執着して阿呆になるかもしれない。
無能な味方が優秀な敵に、優秀な敵が無能な味方になるかもしれない。
それほどの力をアドムは持っている。
そんな劇薬は、アスラは求めていない。
国が乱れ始めているーーこのような事態でなければ。
「ダーナが見た夢、一つは貴様の裡にあるモノを見たものだが。もう一つは死神が見せた悪夢だな?」
「……母上が見た夢?」
「貴様は本来、生まれるはずの無い子だ。そしてアグニは死んだ赤子として生まれるはずだった。どのような占い師、どのような魔術師に見せても変わらなかった」
「……」
「妻が殺されたのが納得いかなくてな。調べたのだ、妻を殺した魔物の死体を切り刻んでな」
鈍い刃物のような輝きを放つ瞳でアスラは言った。
「アレは魔物ではない。死神だったーーそれも高位のな。死神は妻の夢に現れてはアグニが本来なら死んでいることを告げていた。死の運命に刃向かったものは死しかないーーとな。朝に唇まで青くして震える妻を覚えている。だが、お前が手を握れば震えは止まった」
「……」
「その日から妻は貴様に手を握られているとき熟睡できた。異形が魔物を蹴散らす夢を見たそうだ。異形がヴィンテージ家をーー妻と子の命を守っていると、その日から言い出した」
アスラは続けた。
「妻は死神に契約したのだ。アグニの代わりに自分の命を差し出すと」
アドムは、何も言わない。
それでいい、アスラはそう思って続けている。
「なぁ、アドム。何故ーーお前なんだ? 俺じゃないんだ? 俺にお前の力があれば、妻をみすみす……」
それは言っても仕方ない。
そんなことは分かっている。
死神が妻の前で具現化したのが分かっていれば、自分の兼㝎で斬り刻んでやったと思うが、もはや起こってしまったことだ。
「あの時の俺にーーお前の力があれば……」
「母は救えたかもしれません。弟の腕も……」
そう言いながらアドムはアスラに頭を下げた。
「母上を救えずに、申し訳ありません」
目の前で頭を下げるアドムが、血まみれの弟を抱き上げた小さな子どもの姿に見える。
その時も、アドムは同じ言葉を吐いて自分に頭を下げた。
泣きもせず、喚きもせず、恨み言を吐いている自分に淡々と。
「……お前の母に会う時は、涙の一つでも流してやってくれ」
「……!」
「妻の墓の場所はアグニに聞くがいい」
それだけを言って椅子に座ったアスラはくるりと座席を回転させてアドムから背を向けた。
5歳の頃からアドムは剣の腕だけを磨いた。
母の墓に参ることも許されず、只々。
それが許されたことにアドムは一瞬だけ目を見開くと、無言で頭を下げた。
「父上。ヴィンテージ領で家を排斥された貴族の娘達に会いました」
「……」
「母上が存命ならば、彼女らをそのような身に落とした人間をどう思うでしょう?」
頭を上げてドアの前に向かうと、それだけを言ってアドムは居間を去っていった。
「……」
静かに月を見上げてアスラは瞳を閉じた。
ーー客間にて
カイトがタハトとリアに客室の割り当てを説明していた。
「……以上だ。質問は?」
「あ、いえ。大丈夫です」
「はい、私も」
カイトの言葉にタハトとリアが頷く。
その後、カイトはタハトを見る。
「背が高くなったな、タハト。アドム様の右腕として影を続けているのだな」
「ども、カイトさん。右腕って……。僕は真剣を持てません。アドムの役に立とうにも旅とか雑事とかはできても、肝心の戦いに関しては足を引っ張らないのが精一杯で……」
「まだ、そんなことを言っているのか」
ジッとカイトはタハトの瞳を見据えると言った。
「お前はアドム様の影だぞ、タハト。その影が守るべきものを守れずにうつむくなど、あってはならない」
「……」
「……お前は、この後で特訓だ」
「ぬぁ、なんだってぇ!?」
「当たり前だろう、まったく。心根を鍛え直さなければ……!」
「ぬ、ぬおおおお!?」
義務のように言うと、カイトはタハトの首根っこを捕まえて中庭の方に連れていく。
「ヴィンテージの訓練ですか。興味があります、見せていただいても?」
「……失礼ながら、ご令嬢。これは影術の訓練になりますので」
「あら、ダメなのですか?」
「申し訳ありません」
「それは仕方ありませんね。今日は、ゆっくりと休ませていただきます」
「湯浴みならば、そちらの奥の部屋をお使いください。では」
言うと同時にカイトがタハトを連れて消えた。
高速移動ーーソニックムーヴであろうとは思うが、ほとんど姿勢を変えずに行ったのはそれだけ身体を鍛え技を磨いている証拠だった。
「さて、お風呂に入りながらゆっくりと見せてもらいましょうか」
言いながら扉を開けて脱衣所に入る。
服を適当な籠にいれ、ガラスの引き戸を開けると巨大な風呂があった。
美しい石造りの床に巨大な大理石の浴槽を満たす湯。
飾り石を積み重ねた先から湯が出ているのを見て微笑みながらリアは美しい手足を伸ばして湯を身体に沁み渡らせる。
人差し指でそっと湯面を触ると、景色が映った。
黒髪紅眼の吸血鬼は鍾鬼の記憶を辿って鬼神の力を取り戻している。
「鍾鬼の記憶が、まさか独り歩きをしているとは。困ったものね」
美しい唇から色っぽい溜息を吐くと、鬼神泰鬼を見る。
「釈迦如来……。たしか、あちらの世界の神でしたね。まさか、私の世界にあれほどの力を誇る鬼神「泰鬼」をそのまま送れるほどの神通力があるなんて」
だが、特に気にする必要はなさそうだ。
鬼神泰鬼は、この世界で暴れるようなことはしていない。
それどころか暴れる「鍾鬼の記憶」を持った吸血鬼を周りに被害を出すことなく止めた。
釈迦如来は、その強大な神通力でこの世界を混乱させようとはしていない。
ならばーー問題はない。
主導権が自分にあるのなら、大したイレギュラーにはならないだろう。
「争いを続けたがる亜人を含めた人間。人間同士の争いに現れては好んで暴れたがる魔族。この世界で私が招いた鬼神「鍾鬼」の魂を持つもの達が何をするのか」
泰鬼に敗れた吸血鬼が向かう先ーーヴィンテージ領の様子を見つつ、人差し指でもう一度水面を触るとカイトという剣奴に訓練されているタハトの様子が映る。
「貴方には鍾鬼の魂が分けられている。吸血鬼のような簡素な力と記憶のみではなくーー魂そのものが」
微笑みながらリアは告げる。
「けれど、貴方には強さがない。心の傷が亡くなった人との絆の証とでも勘違いしているのか、それとも本当に気付いていないのか。どちらにせよ、宝の持ち腐れですね。今のままでは……」
そう言いながら、影の訓練を受けるタハトを見る。
リアの見たところ剣術と体術だけならばタハトはヴィンテージの中でも上位に位置している。
おまけに属性付与の魔法を使えるというのだから、得物が兼定のように頑強なものであれば相当戦えるだろう。
真剣を持てないという心の傷が全てを台無しにしているが、それを乗り越えれば相当な強さだ。
そもそも剣を捨てるのであれば棍術を磨けばよいのだが、あくまで補助的にしか学んでいないのは動きを見れば分かる。
ヴィンテージ流には棍術もあるはずだが、棍の基本動作をするだけで棍技を使っていない。
ヴィンテージの技が棍であっても人を殺すことが造作もないことを知ったからであろうか。
「ーーねぇ、アドム。貴方は、彼をどうしたいの? 彼は力を与えられても振るえないひと。大切な人が目の前で殺される事態に直面しても恐怖におびえて何もできないひと」
そんな人間が力を与えられたところで無駄なことだとリアは吐き捨てる。
「ヴィンテージ流をいくら学んでも、彼は強くはならない。強くなることは誰かを傷付けること。誰かから傷付けられること。それらを恐れて何もできない。そんな存在は、人間だから生きていられる。貴方が傍に居たから存在が許されている。それを生かし続けたとてーーいずれ誰かに何かに食われるだけ」
逃げ続けることが生き延びられるとは限らない。
少なくともアドム・ヴィンテージの傍に居ればいずれーー。
「そうなれば分けられた鬼神の魂は、食ったものに移ってしまう。それだけは避けたいわ……。ああ、でもそうよね。彼を殺したら、貴方は怒るわよね。だってーーそれだけ彼を大切に思っているから魂を分けたんだもの」
悩ましいとリアはーー創世の女神オケアニデスは呟いた。
いっそ、分けられた鬼神鍾鬼の魂にタハトの心を食わせてしまえば良いのだが鬼神の魂は彼の心を食おうとはしない。
むしろタハトの意思を尊重し、自ら彼の心の裡に下がっている。
「吸血鬼に分けられた力と記憶は、所詮鍾鬼の魂がない傀儡にして端末。ならばタハトさんに分けられた方が鬼神の分け身ということ?」
かつて天軍を相手に一柱で暴れ倒し天帝を引きずり出した鬼神鍾鬼。
そんな凶暴な神が、タハトのような臆病な人間の心を守ろうとするのがオケアニデスには面白く不思議だった。
「ああ、だからーー貴方が知りたい。アドムでも鍾鬼でも、貴方は私が思いもよらないことをする。さあ見せてください。貴方の強さを、この世界で得た愛を。私に……」
微笑むリアは湯舟を楽しんでいた。
ーーーー
ヴィンテージ屋敷の地下にある影の修練場。
石壁に松明が燃やされており、幾数本の槍や鎖鎌が壁にかけられている。
樽には鞘に入った多数の日本刀が無造作に入っている。
武器庫も兼ねた修練場で動くのは二人の影ーータハトとカイトである。
カイトから投げナイフーー無数の苦無が投げられる。
タハトは自前の棍を回転させて全てはたき落とす。
目の前に迫るカイトにタハトが両手持ちの棍を下から振り上げる。
カイトが持っているのは真剣の刀だった。
腰から抜いた刀で下から振り上げた棍をアッサリと受けるカイト。
肝心の突進は止められるが、刀は円柱型の棍の半ばまで食い込む。
「めちゃくちゃ研いでる……!!」
「当たり前だ。いつまでも棍で真剣の相手ができると思うな……!」
四合、棍と刀がぶつかり合う。
タハトの方が得物を振る速度が速いが、カイトの真剣は的確にタハトの棍を止めてはつっていく。
次の瞬間にカイトの受け太刀でタハトの棍が斬られた。
「……!!」
「愚か者!!」
左手で黒い粉末を扇状に放り投げ、横薙ぎを両手持ちで放つカイト。
粉末の中に斬閃が走り、爆竹のように火花と衝撃が連続発生する。
(ヴィンテージ流影術、爆竹閃。広範囲に爆発するからソニックムーヴで後ろに行っても避け切れない。ソニックブレードで爆発を斬りながら交差法で抜けるしか……!)
咄嗟に頭を回転させながら剣を振るおうとして自分の棍が半ばから断たれていることに気付き、まともに爆発を受けて後方にふっ飛ばされる。
自分と同等以上のものと戦う際、頭ではなく体が動くものだ。
つまり今のタハトは棍よりも刀の方が使い慣れており、いざという時に頼るのは刀の動きになる。
「付け焼き刃の棍などで守れる者など、なにもない!! 己の身さえも守れんぞ、タハト!!」
「……!!」
告げられた言葉に背中から地面に倒れていたタハトは、横目で樽に入っている刀を見る。
カイトの背の壁にある槍や鎖鎌を見る。
「……」
ゆっくりと立ち上がりタハトは、樽に入っている無数の刀の一つを取ると鞘越しで構えを取った。
「刀を鞘に入れたまま振るえば何とかなると思うか?」
「……!!」
瞬間、カイトが突っ込む。
タハトは咄嗟に鞘に入ったままの刀を横薙ぎで一閃するも、甲高い音を立てて止められた。
右の腕に手甲が付けられている。
「な!?」
「影とは全身が武器であり暗器である。見えないところに武器や防具を隠すのは、影ならば当たり前だ!」
左手一本で振るわれる刀は下から上に振り上げる。
タハトは鞘に入れたままの刀の柄で受ける。
受けられた一閃をカイトは両手持ちに変えて頭上に振り上げてから振り下ろす。
タハトは鞘の状態で受けると鞘は木製であったので簡単に砕けて破片が目に散る。
「うっ!!」
目を瞑るタハトを容赦なくカイトがタックルで吹き飛ばした。
タハトの袖口が斬られて露わになった肌から紅い血がにじんでいる。
倒れた状態から立ち上がって肩で息をしながらタハトはカイトを見つめる。
自分とは親と子ほど年が離れた相手を。
「……カイト、さん」
「この先の旅、今のままの心で居るのならば死にに行くようなものだ。アドム様の優しさに甘えてついて行きたいと言うのでなく。そろそろ決めろ」
「決める……?」
「アドム様の影ーー右腕となって生きるのか。ただの人間としてヴィンテージから離れるのか、だ」
カイトは静かにタハトに言う。
「お前は、私が見た初めての弟子だ。誰よりも出来が悪かった。それでも自分なりに必死に努力して傷を乗り越えようとお前はして来た。その努力と姿勢を私は黙って見守って来た。だが、ここが限界だ。この先、アドム様の周りに現れるのは大国ジャッジの騎士団だけではない。この王都ヴィクトリア城内の貴族、暗黒魔界の魔族に先ほど現れた鬼神という異形だ。そのような戦いの場に、お前のような中途半端なものが居てアドム様の邪魔にならぬことなどあり得ぬ」
「……」
「アドム様自身、お前について来てほしいだろう。だが今のままのお前では、いずれ必ず死ぬ。その辺の路傍の石のようにアッサリと蹴り飛ばされて死ぬ。それが戦だ」
言い返せない。
誰よりも自分が分かっている。
アドムの優しさに甘えて、アドムの強さに頼って、何もしてこなかった。
アドムが自分に戦う術をくれたのに、その力を使うことができずに中途半端に時間を稼いでアドムに倒してもらうようにしていた。
「お前の剣技はアドム様が仕込んだものだ。その実力は、アグニ様でも剣術だけならば簡単には勝てまい。それでもーー今のお前は、アドム様を危機に追いやる」
「……」
その時だった。
白い僧侶服を着た青髪の美女がカイトの背後の通路から現れたのだ。
「な、リアさん!?」
「あら? タハトさん……」
瞬間、カイトが振り返りながら手に持っていた刀を一閃してリアの首を斬り捨てた。
「な……!?」
アッサリと首を切り落とされ、地面に転がる頭。
首から上がなくなった身体は噴水のように血を吹き上げてタハトの頬を濡らす。
「言(ゆ)うたはずだ、タハト。我らーー影の術は門外不出。使うときは誰であれ、必ず仕留めよと。たとえ旅の仲間であろうとーー訓練であろうと、見られたからには殺せ」
「……ぁ。あああああっ!! リアさぁあああああああん!!?」
喚くタハトを静かに見下してカイトは言う。
「これで心が砕けるならば、お前はそこまでだ。タハト」
黒い炭ーー粉状の火薬をリアの亡骸に振りかけると刀を一閃して発火させ燃やした。
「り、リアさん……! あぁあああっ!!」
目の前の死体が燃え上がる炎を見て、思い出すのは自分の両親が殺された村。
斬り捨てられた多くの村人たち。
今ーー目の前で自分は仲間を殺された、自分が弱かったせいで。
目の前が真っ暗になって音が消え、暗闇の中でタハトは目を覚ます。
そこは全てが遮断された心の世界。
視界も嗅覚も聴覚も何も感じない世界。
そのままそこに居れば、タハトは死ぬ。
ゆっくりと衰弱して死ぬ。
ーー 死を望むのか? 何も意味の無い死を
心を閉ざしたタハトの耳にーー世界に反響する声。
アドムに似た誰かの声。
でも何も感じたくなかった。
自分が信じた師であり父でもあり、兄でもあった人が。
あれだけ綺麗な女の人をアッサリと斬り殺した事実が、タハトを完全に壊した。
ーー そうか。だが我は死ぬつもりはない。
「好きにしてよ、僕の身体ーー。何も見たくない。感じたくない」
目の前で仲良くなれた女性が殺された。
殺したのは自分が心を開いていた人なのだ。
この先、アドムが行く世界は、そういう人間が生きている世界なのだ。
自分が行っても役には立たない。
ならいっそ、食ってくれ。
僕は、もうーー無理だ。
ーー あいにくだが、お前は死ねない。
もう放っておいてくれ。
無理だ、もう何も見たくない。
今、思考が戻れば、現実に戻ったら僕は壊れて死ぬ。
どちらでも一緒だ。
このまま衰弱して死んでも、ショックで死んでも僕は二度と生き返らない。
ーー それで、お前は親御のもとへ行けると思うか?
『生きて……! タハト……!!』
『子どもたちを逃がすんだ!! 急げ!!』
血まみれの母は笑って自分を送り出し、父は勇敢に挑んで死んでいった。
自分は力だけ持っていた。
自分は何もできなかった。
ーー 泣いて何も見なければ、それでもよかろう。そのせいで多くの罪なきお前と同じ存在が創られていくだろうがな。
僕に、どうしろってんだよ!!
何も、何もできやしない!!
僕は何も守れやしない!!
カイトさんが言う様に、僕は出来損ないの影だから!!
ーー 出来が悪いからなんだという?
出来損ないだから、守れやしない!
助けられやしない!!
ーー 違う。出来が悪いから助けられないのではない。お前が、弱いからだ。
だから、それは僕が出来損ないだから。
ーー 事実から目を背けて、いつまでも受け入れることなく、進もうともせずに逃げ続けているからだ。もうその手は誰かを救えるだろうに、未だに誰かに守ってもらおうとする。その弱さこそが、もっともお前が憎むべきものだ。
なん、だって……?
ーー 怒れ。お前は奪われたのだ。大切な者を、大切な場所を。奪われたことを怒れ、奪われた弱い自分を憎め、そして奪った相手はーーブチ殺せ!!
「タハト。お前は、やはりここまでか」
失望したようにカイトはタハトを見下ろすと、燃やした幻影の人形を見る。
刀身には幻覚を見せる毒が塗られていた。
タハトが見たものが何かは分からないが、幻覚はきっちりとタハトの大切な人を映したはずだ。
その上で、何もしないのであればーー。
ーーーー
風呂場で、片手間にタハトの様子を窺っていたオケアニデスは目を見開いた。
「まさか……鬼神鍾鬼?」
呟いた女神の見る水面の映像は燃える赤い太陽のような瞳を向けられて消えた。
「分け身の分際で、私のーー女神の術を破った? アドムに情けをかけられて力を分けてもらっただけの、ただの人間の分際で……!!」
力無い自分の世界の人間に己の術を破られたことが。
オケアニデスに、これ以上ない屈辱を与えたのだった。
氷のような無表情で水面を睨みつけている。
ーーーー
変化は顕著だった。
瞳は太陽のように煌めく赤に変わり、全身から赤い光のオーラを纏っている。
静かに立ち上がった姿にカイトは目を見開いていた。
「タハト、その力。その姿はーーアドム様の赤目か?」
タハトは力を放ちながらカイトを見据える。
「幻術……影の術の一つだったな。そんなものに騙されるとは情けない」
「見抜いたか。そして見事な気迫だ……その赤目の力、確かめてやろう」
瞬間、タハトは手に持っていた刀を抜き放った。
そして抜き身に左手を添えると赤い炎を刀身が纏いはじめる。
「エンチャントマジック(付与魔法)か」
全身から赤い光のオーラを放ってタハトは炎の刀を振りかざす。
「ヴィンテージ影騎士・タハトーー参る!!」
「ヴィンテージ影騎士団長・カイトーー受ける!!」
互いに踏み込むと刀を一閃する。
ぶつかり合う二つの刀。
カイトの纏った気の一撃がタハトの炎をかき消すように相殺する。
白い光を纏うカイトにタハトの赤目が鋭く細まった。
同時に消える。
互いの左手には飛び苦無が指に挟まり数本放たれる。
だがタハトの放った苦無は炎を纏って放たれ、カイトの放った苦無を打ち貫きながら炎が石壁に当たって爆発する。
「……桁違いの威力だな」
避けながらカイトは思わず石壁に穴をあけた飛び苦無を見るも自分の目の前に現れたタハトに表情を厳しく変える。
互いに袈裟懸けを放って斬り結ぶもーーカイトの刀にタハトの刀が半ばまで食い込んでいる。
「な、に!?」
「はぁ!!」
気合いと共にタハトの刀が一閃され、カイトの刀が半ばから折れて胸元を斬り捨てられる。
「ぬぅ……!? タハト、お前……!!」
驚いた顔のカイトの首を無造作に右手一本でタハトは斬り落とした。
そのまま倒れるカイトの亡骸には目もくれずタハトは左右を睨みつける。
そこには紫色の光を全身から放ちながら3人に増えたカイトが居た。
「私の幻一体を倒せるくらいには強くなっていたか、タハト」
「だが、三体ならばどうかな?」
「いくぞーー!!」
それぞれのカイトが声を上げながら斬りかかってくるのに対し、タハトは無表情に一人目の右袈裟懸けを左に見切り、二人目の左胴薙ぎを柄で下から刀身を突き上げて逸らし、三人目の首元目掛けたもろ手突きを右に見切る。
すれ違いざまに一人目の胴を斬り、二人目に唐竹で頭部から断ち、三人目には背中へと遠心力たっぷりの横薙ぎを叩きつけて斬り捨てる。
そのまま、一足飛びで天井に張り付いていたカイトへと急接近する。
カイトは腰の刀を抜きながら交差攻方で斬り、すれ違う。
互いに着地した際にはタハトの頬に赤い線が引かれ、カイトは肩から鮮血を噴き出した。
「見事だ……。私の幻術を破り、剣術で上回るとはな」
「……カイトさん」
微笑みながら殺気を納めたカイトにタハトも赤い目から普段の瞳に戻る。
全身に漲っていた赤い光のオーラは消え、普段通りの青年へと戻ったのだ。
「よくぞ、打ち破った。さすがはアドム・ヴィンテージの右腕よ」
「僕のために、どうして……」
「タハト、お前が受けた仕打ちは決して軽いものではない。お前が抱えるべきものであろう。だが、それを重荷にするな。今を生きるお前に寄せる人の想いを、決して無駄にするな」
そう言うとカイトはどこからか取り出した刀を一振りタハトに投げ渡す。
その刀は普通よりも長く太く、武骨で飾り気がない。
「これ……兼定?」
「私が、未熟な頃にアスラ様より頂いたものだ。お前に譲ろう……。この先、アドム様と得体のしれない連中との戦いについていくには兼定でなければついていけまい。その刀がお前とアドム様の「楔」となることを祈っている」
「僕とアドムの……楔?」
「刀は、人を斬り捨てるものだ。だが、人と人を結ぶものでもある。私は、それをアスラ様より教わった。お前も覚えておけ。誰かを護る為に刀を抜かねばならぬこともあることを……」
そう告げるカイトを呆然と見た後、抜き身の刀を持っても吐き気のしない自分に目を見開く。
「「兼定」は強さと優しさを「兼ねて定めるもの」だ。お前とアドム様が、この先どのような苦難にあろうとも必ず生き抜けるよう願っている……」
そう言ってカイトはタハトに背を向けると修練場を後に去っていく。
瞬間、その背を見たタハトは考える間もなく頭を下げていた。